人類とH2Oの長い歴史

GoreTex、Mackintosh、ティモシー・シャラメの防水技術

  • 文: Alex Ronoan
  • イラストレーション: Nathan Levasseur <3

水はさまざまな方法で人の命を奪うことができる。だが、人が水なしで生きる方法はひとつもない。無くても多すぎても、少量でも多量でも、水は人にダメージを与える。ある夢占いのサイトによれば、水は「ほんの数例を挙げるだけでも、生命、死、変化、復活、再生」を象徴する。

水に晒されると、指はふやけてシワシワになるし、低体温症になる恐れがあるし、びしょ濡れのティモシー・シャラメ(Timothée Chalamet)ができあがる。シャラメは、雨の中でタクシーをつかまえられなくて、ニューヨークの地下鉄に乗ったらしい。Pradaのレインコート姿で大きな笑みを見せているが、髪から水が滴っているところを見ると、フードの用途はよくわかっていないようだ。まったく機嫌を損ねていない様子は、しょっちゅうニューヨークの公共交通機関を利用せざるを得ない生活ではないことを示唆している。ともあれ、降水現象の一形態である「雨」に遭遇しても、Pradaをはじめ、諸々のアウターウェアのおかげで私たちは濡れずにすむ。しかしここに至るまでには、状況に応じてフードをかぶるよりはるかに多くの試行錯誤が必要だった。

「人類が衣服を着るようになったのはいつ?」。木曜日の午後3時の検索は、生産的なことをやっている気分で、やるべき仕事を先延ばしにするのにぴったりな方法だ。Googleは、17万年前と答える。

身長が低くガッチリした筋肉質のネアンデルタール人は、低い気温にさほど左右されず、したがってそれほど衣類の必要もなかったから、獣の皮を垂らすだけの原始的なケープで十分だった。一方、脆弱なホモ サピエンスは、寒冷な気候から身を守る衣類を考案せざるをえなかった。やがて地球の気温が低下し、気候条件が温暖と寒冷を目まぐるしく上下するようになったとき、ホモ サピエンスは十分に身支度を整えていたし、天気予報も心得ていた。イアン・ギリガン(Ian Gilligan)が著書『Climate, Clothing, and Agriculture in Prehistory: Linking Evidence, Causes, and Effects』で述べているように、ホモ サピエンスは「すでに手の込んだ衣類を作ることに精通し、熟練していた。環境条件の変化に適応できる変異が、すでに発生済みだったのである」。ネアンデルタール人も、「寒冷な気候が差し迫るにつれ」、複雑な衣類を作ろうとした痕跡がある。ホモ サピエンスの模倣であったかもしれないし、自分たちの発想であったかもしれないが、いずれにせよ、彼らは氷河時代を生き延びることができなかった。

およそ1万2000年前に最後の氷河期が終わると、地球の気温は上昇し、多雨多湿になっていった。そこで我々の祖先は、水分を閉め出すことが闘いの半分に過ぎないことを思い知らされる。低温で乾燥した時期に不可欠だった衣類が役立たずになった。この状況ですっぱり衣服を捨て去る選択肢もあったはずだが、体を覆い隠してきた何千年ものあいだに「慎み」も育っていたとギリガンは論じる。結果的に、「氷河期後の世界で発生した湿度の問題は、大きな革新を促した」。多孔性によって汗の蒸発を促す、織地の発達である。

成功の程度に差こそあれ、人類は何世紀にもわたって衣類の開発に取り組んできた。理想は、外側からの水分の侵入を防ぎ、かつ内側に湿気を閉じ込めない衣類だ。北米の先住民は、天然防水素材とも言えるアザラシの皮や腸、魚油を塗った毛皮などで、耐水衣類を作っていた。「パーカー」や「アノラック」などの名称は、寒冷気候に対応できる衣類を完成した北方地域に由来している。

イエローはレインコートを象徴する色とも言えるが、実はあの色はアウトドア ウェア初期の失敗を物語っている。イエローと雨具が結びついたのは、19世紀にスコットランドの水夫たちが使用した防水剤の不具合が原因だ。当時はキャンバス地のアウターウェアにアマニ油を塗布して防水する方法が採られたが、そのように処理された衣類は時間の経過とともに硬くなり、黄色く変色したのである。技術が進化してからも偶然に生じたイエローが水関連のウェアで生き続けたのは、目につきやすいからだった。また、アマニ油が使われなくなって久しく、水難とは無関係の環境でも、敢えてイエローが選ばれたのは、目につきやすいという実用性に加えて、悪天候時に気分を引き立ててくれるという心理的な長所が理由だった。

メキシコ中部から中央アメリカに居住していたメソアメリカ人は、ヨーロッパ人がやってくる前にすでに何世紀も、天然ラテックスからゴムを作ってさまざまな目的に利用していた。防水も用途のひとつであり、彼らはゴムを用いて衣服を防水していたと確信する研究者もいる。ゴムは入植者によって1744年にヨーロッパへ持ち込まれ、多様な分野で利用法が模索された。そして80年後、防水のゴム層を両側からファブリックで挟み込んだMackintoshのレインコートが発売された。スコットランドから世界へ広まったMackintoshはハイ ファッションの座へと上りつめ、最近ではVetements (2017年春夏)、1017 ALYX 9SM (2018年春夏)、Maison Margiela (2018年春夏、メンズおよびウィメンズ)などとのコラボレーションを展開している。

ゴムを安定させるバルカナイズ製法がヨーロッパで発明されたのは、Mackintoshの発売からさらに数十年後のことだった。そして、ロンドンのテキスタイル製造業者、ジョージ・スピル(George Spill)は、別のイノベーションをもたらした。通気性のないレインコートのアームホールに、メタルのアイレットを配したのである。これは、ローテクながら、ゴム引き素材が引き起こす発汗の問題を解消する素晴らしいアイデアだった。だが依然として、防水ファブリックが扱いにくい素材であることに変わりはなかった。熱に晒されるとよくひび割れたし、気温が上がればベタベタと不快だった。「19世紀から20世紀前半にかけてのレインウェアは、さほど数がありません。レイン ハットにいたっては、1点のみです (それも、ファッショナブルとは到底言い難い)」。ビクトリア&アルバート博物館のキュレーターはこう嘆く。問題は素材の劣化だと言う。

1951年、外側がナイロン、内側がウールの革新的な防水ファブリック、Gannexが誕生した。虚構の人物シャーロック・ホームズですっかりお馴染みなった実在のインバネス コートなどと比べ、現在の知名度は劣るものの、Gannexのレインコートも英国から世界へと普及した製品のひとつである。『Surrender: How British Industry Gave Up The Ghost 1952-2012』で、著者のニコラス・コンフォート(Nicholas Comfort)はGannexレインコートの着用者を挙げているのだが、その顔ぶれは、「あなたが夕食会を開くとしたら、誰を招待しますか?」という平凡な問いに国際関係を専攻するどこぞの学生が回答したかの感がある。コンフォートによると、「エリザベス女王(the Queen)、女王の愛犬のコーギーたち、フィリップ殿下(Prince Phillip)、ジョンソン大統領(President Johnson)、毛沢東(Chairman Mao)、ニキータ・フルシチョフ(Nikita Khrushchev)がGannexレインコートを着用した」

10年後、レインコートは多少とも軽やかになった。「チェルシー ガール」が狂騒の60年代を象徴するなら、その狂騒を象徴するスタイルを作り出したのが、イギリス人デザイナーのマリー・クワント(Mary Quant)だった。ミニスカートで全世界を席巻したクワントが1963年に発表した「ウェット コレクション」は、スカート スーツ、レインコート、ハットなどの素材がすべてプラスチック コーティングによる防水コットン、略称PVCでできていた。現在開催されているクワント展のキュレーターによると、PVCをファッションとして使った初めての試みだったが、他のデザイナーたちも直ちに追随した。クワントは機能的で気軽な服を提案した。女性たちがそれを着て、動き、踊れる服。彼女自身の言葉を借りるなら、バスに乗り遅れないように走れる服だ。だが100% PVCのコレクションは、クワントの関心が実用に止まらず、最初から濡れたように見える滑らかな素材自体に純粋な喜びを感じていたことが窺える。本当はちっとも雨に濡れない快適な状態で、ずぶ濡れみたいに演出できる素材だ。

その後、両立は不可能と思われた防水性と通気性を同時に実現する、これまた画期的な発明がなされた。分子の小さい汗は外へ出すが、分子の大きい水は中へ入れない多孔質ファブリック、Gore-Texである。1976年の発売開始以降、Gore-Texは宇宙へ、南極大陸へ、高校で行くバーモントへのスキー旅行へと進出した。ハイテクを掲げる多数の競合企業は、現在も、同様の困難な課題に挑戦している。ちなみに環境に対する責務を自認するGore-Texは、最近、新たな目標を掲げ、同社が製造する生地のライフサイクルから環境に有害な化学物質の多数を除去、あるいは除去に向けて移行中だ。これらの化学物質の多くは、防水や防汚の加工に使用されている。

イギリスのガイドブック ライター兼イラストレーター、アルフレッド・ウェインライト(Alfred Wainwright)は、「悪い天気などというものはない。天気に適さない服を着ているだけだ」と言った。これは世の父親たち、アウトドアウェア ショップの経営者、当然ながらスカンジナビア諸国民の心情でもあろう。では、異常気象に適する服とは一体どんなものだろうか? 過去数シーズンにかけてファッション業界がひねり出した回答は、ミリタリー調とアウトドア調のミックスといったところだ。高性能ファブリック、あらゆる大きさと形状の多数のポケット、面白みのないシルエット。「こぎれいな身なりをした良識ある兵士が、太陽発電の下りエスカレーターに乗ってろくでもない未来に向かうの図」を想像してほしい。

ファッション業界が気候変動に及ぼす影響は、ますます、数値化されるようになってきている。しかし、人類が衣類を着始めたことで環境に及んだ影響は、それほど簡単に図表として捉えきれない。農業の出現は、以前に考えられたよりはるかに繊維の生産と関連していたとギリガンは論じ、産業革命の進行におけるテキスタイルの役割も指摘している。イギリスのマンチェスターは最初に現代的工場が建設された場所であり、それらの工場は綿織物専門だった。そこから、マンチェスターは「コットノポリス」の異名をとるに至ったのである。

20世紀に入ってプラスチックが発明されると、防水アウターウェアの製造はより安価で容易になった。以後、防水にはどんどんハイテク技術が採用され、防水加工は日常生活に浸透し、化学製品が地球上に広まった。今では、市街地の外へ足を踏み入れることは決してない、実際にどこかへ行くより装備を集めることに関心があるような、アウトドア系男子が出現している。そして僕はこのようなアウトドア系人種の日常着に、何かの前兆、気掛かりな反転を感じるのだ。つまり、人類が自然界へ出ていかなくても、自然のほうが自らの意思を人類に強いるはずだから、準備を整えておくという考え方。気候変動に関する昨今の見出しを目にすれば、人類が滅亡した後に防水装具が残存する未来は想像に難くない。これらすべてが、いつか誰かの家のトイレで見たローレンス・ウェイナー(Lawrence Weiner)のコピーを思い出させる。「WATER FINDS ITS OWN LEVEL(水は必ず水平になる)」。「WATER」と「FINDS ITS OWN LEVEL」を、上むきの黄色い矢印が分断している。その下の右側、少し斜めに「HOWSOEVER(どんな方法であれ)」の一言。「どんな方法であれ、必ず水は水平になれる場所へ行き着く」という文が喚起する感覚は、脅威と希望のあいだで不安定にぶら下がるのだった。

Alex Ronanは、ニューヨーク出身のライター兼レポーター

  • 文: Alex Ronoan
  • イラストレーション: Nathan Levasseur <3
  • 翻訳: Yoriko Inoue
  • Date: January 31, 2020