タートルネックのすべて:ファッションによる支配の仕組み

ケルシー・マッキニーが解説する、抵抗と保護のためのセーター

  • 文: Kelsey McKinney

数年前の11月、ある友人に黒のタートルネックをもらった。引越しで2度アパートを変え、その都度、このGapの七分丈のビンテージのタートルネックも持ってきたが、結局、一度も袖を通さないままだった。こうして引き出しの奥で埃をかぶっていたところ、ある寒い日、外出しなければならなかったのに、前夜に首の横側にできた巨大な吹き出物を隠す方法が見つからず、ついに出番がやってきた。細い襟口から顔をすぽんと出したときには、私はもうタートルネックの虜になっていた。

ノーラ・エフロン(Nora Ephron)は、著書『I Feel Bad About My Neck (首のたるみが気になるの)』のタイトルにもなっているエッセイで「顔は嘘をつくが、首は真実を語る」と書く。「セコイアの木の樹齢を知るには切ってみなければわからないが、首があればそんな必要もない」のだ。首が暴露するその人の真実は、年齢に止まらない。怒り、笑い、そして緊張のすべてが首筋に現れるからだ。首は自信も恐怖も伝える。だが、首を隠すことで、私たちは曖昧さを味方につけることができる。タートルネックは、身体が許可なく勝手に明らかにしようとする真実を覆い隠してくれるのだ。

タートルネックを着る目的は、発明以来ずっと、何かしらの保護のためだった。物理的に保護することもあれば、比喩的な意味で保護することもあり、場合によってはその両方の目的を満たした。これはどのような文脈で着るかによって変わる。何世紀もの間、タートルネックは、純粋に実用的なアイテムだった。その起源は、中世ヨーロッパにまでさかのぼる。当時は、騎士たちの首が擦り剥かないよう、鎖かたびらの下に着用していた。1800年代を通しても、タートルネックは工場の労働者やアスリートが着る実用的なアイテムでしかなかった。また、これらの仕事に携わるのは男性にほぼ限られていた。

パトリシア・キャンベル・ワーナー(Patricia Campbell Warner)は、『When the Girls Came Out to Play: The Birth of American Sportswear』で、女性がタートルネックを着るようになったのは、1900年頃だとする。これは「カレッジの女学生たちが自分の兄弟から着想を得て、兄弟のタートルネックをくすめて着用した」のが始まりだ。彼女はまた、「このような実用本位の衣服を公の場で着ることは、男性のエスタブリッシュメントによって認められていなかった」と書く。1890年のウェルズリー大学の女性ボート チームの写真には、女性たちがタートルネックのセーターに、お決まりのロングスカートを着た姿が写っている。

1925年の夏『シンシナティ・インクワイアラー』紙に掲載されたコラムの中で、メアリー・マーシャル(Mary Marshall)は、「女性がタートルネックを着用すると、常にどことなく勇ましい雰囲気になる」と書いている。この記事がほのめかしているのは、女性は勇ましく見えるスタイルを避けるべきだということだ。タートルネックは自立しすぎている。男らしすぎる、というわけだ。
1920年代中頃になると、タートルネックは、その機能性だけでなく、そのデザイン性からも人気が高まる。そして、ここからタートルネックは、独特の魅力を持つようになっていく。トロイ・パターソン(Troy Patterson)が『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』に書いているように、ロンドンの脚本家ノエル・カワード(Noël Coward)のタートルネック姿が知られるようになると、粋な雰囲気を醸し出そうとする青年たちが、すぐにこのスタイルを真似した。

タートルネックはさらに、芸術的なインテリ層を連想させるアイテムにもなった。だが、当時もまだ明確に、紛れもなく男性用アイテムであった。「タートルネックのセーターは、男性の男性らしさの象徴だと考えられている。首回りが太ければ太いほど、より男らしいと考えられた」と、協会のコラムニストであるヘンリー・W・クルーン(Henry W. Clune)は、1932年、『ローチェスター・デモクラット・アンド・クロニクル』紙に書いた。ここでクルーはタートルネックについて、ある明白な、否定しがたい事実を指摘している。細い袖部から丸い頭を出すことには、本質的に男根的な側面があるという点だ。それゆえ、タートルネックが近代のアメリカ的男性を象徴するクラーク・ゲーブル(Clark Gable)と結びつくようになるのも当然のことだ。1930年に人気の絶頂にあった首の太い銀幕のスターは、完璧に左右対称の顔を、しばしばクリーム色のタートルネックに包んでいた。彼は、まさに言葉通りの意味で、セックスシンボルを身につけたセックスシンボルだったわけだ。

女性が自分たちの服として公にタートルネックを着るようになったのは、第二次世界大戦後のことだった。1953年頃、雑誌『ライフ』は、黒のタートルネックに白のカプリパンツの姿で裏庭にいるマリリン・モンロー(Marilyn Monroe)を撮影した。これは、この1年後の映画『七年目の浮気』のセットで、地下鉄の通気口から吹き上げる風でまくれ上がるスカートをいたずらっぽく押さえようとする、最も有名なモンローの写真のほぼ対極にある写真だ。『ライフ』の写真のモンローは、受け身な若手女優ではない。そこには、誰もが男性を想起するような服に身を包む、しっかりとして、自身にあふれ、誰にも屈しない、責任ある女性の姿がある。

また当時、タートルネックは、カウンターカルチャーのインテリ層にも人気の高いアイテムだった。ビート ジェネレーションの詩人たちに限らず、サミュエル・ベケット(Samuel Beckett)や、女優兼歌手でボーヴォワールやサルトルの親しい友人で、時に「実存主義のミューズ」と呼ばれたジュリエット・グレコ(Juliette Gréco)まで、誰もがタートルネックを着るようになっていた。ジョージ・コトキン(George Cotkin)が『Existential America』で取り上げたように、詩人で小説家のマージ・ピアシー(Marge Piercy)は、「ブラック ジーンズ、黒のタートルネック、べったりつけたダークレッドの口紅にアイメイク」と、グレコのスタイルなら無差別に自分は取り入れたと言っている。タートルネックとビートニクは、カルチャー的にあまりにも類似性が高かったので、タートルネックといえばビート族、と認識されるようになった。

60年代、フェミニズムと公民権運動が一般生活のただ中に飛び込んできて、 文字通りの意味でも比喩的な意味でも、タートルネックはある種、ユニセックスな抵抗のための服となった。女性たちが、妊娠中絶を始めとする性をめぐる自己決定権を求めて抗議を行っている動画の中でも、タートルネックが見られる。キャスリーン・クリーバー(Kathleen Cleaver)や エレーヌ・ブラウン(Elaine Brown)、 アンジェラ・デイヴィス(Angela Davis)といった女性の革命戦士がタートルネックを着用した。彼女らは、タートルネックにレザーのトレンチコートを着て、ベレー帽の中は天然アフロというスタイルだった。1971年発行の『エスクァイア』誌では、ブラックパワーを支持して拳を突き上げるドロシー・ピットマン・ヒューズ(Dorothy Pittman-Hughes)とグロリア・スタイネム(Gloria Steinem)がクリーム色のタートルネックを着ている姿が写真に残っている。タートルネックは、ただ暖かく保護してくれるものではなく、破壊的で知性に訴える感性も含意している。タートルネックの実用的かつ暗示的な特性が相まって、一時代のビジュアルを歴史に刻むことに一役買っている。

マージョン・カルロス(Marjon Carlos)は、「今日でさえ、黒のタートルネックに突き上げた拳、そしてアフロという姿は論争を巻き起こす」と、2017年1月に『ヴォーグ』誌に書いている。「ビヨンセ(Beyoncé)の反体制的なスーパーボールのパフォーマンスを見ても(…)運動の視覚的インパクトが今も続いていることは明らかだ」。このパフォーマンスで、ビヨンセのバックダンサーたちも黒の短めのタートルネックにベレー帽で身を固めていた。さらに最近では、人種差別に抗議したコリン・キャパニック(Colin Kaepernick)が「シチズン・ オブ・ザ・イヤー」に選ばれ、2017年12月発行の『GQ』誌の表紙を飾った。彼も革のブレザーの下に黒のタートルネックを着用するなど、ここでも同様の結びつきが見られる。

タートルネックは今なお20世紀の象徴としての意味をもっているとはいえ、個人の抵抗と静かな自信を表すユニフォームという形に進化している。タートルネックとは遮蔽装置なのだ。デザイナーのハナ・タジマ(Hana Tajima)がMoMAのために制作したタートルネックに関する短編映画 では、タートルネックには身体を「曖昧にする」力があり、着用する者が何らかの形で取り消されることに触れられている。タートルネックの愛用者は、「身体から焦点をそらして精神に焦点がいくような、無の重要性」を評価しているのだ。

フィービー・ファイロ(Phoebe Philo)は、Célineの公式なプレス向けの写真で、贅沢なウールのタートルネックを口の上までたくし上げている。髪の毛も首元に入ったままで、即席のフーディーのように、顔を優しく包んでいる。2008年の終わり頃にCélineに参加して以来、ファイロは、性的魅力の現代化を進め、外面的な形を強調するだけでなく、女性の内面的な生き方にも訴えるような衣服を提供したいと、積極的に発言してきた。2014年のアレクサンドラ・シュルマン(Alexandra Shulman)との対談では、ファイロは「女性が性的なものとして扱われるイメージが多すぎるし、女性が他人のために服を着て、その過程で自分自身を無力に感じさせるような例が多すぎると思う」と話している。タートルネックは、体にぴったりとしたタイトなものであれ、オーバーサイズのロールネックであれ、一貫して、ファイロのエンパワメントの武器の一部を占めてきた。

タートルネックは、リック・オウエンス(Rick Owens)のスタンダードな組み合わせにも欠かせない。最近、彼はVestojに対して次のように語っている
「自分の普段の服に関して言いたいことは特にない。だから、普段着はユニフォームみたいになる。同じ服を20着は持っているし、自分のデザインしたスニーカーを履いている。[...]シルク ジャージのタンクトップも着るし、黒のカシミアのタートルネックも着る」。オウエンスの頭の中では、タートルネックは「構造的で、フォーマルで、無情な」アイテムなのだ。タートルネックは身体を要塞へと変える。

タートルネックの細い首から顔を出すたびに、私は、タートルネックの本質的な魅力を思い出す。比喩的にも素材的にも、保護に適しているという点だ。タートルネックを着たからといって、自分が格好良く見えたり、長所が引き立たったりするわけではない。自由奔放な気分や、過激な気分や、破壊的な気分にもならない。かわいくなる気もしない。だが、これを着ていると安全で、無敵になれる気がする。あたかも布のバリアが、私が傷つかないように他者から遮断してくれるかのようだ。持っている他のどんな服を着ても、このような感じはしない。そして、この安心感があれば、私は自信をもち、落ち着いて、未来に立ち向かえる気がするのだ。

Kelsey McKinneyは、ワシントンD.C.を拠点に活躍するライターである。『Vanity Fair』、『 The New York Times』、『GQ』、『The Village Voice』、「The Ringer」など多数に執筆中。

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