セーターを破壊せよ

クリストファー・バーナードが語る、
青春と嘘とニットの思い出

    僕は16歳のときから嘘をつくようになった。つまりその頃から、自分を守るためというより、悪意をもって、本当の意味での嘘をつくようになった。人が驚くような大それた嘘ではなく、母親に疑念を抱かせずに外出を認めてもらうため、巧妙に言葉を省くような嘘だ。中西部の夜の世界に飛び出す前に、免許取り立ての僕は、ソフト トップのジープに乗り込んで、オーケストラや生徒会の誰かの家に行くのだと、母に行き先を保証したものだ。それから、僕は別の方向にハンドルを切り、監視の目の届かない納屋や、川辺のキャンプへと向かった。こうして1998年の春、僕は「マルボロ ライト」と「バド ライト」のふたつのLightをそれぞれ初めて体験した。

    『ドーソンズ・クリーク』を特集したJ. Crewのカタログが郵便で届いたのも、その春のことだった。僕にはその4人のスターが誰なのか皆目見当がつかなかったのを覚えている。彼らはリテールのカタログにありがちな、線の細いモデルたちとは違っていたが、当時はまだ、今日知られるような、時代の試金石となるドラマではなかったのだ。だが、カヌーに乗ってはしゃぎまわり、揺れる柳の木にぶら下がるなど、彼らのいかにも普通を体現した姿に惹かれた僕は、コールセンターのオペレーターの助けを借りつつ、電話でヘザーグレーのフィッシャーマンズ セーターを注文していた。セーターが届いてみると、その毛糸は僕が思ったよりも分厚くてむさ苦しかったが、気味が悪いほど、サイズはぴったりだった。そのシルエットのおかげで、僕の細身の体型はたちまち嵩高くなった。そして、季節外れのセーターを買うなど、実用性の観点からは侮辱にも等しいという母親の忠告に反論するためにも、僕はいつもそれを着ていた。

    このセーターのおかげで、ボリュームが誇張され、男のキャンプ スタイル風になり、実際にはそうでもない僕にも男臭ささが加わった

    フィッシャーマン スタイルは、もともと北大西洋に吹く突風から保護するために開発されたものだが、僕の中では、90年代のティーンの渦から身を守る形態として、理にかなった服だった。このセーターのおかげで、ボリュームが誇張され、男のキャンプ スタイル風になり、実際にはそうでもない僕にも男臭ささが加わった。また、船乗りたちは夜明け頃、明かりをつけずに素早く着替えることが多かったため、後ろ前に着ても大丈夫なように作られたという、デザインの歴史と機能性のオマケつきだった。これは、1998年の僕の寝室においても、非常に役立つものだった。

    それから20年以上を経て、デザイナーたちは再び、力強く、ワクワクするほど大胆なフィッシャーマンズ セーターを提案するようになっている。2019年の秋冬コレクションでは、Loeweのジョナサン・アンダーソン(Jonathan Anderson)が、昔ながらのケーブル編みに、海岸に流れ着いた天然色の花のような、原石をあしらった。Jacquemusは、この伝統のシルエットを引き伸ばし、元のデザインが意図していたような、自然を寄せつけないものではなく、もっと食欲をそそるグレービー ソースのような、ゆったりとした着心地として解釈した。2020年春夏のショーの数々では、ニット繊維そのものを「紐解く」喜びというものが露わになった。そこでは、スリットや穴、糸のほどけや、大胆なカットなど、破けた穴が、どことなくチャラい雰囲気を醸し出していた。さらに、自らの名を冠したブランドの方でアンダーソンは、そしてシルヴィア・フェンディ(Silvia Fendiも、裂けた編み目を拡大し、衣服がもはや「隙間」そのものとなるようなニットをデザインした。

    編まれたセーターの物理的特性は、身体と結びつく。繊維は内側にまとわりつき、さらに、外側の空間に向かって飛び出すのとは対照的に、空間の上を縫うように這っていく。ニットには、どことなく着る者への近さがある。それゆえ、人柄やその魅力にしっくりくる感じが一層強まるのだ。

    ニューヨークのニットウェア ブランド、Judy Turnerのデザイナー、コンリー・アヴェレット(Conley Averett)は、ニットの感情的な部分がもっとも現れるのが、「手触りと重みと色」だと言う。ブランドの2020年春夏コレクションに見られた、気だるい雰囲気の黄土色とカラシ色のストライプのカーディガン ジャケットには、着る人の装いの気分によって取り外し可能なリボンがついている。アヴェレットは、「これはアメリカ的な威風堂々を表現した、ちょっとしたディテール」なのだと言う。Judy Turnerに見られるような、装飾を施したニットを、LoeweやThom Browneも、ファッションの日常の歴史という文脈で作っている。船乗りや屋外の労働者、猟師、のちのスポーツ ハンティングの愛好家にとって、セーターは実用面で不可欠なアイテムだった。それがここ100年間で、ある種、ラグジュアリーの様相を呈するようになっている。事務所でケーブル編みやクリケット セーターを着ていないプレッピーがありえないように。後ろ前にセーターを着ていた船乗りたちを、のちにダイアナ・ヴリーランド(Diana Vreeland)が褒め称え、「その方がずっと良さが引き立つ」として、自分も同じようにしてセーターを着るのだと宣言した。ヴリーランド女史なら、ずっとリボンもつけていたに違いない。

    もちろん、セーターに対する個人の見方は、ファッション雑誌の発行人という象牙の塔や、仕事上の慎ましいニーズの観点から語られるだけではない。レッドカーペットで優美な白いChanelのセーターを着たクリステン・スチュワート(Kristen Stewart)や、セーターにあしらわれた実直そうだが謎めいた佇まいのPolo ベア、あの一見無害そうなマスコットが貪欲なストリートウェアとネット上のヒステリーの中心に佇む様子を目にして、感受性の強いファッション精神が形成されたであろうことは、想像に難くない。

    僕がその後、心底欲しいと思った最初のセーターは、ジョン・ヒューズ(John Hughes)監督が80年代のティーンの幻想を描いた映画『すてきな片想い』に出てくるカッコいい男の原型、ジェイク・ライアンが着ていたフェアアイル編みのベストだった。その伝統の技と、いかにも手触りの良さそうな質感は、謙虚なアイドル同様、なんとも魅力的で、きらびやかだが控えめで、それを着た彼は完璧に見えた。大人の階段を上る過程で、僕の次の道しるべとなったセーターは、胸元を広く開けたエメラルド グリーンのVネックだった。これは、マイケル・ダグラス(Michael Douglas)が『氷の微笑』のクラブのシーンで着ていたものだ。平凡な服とシーンのどぎつさが、セーターについてまわるセックス アピールに溶け合っていた。とはいえ、自分でその示唆的なVネックを着るかどうかは、今なお検討中だ。1992年のダグラスの落ちていくようなエロティシズムと、最近のだらんとしたニットウェアの雰囲気には直接的なつながりがある。夏の日差しから、野放しになった気候まで、僕たちのまわりの何もかもがヒートアップする中、僕たちは、どうにも非実用性やセンシュアリティに心惹かれるようで、最終的には、自らの身体へと帰っていくのだ。

    僕の『ドーソンズ・クリーク』のセーターがどうなったかは定かでない。というのも、結局そのセーターに、身近なものだけが可能な方法で、裏切られたのだ。行ってはいけないことになっていた場所で夜を明かして帰った朝、僕はそのセーターを部屋の床にほうり出し、ベッドに潜り込んだ。外出先について、どんな嘘をついていたとしても、真実はその由緒正しいクルーネックの繊維に染み付いていた。タバコ、ライト ビール、そして午前3時の10代の至高の食べ物が、僕がどんな夜を過ごしたかを語っていた。1ヶ月間、外出させてもらえず、ジープも取り上げられ、カタログの青年たちを見ながら、僕は人生が本当に終わったと思ったものだ。跡を残してはならないという極めて重大な教訓だけでなく、僕はニットについても学んだ。現在の自分がどのような人間であるかだけでなく、ちょっと前までどこにいたかも、他の繊維の服ではありえないような方法で、ニットは暴露してしまう。マッチを擦り、香水をつける。あるいは、目の細かいカシミアのセーターか、ざっくり編んだクロシェのセーターを着た誰かと並んで横になる。これらの事実は、何日間も残っている。ただ、気分でつけたリボンであれ、煙が渦巻く中で過ごした一夜の香りであれ、とても話す気になれないときでさえ、ニットは自分を代弁してくれるのだ。

    Christopher Barnardはニューヨーク、イースト ヴィレッジのライターである

    • 文: Christopher Barnard
    • 翻訳: Kanako Noda
    • Date: September 5, 2019