ベレーの不定形な論理
90年代のイット ガールたち、勇名を馳せた兵士軍団の歴史、パブロ・ピカソを繋ぐ共通項とは
- 文: Maxwell Neely-Cohen

後ろへ傾げたブラックのベレーがあたかも暗い後光のように見えるボニー・パーカー(Bonnie Parker)が、ショットガンを右手に抱え、恋人クライド・バロウ(Clyde Barrow)のベルトからピストルを抜き取るような仕草で、左手を伸ばしている。1933年4月13日、密造酒作りの一団を検挙するつもりでガレージ兼用のアパートを急襲したテキサス警察には、思いもかけない展開が待っていた。ボニーとクライド、そして仲間の犯罪集団「バロウ ギャング」に遭遇したのである。銃撃戦の末にギャングはまんまと逃げおおせたが、現場から現像前のフィルム1本が回収された。上記の写真はそのフィルムから入手した1枚だ。別の1枚には、盗んだ車に片腕と片脚をのせ、ピストルを持った片手を腰に当て、葉巻をくわえたボニーの姿があった。これらの写真は国内のあらゆる新聞の第1面を飾り、犯罪者カップル、そしてボニーのベレーは、壮絶な最期を迎えるまでのつかの間、セレブリティの座を与えられたのである。
1967年、銀行強盗で全米を震撼させたカップルの生涯が映画化された。ボニーを演じたフェイ・ダナウェイ(Faye Dunaway)は、全編を通じ、さまざまなブレザー、ニット、柄もの、バンダナ、銃器と合わせてベレーをかぶり続けた。強烈な印象を与えたそのスタイルは、70年代から90年代に至るまで、ファッション誌のエディトリアルで何百回となく再現され、憧れのフランス風スタイルが盛んに売り込まれることになった。広告が、飽くことなくアメリカの女性たちに言い聞かせた。ベレーさえかぶれば、フランス女性の小粋なお洒落があなたのものになりますよ。倦怠、繊細、完璧、緊張感、神秘的な雰囲気、えも言われぬ上質。相反する要素を等しく内に秘めたノンシャランな女性に変身できますよ。
現在なお、LemaireやChanelやGucciのランウェイにはベレーが登場し、フランスならではのファッション感覚を伝えている。ベレーには決まったスタイリングはない。ベレーがアクセサリーとして特別によく似合うウェアもない。まさに「ルーズ」という形容がぴったりのベレーは、スーツにもTシャツにも、モノクロにもパステルにも、柄ものにも無地にも、難なくコーディネートがきまる。後ろへ傾ければ気楽な、前へ傾ければ好戦的な雰囲気になる。定まった形を持たず、何にでも使える。見識を疑うほど無邪気な論理や大雑把な論理まで考慮に入れたとしても、ベレーを十分に定義しつくせる理論は存在しない。ベレーはただひとつ、象徴は簡単に普及し、流用され、新たな使い方が生まれるという、伝播のメカニズムしか語らない。
ライアン・マッギンレー(Ryan McGinley)が撮り下ろした『ローリング ストーン』誌の表紙で、ハリー・スタイルズ(Harry Styles)は、羽根飾りとベールがついた「有閑マダム」風のブルーのMargielaのべレーをかぶっている。『カサブランカ』のイングリッド・バーグマン(Ingrid Bergman)がパリでの生活を回想するシーンで、マリリン・モンロー(Marilyn Monroe)が『紳士は金髪がお好き』でかぶったベレー。アリシア・シルヴァーストーン(Alicia Silverstone)が『クルーレス』で演じたシェール・ホロウィッツが、いくつものシーンでかぶったベレー。10月のウェスト ハリウッドで撮影されたカーディ・B(Cardi B)がかぶっていた、秋らしいキャラメル色のレザーのベレー。そしてジャネット・ジャクソン(Janet Jackson)、ジュリア・ロバーツ(Julia Roberts)、タイラ・バンクス(Tyra Banks)ら、90年代イット ガールであることを証明したベレー。極めつきが1998年、サイドのアクセントにシルバーのリボンがついたブラックのベレーで、モニカ・ルインスキー(Monica Lewinsky)がビル・クリントン(Bill Clinton)と抱擁を交わしている写真が、あらゆるタブロイド紙と主流メディアの表紙を飾ったときだ。これらのときに彼女たちが着ていた服は、ハロウィーンのコスチューム ネタになる運命を辿ったかもしれない。だがベレーだけは、ひとりの人物、ひとつの行為だけに集約することができない。ベレーは独立した道を歩み続ける。
それと同時に、ベレーは、かつてのヨーロッパ人、アーティスト、洒落者、無法者、革命家、兵士に共通する帽子でもある。帝国と反乱の両方を象徴するファッションなのだ。色、ライニング、かぶり方を変えるだけで、ボヘミアン的な独創性や攻撃的な政治性が表現される。2016年スーパーボウルのハーフタイム ショーで、ビヨンセ(Beyoncé)の両脇に隊列を組んだ数十人の女性ダンサーは、拳を振り上げて人種差別を非難したヒューイ・ニュートン(Huey Newton)やブラック パンサー党員と同じ黒のベレーをアフロヘアの頭に載せていた。アメリカ合衆国兵士の服装規定に定められた帽子は、ローレン・バコール(Lauren Bacall)やブリジット・バルドー(Brigitte Bardot)の頭を飾ったのと同じベレーだ。エミリー・ラタコウスキー(Emily Ratakowski)が「ベレーしてみました」というキャプションを添えてInstagramへ投稿した写真には、どういうものか、ワグナー(Wagner)、ピカソ(Picasso)、ヘミングウェイ(Hemingway)と同じベレーが写っている。
ベレーは、そっくり同じに作られても、それぞれの自然な流れに運ばれていく。世界には、軍服の一部としてベレーを採用している国が少なくとも102カ国ある。例えば、英国の王立戦車連隊、イタリアのフォルゴーレ空挺旅団、インド陸軍。軍事と強く結びついた結果、アメリカ陸軍特殊部隊は単に「グリーン ベレー」と呼び習わされ、正式の名称を知らない人すら少なくない。ベレーを着用する部隊をここに片っ端から列挙したのでは、紙数が尽きる。ちなみに、90年代ヒップホップの御用達ブランドとなったKangolは、第二次大戦中、英国軍にベレーを納入する主要な業者だった。

画像のアイテム:帽子(Gucci) 冒頭の画像のアイテム:帽子(Gucci)、帽子(1017 Alyx 9SM)、帽子(Gucci)、帽子(Lemaire)
ベレーは、地理のみならず、歴史も旅してきた。何千年も前に存在したシルエットと全体的な作りは、微妙に変化しながらスコットランドからギリシャまで広範囲に伝播し、ベレーのDNAが国家意識、制服、民族衣装に埋め込まれていった。現代のベレーはバスク地方が発祥の地だ。ピレネー山脈の谷間で羊を追う羊飼いの帽子だったのが、やがてフランス南部の工場で生産される商品となり、輸出によって世界各地へ散らばった。アメリカ人やイギリス人がフランス人を揶揄する風刺画では、フランス人にベレーをかぶらせるのが常套手段になった。一方で、理想のフランス女性、あるいはフランス女性のような自信と世知を備えた女性を演出できる、もっと安上がりな小道具でもある。
僕は、ディジー・ガレスピー(Dizzy Gillespie)の若い頃の写真を見つけたことがある。まだ彼はレコードに夢中の10代で、ベレーの下にメガネ、その下におおらかな笑顔、その下にスーツ、その下に手に抱えたトランペットがあった。次の写真では、パワーと表現力と詩心ではち切れんばかりに膨らんだ頰に、度肝を抜かれたものだ。90年代に人気を博したカタログ雑誌『dELiA*s』の広告では、お洒落な若い女性たちがカラフルなニットのマフラーを首に巻き、まるで魔法みたいに頭の両脇にベレーを載せていた。当時のスターやモデルたちもいる。ベレーのウィノナ・ライダー(Winona Ryder)は、とても小顔で、自然体に見えた。ベレーのケイト・モス(Kate Moss)は、バギーなパンツで、子犬を抱き、ぶら下がった洗濯物を背景にポーズをとった。奇妙なことに、ベレーをかぶったレンブラント(Rembrandt)の自画像に、モスの写真とよく似た雰囲気の1枚がある。同時代のオランダの画家の多くは、ベレーをかぶった農民たちの日常を描いていた。
友人の中には、ベレーを上手に使いこなすのは「かなり難しい」と言う意見もある。だが、僕は必ずしも同意しない。要は傾け方、そしてもっと大切なのは心構えなのだ。本当にベレーが似合うのは、社会のメインストリームから外れた人々、実験を恐れない人々、過去の多様な歴史に関わりなく、ベレーを自分のものとして主張できる人々ではないだろうか。
Maxwell Neely-Cohenはニューヨーク在住の作家。著書に『Echo of the Boom』がある
- 文: Maxwell Neely-Cohen
- 翻訳: Yoriko inoue
- Date: November 29, 2019