オスカー候補作品をファッションで読み解く
SSENSEエディトリアル チームが今年度の作品賞候補をNikeやシル クソックスを用いて徹底分析
- 文: SSENSE エディトリアル チーム
多くの場合、どの映画がその年のアカデミー賞にノミネートされるかを予想するのはそれほど困難ではない。毎年白人男性ばかりが選出されることから、ここ数年はアカデミー賞に対する批判が高まり、ボイコットする人も増えている。その意味では、今年はいくつかの嬉しい誤算があった。ジョーダン・ピール(Jordan Peele)が5人目の黒人監督として、グレタ・ガーウィグ(Greta Gerwig)が5人目の女性監督として監督賞にノミネートされた。また、ギレルモ・デル・トロ(Guillermo del Toro)監督による、好感のもてる共産主義者の登場する、一風変わったロマンスと政治アレゴリーを扱った作品が、多数の部門でノミネートされた。これらすべてがこの時代について物語っており、同じように、ファッションやその他の形で映画に隠されたマクガフィンの数々もまた、この時代を象徴するものだ。今回は、SSENSEエディトリアル チームが、ファッション的な視点を元に、今年の作品賞候補から数本を取り上げて分析する。

画像のアイテム:時計(Black Limited Edition)
『ダンケルク』、クリストファー・ノーラン
腕時計は、時間とは構成概念であるということを文字通り認識させてくれる。腕時計によって時間は定量化され、それによって、時間がそこに実在するかのように感じられるのだ。映画には、これとは真逆の効果がある。映画は、時間が直線的に流れるという私たちの認識を、大きく歪ませる。クリストファー・ノーラン(Christopher Nolan)は、このダイナミクスを捉える。彼の映画世界の中では、一時的な異常事態が行動を引き起こし、それを中心に物語のフレームワークが構成される。第二次世界大戦を描いた長編、『ダンケルク』も例外ではない。フランスの海岸の街ダンケルクにおける英国軍の撤退を、独立した3つの視点から描き、浮き彫りにする。登場人物のひとり、 トム・ハーディ(Tom Hardy)演じるファリアは英国空軍パイロットだ。コックピットの計測器が破壊された後、燃料供給量の確認を腕時計に頼らざるをえなくなり、腕時計が重要な支えとなる。観客は、リアルタイムで次々と起こる出来事を解読しつつアクションを追わねばならない。その累積効果は妙にメタ的だ。これはすでに起きたことだったっけ?ところで、この映画館に入ってからどのくらい時間が経過しただろう?

画像のアイテム:ドレス(Dolce & Gabbana)
『レディ・バード』、グレタ・ガーウィグ
プロムほど、大人への一歩を陳腐化するイベントは他にない。だが、グレタ・ガーウィグの『レディ・バード』は、皆が想像するほど、プロムが軽率なファンタジーではないことを教えてくれる。リサイクルショップで買った、花の装飾のついたキラキラとしたドレスを身につけたレディ・バード。彼女は自分がこの特別な日のためのドレスを見つけたと確信している。「ピンクすぎない?」と母親が尋ねる。同じフクシアのハイライトで染めた彼女の髪と合わせると、確かにピンクすぎるかもしれない。だが、彼女の選択は正しい気もする。『プリティ・イン・ピンク/恋人たちの街角』の中で、アンディが自分で映画史に残るドレスをデザインしたように。あるいは、『25年目のキス』で、ジョジーが、シェークスピアからインスピレーションを受けた象徴的なドレスを、はからずも選んだように。プロムは高校卒業後の独立した大人への入り口そのものを表しており、そのプロムを通して、あと一歩で大人になる手前のティーンエイジャーであることの複雑さが描かれる。高まる未来への興奮と同時に襲ってくる、未知の世界に対する恐れ。レディ・バードが全編を通して教えてくれるのは、大切なのは少女が着るドレスではなく、そのドレスを着る少女の方だということだ。

画像のアイテム:マネー クリップ(Maison Margiela)
『ゲット・アウト』、ジョーダン・ピール
ジョーダン・ピールの表現する亡霊は、青白く、肉食性で、絶えずそこに存在するが、『ゲット・アウト』の恐怖は、崩れかけたゾンビの手や幽霊によるものではない。そこにあるのは、白人至上主義だ。キャサリン・キーナー (Catherine Keener)が演じる白人の母親で、催眠療法士のミッシーが、ティーカップに入った紅茶をかき混ぜる。こうやって、彼女は娘の黒人の恋人、ダニエル・カルーヤ(Daniel Kaluuya)演じるクリスに、暗示のためのアンカーリングを仕掛ける。ここで道具としてスプーンが用いられるのは偶然ではない。催眠効果のある銀のスプーンは、受け継がれる富と特権を表しており、この富と特権を用いて、白人は何世紀もの間、周辺の存在を視界から遠ざけてきたのだ。

画像のアイテム:スニーカー(Nike)
『シェイプ・オブ・ウォーター』、ギレルモ・デル・トロ
「あなたの形がわからないから、私の周りの至る所であなたを感じる」。ギレルモ・デル・トロの『シェイプ・オブ・ウォーター』の成功の一部には、おそらくアクアフィリアが、案外、身近なフェティッシュであるせいだろう。欲望と水には多くの共通点がある。両者ともに流れ、包み込み、浸透し、抑えきれないものだ。何かに完全に包まれたいというのは本能的な衝動であり、これは、胎内で過ごした忘れがたい9ヶ月間と間違いなく結びついた、生まれながらの生物的な訴えに呼応する。液体にでも、愛にでも、あるいはニットスニーカーにでもいい。私たちは何かに完全に包まれて、すべてを抱きしめられたいと思っている。NikeのVaporMaxの形には、水やデル・トロの半魚人がそうであるのと同じく測り知れないところがある。その泡のような不定形のソールに、私たちは、不可解で、情熱的で、抑えることのできない畏敬の念を抱かずにはいられない。

画像のアイテム:ソックス(Haider Ackermann)
『ファントム・スレッド』、ポール・トーマス・アンダーソン
あらゆることを真面目に捉え、本当にどうでもいいような、毎日の些細な行動すらも儀式的な綿密さで行うようになったとしてみよう。シャツのボタン掛けや髪をとくこと、アスパラをバターではなく油につけて食べることなど、平凡な行為がパフォーマンスのように行われる。朝起きて、真っ先にシルクのソックスを履く。これは官能的なだけではなく、どこか誇らしげだ。異常なまでの完璧主義に苛まれ、おまけに権力を維持することに取り憑かれている人にとっては特に、朝のルーチンほど甘美なものはない。何か欲しいときに、ただ自分の望むものを要求し、しかも自分のやりたいように要求するだけで、周囲の人間にパニックに陥れられるのも、時には面白いかもしれない。

画像のアイテム:シャツ(Ribeyron)
『君の名前で僕を呼んで』、ルカ・グアダニーノ
ルカ・グアダニーノ(Luca Guadagnino)の『君の名前で僕を呼んで』には、ボタンアップが仕事用のシャツとしてだけでなく、ファンタジーを掻き立てる服装としても登場する。オリバーはボタンアップを着て現れ、ボタンアップを着て眠り、最初の朝には、また新しいボタンアップを着る。自信に満ちた研究者でいるためのボタンアップであると同時に、物憂げにバカンスを楽しむためのボタンアップでもある。「アプリコット」という言葉の語源について議論するためのボタンアップ。そして、腰の下の方にできた擦り傷を見せる際、背を向けるためのボタンアップ。好きでもない女性とのデートのためのボタンアップ。ちなみに、後にこの彼女とは別れることになる。柄のボタンアップはお客様を迎えるときのため。これは深夜の待ち合わせの前には着替えられる。さよならを言うためのボタンアップ。ボタンアップほど実用的なものはそうそうない。ボタンアップは予測可能で、頼りになり、実用的だ。ひと夏の恋にはないものすべてが、そこにある。「話した方がいいのか、それともいっそ死ぬか」。ボタンアップを着れば、その両方が可能になる。
- 文: SSENSE エディトリアル チーム