疾走する
愛車と共に

カービー・ジーン=レイモンドの Pyer Mossが走り出す

  • 写真: Shaniqwa Jarvis
  • インタビュー: Antwaun Sargent

カービー・ジーン=レイモンド(Kerby Jean- Raymond)は車マニアだ。彼はスピードを必要とする。いやむしろ、宙に舞い上がるような、ほとばしる加速を追い求める。だがそこには高揚感とともに心の安らぎもある。あの何ものにも代えがたいブルルンという音—、充足感。ジーン=レイモンド(Jean-Raymond)は、警察の競売で初めて車を買って以来、ずっとそんなふうに感じてきた。そのとき彼は15歳。車はシャンパンゴールドの1986年式メルセデス300Eだった。「自由」という言葉で、彼はその新しい車を得たときの気分を表現する。「そうやって俺は大人の世界に足を踏み入れた。高校生で車を持つというのは、ブルックリンではすごく珍しいことだったんだ」。カービーは、運転していると、ある種の孤独と親から受け継いだらしい車の効用が蘇る気がすると言う。それを初めて体験したのは子どもの頃、家族の車の後部座席で、両親のジャン=クロード・ジーン=レイモンド(Jean-Claude Jean-Raymond)とヴァニア・モス=ピエール(Vania Moss-Pierre)が話す声に耳を傾けていたときだった。「両親は車に乗ってるときはぜったい喧嘩しなかった」と彼は言う。「だから車に乗ってると安心したんだ」。助手席に座って、父の助手を務めたこともあった。父親は、ドラッグの売人の車にステレオを設置する電気工だった。そうした車がカービーの憧れだった。

「わかってきたのは、そういうすべてのおかげで、今の俺があるってことだね」と、ブルックリンのホテルの地下にあるレストランで、早めのランチをとりながら彼は説明する。「BBSのホイールを穿いた日産パスファインダーだとか、クロームホイールの、金ぴかのエンブレム付きのアキュラ レジェンドを眺めてたおかげだ。それがもっといい生活の象徴だったから」

2015年、ハンドルを握ったジーン=レイモンドが変貌するのを僕は目撃した。そのとき僕らは彼の当時の愛車アウディR8でブルックリンを抜け、マンハッタンの西側にある、彼のおばさんのハイチ料理店に向かっていた。ちなみにジーン=レイモンドは今、アストンマーティン スーパーレッジェーラ、マクラーレン 720s、ポルシェ GT3RSを交互に乗っている。街を飛ぶように走り抜けながら、ジーン=レイモンドは道路のリズムに身を委ねてリラックスしていた。その話しぶりから用心深さが薄らいでいることに僕は気づいた。きついブルックリン訛りが穏やかになり、道を走る彼は、無防備だった。道路は、ちょうどランウェイのように、集中と華やかさに満ちている。それは、彼の仕事を支えている張り詰めた緊張に似ている。

ジーン=レイモンドは、車が彼にとってどんな意味を持ってきたか、なかなか認めようとしない。人生のあらゆる要素を金儲けに利用し、情熱をサイドビジネスに変えることを期待される文化の中で、彼の自慢の車たちは、ジーン=レイモンドの純粋な「遊び」であり続ける。それが彼にもたらすのは、いくつものカー クラブに足を運び、そこに集う男女に交じることで得られる、コミュニティの一員としての感覚だ。またそれは、彼が2013年に設立したレーベル、Pyer Mossのクリエイティブ ディレクターという本業からの遁走でもある。だがその肩書の役割を果たすとき、ジーン=レイモンドはニューヨーク ファッションの中心に立つことによって、野心が何を可能にするかを見せつけてきた。

Pyer Mossは彼にとって別の種類の車だ。それに乗って彼は過去に旅し、迫害を受けて命を落とした、忘れられた黒人の先達を探し求める。それはトレイボン・マーティン(Trayvon Martin)であり、オタ・ベンガ(Ota Benga)であり、ローン レンジャーのモデルと言われる、19世紀に生きたバス・リーヴス(Bass Reeves)だ。1906年にブロンクス動物園の展示品となったオタ・ベンガの物語は、ジーン=レイモンドの2016年春夏コレクションにインスピレーションを与え、2018年の秋冬コレクション「American Also」ではバス・リーヴスへのオマージュが捧げられた。Pyer Mossはランウェイを使って、歴史とその遺産を新たに捉え直し、物質主義の時代遅れな感覚への固執を非難されがちなファッションを、今や、組織的で力に溢れたコミュニティの果実と同義に変える。ミシェル・オバマ(Michelle Obama)、リアーナ(Rihanna)、トレイシー・エリス・ロス(Tracee Ellis Ross)、コリン・ケイパニック(Colin Kapernick)、リナ・ウェイス(Lena Waithe)、クリス・ポール(Chris Paul)、ウェンディ・ウィリアムズ(Wendy Williams)など、Pyer Mossをまとったことのある黒人セレブリティの顔ぶれの多彩さは、文化が動いていることを体現している。彼らは、ジーン=レイモンドの言葉を借りれば「わかってる」人々の、育ちつつあるコミュニティの代表者だ。

テーブルに座って、ジーン=レイモンドは、黒い毛の、短いドレッドロックの暴れる頭を振り、車は男の最も歪んだ性向に結びついているという僕の意見を退ける。そして急いで釈明する。自分が高価な一流車を偏愛するのは、成功を顕示したり、女性を感心させたり、男性的な力の象徴によってエゴを膨らませたりするためではない、と。「本物の車マニアは」と彼は言う。「車を知ってて、わかってるってことで一目置かれたいんだ。そうじゃない奴はそういう車に乗ってるところを見られたがる。俺は後者じゃない」

ジーン=レイモンドの勢いはとどまるところを知らない。「スカしたキャンドル野郎」だらけのファッション界で、衆目環視の生活を送ることは、時に生死にかかわるような精神の不安定さの原因になってきた。だが、車への愛があることで、彼は自らの歴史を常に視野に捉えることができている。次に来ることだけでなく、もっと本質的なもの、そのような未来が来る理由と、その参加者に対しても、意識を向け続けることができるのだ。

Kerby Jean-Raymond 着用アイテム:(Pyer Moss) 冒頭の画像のアイテム:(Pyer Moss)

アントワン・サージェント(Antwaun Sargent)

カービー・ジーン=レイモンド(Kerby Jean-Raymond)

アントワン・サージェント:まず、あなたが覚えてる、車の中での一番古い思い出について話すところから始めたい。車に乗るのはどんな気分だった? それはいくつの時?

カービー・ジーン=レイモンド:覚えてるのは、両親と一緒に車に乗ってると、いつも後部座席で眠りこんじゃったことだな。ふたりは車の中では喧嘩しなかったから、安心してたんだ。狭い場所だったし、親たちがお互いやり合ったりしないとわかってた。俺が親父と口をきくことを覚えたのも、車の中だった。親父がカーラジオを取り付けてる横で、助手席に座ってゲームボーイをプレイしてね。よく親父が工具をとれって言ってきて…。親父とは、工具やら車やらのことしか話さなかった。そういう話題なら親父にこっちを見てもらえるって気づいたから、せっせといろんなことを覚えるようにした。それがいつの間にか、俺自身が夢中になっていたんだ。

初めての車はどんな車にしようと思い描いてた?

警察の競売に行くことを思い描いてたよ。欲しかったのはアキュラ レジェンド。金ぴかのエンブレムがついた黒のアキュラ レジェンドだ。

なぜ?

なぜって、それがクスリの売人が乗ってた車だからさ。俺の住んでたあたりでは、そういう連中がスーパースターだったんだ。

その車が意味するものは何だったんだろう?

もっといい生活かな。俺が育ったのは寝室が1部屋しかない、窓の外はレンガの壁が迫ってるようなアパートだった。光なんかぜんぜん差さなくてさ。セラピーでこういう諸々と折り合いをつけようとして話をしながら、だんだんわかってきたのは、そういうのがあったから、今の俺があるってことだね。そういうものを眺めてたことが。つまり、BBSのホイールを穿いたパスファインダーとか、クロームホイールの、金ぴかのエンブレム付きのアキュラ レジェンドを眺めてたことがさ。

つまりステータスの話をしてるのかな?

俺の初めての車は、1986年式のシャンパンゴールドのメルセデス300Eだった。ポンコツでね。そいつを運転してプロムに行こうとしたんだけど、道中ずっとガソリンが漏れっぱなし。運転してるとガソリンのメーターがみるみる下がってくんだよ。とんでもねえだろ。覚えてるけど、オイル漏れしてるからって、俺、メトロカードとその辺のパテでオイル漏れの箇所を塞いだんだよな。そういう車だった。でも俺にとっては、ちゃんと走る車よりメルセデスを持ってることのほうが重要だった。だからもうその頃から、俺はただ眺めてるだけの立場を脱出して、上を目指そうとしてたんだ。

服と車をつなげて考えるようになったのはいつ?

昔から一緒くたにしてたと思う。俺はすごい野望を持ってた。カー デザイナー兼ファッション デザイナーになってやる、世界をデザインするんだっていう。そういうことが目の前で起きてたからだけど。Eddie BauerがフォードからEddie Bauer Expeditionを出したり、Coachがレクサスとコラボしたり。「俺だってやれる」って思ってさ。

前回のキングズ シアターでのショーを見たんだけど、世界をデザインする試みについてあなたが言うのは面白いね。あなたがやってるのはコミュニティを作ることだから。

やっと自分の肩書がわかったんだ。俺はフリー スタイル アーティストなんだよ。ただ俺の得意なことは、人を集めることだ。自分が好きで楽しんでること、つまりファッションや音楽、車の周りに人を結集させる。

初めの頃に加わった車コミュニティから得たものはある?あなたが今、作り上げようとしてるコミュニティの原型はそこにあるんだろうか?

俺がよく顔出してたカー クラブは、ストリートギャングのクリップスとブラッズの連中とヤクの売人ばっかりだったよ。車の周りに集まるときは、話すのは車のことだけでね。ライバル同士のギャングが集まることもある。それもタフな連中がね。俺は車のことをわきまえてる限り、奴らが守ってくれると思ってたし、バカな質問はしなかった。

安心してたわけだ。

今も安心感はあるよ。今でもカー クラブの連中といるときは安心する。誰も俺の仕事のことを訊かないからな。ずっと、このふたつの世界を合体させることには不安があってさ。俺が正気を保ってきたのはこれのおかげだから。これのおかげで俺は生きてるんだよ。それ以外のいろんなことで、キレる寸前までいってもな。他でいろいろあって、マジで鬱になって、自傷みたいなマネをするまで参っても、こいつのおかげで、早く週末が来ねえかなって楽しみにしてこられた。

車のカルチャーは、男らしさに対して見方が固定してる傾向にあるよね。たとえば、ミュージック ビデオを見れば、要は、車、女の子、車の上に乗っかって踊る女の子、そればっかりだ。

そういうのは車マニアじゃないよ。俺の経験から言うと、車のカルチャーは俺にとっての男らしさを再定義してくれた。

どういうふうに?

ファミリーを再定義したというかね。まず、俺のカー クラブには、すげえ貧乏な奴らがいるんだ。たったひとつ車だけを大事にしてるみたいな。一方で億万長者もいる。文字通りの億万長者だぜ。でも車の世界じゃ、みんなが平等。まったく同じなんだよ。派手に目立ちたくて車を買う奴もいるが、そいつらはカー クラブの仲間じゃない。目立ちたがり文化のメンバーだ。俺たちは、はっきりとした生きがいみたいなものを話題にする。ある特定の時代に作られたパーツをさんざん手を尽くして探してる、とか、ある車の排気音をどうしても聴きたいとか…。

排気音か。それはすごいな…。

あんたの推しは英国製のレーシング カーか、イタリア製のレーシング カーか、フランス製のレーシング カーか、それとも日本製のレーシング カーか。乗り心地よりスピード重視か、とかさ。友達がつい最近、フェラーリ250を買ったんだ。ホイールベースが短い、アルミボディのRossaをね。オークションで1200万ドルだ。で、見に来いって誘われた。けど他の誰かが、中古車サイトの「Bring A Trailer」でその車を25000ドルで見つけたって言っても、みんなで見に集まったと思うよ。そいうのに上も下もないんだ。仲間には、俺が買えるような車を買えない奴らもいるけど、俺はそいつらを尊敬してる。なにせ、俺の車なんか目じゃない、ターボ エンジンを搭載した日本製のレーシング カーを組み立ててきた連中だから。ところでさ、俺のガレージには今、世界最速クラスの車があるんだ。

なんて車?

マクラーレン720S。

へえ。

世界最速級を3台だぜ。ウィキペディアのリストで、トップ10の中の3台。

着用アイテム:(Pyer Moss)

何台、車を持ってる?

今?

そう。

その話はしたくないな。

10台以上?

いや、10台はいかない。この頃は、安全面が気になるし。

なかなか手に入らない車とか、気になって仕方がない車はある?

どうしても手に入れたい車を1台挙げるなら、ブガッティEB 110だ。1992年式のブガッティ。ちょうどアメリカにも輸入が始まったところだよ。

なぜその車なんだろう?どんな主張がある車なの?

俺の人生で見た中で、一番美しいマシンだね。手に入れるべきなのに誰も気づいてない芸術品ってとこかな。ラッパーたちに見つかったらヤバい。

こう話してると、あなたは車マニアとラッパーの車好きをきっちり分けてるね…。

思うにラップやロックの連中、つまりセレブの車好きは、見せびらかす手段として車を買うとことが多い。ジェイ・レノ(Jay Leno)とジェリー・サインフェルド(Jerry Seinfeld)は別だけど。ああいう連中の歪んだ男らしさはそこに結びついてる。俺の場合、自信が車に結びついてたことは一度もない。俺の自信は、人とどう付き合うかが問題だから、俺のこの世での価値が所有物に縛られることはない。

いいね。

俺の車への愛とか、インダストリアルデザインへの愛はほんとに愛なんだ。情熱ってやつ。自分が愛するものを探すことと、他人に好かれそうなものを探すことの違いだよ。だってそいつらはあんたの金を勘定するのに夢中なだけなんだぜ。

あなたは自分の車をネットに投稿したりは全然しないね。そういう一面は自分だけのものにしておきたいから?

だんだん、自分がどうやら有名人らしいことに気づいてきたんだ。それって無茶苦茶怖いんだよ。考えすぎかもしれないけど、1000ドルのために人を殺す人間もいるって知ってるからな。俺たちの住んでる世間では、車を持ってることがステータス シンボルだと見なされる。それに、好きで入れ込んでるのに、金があることを嫌味たらしく見せつけてるんだと誤解されて、敵を作ることもある。そういうのに近づかないようにしてるんだよ。

この文化で黒人でいる限り、文化的なコンテキストと無縁ではいられない。音楽や映画もそうだし、人々がリアルに生きる現実もそうだ。警察に車を停められて刑務所で死んだサンドラ・ブランド(Sandra Bland)みたいに…。

俺も車に乗ってるときに、いちばん身の危険を感じる。

その二重性も指摘したかったんだ。あなたに最も安心感を与えるものが、同時に不安の原因にもなりうる。しかも命を奪う可能性をも秘めている。

こないだ、バーリン(Berlin)と一緒に、警察に停められたよ。バーリンは俺の親友で、Pyer Mossで働いてるんだけどね。停車させられて、警官が車を見せろって言ってきてさ。言っちゃうけど、その警官が車に近づいてくる3分前から俺は震えあがってた。俺は警察にびくつきながら生きてる。ありとあらゆるレーダー探知機やら、とにかく何でもかんでも車につけてるけど、それは俺がイカレてるからじゃなくて、奴らがどこにいるのか知りたいだけなんだ。ずっとそんな感じだな。

それなのに、興味は失せない?

職質に悩まされるのはもう嫌だと思う時もあるよ。年がら年中、警察の脅しを相手にするのは嫌だってね。Uberを呼べばいいんだよな。けど、誰かが車を運転してるのを見ると「クソ、あのクルマいいなあ」って思っちゃうんだ。こいつをどうしてもやめられない。それに、育った場所に俺をつなぎとめてくれるし。

つなぎとめるって、どんなふうに?

俺はこういうファッションとか、ハリウッドとか、音楽界とかの人間ばっかりとずっと一緒にいる。そいつらは現実がどんなものか、実感がなくなってる。何が起きてるかすら知らないし、地に足がついてない。現実の人間につながってない。俺はさ、家族とのつながりを別にして、これがあるからファンタジーじゃない世の中で起きてることを意識できるんだ。俺たちはおとぎの国に住んでるんだよ。服はタダだし、飛行機はビジネスクラスだし。それだと何にも気づかない。何を知ってる? 何も知らねえよ。すげえ浮世離れしてるからさ。俺だって浮世離れしまくってる。

そうだね。

俺の仕事の根っこは人だ。俺は置かれた環境の産物になるつもりはない。どんなに豪華で贅沢でもね。それは仕事が本当に大切だからだ。Pyer Mossが存在しなくなったら、大勢の人間も消える。心のどこかでは、ストリートを懐かしく思ったりもするよ。俺たちはこのスカしたキャンドル野郎だらけの世界にどっぷり浸かっちまってる。あのヒリヒリした度胸勝負の世界が忘れられないんだ。どうしてもね。

Pyer Mossは黒人デザイナーが率いる他のブランドとは違う何かを象徴してる。FUBUやPhat Farm、Sean Johnの系譜を直接継いでいると言ってもいい。文化的影響力、そしてああやって人々が黒人としての誇りを持ってあなたの服を着てるところを見ると、Pyer Mossを着るとき、人はそこにある種の政治力学が存在することに気づいてる。

[Pyer Mossを]着ることは「俺は馬鹿じゃない」って言うのと同じなんだ。

着用アイテム:シャツ(Greg Lauren)

CFDAの授賞式の発言が話題になったよね。「俺は、自分がショーをやりたいときにショーを開く。俺がショーをやりたい条件でショーを開く」って。

全部、俺たちが考えてきた、やろうと思ってきたことだ。

ティーンエイジャーの子どもからウェンディ・ウィリアムズ、クリス・ポール、トレイシー・エリス・ロス、リアーナまで、みんながあなたの服を着てる。それはヒエラルキーの崩壊だ。そのことは何かを物語ってる。

生き延びるために、とかもっと豊かになろうとしてやってきたことだったら、こういう話に入れてもらえないのか? Pyer Mossはその妥協点なんだけどな。

あなたが何か発言すると、「カービーは政治的アーティストだ」とか「カービーは急進的だ」とか言われる。あなたが何か表明しても、僕はそれを必ずしも積極行動主義だとは思わないけど。

世間に向かって真実を進んで話すのは俺だけ? そこが問題だ。

車は完璧なメタファーだね。自由を求める不屈の精神は、車のハンドルを握る黒人の男そのものだ。

簡単に言えば、俺たちが何を楽しもうが、それで俺たちは命を落とすかもしれないってことだ。愛し続けるのか、それとも生き続けようとするのか。その中間で駆け引きする。実際、アメリカで黒人であることは、要はそういうことなんだと思う。バーには行きたいが、煙草の煙を吸うところには入りたくない。車に乗って遠くにドライブに行きたいが、いつも危険にさらされている。ハンドルを握ることほど、その現状を端的に示す体験はない。

Antwaun Sargentは、ニューヨーク在住の批評家でありキュレーターである。『ニューヨークタイムズ』紙に寄稿するほか、最近、著作『The New Black Vanguard: Photography between Art and Fashion』が、Aperture社から出版された。また第1回目の「Paris Photo New York」や巡回展「Young, Gifted and Black」の共同キュレーターを務める

  • 写真: Shaniqwa Jarvis
  • インタビュー: Antwaun Sargent
  • スタイリング: Eric Mcneal
  • ヘア: Nigella Miller
  • ヘア&メイクアップ: Shideh Kafei
  • 撮影場所: Cloud 9 Exotics
  • 制作: Mella Re
  • 翻訳: Atsuko Saisho
  • Date: May 26, 2020