似て非なるもの:Winnie New Yorkがスーツに革命を起こす
デザイナーのイドリス・バログンが、ルーツと伝統、インスピレーションを語る
- インタビュー: Kimberly Drew

14歳で、高級紳士服店が立ち並ぶロンドンのサヴィル ロウで修業をはじめたと名乗れるデザイナーはめったにいない。ナイジェリア生まれで英国育ちのデザイナー、イドリス・バログン(Idris Balogun)はそんな数少ないひとりだ。彼は、自身のブランドWinnie New Yorkを通じて、伝統的なテーラリングの世界にまったく新しい視点をもたらそうとしている。今のところ、バログンといえば、BurberryとTom Fordで働いた輝かしい経歴がとりわけ目立っているが、彼の物語はじつはメゾンに入るずっと前に始まっていた。夢を追う多くのクリエイターと同じく、彼もかつてはファッション界に愛と好奇心を抱く少年にすぎなかった。「僕が初めてファッションと出会ったのは、中学生の頃だった」と彼はメールで書いてきた。「どういういきさつだったかははっきり覚えてないけど、オズワルド・ボーテング(Ozwald Boateng)のドキュメンタリー[『A Man’s Story, 2010』]を観て、人生ががらりと変わった」
ロンドン北部のトッテナムの公営住宅で、母イェトゥンデ・バログン(Yetunde Balogun)に3人きょうだいの長男として育てられたイドリスは、「誰もが最高バージョンの自分になれる世界」に魅せられた。ボーテングもそうだが、イドリスは西アフリカから移民して、英国で新しい生活を始めた両親のもとで育った―ちなみにボーテング家はガーナ、バログン家はナイジェリア出身だ。「僕にそっくりな奴がそこにいて、ファッションのムーブメント全体を先導してた」。まもなく、イドリスはサッカーの練習をサボってメイフェアに遠征し、サヴィル ロウを訪れては映画やテレビでしか目にしたことのない世界を覗き見るようになった。「道端に何時間でも座りこんで、小さなショップから出てくるダンディな男たちを数えきれないほど見つめ続けた。ある意味、ああいう服は僕に安心を与えてくれたんだと思う。人生で戦わなきゃいけないことがすごく多かったからね。公営住宅で育つと、時々、のしかかってくるものに息がつまりそうになる。僕は逃げ場が欲しかった」
10代前半で、イドリスは友達に背中を押されて、メイフェアを訪れては見つめていたあの伊達男たちの服を作る夢に向かって歩み出す。「友達と将来何になりたいか話してて、つい、仕立て屋って言っちゃってさ。みんなに笑われたけど、それが、僕が必要としてたバッテリーだったんだと思う」。このバッテリーに突き動かされ、バログンは見習いとして修業させてほしいと、サヴィル ロウの店をくまなく回る。そしてついに彼を迎え入れてくれたのが、Hardy Amiesのアトリエだった。Hardy Amiesで修業した3年間、バログンは紳士服のトラウザーやジャケットを巧みにカットし、魅せる技術を実地で学んだ。仕事の他に彼が興味を惹かれ、夢中になったのは、アレクサンダー・マックイーン(Alexander McQueen)、クリストバル・バレンシアガ(Cristobal Balenciaga)、ラフ・シモンズ(Raf Simons)、トム・フォード(Tom Ford)が生み出す世界だった。ファッションの魔法にますます深く引き込まれたバログンは、ロンドンを離れ、ニューヨークのファッション工科大学で学びはじめる。2年間勉学に励んだのち、教えられる内容はほとんど修業時代にすでに学んだことだと気づいた彼は、多くのファッション界の巨匠たちと同じく、在学期間の中途でファッション工科大を去った。
学校を中退したのち、彼はBurberryに声をかけられた。当時、Burberryを率いていたのは前CEOのクリストファー・ベイリー(Christopher Bailey)。2017年にベイリーがブランドを去り、バログンもTom Fordに移った。熱意と勤勉さによって、バログンは順調といっていいペースでファッション界の中枢で働くようになっていたが、それでもなお未知の世界を探求したい欲求は消えなかった。Tom Fordに在籍中も、バログンは持てる知識を駆使して多くのデザイナーが夢に見るような価格帯の服を作り続ける機会に恵まれたのだが、それでもまだ何かが物足りなかった。「僕が相手にしているものは、フォード氏が日常で相手にしてるものとは違う。僕には別のハードル、別の苦悩がある。育ちだって違う。だから、そういういろんなものを自分なりに表現したくなったんだ」
2018年、バログンは自分自身のイメージにあるものをその手で築くためにTom Fordを離れた。亡き祖母プリンセス・ウィニフレッド・ダデム(Princess Winifred Dademu)を記念して名付けた彼のブランド、Winnie New Yorkがその手段だ。仕立てに細心の注意を払ったバログンのエレガントなスポーツ ウェアは、彼が愛するファッション界にアピールするだけでなく、彼自身の物語―、生真面目な研究と想像力が主役の物語にも共鳴する。ブランドの立ち上げを飾ったのはふたつの小ぢんまりしたミニ コレクションだったが、本格的なデビューは、パンデミック以前のパリ メンズ ファッション ウィークのランウェイ ショーだった。ファッション界、ファン、評論家が揃って褒めたたえたショーは、時を超越するエレガンスとバログンのナイジェリアのルーツに対する深い傾倒が融合し、メンズ ウェアとウィメンズ ウェアというふたつの括りを複雑に混じり合わせる。今回、SSENSEはWinnieのこと、そして母イェトゥンデ・バログンに導かれた、人生を通じたアート愛についてバログンに話を聞いた。

Paul Klee、「Tower in Orange and Green」(1922年):パウル・クレーのアートへの視線はすごく独特だ。彼は若い頃、色彩を理解できなくて、色覚異常だと言われたこともあった。クレーが生み出す色彩のハーモニーは、僕が生まれてから見たなかで最高と言っていいほど美しい。Winnieのカラー パレットを選ぶときには、彼の作品をよく見ている。冒頭の画像:コート(Winnie New York).
キンバリー・ドリュー(Kimberly Drew)
イドリス・バログン(Idris Balogun)
キンバリー・ドリュー:あなたのデザインや思想が、個人のものにしろ集団のものにしろ、アーカイブや伝統を起点にしてるのは一目瞭然よね。作品のなかで、郷愁というかノスタルジアが果たす役割について話してくれる? それからできたら、あなたがデザインするときに、いわば橋渡しを助けてくれるアーティストのことも。
イドリス・バログン:Winnieの次のコレクションのために、アーティストのタウ・ルイス(Tau Lewis)と組むことになってる。素晴らしい彫刻家でね。彼女の作品は、混沌の至福って言ったらいいかな。チャンスがあって作品のインスピレーションについて、実際に本人と話せたんだ。それ以前は、何なのか理解できないのに「すごい。とにかく美しくて、最高だ」と思ってた。「ナイジェリアにいるような懐かしい感じがする。ナイジェリアで精霊エグングンの仮面舞踏を見てるみたいだ」って。彼女の作品にはそれと同種のエネルギーがある。
どうやってタウの作品に出会ったの? どのようにリサーチを?
僕にとって、ネットは友達って感じだね。友人たちはみんな、僕を「リサーチャー」って呼んでるよ、何でも調べるから。料理しようと思ったら、めちゃくちゃ調べてからようやく鍋を出してくる、みたいな。子どもの頃、母がアート好きで毎週土曜日にギャラリーに通った。いろんなアーティストについて学ばせられたんだけど、当時は興味なかった。でもアメリカに移住して母と離れてから、アートが僕なりに心に母を感じる手段になったんだと思う。だから毎週土曜には、チェルシーに行ってギャラリー巡りをする。ロウワー イースト サイドとかどこでも行くよ。そういうところから、自分が好きなアーティストがわかってきたんじゃないかな。タウの作品は、昔からニック・ケイヴ(Nick Cave)が好きだったおかげで発見したんだ。彼は実は母のお気に入りの美術家なんだけどね。
お母さんがニック・ケイヴを教えてくれたの? すごい。
確か、Tom Fordの2018年秋冬か19年のコレクションだったと思うけど、それに取り組んでたときにトム・フォードがこう、新しいビジョンを作りたいと言ってね。僕らのオフィスはロンドンにあったんだけど、フォード氏は何もかもアメリカに移そうとしていた。それで若者文化だとか、色とか、愛とかまあ、そういうことを言いはじめたんだ。僕にとってそれはニック・ケイヴの作品そのもののような気がして、だからどっぷりそこに浸かったと言えばいいかな。似たタイプのアーティスト、つまり彼の「Soundsuits」みたいな作品を創るアーティストも見つけたかった。そしてタウの作品に出会った。ただただ美しいと思った。とにかく圧倒されたんだ。

Nick Cave、「SoundSuits」(1992年-):[母の]友人の誰かがニック・ケイヴの作品のことを母に話したのは、彼女も母もナイジェリア人で、ニックがナイジェリアの仮面舞踏にインスピレーションを受けてると思ったからだった。それはどうやら違ったらしいけど、彼女はそんなふうに受け止めた。ナイジェリアの仮面舞踏を知っているだろうか。人々は日常の品、たとえばボタンとか糸とか家庭にあるものを使って、奇抜な衣装を作る。そしてその1日、いや1時間かもしれないけど、本当の自分を超えた存在になる。ニック・ケイヴがそうした一面を作品に取り入れているのがすごくいいと思ってる。

Tau Lewis、「Rover」(2019年):ずいぶん長い間、僕は[タウの作品を]ムードボードに貼っていた。Winnieの最新コレクションだって、もちろん彼女の作品がヒントになった。2021年秋冬コレクションのことを考えていたときに、その本質を表現しようと思い立った。彼女の作品には黒人であることと、文化に影響されることの、ひりつくような生々しさがある。[彼女の作品から]受け取るエネルギーが僕に思い出させるのは、生まれた家、そしてナイジェリアにいる自分だ。彼女に連絡を取ったのは、ただ「あなたの作品を2021年秋冬コレクションのインスピレーションにしたいと思ってる」と伝えるのが目的だった。それがいつのまにか「コレクション全体をそれに捧げるべきじゃないか」という話になったんだ。
多くの黒人クリエーターにとって、働いてきた場所が自分のストーリーの枠組みになる。あなたの場合、活躍してきた有名メゾンによってストーリーが形作られるわけだけど、現時点でそういうことが邪魔になったりする? そういう経歴は、あなたが自分の声を見つけるまでの道をどう作ってきたのかしら。
みんなただ、それがどんな作品で、どんな場所に置けばいいのか定義したいだけだ。初めてWinnieを立ち上げたとき、周りは僕をただそういう枠にはめたがってるんだと感じた。そりゃ誰かに「君の作品はTom Fordを連想させる」と言われるのはすごいことだよ。でも僕はそれを望んでなかった。それは多くの若いデザイナーが犯しがちな間違いのひとつだと思う。たとえば、BalenciagaやSaint Laurentから独立して、Saint Laurentで学んだ教えと同じようなものを再現しようと決心したりするよね。でも僕が望むのは、完全に違う対話だ。僕はフォード氏とはまったく違う人間だ。僕が相手にしているものは、フォード氏が日常で相手にしてるものとは違う。僕には別のハードル、別の苦悩がある。育ちだって違う。だから、そういういろんなものを自分なりに表現したくなったんだ。
Wあなたがデザイナーとして自分のビジョンを明確に打ち出すとき、作品のなかで伝統が果たす役割は何だと思う?
昔から、僕は伝統を大切にするタイプの人間なんだけど、クリエイティブな仕事をするには、個性が必要だと思う。僕はサヴィル ロウからこの世界に入った。ファッション デザインを始めるには、あそこほど伝統重視の場所はないんじゃないかな。サヴィル ロウでは裁断師として出発したんだけど、年がら年中、「裁断の仕方はこう決まってる」、「縫い方はこう」、「型紙の描き方はこう」って言われたよ、文字通りね。ブレザーとはこういうもの。こんな色は使っちゃいけない。こういう日にはこれを使うと決まってる。決まりと伝統がほんとに多くて、僕は無理だった。もうひと裁ちしたらどうなるのか、見てみたかった。それに、人間はそうやって進歩していくんだしね―。「個」であること、型にとらわれない発想によって。歴史は大切にすべきだけど、会話を前に進める努力は絶対に必要だ。僕のコレクションのなかでだって、伝統的な手法はずいぶん使ってる。ただ、僕はそれを変化させるのが好きなんだ。たとえば、僕はロンドンで育ちニューヨークで暮らすナイジェリア人の男という歴史がある。僕は母や父から伝統を受け継いでるし、あるいは実家に戻ると、いろんなことが昔ながらのやりかたで続いている。そのことは大事に思うし、時にはそれを自分の作品に織り込むこともある。でも、時々そういうのを見ると言いたくなるんだ。「で、これの核心は何? ベースにあるものは? 理屈は?」って。僕は会話を前に進めたいんだよ。

(左)Kerry James Marshall、「A Portrait of the Artist as a Shadow of His Former Self」(1980年):ケリー・ジェームズ・マーシャルのこの肖像画を見ると、自分を見ている気がする。僕が初めて目にした、黒人を描いた絵の1枚だ。彼の作品を最初に見たのはとても幼い頃だった。[これは]衝撃だった。描かれている題材の「黒」の豊かさにやられた。この絵の何かが僕をほっとさせてくれる。しかも、紙に描かれているというのがすごいよね。(右)Francis Bacon、「自画像」(1973年):僕はフランシス・ベーコンの大ファンなんだ。自画像と、自分を醜く崩壊させるような描き方がいい。ベーコンは、自分の顔は魅力的ではないと思う、という発言で有名だが、彼は自分の顔はあらゆる異常の寄せ集めだと感じていた。僕は、そこにぐっとくる。ベーコンの作品には、受容の感覚が漂っている。彼は本当に彼そのものだ。僕は自分自身でいること、そしてそのことを恥じないのが大事だと固く信じてるけれど、彼の作品はすごく堂々としている。作品が狂気に満ちているとかクレイジーだとか、不穏だとかいつも批評家に言われても気にしなかった。ただ自分が思うように作品を制作したんだ。
- インタビュー: Kimberly Drew
- 翻訳: Atsuko Saisho
- Date: December 11, 2020