若きブロンディ・マッコイの悩み
プロ スケーター、アーティスト、デザイナーをこなす神童が落ち着く日は近い?
- インタビュー: Durga Chew-Bose
- 写真: Christian Werner

マーティン・スコセッシ(Martin Scorsese)作品は、しばらく観たくない、とブロンディ・マッコイ(Blondey McCoy)は言う。
一体、なぜか。
彼の説明は、2年前の元日から始まる。
「酒を止めようとしたことはそれまで何度もあったけど、とにかく11月の中頃、今度こそ絶対止めるって決めたんだ。だから、その決心をしたときから元日までは、嫌になるほど飲み倒すことにした。酒はもう見るのも嫌になるくらい、飲んで飲んで飲みまくることにしたんだ」
スケーター、ストリートウェアのデザイナー、Burberryのモデル –それも、ケイト・モス(Kate Moss)直々のお名指しで彼女のモデル事務所に所属 – としてロンドンで活躍するブロンディは、弱冠21歳。初めて顔を合わせたばかりだけど、どんなことでも一心に、それも絶対ふざけながら、やり通そうとする強い衝動が伝わってくる。エクストリームを求めてやまない強迫観念が感じられる。だけど、そんな印象を持ったのは前歯が1本欠けたチャーミングな口元のせい、ということも大いにありうる。前日、ハイド パークで開催されている「ウィンター ワンダーランド」でローラーコースターに乗っているとき、ポケットに入れておいた金歯を失くしたのだそうだ。また、大仰な最大限の言葉を使って誇張する話し方も、一役買っている。物事の単位は「ミリオン」か「ビリオン」、確信の度合いは「99.9%」といった具合だ。

さて、ブロンディの話は続く。
「だから、大晦日は、夜通し正真正銘の大晦日。もうそれ以上飲めないというまで飲んだ。元日には、二日酔いどころか二か月酔いがどっと来たね。曇天だし、馴染みの食堂の『ブルーノ』は閉ってるし、俺は料理ができないし、スパも閉ってたし、おまけに家じゃ湯も出なかった」
それじゃ、どうしたの?
「ひとりでピザ屋へ行って、コーラを飲みながら、オーディオブックを聴いた」
それから?
「友だちと一緒に映画を観に行くはずだったのに、待ちぼうけ。しょうがないから、ひとりで行ったんだ。スコセッシの映画ということは知ってたから、当然、アクションやすごいサウンドトラックを期待してたさ。要するに、エキサイティングな娯楽映画だ。ところが、宣伝文句も読まずに入ったら、なんと『沈黙』。3時間ちかくあるんだぜ。キリスト教徒が首をはねられるか信仰を捨てるかって、そればっかりの話。最初の10分からして、じわじわ痛めつける拷問が延々と続くんだ。あれ以来、俺はスコセッシがダメになった。もう信用できない」
ここで一息。
「とにかく、侘しさ全開って感じだった。ほんと、雨の日に、みんなにすっぽかされて、この映画を最後まで見られたら、もう怖いものは何もないと思ったね」

ブロンディは、ひとりでいることには慣れている。3人きょうだいの末っ子として、ロンドン郊外のニューモールデンで育った子供時代はハッピーだった「けど」と、彼は言う。「誰も俺を気にかけてなかった。俺は構ってほしくて仕方なかったよ。俺が生まれたときには、両親はもう実質的に夫婦じゃなくなってたんだ。それから10年経ってようやく正式に離婚するって教えられたときは、家族がいまだに同じ部屋で暮らしてることのほうが驚きだったね。兄貴は動揺し、親父の側についた。姉貴はお袋の側。俺は、まったくどうでもよかった」。両親の離婚ときょうだいの分裂は、ブロンディが完全な自由を手にする絶好のチャンスだった。
学校をずる休みするようになり、結局ドロップアウト。その代わり、自分で選んだ – そして、はるかに楽しい – 孤独とファミリーを持つようになった。ブロンディの強迫的な性格や「みんなを驚かせて注目の的になりたいっていう、どうしようもない気持ち」に応えるファミリーだ。やがてロンドンの有名なサウスバンクでスケートボードを始め、後にはSlam City Skatesへ出入りするようになった。ロッツァ、ナゲット、チューイー、その後リュシアン、エディソン、カルロス、犬のルミッシーと一緒にスケートをしたりつるんだりするようになって、ようやく少年の生活と言えるものが始まった、あるいは、人生で初めて周囲との繋がりを感じたと言う。13歳のとき、「個人的にはエベレスト級」の技と自ら表現する、「ウォーリーのバックサイド ノーズブラント スライド」を習得する。果たしてそれがどんな滑り方でどういう意味があるのか、私には説明できないが、それまで練習した中で一番難しかったとブロンディは断固主張する。
「スケボーには、体と頭の両方が100%必要だし、時間もかかる。上手くなろうと思ったら、1日12時間、自分のすべてが要求されるんだ。それでもスケボーが好きなのは、はっきり目に見えるものだからさ」
どういう意味?
「議論の余地がないってこと。上手いやつは、とにかく上手い」

ほどなくして、ブロンディはadidasにも籍を置くプロになり、熱狂的なファンを持つスケート ブランド「Palace」の宣伝にも一役買うようになった。Palaceが制作した40分のスケート ビデオ「Palasonic」(2017年)では、偶然、危機一髪の見事な離れ業が撮影されている。動画が3分2程度進んだあたりのこと。adidas × Palaceのグレーのスウェット スーツで滑り始めたブロンディは、数秒後、なんとタクシーにはねられ、ボードから吹っ飛ばされてしまうのだ。ところが彼は、車のフロントガラスの上方へ体を回転させ、くるりと歩道へ落下し、そのまま起き上がったかと思うと、ゴムまりのように現場を走り去る。事故を目撃した通行人はただただ呆気にとられ、タクシーからは怒り狂った運転手が出てくる。ブロンディは撮影チームに合流するのだが、カメラに向かって歩いてくるとき、ほんの束の間、彼の高揚が垣間見える。観客が恐怖にすくんでいる中、何事もなかったように振る舞ってみせる天邪鬼な快感だ。
車にはねられるって、どんな感じ?
「アドレナリンが出まくってるから、感じなんかわからないよ。痛くはない。ああいうときは、体を固くすると怪我するんだ。けど、俺はとくかく着地する。俺に何か得意なことがあるとしたら、車にはねられることだな。というか、はねられても怪我しないこと。俺が一生懸命練習した技より、フロアに顔面をぶつけたときのほうがみんなびっくりするみたいだし…。事実そうなんだ」

2012年、Palaceの創設者であるレヴ・タンジュ(Lev Tanju)とギャレス・スクイス(Gareth Skewis)にサポートされて、ブロンディは自身のブランド「Thames」を立ち上げた。スラッカー世代 – 別名、無気力世代 – による起業というカルチャーの波に乗って誕生した、15歳のクリエイティブ ディレクターである。だがThamesは、ブロンディがスケートボードに出会う前から打ち込んでいた描画、アート、コラージュの自然な発展でもあった。グラフィックなTシャツ、フーディ、ジャケットには、イラストや大胆な走り書きがデザインされている。インスピレーションの源は、ロンドン独特のイメージとイギリス風のキッチュ、ロイヤル ファミリー、ディズニー、いかにもハイスクール男子が好きそうなアイテム、反抗的なスタイル、キャサリン・ハムネット(Katharine Hamnett)、プリンセス・ダイアナ(Princess Diana)、フレッド・ペリー(Fred Perry)、ポップな新聞のプリント、アーガイル模様、そして風刺。
アーティストとしてのブロンディはかなり多作だが、最近の作品は素面であることがそのまま創作の動力になっている。5回目の個展と同時出版のアート ブックで構成した『Us and Chem』 (2017年)は、過剰摂取をきっかけに処方薬依存を断ち切った後、アートとセラピーの関係を模索した試みだ。メディア向けの紹介文には「ドラッグを否定し、アートを肯定する」と書かれている。「抑鬱と闘うための手段として、ひたすら創作したプロジェクトの成果だ…個展を実現する過程は、呪縛ではなく賜物として、双極性障害に向き合う必要性を受け容れる素晴らしい体験だった」。『Us and Chem』に含まれているダミアン・ハースト(Damien Hirst)とのコラボ作品は、高さ1.5メートルの大作。ハーストのスピン ペインティングに重ねて、アーカイブされたブロンディの人生 – 過去の悪習(ドラッグ)、ポップ イメージ(ミッキーマウス)、時の流れの象徴(枯れた花) – がちりばめられている。
PalaceとThamesでの活動は、昨年来、保留の状態だ。ブロンディの関心は、自分の名前で立ち上げた自分だけのブランドに絞られている。彼はそれをアート グッズと表現する。「俺に関心があるやつらの大多数は、彫刻や絵を買ったりしない。要するにそういうこと。Tシャツは、オレの作品を広めるための手段なんだ。誰でも手が出せる」

Thamesはどうなるの?
「基本的には、俺はThamesのビジネス パートナーという関係だったし、システムも俺のものじゃなかった。だけど最近になって、アートやその他のクオリティを、俺が自分でコントロールできることがわかったんだ。Thamesのアパレルはそうじゃなかった。Thamesは悪くはなかったけど、ものすごくいいわけでもなかった」
Blondeyというブランドは、自分が作ったものは自分で管理するという、ブロンディの宣言だ。同時に、これまでやってきた仕事の軌道修正でもある。自分のものは自分のものと主張することに、注意を払うようになったのだ。意味もなく、あちこちからイメージを引っ張ってきて、土産物みたいなストリートウェアを作っても、喚起するものはほとんどない。「例えば、背中にダイアナの写真をスキャンしたプリント、フロントにロゴ…それだけのフーディでも、多少は稼げるんだ。だけど、意味がない。誰だってできる。俺がやってきたのもそれだ。だけど、俺が本当に大切にするのは何だろう? 何を提案できるだろう? 何が俺だけのものだろう?」
ブロンディは新しいブランドに対して、プライベートな、多少センチメンタルでさえある感情を抱いている。「俺のアートは、セレブとか、マニアックな世界とか、見せかけの偶像とか、そういうものをテーマにすることがすごく多い。だけど、俺自身がこれまでの人生でずっと尊敬してきた最大のヒーローは、俺のじいちゃんとばあちゃんなんだ。家族全員じゃない、このふたりだけ」。そしてふたりは、堂々とブロンディのデザインに登場している。例えば、「Salma」Tシャツには、若かりし頃の祖母が学校の催しで十字架を運ぶ写真がプリントされている。祖父のヘニ(Heni)は、このインタビューの2週間前に亡くなった。「これほど胸が張り裂けるような悲しさは初めてだ」。ブロンディはインスタグラムに書いている。「世界が終わるようなことがあっても、じいちゃんが俺たちを置いていくことはないと本気で信じてた」。ブロンディとは1日を共に過ごしたが、ヘニにまつわる話が幾度も語られた。ウィンブルドンで暮らしている祖母をブロンディは定期的に訪ねるし、ヘニが着けていたCartierのコロン「Declaration」をつけるようになったし、ヘニの指輪もサイズを直して指にはめるつもりでいる。
本名トマス・エブレン、ことブロンディには、半分イギリス、半分レバノンの血が流れている。ブロンディと呼ばれるようになったのは、11歳か12歳の頃。「スケートボーダーのくせにニックネームがなかったら、かなり問題だぜ。ブロンディってのは馬鹿げたあだ名だけど、トムほどひどくはない。トムなんて呼ばれるのは、金輪際ごめんだ」。誰もが彼をブロンディと呼ぶ。祖母、母、姉、兄を除いて…。
ブロンディの生い立ちに関しては、山ほどの噂がある。「そいつがずっと悩みの種だ」とブロンディは言う。「みんな、俺のことを、親の信託基金から毎月金が貰える金持ちのボンボンだと思ってるんだ。本当の名前はレオナルドで、ダミアン・ハーストが本当の父親で、そのうちすごい大金の遺産が入るって噂もある。まったくの出鱈目だ。だけど今じゃ、面白くもないし、とりたてて気分を害することもなくなった。上流階級のくせに労働者階級のふりをしてる、って非難されることも多い。もし俺がふりをしてるってんなら、実際より上流なふりをしてるだけ。確かに俺は恵まれてるけど、上流階級でもないし、労働者階級でもない。ただ、現代の粗雑な男よりは、どちらかと言えばヴィクトリア朝的に上品な人間に近づいてきたかな」
そこで、両親の職業を尋ねてみた。
「親父は弁護士。お袋は会計士だったけど、今は雑貨屋のパートタイム。ウールの毛糸みたいな、編み物の材料を売ってる店。親父は今も弁護士をやってる」
どの分野の弁護士さんなの?
「知らない。皆目見当もつかない。そういう仕事の話は、尋ねてみたこともないね。とにかく、すごい働き者」

ブロンディが同棲しているガールフレンドは、ロッティ(Lotty)という名前だ。29歳で、映画やテレビの撮影現場で小道具大道具を配置する、セット デコレーターの仕事をしている。「ハリウッドのビッグな映画をやることもある。ああいうのは、セットにすごい大金をかけるんだぜ」とブロンディは言う。『クラウン』や『ボヘミアン ラプソディー』など、ロッティはたくさんの仕事をしてきた。「彼女はパーフェクト。愛してるし、すごくウマが合うんだ。俺が問題を抱え込んでるときなんか、きちっと気合を入れ直してくれる。ロッティは、インスタグラムなんかやらないし、ファッションや流行にも興味なしで、アルコールは全然飲まない、ビーガン、家にいるのが好き。とにかく、ありとあらゆる条件をクリアしてる」
「俺は偏執的。特定のことに完璧に憑りつかれる。ポップ カルチャーでも世界のあれこれでも、99.9%はどうだっていいけど、ことによっては、延々と何百時間も飽きもせずに喋り続けられる。というか、聞いてるやつが退屈してるのがわからないくらい、無我夢中で喋り続ける」。ちなみに、このカテゴリーに入るのは、ABBA、ワム!、ザ・スミス、ハリー・ポッター、フランシス・ベーコン(Francis Bacon)、労働者階級の日常をリアルに描くドラマ、戦後にイーリング スタジオが連発したコメディ、等々。「『カインド ハ-ト』は、ダントツで、俺が一番好きな映画だ」
私たちが会ったとき、ブロンディはイーヴリン・ウォー(Evelyn Waugh)に凝っていた。インスタグラムには、フィリップ・ラーキン(Philip Larkin)の詩集がポストされている。日の光がまだらにこぼれているのは『高窓』のページだ。その最後の節は、青春の観念と青春期に約束された放縦な陶酔に疑問を投げかける。「The deep blue air, that shows nothing, and is nowhere, and is endless – 濃いブルーの大気は、なにも見せず、どこにも存在せず、果てしがない」
「あらゆる条件をクリア済み」のロッティ、そしてアルコールとドラッグを断った素面の2年は、家庭を持つという熱烈な決意を芽生えさせた。「とにかくそうしたいんだ。ほんと、焦ってる。そうなるまで落ち着けない」と、彼は断言する。「俺、まだ21だけど、クタクタなんだ」。早熟で多才な若者の燃え尽き症候群は、どうやら、子供こそ治療薬と思い込むに至ったらしい。「もうこれ以上パーティーへ行かなくなる究極の理由が欲しいんだ。子供や家族が欲しいのはそれだけが理由じゃないけど、厄介ごとに巻き込まれずに済むフリー パスになるのは確かだ」

私が訪ねたブロンディの自宅は、ロンドン中心部のベルグレイヴィア地区にあった。コートジボワール、アイルランド、バーレーン、セルビアといった各国の大使館が隣接し、過去にはメアリー・シェリー(Mary Shelley)やマーガレット・サッチャー(Margaret Thatcher)が暮らしたチェスター スクエアも近い。イーヴリン・ウォーが『回想のブライズヘッド』で英国上流社会の気取りと結びつけて描写したポント ストリートまでは、歩いて10分。登場人物のひとりであるジュリーは、「ポント ストリート」風な人間に例外なく「惹かれ、かつ嫌悪」する。曰く、「印章指輪をしていれば、ポント ストリートの住民である証拠」だった。
ブロンディとロッティの居間には、ほとんど装飾がない。大型の水槽、マントルピースの上に置かれたいくつかの小物、お洒落なスリッパみたいにブルーのベルベットにホワイトのパイピングをほどこした、ミッドセンチュリー スタイルの肘掛け椅子が2脚、物置台の役目も果たすビリヤード台。少なくともその日は、丸めて束にした紙幣、ブロンディのゴールド リングの数— レバノンを象徴する杉の木を描いたものがひとつ、 ジュエラーのスティーブン・ウェブスター(Stephen Webster)とコラボレーションしたThamesのものがいくつか— が転がっていた。
だが、ソーホーにある大衆的なバー兼食堂「ブルーノ」へ行く予定だから、長居はできない。Supremeの隣にある「ブルーノ」は、Palaceからも遠くないし、角を曲がったところにはブロンディのアトリエがある。ブロンディはここの常連だ。注文するのは、大抵いつも「ベイクド ビーンズ、バターなしトーストのトマトのせ、ハッシュド ポテト3枚」。 「全部、ここで作ってるんだ」。ブロンディは言う。「何を食べてもおんなじ味。どの料理も全部茶色」。まるで「ブルーノ」が非公式のスポンサーであるかのごとく、食事にも撮影にも、ブロンディは頻繁にここを使う。インスタグラムもここから投稿する。例えば、ザ ポーグスのシンガーだった若き日のシェイン・マガウアン(Shane MacGowan)やコラボレーターだったカースティ・マッコール(Kirsty MacColl) – ブロンディの右腕には、彼女の名前のタトゥーがある – の写真をモンタージュした「Fairytale」コレクションは、ここからドロップを発信した。『Vogue Hommes』誌の「2018年度スタイル アイコン」に選ばれた昨年の暮れには、ここで同誌用のビデオを撮影した。BBCで放送された番組には、ケリー グリーンの「Bar Bruno」ポロを着てサウスバンクを滑っているブロンディの姿がある。
スケートボードに乗っていないときは、どこへでも歩いて行く。地下鉄は使わない。最後に地下鉄に乗ったがいつだったか、それすら記憶にない。ただし、ちょっと前、自分がモデルをやった広告を見るために、地下に潜ったことは覚えている。広告を見たら、すぐプラットホームを出て、地上へ戻った。
ブロンディが列車を「待たない」様子は、簡単に想像できる。ズボンのポケットの小銭をいつもジャラジャラいわせている、クールで落ち着きのない若者のエネルギーが発散している。話しの最中に、あくびをすることも多い。いともスムーズに話が逸れていく。ソーホーのあらゆる場所にまつわる事実や逸話の膨大なレパートリーがあり、ツアー ガイドを自任している。マイク・リー(Mike Leigh)監督の『ネイキッド』に登場したグリーンのタイル張りの食品店とか、あちこちの通りや店頭を指差して、会話はその都度脱線する。
ブロンディのアトリエのリズムには、常に誰かがお茶を淹れている静かな落ち着きと、同じ程度の混沌が混じり合っている。「いつも10くらいのプロジェクトが同時進行で、その95%が完成してる感じ」とブロンディは言う。壁面にはThamesのスケートボードが並んでいる。商品を入れ、ブロンディが手書きでサインしたパッド入りマニラ封筒の山が、発送を待っている。ガラスのコーヒー テーブルは、プリンセス ダイアナの無数の絵葉書で、ほぼ全面埋め尽くされている。
会った日はブロンディの禁煙12日目。「じいちゃんは俺が生まれた日に禁煙したんだ。だから俺は、じいちゃんを埋葬した日に禁煙した」。たとえ自分のアトリエであっても、ひとつの場所に長くいることは苦痛らしい。以前は1日に30~40本を煙にするヘビー スモーカーだった。「体が軽くなった気がする」し、8年ぶりに嗅覚を取り戻した。「このあいだなんか、次から次へ10種類の匂いを感じた。俺のガールフレンドはしょっちゅう蝋燭を燃やしてるけど、以前の俺にしてみたら、ただの飾りで、何の役にも立ってなかったんだ。犬の匂いもわかった」。ブロンディは大の犬好きだが、猫が怖い。催眠術で猫恐怖を克服しようとしたが、効果はなかった。馬も大好きだ。バッキンガム宮殿の横をピカデリーへ向かって歩いているとき、丁度、衛兵交代式の近衛騎兵連隊のパレードに出くわしたら、ブロンディは立ち止まってほれぼれと眺めた。


断酒してから、ブロンディは新しい時間の過ごし方を見つける必要があった。「ドラッグを止めたら、それまで世界で最高の友だちだと思ってたやつらが、実はそれほどいい友だちじゃないことがわかったんだ。だから、ずいぶん友だちの数は少なくなった。やたら大勢とたむろするのも止めた。一緒にダべるのが懐かしいからって、やつらがドラッグをやってるあいだ、コーヒー テーブルに座って眺めてる気もないし。寂しいし、外野へ外れたような気もする。でも、別に助けてほしいわけじゃない。俺は自分がやるべきことをわかってるし、俺をハッピーにしてくれるものも知ってる」。では、アートとスケートのほかに、目下の楽しみは?
「ローラーコースター。それとカラオケ。このふたつが目下の悪癖だな。カラオケはひとりでもよく行くよ。大抵1週間に2回、2時間ずつ。友だちと一緒に、最低でも週1回。俺が知ってる限り、ロビー・ウィリアムス(Robbie Williams)を好きだって認めるのは、そいつしかいない。ふたりで決めてるのは、必ず『Angels』で始めて、2時間後に『Come Undone』でお開きにすること。最初と最後のあいだは、80年代パワーポップのバラードばっかり。週に2回カラオケ通いっていうと、いかにも変わり者みたいだけど、あれは、本当に単純に体内の化学物質に作用する。すごく楽しい」
ブロンディは、ラグジュアリー ファッションにも足を踏み入れている。BurberryとValentinoのモデルを務めたし、ヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)のLouis Vuittonデビュー コレクションでは、大真面目な顔で、いずれも真っ赤なショーツとジャケットにスニーカーのルックを披露した。「俺が期待してたのは、なんかすごくビッグな…」と、ショー会場に充満していた熱気を表す言葉を見つけられずに、文章が途切れる。「…とにかく、ちょっと学校みたいだったな。はい、列に並んで、はい、スタート!みたいな。 勘弁してくれよ!と思ったけど、やってよかった」
ブロンディの親友でありフォトグラファーでもあるアラスデア・マクレラン(Alasdair McLellan)が『Vogue』誌に語った言葉を使うなら、ブロンディ自身のスタイルは「スポーツ バーでサッカーの試合を観戦する、イギリスの男たちの典型的なカジュアルウェアに近い」。ブロンディは昔ながらのものに – お決まりの約束事になったようなものにさえ – 憧れを抱いている。例えば、ジェームズ・ディーン(James Dean)、ミラノという街全般、『グッドフェローズ』のレイ・リオッタ(Ray Liotta)のスタイル。現在の「ブルーノ」には印刷された光沢のある半永久的なメニュー板があるが、ブロンディは以前のチョークで書く黒板を懐かしむ。ブロンディから発散する雰囲気は、カーペット敷きの床、合板フレームのテレビ、真鍮を使った内装、ラリー・サルタンの写真を連想させる。
私と会ったときのブロンディは、Palaceのネイビー ブルーのコーデュロイ、Pradaのグレーのカーディガン、Blondeyのホワイト Tシャツ、 Pradaのブラックの「Cloudbust」スニーカーというスタイルだった。スニーカーは、よくスケートをしに行くミラノで、最近買ったそうだ。そして、新品を履いて泳いだと言う。「湖へ行ったんだけど、ビーチは尖った岩がゴロゴロしてたから、ダイビング シューズ代わりになるだろうと思って」
いかにもブロンディらしい。言うこともやることも、少年のように自由でイージーゴーイングだ。落ち着かない気分になると、喋り始める。私は、最後に聞いた話が特に好きだった。ポジティブな視点から彼を理解できるからではない。実際には、さほどポジティブな話ではないのだから。そうではなく、彼がとても正直であり、自分を冷静に見つめているからだ。暗い思い出、中でも、いつまでも強く記憶に残る価値のある思い出とは、そういうものだ。
ブロンディが語った最後の話とは…
「俺は学校の大の問題児だった。ほとんどは、ちゃんと学校へ行かないことが理由だけどさ。でも、その日は学校へ行ってた。そいで、ある生徒の頭をコンパスで突き刺した。ロッカーの横で、かなり思い切りね」
まぁ、一体どうして?
「名誉にかかわる些細なことだよ。正直、何で揉めたかもう覚えてないけど、『もう1回やったら、コンパスで突き刺すぞ』みたいなことを言ったと思う。そしたら、そいつがまたやった。言ったからには、やるしかないだろ」
その後、どうなった?
「俺、9歳くらいだったな。とにかく、形式上は手続きに則って、停学処分。そのときから、親たちが、生徒全員に対する悪影響だって目で俺を見るようになった。学校で誰かが問題を起こすと、全部俺のせいにされた。だけど、そのちょっと後に運動会があって、ちょうど俺の停学が終わった最初の日だったから、俺も参加した。自分の子供が走ったり、跳んだり、やり投げするのを観に、親たちもつめかけた。俺が出る競技は高跳びで、少しずつ、バーを上げていくんだ。結局全員が脱落して、最後に俺だけが残った。学校のそれまでの最高記録を破ったんだ。そんなことは、俺も初めてだったよ」
それで?
「一番になったとき、俺を毛嫌いしてる親たちを見て、すごく快感だったのを覚えてる。根性曲がりだが仕方ない。どうしてこんな話してるのかわからないけど、本当のことだから。俺を嫌ってる連中の目の前で、得意なことをやってみせつける。俺はそれが好きだってことが、その日からはっきりわかったね。記念すべき日というわけだ」
Durga Chew-BoseはSSENSEの副編集長である
- インタビュー: Durga Chew-Bose
- 写真: Christian Werner