醤油界の異端児、山本康夫の頭の中と桶の中
小豆島の醤油蔵、ヤマロク醤油を訪れる
- インタビュー: Hiroko Yabuki
- 写真: Cailin Hill Araki

小豆島の醤油蔵「ヤマロク醤油」の5代目を担う山本康夫の役目は、食品技術というマクロな世界で活躍するミクロな仲間、「菌」たちを見守ることだ。単細胞の真核生物はもっとも古くから地球上に存在してきた生命体であり、ビール、漬物、チーズ、コンブチャ、醤油などの製造に欠かすことができない。食品の発酵には特定の条件が必要だが、基本的に単純な条件で進行するため、発酵食品は、有史以前からの長い歴史を持つ。ところが、「健康」と「自然」に対する注目と相まって、昨今、急激に発酵食品人気が高まっている。代々引き継がれた醤油蔵に生まれた山本康夫は、30歳の誕生日に家業を継いだ。以来、消滅の危機に瀕した醤油作りの伝統を復活させるべく、機械化された生産工程で作られる人工的な風味や添加物を排した、従来の自然な醸造方法を大切に守り続けている。
用途が限定されたプロダクトの生産方法を考えるとき、私たちは、蓄積された知識が意味する豊かさを見失いがちだ。最終的にどう見えるか、表面にばかりこだわり、生産過程で真になすべきことは二の次になる。AirPodsに始まり、毎年モデルチェンジしては新発売される無数のクルマに至るまで、消費者は手に入れにくいほど高品質を意味すると混同し、ますます欲望が刺激される。このことから何かわかるとすれば、新しいものを有難がるかぎり、私たちは流行に振り回され、うんざりしつつも計画的な旧式化が続くということだ。だが、少量でも高品質なプロダクトを作り出す伝統に、再び関心が向くようになったのも、同じ理由からだ。未来はやがて旧弊になる。そして2020年、伝統は最先端のテクノロジーになる。
世界中の食品産業の例に漏れず、醤油の生産も機械化されて、醸造期間を大幅に短縮できる金属製タンクが大多数を占めるようになった。山本が木桶でじっくり熟成させる醤油は、人気はあるものの、国内生産の1%未満に過ぎない。製造に要する時間と人件費を考えれば、コストは加速度的に増大の一途を辿る。そこで「ヤマロク醤油」では、予約の有無にかかわらず、年間を通じて見学者を受け入れている。醤油作りを左右する酵母への影響を口実に、一般への公開に二の足を踏む大半の醤油蔵とは対照的だ。その数、年間約4万人。すべては、醤油醸造をできるだけ多くの人に知ってもらうため。そんな山本が作る「ヤマロク醤油」は存在感がありすぎて、あっさりした醤油を好むシェフには敬遠されがちで、売り上げの95%は家庭用だという。人々のあいだで発酵製品への関心が続いていることを示す証でもある。だが、移ろうのが流行。伝統的な手法で醤油作りを続けられる未来が来るのか、展望台は不透明だ。今や、巨大な木桶を作れる専門職人は姿を消しつつある。
今回、醤油蔵を取材に訪れたSSENSEに、伝統を牽引する山本が、醤油作りの未来についての深い洞察を語った。

僕は基本放任主義で、菌に任せるのがポリシーです。何もしなくても、菌たちがちゃんと仕事をしてくれますから。一方、タンクでの製造過程では、数種類の特定の菌を付加することで熟成させる。こうすることで、通常2年近くかかる熟成期間を、最短で3ヶ月までに短縮することが可能な上に、菌を管理することで品質が安定するとも言われています。
でも実を言うと、僕はその意見には反対です。そもそも、人間が菌をコントロールすることなんて、到底無理。この世界には未知の菌が無数に存在していて、いくら密閉してもタンクの中には我々が想定しない菌がすでに住み着いているんですから。

同じエリアにあるメーカーがここまで協力的なのは、醤油業界に限らない話ですが、意外と珍しいこと。木桶醸造が現代まで生き残ってこられたのは、このネットワークによるところも大きいでしょうね。

蔵は、江戸時代から改築を繰り返し、今の形に落ち着いたらしい。その際、古くから使っていた木材を再利用する形で取り入れて、菌の生態系を保つようにしてきたようです。
「鶴醤」は長年の看板商品で、濃厚かつ甘みすら感じられる、かなりキャラの立った醤油。僕みたい、ってよく言われます。醤油の味って、作り手に似るんですよ、不思議なことに。

僕、菌には意識があるって信じてます。その証拠に、蔵の見学者が歩いて周ってよく見える桶の方が、見えにくい桶よりも、断然いい味になるんです。

国内の木桶職人は激減していて、2000年代半ばの時点で、伝統的な手法で桶を製作する桶屋が1店だけだった。これはまずいと、2009年にまず9本の木桶を発注しました。
さらに2011年に、業界の活性化も視野に入れて「木桶職人復活プロジェクト」を発足したんです。翌年には友人を誘って職人のもとに弟子入りして、実際に自分で作ってみた。
それ以来、毎年1月に有志を募り共同での桶作りを進めているんです。


醤油蔵で使う桶は、塩分により腐敗が妨げられるため、だいたい100年から150年くらいもつんです。だから、今木桶を使っている蔵で、次が必要になるのが数十年先、なんてこともあり得る。その間に作り手がいなくなってしまったら、終わりですよね。
日本醤油協会の調査によると、全国に現在残っている木桶は約2500本。そのうち約1100本が小豆島の蔵で使われているのですが、これらが完全になくなる未来がくるかもしれない。つまり、本当の醤油の死です。

味噌、酢、酒の順に、桶を使う作り手が減ってきています。僕ら醤油蔵も、100年先を見据えて動く先見性を持つことが必要だって思っています。

ユネスコの無形文化遺産に登録されて素晴らしいなんて、喜んでいたらダメなんです。世界遺産っていうのは、この先なくなってしまうかもしれない遺跡なり文化なりを保護しましょう、っていう意味合いもあるのだから。
- インタビュー: Hiroko Yabuki
- 写真: Cailin Hill Araki
- Date: March 16, 2020