ファッションの終末を画策する

LOT2046を考案した男との出会い

  • 文: Kyle Chayka
  • 写真: Eric Chakeen

バナー広告のあたりに、何だか奇妙なものが浮かんでいる。一体何だろう? 知りたくなって、ついにある日クリックしてみる。そんな風に始まった。訪れる全部のサイトにポップアップ表示されるようになった黒づくめの服は、革命的に斬新なサービスを謳っていた。服とアクサセリーを宅配する、前例のない会社。 苦もなく車や食料品を配送し、何もないアパートにマットレスや折り畳み式の家具を詰め込んで、拡大し続けるシリコン バレーの巨大企業とは違う。「LOT」と名付けられた加入制の宅配サービスは、事実、生活の変化を約束していた。

届いた小包にアシッドの錠剤が入っていたら、僕はそれを飲む

www.lot2046.com...社名が何を意味しているのか、僕には分からなかった。同じ数字がタイトルになった、ウォン・カーウァイ(Wong Kar-wai)の映画があったことを思い出した。列車の中で、この世に残したあらゆる後悔をアンドロイドが体現する「2046」だ。その数字は来るべき未来を象徴した。現在想像もできないことが平凡になっている未来だ。だが「LOT」のサービスはすでに存在している。そして僕も参加できる。

サイトの説明によると、加入者には毎月衣類の小包が届く。Tシャツ、ズボン、靴、ジャケット、下着、ソックス。そして歯ブラシ、デオドラント、デンタル フロスなどのアクセサリー類。最初は黒一色の典型的なサイバー ゴス調からスタートするが、少しずつ僕の好みが反映されていく。僕が受け取る小包の内容と他のサービス加入者が受け取る小包の内容が、まったく同じあることはない。ひとつのブランド アイデンティティではなく、インプットから新しいアウトプットを作り続ける生成の方程式に近い。

企業としての「LOT」も同じコンセプトだ。おそらくファッションそのものの概念を別にすれば、規模の拡大とか、買収とか、連続性の中断といったことは一切意図されていない。「設立者なし、株式なし、役員会なし、未来なし」。クリエイティブ ディレクターなし、広告キャンペーンなし、強迫的な利益追求なし。そういうエゴを消すことが大切らしい。

どこから始まったかは関係ない。現に存在する。要はそこだ。サービスに加入したければ、LOTのウェブサイトへ行って、プランを選ぶ。服だけなら月50ドル。アクセサリーも含める場合は月100ドル。あとはサイズを入力するだけだ。ちなみに、アメリカの基準からすると少し小さめなので、その点に留意のこと。

現生の瑣末な事柄に煩わされなくなったら、残るのは本質に関わる問いだけ。安心感をもたらすその他すべての雑音なくして、僕らは本質的疑問に耐えうるか?

さて、袋に入った商品がアパートに届き始めた。厳格なロボ サンタから届いた謎のクリスマス プレゼントを開封する気分で、僕は袋を破る。丸めてベルクロのベルトで留めた服が、ビニールの真空パックに入っている。そして、僕宛ての奇妙なメッセージが貼り付けてある。「これは僕たちの間だけのことだよ、カイル」「良い死のために」。デオドラントのメッセージに至っては、ただ一言「滴り落ちる」。オーケー、まあいいだろう。

服のクローゼットは、少しずつ侵略されていった。蟻をゾンビに変える寄生カビにでも感染したようだった。ある月から、全部の品に、ロゴではなく僕の名前を記したラベルが付いて来るようになった。LOTは僕を理解し始めたようだ。僕はただ日々生活しているだけで、小包は僕向けに変化していった。夏にはフット カバー、秋にはジャケットが届いた。そうやってベーシックなアイテムが定期的にやって来るので、他には何も買う必要がなかった。

LOTのプログラムは、実用的であると同時にコンセプチュアルだ。決まりきったユニフォーム的スタイルの指向は、IT系男子の傾向と共通している。マーク・ザッカーバーグ(Mark Zuckerberg)のグレーのフーディ、スティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)のタートルネック。LOTにスタイリングを任せれば、何ひとつ自分で決める必要はないし、決められない。だが、流行に左右されないベーシックだけに限定するミニマリスト的アプローチとは異なり、禁欲をアピールしているわけではない。なんせ、同じ商品を受け取る人はふたりといないのだから。内容の違いも、喧伝するほどのものでもない。結局のところ、自分で選んだわけじゃない。LOTは、アイデンティティを示す手段としてのファッションを、極力排除する。LOT自体、非物質化していくブランドとして構想されている。

商品の質は、UniqloとMUJI(無印良品)の中間程度。まずまずだ。高級品ではないが、そのことは重要じゃない。それに、品質は今後向上していくだろう。サービス加入者が増えれば増えるほど、可能性も大きくなる。手元資金が潤沢になれば、もっと込み入った商品を作れるようになるし、ユーザー作成データが増えれば、AIが理想に近付く。

すべてが上手く機能するのは、小ロット生産のおかげだ。今やグローバルな物質文化の中心となった中国の深センには、LOTの事業支援者がいる。工場との関係が非常に充実しているから、量の多少にかかわらず、何でも生産できる。NikeやAdidasのような企業が巨大な供給網を作り上げ、資金を提供して製造面の刷新を推進した結果、今や、わずかに異なる商品を1000個作るのもまったく同じ商品を1000個作るのも、技術やコストの違いはない。もはや、何が作れるかではなく、どうやって入手するかの問題だ。

LOTは、バウハウス(Bauhaus)で教育された普遍的人道主義のように、倫理的側面を備えた美学だ。いつの日か君の人生は終わりを迎えるし、君の存在など重要ではなくて、君の肉体が土へ還るのと同じようにブランドもののTシャツも塵と化す。それを暗示する宇宙の兆しを理解する手段が、瞑想、薬、幻覚剤、タバコであり、LOTである。そんなことは、いつも信じたくはないし、深く考えたくもない。だが、自分自身をいかに定義するか、毎日何に取り組むか、そのことを見直すひとつの方法ではある。僕たちは真実から目を逸らす気晴らしの時代を生きている。ひとつくらい、気晴らしを取り除くのもいいだろう。

もちろん、現状を招いたのは僕ら自身だ。テクノロジーが人間に代行するほど、人間はますます受け身になる。いつの日か、Airbnbは滞在先のリストだけでなく、どこへ行って誰と会うかまで指示するようになる、とはLOTをデザインした男の論理だ。WeWorkは職場ではなく仕事を与えてくれる。Facebookは友達を作ってくれる。Soylentは処方された栄養素のブレンドを準備してくれる。LOTは服と化粧品、近い将来は家具を送ってくれるようになる。大量販売が頭を使わない消費になるのかもしれない。その間、僕たちは、ロボットが生成したNetflixの番組を飽くことなく見続ける。あるいは、LOT的ユートピアでは、僕らは皆、古代ギリシャの哲学者たちのように、人生に思いを巡らせながら街路をさまよい歩くだけなのかもしれない。現生の瑣末な事柄に煩わされなくなったら、残るのは本質に関わる問いだけだ。問題は、安心感をもたらすその他すべての雑音なくして、僕らは本質的疑問に耐えうるか?

毎月、迅速に増強された小包が届き続ける。時折、商品の感想を尋ねるメールが送信されてくる。サイズは合っていますか? 変更を希望する点はありますか? 服自体がデジタル データを作成するようになれば、メールも最適化される。

僕は黒よりグレーの方が好きだ判断すると、シャツもズボンもグレーになる。アクセサリーはますます難解の度を強める。ネックレス、病院用のリストバンド、ミックステープ(具体的には、ドイツのレーベルRDK Islandから出たハーシュ アンビエントなサウンドスケープ)。黒光するタトゥー マシンは何を象徴しているのか、僕には未だに分からない。LOTのサービスは人気になりつつある気がするけど、自分以外に誰が加入しているのか、知る手立てもない。もしかすると、街で見かける全員が加入者かもしれない。

これは、どこかへ通じるようには思える。オブジェによって語られる小説のように...。ただ僕は、単なる読者ではなく、作中の登場人物だ。届いた小包にアシッドの錠剤が入っていたら、僕はそれを飲むだろう。どこへ行き着くにせよ、信頼するしかない。

  • 文: Kyle Chayka
  • 写真: Eric Chakeen