2017年のファッションを振り返る
コリン・キャパニックのユニフォームからBalenciagaのKeringフーディまで、2017年が表れたカルチャーの動向とアイテムを考察する
- 文: SSENSE 編集部

政治からファッション業界まで、2017年は紛れもなく激動の1年だった。ヘッドラインは日々移り変わるが、衣服にはある特定の時を思い出させる特別な特質がある。私たちが好むと好まざるにかかわらず…。今年1年を振り返るにあたって、私たちはとりわけ記憶に残る11点を選んだ。これらのアイテムは2017年の特徴を表現するだけでなく、これから迎える2018年がどんな年になるか、その手掛かりも与えてくれるかもしれない。

コリン・キャパニックのユニフォーム
試合前に行われるアメリカ国歌「星条旗」の斉唱中に、最初は起立を拒否し、次に片膝をついて、元サンフランシスコ・フォーティナイナーズのコリン・キャパニック(Colin Kaepernick)がアメリカ国内の人種差別的弾圧に対する静かな抵抗を開始したとき、彼のユニフォームは彼の名前と背番号を表すだけのものではなくなり始めた。多くの人にとって、それは感情を抑えた反逆のシンボル、世代を超えて社会的不正が現在も進行していることを認める証となった。だから、ほぼ1年キャパニックはフィールドに出ていないにも関わらず、彼のユニフォームはNFLのベストセラーのひとつであり続けている。だからジェイ・Z(Jay Z)は、彼のユニフォームをカスタマイズしたジャージで、「サタデー ナイト ライブ」に登場した。だから彼のユニフォームは、現在MoMAに展示されている。だからトラ○プは、国家元首がすべき幾多の仕事をそっちのけにして、彼のユニフォームについてツイートすることに固執する。コリン・キャパニックのユニフォームは、新しい章の始まりを意味し、その章は現在も書き続けられている。

BalenciagaのKeringフーディ
1月、Balenciagaは2017年秋冬コレクションの一部として、ブランド名Keringを冠したフーディをデビューさせた。Balenciaga、Saint Laurent、Gucci、その他を保有するKeringは、規模と影響力の点で、LVMHに次ぐラグジュアリー商品の巨大複合企業である。Keringフーディは、皮肉っぽい率直さによってひと波乱を起こした。「Business of Fashion」は、丸々1本の記事を掲載した。多くの面白い冗談と同じで、念入りな考察の対象にすると、このフーディにも気が滅入ってくる。国家になり代わり、世界の主役の座を占めるに至った巨大企業組織に対して、その存在を無表情に認めているからだ。「僕の仕事は常にリアリティを反映している」。ショーの後、クリエイティブ ディレクターであるデムナ・ヴァザリア(Demna Gvasalia)は『ヴォーグ』誌に語った。「ただありのまま。あれが僕らのまわりで起こっていることだ」。社会文化の動向を着る形にして提示できるからこそ、ファッションは価値ある所産となる。その点からすれば、ヴァザリアは申し分のない仕事をした。あらゆるものを組み込んで、現代生活にまつわるすべてを形作る企業の専制を、Keringフーディは思い出させる。現実を捉えたスナップ ショットだ。だが私たちには、あえて新しい可能性を思い描くデザイナーも必要だ。

NikeのAir Max 97
2017年が、かのゲリー・ウォーネット(Gary Warnett)による造語が言うところの「懐古の頂点」であったことを、Air Max 97よりも的確に表すスニーカーがあるだろうか? Nikeによるインフルエンサーを動員したアグレッシブな20周年キャンペーン、セレブリティのお墨付き、ラッパーのスケプタ(Skepta)による再度のデザイン、高級百貨店ノードストロームが展開する世界店舗での豊富な在庫揃えの結果、大衆は新しい「イット」シューズを発見し、Air MaxデーはAir Maxイヤーへと姿を変えた。スニーカー文化を追う者にとって、Air Max 97は常に非常に大きな意味を持ってきたが、今年は90年代のあらゆるものが復活し、容赦なく全てを呑み込んだ。例えば、Cortezで同様の成功を狙ったNikeのマーケティング戦術は、不発に終わった。70年代はレトロ「過ぎる」のだろうか? 何であれ、2018年には、インディー系からグラーバル ブランドまで、新たなブランドの一団が過去との関連付けという深い罠へと飛び込んでいくのは必至だ。そして、アーカイブを掻き回して、ノスタルジアという餌を探すだろう。だが、果たして何が残っているのか? 問題はそこだ。


トランプ就任式でジョージ・ブッシュが使用したポンチョ
絶望的に運の尽きた時代には、少しでもましな方を正当化する絶望的にろくでもない試みが必要だ。そこで、ジョージ・W・ブッシュ(George W. Bush)のことを考えてみよう。43代目の米国大統領のイメージは、ここ2〜3年、まったく思慮に欠ける(言い換えれば、「馬鹿」で「無能」で「危険」で「悪趣味」な)復帰を果たした。例えば、可愛い子犬の絵。もしくは、ミシェル・オバマ(Michelle Obama)に優しくハグされている姿。そして今年1月には、トラ○プ就任式の最中に演じたポンチョとの悪戦苦闘。間抜けな様子は、おそらく今回も怒り、嘆き、絶望から生じたソーシャル メディアの集団行動によって、瞬く間に拡散された。明らかにブッシュは、1枚のビニール シートに脅かされていた。問題はシートの透明性にあったようだ。あれは、一種のメタファーだったのか。あるいは単に、私たちの気を逸らせる方策だったのか。何らかのトレンドに火を付けたのだろうか。例えば、Calvin Klein 205W39NYCが今年登場させた、透明ビニールに閉じ込められたカナリア色のフェイクファーのコート。一見すると、もっとも不釣り合いな素材の組み合わせと思えたアイテムだ。フェイクな透明性。危険、崩壊、トラ○プが引き起こすさらなるトラブルの到来を私たちに知らせる、特殊な鳥のようなアイテム。あるいは、透明な衣装袋を処分するかわりに着てみるという、気の利いたファッション的決断という考えはどうだろうか。フィルター、修正、見栄えのいい構図、「見えない」ものの時代には、「透けて見える」ものを見せびらかす行為が2017年の行動規範になった。

Alpha Industries x Barneysのアナーキー ジャケット
ファッションは今何が「イケている」のかをよく教えてくれるが、何が「イケてない」のかを示す暗号解読リングでもある。トランプ タワーからわずか5ブロックの場所に旗艦店を構える百貨店バーニーズが、アンティファの映画の小道具のようなAlpha Industriesのジャケットを375ドルでリリースしたときがそれである。バーニーズのウェブサイトに「XXLサイズは売切れ」の注意書きと共に掲載されたジャケットのスクリーン ショットは、辛辣なコメントを付けられて、Twitterで拡散された。サブカルチャーを支配カルチャーに取り込む方法で生き延びてきたラグジュアリー システムにとって、まさに最後の一撃、もしくは滑稽極まりない最悪の事態だった。だが、バーニーズが売り出したジャケットは、ハードコアな左翼派のスタイル儀式よりも、すでに十分に実証されているファッションの政治的不器用さを愚弄している。デジタルによる反抗を特色とする年に、ジャケットに政治的メッセージを書く行為は、伝書鳩を使うのと同じくらい古風で時代遅れだ。だから、次回の抗議運動の後のブランチでは、希望と再生を象徴するミモザを掲げ、騒々しい道化芝居を繰り広げるデジタル界にまたひとつの不要なニッチが持ち込まれたことを祝して、Alpha Industries x Barneysに乾杯しよう。

ドーバーストリートマーケットで販売されるComme des Garçonsのペーパー ビニール トート
今年メトロポリタン美術館で開催された川久保玲の展覧会へ行って、なおかつComme des Garçons のPVCトートを手に入れなかったとすれば、本当に行ったことになるだろうか。もちろん、SSENSE社員は多数がニューヨークへ駆けつけた。その結果、ビニールで覆われたペーパーバッグは、SSENSEオフィスのデスク上に過剰な割合で存在している。今や働く社会人となったミレニアル世代が昔ながらのランチ バッグへと回帰したトートは、日常性によってオフィス空間を均質化する。シワだらけのランチバッグを持って、スクールバスを待つ子供たちの列を思い出してみよう。おそらく、その魅力は破れや綻びを隠しおおせる2.0能力と関係がある。使われるうちにペーパーバッグはシワを増し劣化を引き起こすが、そうやって表情を深めながらアイデンティティを獲得していく一方で、光沢ある外側は維持される。もともとは手軽な価格だが、eBayやGrailedで5倍の値が付くのも頷ける。2017年生まれで可愛く見えるのは、明らかに、残りものを持ち運ぶに値する能力だ。


ビヨンセが選んだPalomo Spainの双子お披露目ドレス
今年、ビヨンセは2度にわたってファンに恵みを与えた。最初は、妊娠を発表したとき。Instagramに掲載した写真で、今年最多の「いいね!」の嵐を巻き起こし、アメリカ大統領が「covfefe」という謎の言葉を綴る時代に、愛の可能性を宣言した。それからおよそ9ヶ月後、ビヨンセは双子のお披露目写真をシェアして、インターネットのトラフィックを止めた。少なくとも、大きく流れを変えた。子猫のように眠るサー・カーター(Sir Carter)とルミ(Rumi)を腕に抱いた姿は、神聖な女性らしさを表現した圧倒的な理想像を思わせた。鮮やかなプリントのオーガンザに身を包み、とんでもなくのどかな海辺の光景を背にしたビヨンセは、豊満に光り輝いている。完璧な母親の姿。花輪に囲まれた天使。世界の起源。フリルとベールに包まれたボッティチェリ風の女神のように、ロマンティックな希望と壮麗な豊穣で私たちを導く。そのすべてを、スペインのメンズ ブランドPalomo Spainがもともと男性のためにデザインし、その後部屋着にリメイクされたガウンだけでやってのけ、控えめながら、ジェンダーの廃止まで訴えた。

Saint LaurentのSL 98 California サングラス、別名「クラウト ゴーグル」
私たちはサングラスが私たちの感情の管理者であることをすでに立証したが、サングラスはまた、時代の風潮を辿る便利な指標でもある。2017年にもっとも相応しいサングラスは、間違いなく、カート・コバーン(Kurt Cobain)が愛用して有名になったChristian Rothのサングラスのレプリカ、Saint LaurentのSL 98 Californiaだった。ネットでは「クラウト ゴーグル」の名前で広まった。すべての遅ればせな続編と同じく(『ブレードランナー』!)、クラウト ゴーグルも、過去より現在について多くを教える。この復刻版リメイクの主役は、1990年代のインターネット前意識の代表としてしばしば引き合いに出されるだけでなく、名声との悩み多き、そして最終的には死に至る関係を体現したコバーン自身だ。インターネットによって誰もが有名になった時代が2010年代だとすれば、2017年は、絶えずスポットライトを浴びることに憤り、自己破壊的になり始めた年である。だから、クラウト ゴーグルはセレブたちのホットのスクープを狙う「E! True Hollywood Story」時代の騒々しい第三幕なのだ。

Matthew Adams Dolanのデニム オフショルダー ジャケット
ジャケットをただ肩に羽織って空の袖が両脇に垂らしたファッション エディターたちの写真が、初めてインターネットを席巻したときを覚えているだろうか? 無頓着を装ったスタイルが矛盾の象徴になり、そんなスタイリングに私たちは魅了された。2016年以前、政治情勢にそれほどの動きはなかった。来るべき過激なパワーシフトによる転覆は、まだ生じてなかった。2016年がそれとなく落ち着いた年に見えたとすれば、2017年はほぼ崩壊の年だった。今年は、オーバーサイズのジャケットやトップスが首元で広がって、肩や鎖骨を見せた。この美学は、起因としてのストレス、露わな首筋、ホテルから車まで歩くリアーナ(Rihanna)を意味する。重要なのは、瞑想的呼吸に必要なスペースを確保することだ。絶望的な時代にはXXLサイズを求める。そして今年、サイジングの基準が肩から滑り落ちたのも偶然ではない。

Jacquemusのサン ハット
わずかな風にも震えて危なっかしくあなたの顔を隠す帽子ほど、お洒落な屋外での時間を声高に主張するものはない。あまりに繊細なので、紐で繋ぎとめておく必要がある。過度に飽和したテクノロジーを避けてピクニックをする新世代は、田園という聖域で追求する経験をもっと豊かにするために、かつては古臭かった衣服の最新バージョンを着用するかもしれない。だが、それを目にする者がまわりに誰もいなかったとしたら、果たしてそんな格好をするだろうか? 2016年の遅くに紹介されてさざ波を起こし、2017年に大きな潮流へと発展したインスタグラムのストーリーを考えてみよう。私たちの人生のいかなる瞬間も、ますます共有可能になってきた。行動だって、ライブで共有しうる。どれほど深く自然の中に出かけようと、実際にやったことを証明できなければそれほど特別ではない、とテクノロジーは言う。文明世界から外れようとする偽善者たちにとっても、「写真がなければ、存在しなかったと同じこと」は当てはまる。木漏れ日の射すブランケットの上、イチジクのスライスやゴルゴンゾーラの横に投げ出されていようと、他の帽子といっしょに縫い付けられてドレスになろうと、ヨットの上のケンダル・ジェンナー(Kendall Jenner)によって不可解にスタイリングされようと、Jacquemusの日よけ帽は、ソーシャルメディアとっては素朴過ぎない素朴さの暗号だ。

金正男暗殺容疑者のLOL Tシャツ
人生には、自分の世代が子供から大人になったことに気付くときが来る。小学校時代の仲間が子供を持つようになり、定職に就き始める。そういうことから、政治的な意味合いを持つ選択を選ばざるを得なくなる。そしてあなたは突然気付く、自分は「成人」なのだと…。さらに北朝鮮の独裁者の異母兄弟が、「LOL」と書かれたTシャツを着たあなたと同年代の女に空港で(おそらく)暗殺されるに至って、ミレニアル世代である自分は、意味のあるすべてが瞬時にしてミームのパンチラインへと凝縮され、Tシャツにプリントされ、法外な額の金に転換されうる時代に大人になったことを思い知る。
- 文: SSENSE 編集部