バックレスドレスの表と裏
露わになった背中に見る、女たちの躊躇いと意志

今日、バックレスドレスと言えば、ほとんどの場合、やがて訪れる崩壊を意味する。グレン・マーティンス(Glenn Martens)は『ヴォーグ』のインタビューで、Y/Projectの2020年春夏コレクションのサウンドトラックは、「過激になったベルエポック」のようだったと語った。これはコレクション全体にも当てはまる。Y/Projectのバックレスドレスは透け感と強さを合わせもち、体を包み込みながらも背骨の思いがけない部分を露出したり、催眠術にかかってしまいそうなスパイラル模様や色があしらわれたりしていた。Eckhaus Lattaの2020年春夏コレクションには、光を乱反射するオレンジ色のシークイン バックレスドレスが登場し、まるで量産されたスパンコールが降り注ぐ天気雨のようであった。
とはいえ、秩序だった暴力の存在しない時代などあるだろうか。1920年代においても、バックレスドレスは、水着やスーツに続く、当時を生きた人々が作り出した数々の狂乱のひとつだった。のちに、ショート、ボブ、フィンガーウェーブといったヘアスタイルが流行したが、これは肩や背中がむき出しになることを意味した。細身のシルエットとバイヤスカットが採用され、マドレーヌ・ヴィオネ(Madeleine Vionnet)のバックレスドレスでは、サテンやシルク、シフォンがうまくぶらさがることとなった。首吊り刑は言い過ぎとしても、言うなれば、その構造に洗練されたバランスが生まれたのである。
ネラ・ラーセン(Nella Larson)の1928年の小説『流砂』の中で、ヒロインのヘルガ・クレインは自分自身の居場所と感じられる場所、少なくとも息苦しさを感じずにいられる場所を探し求める。「つまるところ、彼女が求めるものは何だったのか」。ヘルガは制約の多い仕事や支配欲の強い男、ありのままの彼女を受け入れてくれない友人や家族の間を行ったり来たりしながら考える。「物質的な安定、優雅な暮らし、数々の素敵な洋服に対する憧れ、そして羨望のまなざしで注目されたい欲望を抑えながら、欲しいのは幸せなのだと思った。それが何なのかわからないにしても」。今回のパーティーでは、自分を理解してくれる人が見つかるだろうか—。ひとつのイベントがあまりに大きな意味を持ちすぎるようになると、決まって彼女は何を着ていくかの方に思いを巡らせた。人生プランを立てるなら、その方がそれなりに有意義だからだ。ヘルガは、ニューヨークで開かれたイベントに行くのに、以前、上品な友人のアンが「デコルテが露出しすぎる」と難色を示したドレスを着る。「デコルタージュ」とはフランス語で「首を露わにすること」で、背骨や鎖骨を露出するという意味だ。アンはヘルガに布地が足りていないと言ったが、それを着たヘルガは「今にも飛んでいきそうな雰囲気」が漂っていた。ヘルガにとってこれは受けて立つべき挑戦だった。「これは何かの象徴だ」と彼女は考える。「彼女はまさに飛び立とうとしていた」
のちにヘルガはコペンハーゲンに逃れ、同じようなドレスに対して異なる反応を受け取る。彼女のおばにあたるダール夫人は、ヘルガにもっともふさわしい独身の男たち、すなわち富豪たちと引き合わせようとする。夫人は、ヘルガのお気に入りのエメラルドグリーンのベルベットドレスについて、背中をもっと下まで深く切り込んだほうがいいと助言する。ヘルガが難色を示すと、夫人は「ヘルガ、あなたはなんて堅苦しいアメリカのお嬢さんなの。これほど美しい背中と肩を隠しておこうなんて」と嘆く。そのドレスは、ヘルガに言わせると、ほとんどスカートのようになった。ヘルガは戸惑いを覚えながらも、そのドレスがもたらした効果に喜びを感じなくもなかった。「おじのコールがヘルガを連れて会場へ足を踏み入れた時に沸き起こった、彼女を賞賛する囁き声やどよめきをまんざらでもなく感じた。ヘルガは男性たちが身を低くし、彼女の手を取る際に注ぐ憧憬のまなざしが好きだった」。ヘルガはなぜいつもこの二重の欠如感、すでに持っているものに対してすら抱く、足りないという感覚を抱くのか。「なぜふたつの人生を生きることはできないのだろう」と彼女はみずからに問う。「もしくはひとつの場所で満足することはできないのか」と。

ロマンス小説作家のバーバラ・カートランド(Barbara Cartland)も、1920年代とは充足感を求める時代であったと振り返る。自叙伝『We Danced All Night』で、カートランドは、彼女にとってこの10年間はボブカット、ハイヒール、バックレスドレスとフェミニストに対する恨みがすべてだったと記している。「キャリアウーマンはズボンが似合わない二流の男みたいなものよ。女が本当に欲しいのは結婚の確約」と語ったこともあった。カートランドはその分野における人気作家となり、読者をはじめとする多くのファンから愛された。書評家ロジャー・セールス(Roger Sales)は、「彼女に会うと、どんな人もプロポーズしたと言われている」と書いている。彼女の継孫娘は彼女の作品を読むには幼すぎるほど若い頃からカートランドの大ファンであった。カートランドはこの孫を溺愛しており、幼い少女でも、何も読まないよりはいいだろうと考えていた。カートランドはのちに「ダイアナは私の作品しか読んだことがなかった」と振り返り、「彼女に最適な本だったとは言えないわね」と語った。
ダイアナ・スペンサー(Diana Spencer)は大人になると、英国皇太子との結婚というおとぎ話を、もっとも現代的なラブストーリーへと変えた。離婚というエンディングのラブストーリーである。別離ののち、ダイアナは復讐として、フェミニズムをほのめかすドレスを着た。1994年6月、ダイアナはオフショルダーのバックレスドレスを着て『Vanity Fair』のパーティーに出席した。それは彼女のクローゼットに3年もの間、着られずに保管されていたものであった。それまで、ダイアナはこのドレスは危険すぎると案じ、着るのを憚っていたのだ。彼女がこのドレスを着た夜、チャールズ皇太子に関するドキュメンタリーが国営放送で放映された。この特集でチャールズ皇太子は世間の好感を取り戻すはずであったが、むしろ、彼が人々から愛されるダイアナ妃を裏切っていたことを世の人々に確信させる結果となった。
ダイアナ妃が独身なら、さまざまなバックレスドレスを着たことだろう。それもふざけ半分で。実際、1985年の『バック・トゥー・ザ・フューチャー』のプレミアには、Catherine Walkerのクランベリーレッドのクラッシュ ベルベットのドレスで現われた。パールが肩甲骨の間に垂れ下がった「バックドロップ ネックレス」は、1920年代や1930年代から存在するアクセサリーだ。首元ではあるが、前ではなく背骨をなぞるように後ろに垂れ下がるネックレスには抑制効果がある。思いがけない場所にあるからこそ、一見、いつもどおりのようなのだ。その翌年、ダイアナ妃はある祝賀会に出席したが、ロンドン警視庁は彼女がダンスフロアに登場することに不安を抱いていた。以前、彼女が出席したパーティーで不審者がダイアナのダンスパートナーの邪魔をするという事件があったからだ。彼女の護衛チームはコリン・パウエル(Colin Powell)にダイアナ妃のダンスのお相手になることを依頼した。彼なら、余計な注目に対してうまく対処できると考えたためだ。しかし、ダイアナはパウエルがダンスフロアでうまく立ち振る舞えるか怪しいと考えていた。のちにパウエルは、ダイアナから「お伝えしておきたいことがひとつあります。今夜、私はバックレスドレスを着る予定なのですが、それでも冷静に立ち回れますか?」と聞かれたと、ティナ・ブラウン(Tina Brown)に語っている。

誰が冷静に立ち回れようか。バックレスドレスは、あらゆる防御を無力にしてしまうパワーを秘めている。1972年のフランスのコメディ スパイ スリラー映画『Le Grand Blond avec une chaussure noire』で、ミレーユ・ダルク(Mireille Darc)演じるスパイは、前から見るとロングスリーブの黒いタートルネックドレスだが、後ろから見るとお尻が見えるほど下までえぐれたバックレスドレスを着て、一風変わったまぬけなヒーローを圧倒する。映画が公開されると、これはたちまちGuy Larocheのドレスとして有名になった。バイオリン型に開いた背中はほとんど丸見えの状態で、両脇にわずかに残った布が金のチェーンでつながれている。背筋に沿ったネックレスがバックドロップと呼ばれるならば、お尻のブレスレットにも名前が欲しいところだ。
2019年、パリ市立ガリエラ美術館は、「バックサイド/背後から見るファッション」展を開催した。キュレーターのアレクサンドル・サムソン(Alexandre Samson)は、背後のデザインを構造的、心理的な側面から見せたかったと語る。ダルクが着たGuy Larocheのドレスも展示され、サイモンはこれをフランス文化の伝説の一部と称する。サイモンは雑誌『LOVE』の中で、背中はその矛盾ゆえに魅惑的であると語った。「女性は、背後にも人の目があることを知りながら、みずからの体のコントロールが及ばない部分だけを露わにします。この受け身のコントロールがエロティシズムを生み出すのです」
サムソンが言う矛盾とは、良質な服が帯びる電気のようなものだ。受動性は一見穏やかな印象を与え、内に秘めた葛藤を隠している。考えてみれば、映画の中で、猜疑心を抱きながら表面上は心を決めたようにふるまう女性がバックレスドレスを着ているシーンがどれだけ多く描かれてきたことか。映画『コールガール』で、ジェーン・フォンダ(Jane Fonda)演じるブリー・ダニエルズは、シルバーのスパンコールにフェザーのボアをあしらったバックレスドレスを着ている。カメラが、常客の元へ歩いていく彼女を追う。常客は繊維工場を経営しており、自分のオフィスで、金のランプの光に照らされて、彼女の到着を待っている。彼女はミシン台の列とまだ誰にも着られていないたくさんのドレスの間を縫って、客のところまで進んでいく。客はブリーに、ほの暗い中で服を脱ぎながら、彼女が「異端者の気持ち」と呼ぶ話を聞かせてほしいと言う。彼女が着ているのは、ドナルド・サザーランド(Donald Sutherland)演じる最高にセクシーな私立探偵ジョン・クルートに、暗闇が怖いと告白する際に着ていたドレスだ。次の瞬間、ブリーはそのドレスを脱ぎはじめる。夜空を思わせる青いスパンコールのモックネックドレスから背中を露わにすると、彼は「やめてくれないか」と言う。彼が止めたがったのは、露わになった背中のせいでブリーが無防備になりすぎると思ったからではない。それが、彼自身を無防備にするからだ。ドレスはブリーの呼吸とともに動く。
2007年の映画『つぐない』は、架空の時間軸と歴史を扱った小説『贖罪』を改作したものだ。キーラ・ナイトレイ(Keira Knightley)演ずるセシーリアが身につけていた薄い生地の緑のバックレスドレスは、現代映画を代表する衣装となった。華やかで、薄く、ほとんど何も着ていないかのようなドレスで、ナイトレイ演じる人物は1年でもっとも暑い日にこのドレスを着る。脇役の「このヒトラーとかいう奴が今の勢いのままでいたら、世界はめちゃくちゃになるだろうな」というぼんやりとしたセリフが必要であるのと同様に、彼女はバックレスドレスを着る必要がある。私たちは、これらの兆候を読み聞きしながら、終わりに差しかかっているひとつの時代を目撃する。彼女もまた、自分が何を、そして誰を欲しているのか認められず、消極的であることで安全なところにいながら、ひとりの人にしか見られていないと判断した時には、思い切って情熱に身を任せることを厭わない女性なのだ。イアン・マキューアン(Ian McEwan)の小説では、セシーリアは華麗で豪華なドレスを選ぶ。セシーリアは禁欲的な思想が嫌いなのだ。「なによりも、彼女は一瞬も考えを巡らしてなどいないように見られたかった」。そして彼女はひとりごちる。「だけどそれには時間がかかる」と。

公の場に立つ女性は、大いに虚勢を張る必要がある。心と裏腹のことは、ドレスでごまかせる。ヒラリー・スワンク(Hilary Swank)が『ミリオンダラー・ベイビー』でアカデミー賞を受賞した際、彼女はGuy Larocheのネイビーブルーのドレスを着た。ミレーユ・ダルクのドレスよりも淡い色合いだが、同様のインパクトを狙ったものだった。25メートル近くあるシルクジャージがサイドでギャザーになっており、まるで彼女の肌に直接描かれたかのように見えるドレスだった。スワンクは、授賞式でCalvin Kleinの広告塔として同社のドレスを着る契約になっており、フランシスコ・コスタ(Francisco Costa)とともに、別のイブニング ドレスを用意していた。日の目を見ることのなかったこのドレスは、ジョン・シンガー・サージェント(John Singer Sargent)がバージニー・アメリ・アヴェーニョ・ゴートロー(Virginie Amélie Avegno Gautreau)をモデルに描いた、「マダムXの肖像」として知られる肖像画から着想を得たものだったと言われている。スワンクは、土壇場で「着るならGuy Larocheのネイビーブルーのドレスしかない」という、迷信のような思いに駆られたと言う。こうして、スワンクは絵画に描かれた服を着ずして、物議を醸したこの肖像画の魂を身につけたのだった。
マダムXは今でも頻繁に引き合いに出される。1999年には『ヴォーグ』誌上でスティーヴン・マイゼル(Steven Meisel)が撮影を担当し、ニコール・キッドマン(Nicole Kidman)をモデルに迎えてサージェントの絵の人物を再現した。ジュリアン・ムーア(Julianne Moore)も、2008年発行の『ハーパーズ バザー』でピーター・リンドバーグ(Peter Lindbergh)の撮影で同様の企画に挑んでいる。ラフ・シモンズ(Raf Simons)はDiorで自らオリジナル ヴァージョンを手がけ、シャーリーズ・セロン(Charlize Theron)が2014年のアカデミー賞で着用した。写真の中でセロンは、漆黒の円柱のような形のドレスに身を包み、スラリと長い首を伸ばし、頭を高く掲げて、凛とした立ち姿を見せる。
バックレスドレスはレッドカーペットと切っても切れない関係だ。歴史は繰り返されるものである。2012年のグラミー賞で、リアーナ(Rihanna)はダルクが着ていたGuy Larocheのドレスの別バージョンを着用した。ほとんど見えないくらい細いゴールドのチェーンとブロンドの前髪をマッチさせたところが心憎い。2000年のアカデミー賞では、ケイト・ブランシェット(Cate Blanchett)がJean Paul Gaultierのドレスを身にまとった。バックは左右の袖を結びつけるバックドロップネックレスでつながれ、ゴールドのチェーンがそのまま背中の下のほうへ伸びるスタイルであった。2014年のゴールデングローブ賞の際にはブランシェットはArmani Privéを着用。このドレスのアウトラインはダイヤモンドの先のように腰に向かって開いており、肩を包む透き通ったレース地が肩甲骨のあたりでカーブしていた。
ビヨンセ( Beyoncé)のバックレスドレスは、2001年のグラミー賞に彼女がデスティニーズ・チャイルド(Destiny’s Child)のセンターとして、ティナ・ノウルズ(Tina Knowles)が手がけたグリーンとゴールドのドレスで登場した時から、たびたびレッドカーペット上に現われている。7年後、ふたたびグラミー賞のレッドカーペットに戻ってきたビヨンセは、どのように背中に固定されているのかわからない、リボンロゼットのような形に開いたバックが独特なGeorges Chakraのレモンイエローのドレスで登場した。それからさらに7年後のグラミー賞では、白のフローラル模様のレース地に背中が大きく開いたデザインで、足や腕の周りにもアシンメトリーな模様の入った、Michael Costelloのロングスリーブドレスを着た。ビヨンセは、ありとあらゆるオーディエンスがそれぞれ違うタイプのバックレスドレスを期待していることを心得ているのだ。2006年の楽曲「Freakum Dress」の中でビヨンセは、どの女性も、コンサート会場の写真撮影ピットで瞬くフラッシュのためではなく、ただひとりの人に対して狙った効果が確実に得られる「ショートでバックレスな」ドレスを持つべきだと書いている。

さまざまな分野のミュージシャンたちが、自分の目的のために、そしてさまざまな出版物のためにバックレスドレスを着る。「29歳のピアニスト、ユジャ・ワン(Yuja Wang)が演奏する際、どんな服を着ると想像しますか?」2016年発行の『ザ・ニューヨーカー』誌に掲載された、この話題の演奏家の紹介記事の中で、ジャネット・マルコム(Janet Malcolm)はこう書く。「体の線がはっきりと見える、ほとんど裸同然といった印象を与えるバックレスドレスでしょうか。しかも、足元には4インチのピンヒールで」。マルコムはワンの露わになった背中とドレスを支える細いストラップを見ながら、まるで女帝かライオンの調教師のようだと思う。「サディスティックなハイヒールを履いた半裸のこの女性は、野獣のような楽曲を手なずけてきたのです。これでもくらえ、ベートーベン!と」
バックドレスを着ている時にはポーズも大事だが姿勢も求められる。思えば、女性が肩越しに振り返り、しっかりカメラのほうを向いている写真はよく見られる。2011年、ハル・ベリー(Halle Berry)は全米映画俳優組合賞でハイネックのバックレスドレスを着た。腕のすぐ脇にあるストラップで留められたドレスを着た彼女は、あごを肩にかけるような形で振り返り、カメラに視線を送る。ウエストのストラップには繊細なビーズが光っていた。1999年の映画『恋するための3つのルール』のプレミアのレッドカーペットでは、ヒュー・グラント(Hugh Grant)がカメラに驚いたようなぎこちない表情を見せる傍らで、ピンクとゴールドのドレスを着たエリザベス・ハーレイ(Elizabeth Hurley)が、首をひねって観客に振り返っている。ナオミ・キャンベル(Naomi Campbell)はアッシャー(Usher)の26歳の誕生日パーティーにアールデコ調の幾何学模様のシークイン ドレスにグレーのファーといういでたちで現われた。長い髪は後ろでラインストーンのバレッタで止められていた。今年のゴールデングローブ賞では、シアーシャ・ローナン(Saoirse Ronan)が振り返りながらレッドカーペットから立ち去る姿が見られた。彼女が身につけていたのはCelineのバックレスドレスで、細目で見ればまるで星が散りばめられたように輝くシークイン ドレスだ。ハリウッドの昼下がりのセレモニーにヘディ・ラマー(Hedy Lamarr)が舞い降りたかのようであった。
ジェニファー・ロペス(Jennifer Lopez)がグーグルの画像検索を作り出したというのはよく言われることだ。少なくとも2000年のグラミー賞で、ロペスが、グリーンとブルーのプリント柄のVersaceのバックレス フロントレス ホルターネックドレスを身につけてからというもの、同じ画像を何度でも、見たいときに見たいという要望が著しく増え、画像検索の必要性が高まったのは事実だ。インターネットが終わりを迎えるどころか地球上の人々を相互につなぎ始めたのは、西暦2000年になった約1ヵ月後のことであった。インターネットは完全に崩壊すると教えられた私たちは、実際には正反対の結果を目の当たりにした。あれから20年が経ち、ドナテッラは2020年春夏コレクションで、それまでの彼女のヒット作を振り返り、あの時と同じドレスを着たジェニファー・ロペスを登場させた。今ここに、振り返る底知れない可能性がある。データを記憶に置き換え、回顧を記録に置き換える。ノスタルジーには限界があるが、今この瞬間に、全方位から見られることを望む女性は永遠となるのだ。
背中の肌は、体のほかの部分よりも丈夫で、きめも粗いかもしれない。だが、敏感に感じるのは、肌そのものではなく内側の脊椎だ。脊椎では、交感神経系が意識からのメッセージを集約し、小刻みに震える足元まで伝達する。こうした反応は、一般的に「闘争か逃走か反応」として知られるが、これは体が「面と向かうのか、それとも背中を露わにするのか」を問う、もうひとつの方法とも言える。交感神経系は、この感覚がもたらすさらに微細な暗号もコントロールする。背中の両肩の真ん中あたりに手が当てられたとき、あるいは脊椎を構成する33の骨が指先で軽くなぞられたとき、瞳孔が開いたり鼓動が速くなったりするのはそのためだ。
自分が何を欲しているのかわからない女性は、時を止めることができる。決断は境界線になり、前を行くものはすべて「ビフォー」に、あとから付いてくるものはすべて「アフター」になる。これは、時間が偽りかどうかということよりも、時間をどう語るかということと関係している。つまり、ここは始まりであり、途中であり、そして終わりであるということだ。時間はここから始まり、ここで止まる。しかし、肩越しに後ろを見返らないと前へ進めない者たちにとって、バックレスドレスは猶予期間を与えてくれる。バックレスドレスを着る者は、あえて無差別に、しかし的確に人を誘惑する。ドレスの計算は続く。あなたは、この部屋を出て行く。本来は、それで終わりのはずだ。だが、人々はあなたが去っていく姿を見つめる。その瞬間は永遠に感じられる。少なくとも60秒よりは長く。明日という日は来ないかもしれないのだ。

Haley Mlotekはブルックリン在住のライター兼エディター、およびオーガナイザー。全米作家組合におけるフリーランスのデジタルメディア産業に働く労働者に特化した、フリーランス連帯プロジェクトの共同議長を務める。『The New York Times Magazine』、『The Nation』、『Hazlitt』その他多数に執筆。現在、ロマンスと離婚をテーマにした作品を執筆中
- 文: Haley Mlotek
- Date: January 30, 2020