ドレス – コーディング

アラベル・シカルディのファッションとテクノロジー、機織りコーディング考

  • 文: Arabelle Sicardi
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この秋、私は物質性とサイバースペースが交差するところについて詳しく学ぶため、3日間の機織りとコーディングのクラスに通った。具体的にどうやってこのクラスを見つけたのかは記憶にない。眠れない夜にWikipediaや Facebookのおすすめのイベントのリンクを辿り続け、何を探しているのかも定かでなくなった中で見つけたのだと思う。何かのイベントを見て、これほど早く「カートに入れる」ボタンをクリックしたのは初めてだった。

このクラスは、パイオニア・ワークスによるFact Craftプログラムの一連のイベントのひとつだった。このプログラムは、どのように「ファクト」が構築され、普及し、記憶されるのかを検討するようデザインされていて、他には、「ラディカル ミーム」や「噂ビンゴ」、「文書保管実践の詩学」などのクラスがあった。「機織りコーディング」が特に面白そうに思えたのは、それが私の好きな分野、ファッションとテクノロジーの組み合わせだったからだ。

私は、親がデザイナーで、しかもエンジニアリングの夏季プログラムに通うような環境で育った。だから、私のように、電話を組み立てる講座の前に、母親のクローゼットから服を拝借していた人間には、この組み合わせも自然に思えた。ずっとファッション デザインについて詳しく勉強したいと思っていたが、ファッションを学ぶクラスを受講するための支援を得られることがなかったので、仕方なく科学を勉強した。皮肉なことに、今は科学やテクノロジーが大好きだ。それは、科学がファッションやアイデンティティに大きく関わっているからなのだが、実際に両方の世界を同時に探求できるようになったのは、こうして大人になってからだった。

ファッションとテクノロジーは絶えず組み合わされてきた。建築工学をデザインに取り入れたCHROMATや、Diane von FurstenbergのGoogle Glassとのコラボレーション、自分の携帯を操作できるJacquardを使ったLevi’sのコミュータージャケット、誰もがとても欲しがったあの垢抜けないApple Watchなどがその例だ。これらの関係の可能性を理解するには、両方を作り出すのに使われている基本的な技術を実際に学ぶのがいちばん良いだろう。私は女性の社会人として、脱構築やグッドデザインや、権力としての言語についてなど、テクノロジーの遺産に関して多くを学んだ。そもそもプログラミングの構造は、典型的な女の仕事だった技術のおかげで誕生した。女性たちが最初のプログラマーだったのだから。ここに、テーマごとに要約したメモを紹介する。

言語

コーディングを学び始める直前、私は、学者キャロル・コーン(Carol Cohn)の著作を読んだ。これは、核戦争に関する言語と、どれほど防衛技術の世界が、内輪でしかわからない専門用語を話す男たちで溢れているかについて書いたものだった。彼らから自分を守ると同時に、彼らに対して起きたことからも自分を守れるよう、彼らを理解する手段として、私はコーディングを学びたいと思った。このクラスを受講しようと思ったのも、そんな彼らの世界と私の世界である美容とファッションが、どこで結びつくのか見たかったからだ。そして、その結びつきには何か美点や、研究するに足るものがあるのか見てみたかった。コーンの本は、このような私の衝動の理由を余すところなく説明している。「専門用語で話すと、距離が生まれ、管理できている気になり、別の点に力を注げるようになるだけではない。逃げ道もできる。自分は被害者であるという考えからの逃避できるのだ…こうして人は、受け身な [原文ママ] 被害者から、有能で狡猾で、力のある情報提供者に変わるのだ。その莫大な破壊的影響は、脅威になるどころか、むしろ自己の拡大になる」

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冒頭の画像:エイダ・ラブレス

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Junya Watanabe、2001年春夏コレクション、ポエム ジーンズ

プログラミングの大部分は、今では繋がることより「安全」や管理を重視しているようだ。またコードの弱点として、システムの言語を知っていればそれでOKだという思い込みに安易に逃避してしまえる点がある。自分ならシステムより上手くやれると思い込むことは可能だ。だが、そのシステムがもたらす倫理的な意味合い、つまりシステムが自分たちの手から離れてしまうということを完全には認識しないまま、人々はシステムを作り続けている。ファッションにおいては、身体を無視することはできない。身体の現実から逃れることは不可能だ。身体の限界、その形、身体が冒すリスク、そして身につけた服にどのように反応するかといった現実からは逃れられない。コードには身体がない。コードはその言語を知る者であれば、誰もが使えるが、ファッションは違う。それは破れたり、たるんだりする。衣服の傷は、たとえ念入りに修理しても残ってしまう。衣服は、回復力には限界があると教えてくれる。ファッションでは、欠陥は物理的なものだ。奇妙にも、私はこう考えるとほっとする。

ファッションにおいては、身体を無視することはできない
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パメラ・リョウによる3Dプリントしたテキスタイル

未完成

クラスの初日、私たちは3Dプリンターで作られた自分用の織機を与えられ、基本的な機織りの手順に取り掛かった。多くの人は果敢にも、最初に織る課題の正方形をアレンジして変わったものを作ったが、私はそうはしなかった。外れたことをする前に、作業を完璧にするのが好きだからだ。ファッションの傾向としてデコンストラクションがこれほど好きな理由のひとつもここにある。最も奇抜な服の背後で、そのパターンを作る人たちが、クラッシックな形で自身の服を完璧に作るにはどうすべきかをきちんと理解していることを、私は知っている。彼らは、ルールの限界を利用した上で、それを大きく超える、驚くような結果を出してくる。アン・ドゥムルメステール(Ann Demuelemeester)の発言が、この技術に関する説明としては完璧だ。

「私の作ったジャケットを着ている人を見て、何もかもちょっとおかしいのに、人間的で美しいと感じることがあるはずよ。無頓着さをカッティングして衣服にするのは難しい。なぜなら、ただオーバーサイズやアシンメトリーな服を作ることはできないから。そんなやり方ではカッコよく見えない。自然に見えるように作るのは、微妙で難しい作業よ。あからさますぎては、嘘くさくなる。服がどう動くかを常に念頭に入れておかなければならないから、服のバランスを取るというのは骨の折れる作業なの」

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Ann Demeulemeester、2017年春夏コレクション

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Ann Demeulemeester、2017年春夏コレクション

このため、私は、未完成のアシンメトリーのドレスを作ったり、不条理主義だったり、自意識過剰な説明ばかりしたがる新しい世代の「アバンギャルド」なデザイナーにはあまり興味がない。彼らは、実際には、先任者の仕事を改良する方法など全くわかっていないと思う。無能と実験の間には大きな違いがある。そして失敗して向上することと、はったりをかけるのは違う。

クラスメートたちは、明らかに私よりもずっと面白いものを作っている。だが、彼らは作業の途中で頻繁に中断し、そこでどうやって自分の作業を再現し、特定のパーツを修正すればいいのか全然わかっていない。一方、私は自分のパターンとグリッドから出発する。ごくシンプルだが、私は自力で組み立て、構造を学んでいる。だから、不完全な結び目があるときに、どの段階でどこを注意して見るべきか、正確にわかるようになっている。私は生地の見本を織ることで、デバッグの方法を学んだのだ。2度目のクラスでは、みんながつまずきながら学んだコツや、お互いの作業を観察しながら学んだコツを、互いに教え合うようになった。

最後に機織りのパターンをJavaScriptのコードに変換する作業をすると、Eckhaus LattaやPhlemunsが素材としてよく使っている、私の大好きな玉虫色のシルクのように、絶えず変化する色彩のマトリクスができていた。私はループ処理で素材を「動かす」ため、ひたすら数字を変化し続けた。

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Phlemuns、2016年春夏コレクション

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Phlemuns、2016年春夏コレクション

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Eckhaus Latta、2016年春夏コレクション

ハイブリッド

講師のひとりが、コーディングと機織りは変換という点では姉妹のようなものであることを示す作品を制作していた。フランチェスカ・ロドリゲス・サワヤ(Francesca Rodriguez Sawaya)の作品は、音声パターンを機織りのデザインへと転換することで、話し言葉をテキスタイルに変換させる。彼女は、自動化の中で失われた人間的要素をテキスタイルに取り戻そうとする。抑揚や振動をパターンに織り込むことで、手に取れる素材に物語を織り込む。私の大好きなアン・カーソン(Anne Carson) の詩なら、どんなパターンができあがるだろうか。デザイナーが詩人であるのは間違いない。Ann Demeulemeesterのシアーのロングドレスを覚えているだろうか。McQueenが服に縫いつけた髪の房はどうだろう。詩がプリントされたJunya Watanabeのメンズウェアは? Hussein Chalayanの服のタグは?

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フランチェスカ・ロドリゲス・サワヤのユーザー テスト:声の抑揚や振幅、途切れを分析し、話し言葉を織物のデザインに変換する。

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フランチェスカ・ロドリゲス・サワヤのユーザー テスト:声の抑揚や振幅、途切れを分析し、話し言葉を織物のデザインに変換する。

素材とコードの橋渡しは、サワヤの作品やこれらのデザイナーだけに見られるものではない。それこそがコンピューター技術の土台なのだ。このことを2日目のクラスで学んだ。3D織機の基礎となったジャカード織機は、Javaのマトリクスの基礎でもある。ジャカード織機は、使用する情報を蓄積した初めての機械だ。この情報は、つなぎ合わせたパンチカードに記録され、これを使って自動的に糸が選択される。階差機関の功績から、時にコンピューターの父として知られるチャールズ・バベッジの発明した解析機関も、ジャカード織機からインスピレーションを得ている。バベッジは、解析エンジンを織物工場のように考えていた。現に、アシスタントのエイダ・ラブレス(Ada Lovelace)の協力を得て、未来のコンピューターに近づく作業を進める際、彼の作業場には織物で作ったジャカールの肖像が飾られていた。解析機関に関するエイダの研究と提案は注釈の形で残り、かなり後になって、アメリカ初のコンピューター、IBMの自動逐次制御計算機(ASCC)を作るのに使われる理論の土台となった。解析エンジン自体が完全に組み立てられることはなかったが。

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パメラ・リョウのドット マトリックス ファブリック プリンターオープンソースの卓上ジャカード織機。リョウはこれを「ドティ」というニックネームで呼ぶ。リョウによると、「これはデジタル ファブリケーションを活用して、家庭でテキスタイル生産による表現を可能にするものであり、デザイン リテラシーを広げるもの」である。画像:パメラ・リョウのウェブサイトより

最終日のクラスを終えてから、私はアーティストのパメラ・リョウ(Pamela Liou)のもとを訪れた。彼女は元ジュエリー・デザイナーで、ICチップと3Dプリンターを使い、独自のオープンソースのジャカード織機を作っている。面白いのが、このICチップが初めて使われたのは誘導ミサイルだったことだ。兵器から服の織機へ戻り、こうしてクローズドループができあがる。私はパメラの考えるファッションとプログラミングの世界について尋ねた。彼女の話を聞いて、私がこのクラスは受講するしかないと感じた理由がはっきりとわかった。

「私は、ファッション界と一般の女性は、オープンソースの教訓から得るものが多いと思う。みんなで共有すればするほど、私たちはより良くなれるという考えね。私が織機をやりたいと思ったのは、私自身のやりたいことに手が届かなくてすごくフラストレーションが溜まっていたから。それと、織機を知ってから、工芸について別の見方をするようになった。ジャカード織機は職人時代の終わりの象徴のように見られるけれど、私は工芸をアップグレードするチャンスだと考えてる。機械は特異なものでありうるし、個性も持ちうる。その特徴を活かして、何か特定の変な物を作ることもできる。最も低レベルな装置だと考える必要はないのよ。自分の中の生産性を最後の一滴まで絞り取るようなものではなく、自分自身の精神状態を落ち着かせる瞑想的なものにもなりうるわ。道具と親密な関係を結ぶことは、工芸の一環だろうし、そうあるべきよ。多くの人はもっと非人間的な見方をしたいのだろうけど、この織機はそれとは正反対のものね。物質性とカオスと気まぐれの機械よ」

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フランチェスカ・ロドリゲス・サワヤの実際の織物作品

今日、抜け出すことのできないディストピア感がどれほど強まっても、私は、この世界の歓喜に満ちた反逆と協力を信じている。それは、お互いの破滅に向かって堕ちていくしかないような生き方からの奇妙な逸脱だ。エンジニアリングのクラスでは、私があまりに服のことばかり考えているので軽蔑されたものだった。そしてファッションの輪の中では、Appleのロゴが付いていない限り、テクノロジーのことなど誰も気にしていなかった。

私が見てきた中では、ハイブリッドであることが唯一の自由の形態だ。私は今でも自由が意味するのは、たとえそれが着ることのできる衣服の形であれ、オープンソースのコードの形であれ、作ったり提供したりできるものを何でも共有することだと信じている。私は、サラ・アフメド(Sara Ahmed)の著書『 Promise of Happiness』のコンセプトを指針としているのだが、そこに自由と可能性について次のようにある。「未来は定められたコンテンツではないし、不幸を乗り越えることでもない。未来は幸せになることではない。未来とは、物事がそのままとどまるのではなく、その可能性が常に開かれていることだ」

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マックイーンの髪の毛を縫い付けたオーダーメイドのアイテム。

Arabelle Sicardiは美容ファッションライター。『i-D』、『Allure』、『TeenVOGUE』など多数に執筆している。

  • 文: Arabelle Sicardi