アルパナ・ラヤマジーの不滅の創造性
ニューヨーク在住アーティスト、ジュエリーデザイナー、パートタイムのモデルが死と抵抗、ロックを語る
- インタビュー: Erika Houle
- 写真: Arpana Rayamajhi

「いかなる行動規範にも従わないこと。これが第一の教えよ」。話の中で、アルパナ・ラヤマジーはこんな冗談を言った。「教祖のふりをしなきゃいけないの」。おかしいのは、この考えがあながち意味不明でもないことだ。この30歳のネパール人アーティスト、ジュエリー デザイナー、そしてパートタイムのモデルは、現に、年齢には不釣り合いなほど充実した人生を送っているのだから。だがラヤマジーは、型にはまったイメージをもたれることへの激しい嫌悪感をほのめかす。彼女はむしろ、ルールやレッテルに抵抗する達人なのだ。彼女に、自分自身について説明するよう尋ねれば、いつだって、ただ「今はそういう時期」なのだと言うだろう。駆け引きでもごまかしでもなく、これがアルパナ・ラヤマジーだ。
常に誰かに見られていた子ども時代、そしてネパールでの歌手としてのキャリアを捨て、ラヤマジーはニューヨークへ移住し、絵画と彫刻を学んだ。これなら、絶えず観客の視線に晒される重圧を感じることなく探求できた。「他の人が見ているのは、私が今まで経験してきたことの総体よ。でも、その当時のことを人々が知っているわけじゃないから」と彼女は言う。今日、叩き上げのジュエリーデザイナーやモデルとしての彼女の仕事の至るところで、彼女のこの信念は見てとれる。『Vogue』の雑誌のそこかしこで、Appleのキャンペーンで、Victoria’s Secretのランウェイで見られるアルパナは、陽気で、複雑で、反骨精神に溢れている。
相反するプリントや山ほどのタッセルだらけのラヤマジーのInstagramアカウントを見れば、彼女が現状維持にまったく興味がないのは明らかだ。とはいえ、彼女の奇抜さにはロジックがある。たとえば、彼女の色に対するこだわりの根幹にあるのは、彼女がクーパー・ユニオン大学で学んだ理想の美術を拒否する姿勢であり、さらにはニューヨークに溢れる、かの有名な黒服文化を拒否する姿勢だ。ラヤマジーはこれまでニューヨークの美意識に馴染もうとしたことはない。だが、ニューヨークこそが、彼女の心の居場所だった。
一連の進行中のプロジェクトや、アイスランドへの旅で多忙を極める中、アルパナ・ラヤマジーは、カトマンズで過ごした子ども時代や大切な人との死別、誠実さを武器にクリエイティブ業界で前進することについて、電話インタビューで語ってくれた。

Arpana Rayamajhi着用アイテム:ヒール(Prada)、コート(Gucci)、スカート(MSGM) 冒頭の画像 着用アイテム:ヒール(Balenciaga)、バッグ(Thom Browne)、カーディガン(Thom Browne)、トラウザーズ(Rosetta Getty)

着用アイテム:ヒール(Prada)、コート(Gucci)、スカート(MSGM)

着用アイテム:ブラウス(Gucci)
エリカ・フウル(Erika Houle)
アルパナ・ラヤマジー(Arpana Rayamajhi)
エリカ・フウル:独創的な考えをすることが良しとされない社会で、クリエイティブな活動を促進する立場のご両親に育てられるのは、どういう感じでしたか。
アルパナ・ラヤマジー:芸術が文化の大部分を占めるような社会で暮らしていたから、それが生活の手段になりうると考えたことはなかったわ。芸術は特に立派なものだとは考えられていなかった。私の母は、女性として初めて舞台やテレビや映画で演技を始めたひとりで、彼女の世代は、特に女性の場合、取り巻く環境がまったく今とは違っていたの。彼女がとても若い頃は、人々は彼女が演じている役の人物そのものだと信じていて、歩いて帰宅しているときに、通りで男の人たちから「この情婦め!」って物を投げつけられたりしたのよ。私の世代になってもまだ、クリエイティブなことをしながら生活するのがどれほど不可能かという点は、変わっていないわ。父は総支配人としてカジノで働いていたのだけど、もし働く必要がなければ、彼はアーティストになっていたと思う。クリエイティビティに恵まれていたけれど、運命はそれを許さなかったのね。小さい頃は、本当にもどかしかったわ。周りの人は誰も私を理解してくれない気がしていたから。今振り返れば、その原因はあまり豊かではない社会にあったとわかるけれど。
クリエイティブな世界に進むことは、家族の後押しがあったからこそ可能だったと理解していない人たちは、あなたにとても嫉妬したのではないでしょうか。
私は常に、まずは母の娘だった。学校の成績はとても良かったのよ。自分の実力を示さなきゃっていつも感じていたから、すごく頑張っていたの。何かをうまくやれば、「スシラ・ラヤマジー(Sushila Rayamajhi)の娘だから当然だ。恵まれているから、何だってできる」と言われるだろうし、失敗したらしたで、特に数学なんかでは、「この人の娘なのに、数学もできないのか」と言われるのよ。母はネパール映画界では、いちばん有名な女優のひとりだったから。ひとたび家から出れば、みんな私たちの顔を知っていた。でも経済的に言えば、文字通り売れない芸術家の生活だった。ネパールの観客はネパール映画に対してとても批判的で、恥だと思っていたから、いくら人気があるからって、経済的には必ずしも豊かではなかったの。
そのような知名度とは無縁のニューヨークへ引っ越すのは、大きな変化だったでしょうね。
最高だったわ。私はネパールではほとんど何もしていなかったの。ロック音楽を作って、画家になって、人気者であり続けるためには決してやるべきでないようなことを、全部やりたいと思ってたから。何よりも抜け出したいと思っていたのは、あの常に誰かに見られているような感覚。近い親戚も、友人も、知り合いも、誰もが私たちがどれほどうまくやっているか、どれくらい惨めに転落するかを、見ようとしていたから。ニューヨークのいい点は、ただの一個人となって「私はこれをやりました」って言えること。無料の学校に行くことになったけれど、芸術を続けるには他に方法がなかったの。母は私たちの戦いが他と異なるものだとは教えてくれなかったから、大人になるまで、私自身の現実がまったく理解できていなかった。ニューヨークに来てからは、毎日、何もかもが貴重な体験だったわ。
私が最もインスピレーションを受けているのは死。死は私が作品を作る理由のひとつ。作品を作ることで、私は不滅になれるし、自分自身とうまく付き合っていけるような気がする
それで学校に進んだわけですが、ニューヨークにそのまま残るつもりだったのですか?
私がニューヨークに来たのはクーパー・ユニオンに通うためだったけど、空港からタクシーに乗って、遠目にニューヨークを見たとき「わー、ここが私のずっと住みたかった場所だ」と感じた。私の居場所がここだとすぐにわかった気がした。確かに、アメリカのSNSや政治情勢を見れば、今現在アーティストになるのは大変よ。ファッション業界は特に。批評家でもない人からあらゆることを批判される。緊迫した時代ね。私はここに自由になるために来たのだと考えると可笑しいわ。自由なんて、どこに行こうがただの概念にすぎないのに。
ロックンロール文化に影響を受けたということですが、どんな点が魅力だと感じますか。
ティーンエイジャーのエネルギーよ。ロックこそが自分の居場所にちがいないと感じるような。ロック愛はそこから始まったの。MTVやVH1を見ていて、そこでニルバーナ(Nirvana)も見たんだと思う。この人たちはステージでめちゃくちゃ好き勝手やっていた。そしてこんなにも素晴らしい音楽を作る彼らに、みんな熱狂してた。型通りの女性像があらかじめ決められている文化の中で育ったから、私にとってのロックンロールはそういう人々に向かって「ふざけるな」って言うのと等しかった。ブリトニー・スピアーズ(Britney Spears)に対するサウンドガーデン(Soundgarden)ということね。私にとっては、平凡に対抗する何か特別なものでもあるわ。私はミュージシャンになりたかったのであって、顔を売りたいわけじゃなかったの。ビョーク(Björk)は私が最もインスピレーションを受けたミュージシャンよ。ジャンルとしては全然ロックンロールではないけど。ビョークは彼女自身の音楽を作ってる。誰かを代弁するのではなく、自分自身のメッセージを伝える。これって、とても重要なことだと思う。
ジュエリー ブランドにとどまらず、モデル活動も音楽のライブもされているわけですが、あなたの肩書きはどのようなものになるでしょうか。
フルタイムのジュエリー デザイナーで、パートタイムでモデルをやっているという感じかな。でも私はモデルではないわ。モデルに憧れたことは一度もない。ここに引っ越してきてすぐに、道で声をかけられてスカウトされたの。20歳だったし、ニューヨークがどれほど難しい場所かわかってなかったのよ。頭の中では「この素晴らしいアートの学校に通って、ロックバンドをやるぞ」という感じだったのが、2年くらいアルバイトをしたら、「私のエージェントを呼んでちょうだい」という感じになってたのよ (笑)。その間にも本当にいろんなことがあったけどね。母がガンと宣告されたから、ネパールに帰った。だから、3、4年は表舞台から姿を消していたのよね。最終的に、私も次へ進まないといけない、人生も仕事もみんなで分かち合うときだと決心した。そこから何もかもが始まったわ。今はいくつかの異なるプロジェクトを進めていて、それとは別に、音楽も作っているところよ。

着用アイテム:スカート(Gucci)

着用アイテム:スカート(Gucci)
アイデンティティの危機に陥ったことはありますか。
私は自分のクリエイティビティを疑ったことは一度もないのだけど、母が死ぬとわかった後、自分が人間として何者なのかということについて本当に悩んだわ。母のことで、これまで疑いすらもたなかった自分についての認識が完全に崩れてしまったの。母が永遠に生き続けるのではないと気づいたことで、私も永遠に生き続けるわけではないと気づかされた。このとき生まれて初めて、誰にも会いたくないって思ったわ。あるがままの本当の自分をみんなに見られてしまうと思ったの。もしかしたら、これが仏教でいうところのエゴなのかも。何も隠すものがなくて、剥き出しになった気がした。誰もが気づいているわけではないけれど、人は常に演技をしていて、どんなことが起きようと見栄を張っているものだから。みんな、いつも私のインスピレーションというと文化を挙げるの。ほら、アメリカの人って民族性について話すのが好きでしょ。それで、いつも何でも「民族的」だと言うのよ。でも、私が最もインスピレーションを受けているのは死だわ。死は私が作品を作る理由のひとつなの。作品を作ることで、私は不滅になれるし、自分自身とうまく付き合っていけるような気がする。
人間としての自分をどう考えるかについて、今もまだ悩んでいますか。
いつも悩んでるわ。正直なところ、すごく悩んでる。この世界で生きていくこと、お金を稼いでコネクションを作って、その上で自分のやりたいことをするのは簡単じゃない。5年前には自分がどんな人間になりたいかわかっていると思ってたけれど、それは違った。この先もずっと自問していくわ。自分のアトリエで作業しているときは、いつも自分に「自分にとって本当に大切なことって何だろう。どんなインパクトを残せるのだろう」と問いかけてる。でもこういう問いは、自分自身の中で答えが出さえすれば、別に誰かに対して答える必要はないのよ。
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- スタイリング: Arpana Rayamajhi