未来、そして次シーズンのトレンド ガイド

2017年春夏メンズウェア レポート

  • 文: Emily Friedman and Mary Tramdack
  • 写真: SSENSE Buying Team

恥じらい

魅力と自信が同義とされた数十年が終わりを告げ、今や、内気に頬を染めるバラ色が魅力を増した。世界が瀕しているあまたの危機を無視することは、魅力ではなく無知である。差し迫る気候変動の脅威を憂い、テキストの返信に遅れをとって青ざめているあなたには、多分、ほのかなピンクが助けになるだろう。かまってちゃんからから生まれたばかりの子豚まで、ほのかな赤らみは私たちを信用させる。

転用

創造すべきものが何もないときは、破壊すればいい。フランス状況主義者が文化プロパガンダの実践として提唱した「転用」は、崩壊の汚名を着せられた。しかし、ピカソ(Picasso)の言葉を借りるなら「あらゆる創造行為は、何よりも先ず、破壊行為である」。仮に彼自身が展開した総合的キュビズム期の破壊的な性質を正当化する意図であったにせよ、確かに一理ある。漂白剤を飛び散らせたデニムとハンドペイントしたフランネルを、衣服として再考させるに足る論理だ。破壊とは、もはや分解ではなく、再構築である。

社会落水者のために

内向的な人は批判されがちだ。誤解され、おそらくウェブページのあちこちをクリックしては自己診断に走り、自己診断を気に病み、閉じられた悪循環にはまる。社会という海原に落水しないためには、賢くもThom Browneが具象化した救命道具が欠かせない。同僚は尊敬の眼差しを向けながら、距離を取るだろう。仮にも「仕事はどう?」などという浅薄な会話を持ちかけるヤツがいたら、しっかりとこれを握り締めて、二度と無意味な会話に溺れない決意を新たにしよう。これこそ、新しい「話題のアイテム」だ。

父さんの帽子

ゴルフ シャツとかカーキ ズボンとか、世の父親に好まれるアパレルの大部分は、凡庸こそ命とみなして差し支えない。だが、帽子だけは例外である。たとえ前面に掲げられたメッセージは控えめであっても、実際にそれをかぶる行為はある種の願望を満たす。先ず何よりも親という存在を超え、自信を滲ませ、知恵を分かち合い、伝統を打ちたてる。その一方で、自分のパーを下回るジョークを笑い飛ばす。Raf Simonsが2014年秋冬コレクションで十二分に見せてくれたごとく、あなたには否定しがたい存在感が備わる。あなたが描く理想の父親像に、あなた自身がなればいい。

プール スライド

常に要求を押し付けてくる社会において、リラクゼーションは究極の耽溺である。オフグリッドへ逃れる、プールサイドで寝そべる、マインドフルを実践する-どんな手段で逃避するにせよ、オフの時間のユニフォームは心地良さと着やすさを優先しなくてはならない。社会的に認められる装いが環境次第で決まるとき、例えばプール スライドのような思いっきり仲間と盛り上がれるフットウェアを履いて、気の向くままに楽しむ贅沢なんて手が届かないと思うかもしれない。だが、そこは敢えて、場所をわきまえず、履いてみせよう。ドレスコードの侵害こそ反逆者の領土だ。

スーベニア ジャケット

基本的に派手なアイテムであるにかかわらず、スーベニア ジャケットは苦渋のストーリーから誕生した。東洋と西洋の象徴的なイメージをブレンドしたシルクのボンバー ジャケットは、第二次大戦後、日本を占領したアメリカ兵が着始めたものだ。カスタムメイドの記念品、すなわち「スーベニア」である。その後、日本の10代は、米国による占領の歴史を気にかけることなく、このジャケットをスカジャンの別称で愛用するようになった。では、スーベニア ジャケットに登場したドナルドダックには、どんな意味があるのか? おそらく意味はない。時の経過と共に、意味は拡散する。一国の敗北と一国の勝利を意味しつつ、現代のスーベニア ジャケット「スカジャン」は、誕生時の象徴的な緊張感を今も堅持している。

未完の裾

人によっては、関係を結ぶことを恐れるあまり、きちんと仕上げられた裾にさえ敏感に反応する。再興したDIY精神にせよ、ダメージへの親近感にせよ、あるいは単に良い仕立屋の不在にせよ、ザックリ裁ち切ってほつれるままのエッジは「未完」の賛美である。結ばれていない紐や未処理の端は可能性を示唆する。果たして、ほつれるのか、結ばれるのか。その緩さに強さも宿る。そもそも最初から損なわれているのなら、何とかやっていけるというものだ。

スピードの暗示

ここ数年で北米に広まったアスレジャー スタイルは、必要とあらば、すぐにでも走ったり、持ち上げたり、回転できるように見える。アスレジャーは、運動の可能性が潜在するライフスタイルを示唆している。逆の見方をすれば、ラグジュアリーは恒久的な「運動後のクーリング ダウン」状況とみなされている。ペイントに浸され、実際の運動では使い物にならないMargielaのスニーカーは、そのようなトレンドに対する挑戦である。同時に、パワフルな象徴でもある。すなわち、際限なく動作を遅らせ、否応なくペースをスローダウンさせることによって、あなたを美的な休息の状態へと導く触媒である。

アンチ迷彩

一昔前なら、一般市民が迷彩服を着用することは大胆な主張だった。だが、今は状況が違う。スコットランド高地でいがみ合っていた氏​​族の格子柄があなたの父親の手許まで旅してきたのと同じく、迷彩服も、今日では非常に広範囲で着用されているために、反逆の魅力を失ってしまった。どこでも目にする柄に反逆の要素は皆無だ。同時に、匿名であることは現実逃避を意味する。だとすれば、破壊エネルギーを表出させるために、別の捌け口を見つける必要がある。ぐずぐずと停滞していないで、大きく大胆なグラフィックと激突する色使いに抗議を託してみよう。

透明の過激

PVC(ポリ塩化ビニル)は、偶然、フランスの化学者によって発明された。予期せぬ発見であった。しかし、不運なスタートにもかかわらず、その持続性は何世代にもわたる工業生産の歴史が証明してきたとおりである。合成繊維PVCは、意図されなかったがゆえに正しく認識されなかった過去を振り払い、今や、デザイナーたちが挑発と注目のために手を伸ばす素材である。透明な衣服は、被覆と露出、偶然と宿命の狭間を行きつ戻りつする不両立である。

エクストリーム レジャー

コニーアイランドにアメリカ初のローラー コースターが登場したとき、重力に挑むチャンスを得るためなら、人々は料金を払うことを厭わなかった。座った姿勢で空間を移動してみて初めて、人々は空を飛ぶ感覚を理解した。人類の工学能力が高度化するにつれ、ローラー コースターはレジャー用の巨大高速構造物、アドレナリンの急上昇がもたらす昇華の装置へと進化した。Alyxは、キラリと光るゴールド、カチッとはまる接続具、コーデュラのシンチ ベルトで遊園地のイメージを利用すると同時に、人間に課された自然の限界を免れる感覚を表現した。

古典について

IRL(in real life。実生活)とURLの区別は時代遅れだ。「実生活」はオンラインで起こる。だから、私たちには、デジタル界と物理世界の消滅しつつある分断を反映する洋服が必要だ。ChanelとSchiaparelliが建築にインスピレーションを見出したごとく、新世代デザイナーにとって、Web 1.0はの秘密裏に利用できる参考情報の源泉だ。検索履歴をハートに、「ユーザー体験」を原点へ戻そう。まさに、朝起きて服を着るのと同じくらい、簡単なことだ。

  • 文: Emily Friedman and Mary Tramdack
  • 写真: SSENSE Buying Team