ハイド & シーク:スリップ ドレスのすべて

見られることを求める衣類の過去、現在、リアーナをヘイリー・ムロテックが探究する

    夏が近づいていた頃、友人と私は春のあいだずっと堪能していた行為に名前を付けることにした。考えた名前は「責任ある快楽主義」。私としては「良識ある贅沢」の響きのほうが好きだったけど...。正しい食事をする、沈着冷静を保つ、沈思黙考の時間を確保する。そういう好ましい行動を、健康よりむしろ退廃に近づくところまで極端に突き進める。それが責任ある快楽主義、もしくは良識ある贅沢だ。アイデアを実行へ移す際に常に必要になるのが、それにふさわしい出で立ちだろう。もちろん「責任ある快楽主義」にも。スリップ ドレスの出番だ。

    もっとも基本的な形態のスリップは、ある特徴的な目的を果たす機能アイテムだ。すなわち、スカートやドレスの内側で、サテンやシルクや同様の素材の滑らかなライニングを形成し、身体と衣服の摩擦を取り除く。時と場所により、装いの始まりだったり、身につける最後の衣服だったりする。実用的であり、同時に余分でもある。ほとんどのスカートやドレスでは、必ずしもスリップを着る必要はない。プレタポルテであれ吊るしであれ、現在の既製服はほとんど、追加の手順が要らないようにできている。

    一方のスリップ ドレスは、別の意味で矛盾がある。目につかない下着が基本でありながら、見られることを意図する。他のどんな種類のドレスより、スリップ ドレスは女性を形作る。露出しないが、隠さず見せる。スリップ ドレスは、着る人にとっても見る人にとっても、何も隠すことはない、ということを意味するようになった。

    メトロポリタン美術館コスチューム協会は、1993年、ファッションにおけるランジェリーの歴史と慣習をテーマとした「インフラ アパレル」展を開催した。それによると、スリップとスリップ ドレスの違いが明白になったのは1783年のことだ。展示と同名のカタログで、キュレーターのリチャード・ハリソン・マーチン(Richard Harrison Martin)とハロルド・コダ(Harold Koda)は、人前で着るにふさわしい美しく品のある衣服としてスリップ ドレスが登場した初の実例は、エリザベート・ヴィジェールブラン(Élisabeth Vigée-Lebrun)作とされるマリー・アントワネットの肖像画だと記している。肖像画のマリーは、頬を赤らめ、バラのつぼみのような唇をしている。ラッフルをほどこして膨らませ、何箇所かを絞った7分袖の白いドレスは、現代の基準からすれば念入りに装飾されている。マーチンとコダの言葉を借りるなら、王妃のシュミーズは、人間の体は自由で心地よく開放的であるべきだと提唱したルソーの自然主義理論、そして民主主義と公正を標榜するギリシャ-ローマの原理を実践した「あの時代の表示行為」だった。

    ソフィア・コッポラ(Sofia Coppola)が監督し、キルスティン・ダンスト(Kirsten Dunst)が若き王妃を演じた『マリー・アントワネット』では、生まれながらの気品と天真爛漫が相まって可愛らしく優雅な王妃が「お庭で着られる、シンプルでナチュラルな」洋服が欲しいと、仕立て屋にスリップ ドレスを注文する場面がある。その後に続くシーンでは、王妃と幼い娘が揃いのシュミーズを着て、草地で子羊にタンポポを食べさせ、友人たちにルソーの著作を読み聞かせる。王妃の着ているものがランジェリーだったという事実は変わらない。ただ、王妃によって、ランジェリーを取り巻く状況は変わった。

    それと似た作品には、Calvin Kleinのブラック スリップがある。ヒップのすぐ上で身頃を二分し、シアなチュールのダイアモンド型パネルをレースで縁取りしたシュミーズ スタイルだ。あるいは、Stella McCartneyのブラック オフィーリア ウィスリング ナイトガウン。シアな花柄のレースを使ったビスチェ風のボディスが、本来隠すべきものに注意を引きつける。2011年に発表されたベルトラン・ボネロ監督作『メゾン ある娼館の記憶』のコスチュームを連想させる作品だ。世紀末前後の優美な娼館の薄暗く豪勢な部屋で、暮らし、働き、眠った娼婦たち。彼女たちが着ていたスリップ ドレスは、眠るためであり、寛ぐためであり、性行為を誘うためだった。つまり、見られることが前提だった。

    1920年代のドロップウェスト ドレスは、スリップ ドレスに負うところが大きい。20世紀初頭にフォルトゥーニ(Fortuny)がデザインしたティー ドレスやデルフォス ガウンと共通する点が多いが、規則に縛られた窮屈な宮殿で開放を求めたマリー・アントワネットと同じく、コンセプトは「自由」だった。当時フラッパーと呼ばれた女性たちは、自由な動きを妨げる窮屈な服に邪魔されずに、ダンスしたり飲んだりすることを望んだ。1930年代にジーン・ハーロウが好んだシャンペン カラーのバイアスカット スリップ ドレスには、明らかにヴィオネ(Vionnet)のクチュール コレクションが影響している。

    だがその後数十年間のスリップ ドレスは、主として、保護の役割を果たすアイテムとして認識されてきた。コルセットと違って体型を強制したり特定の状況を作り出すことはなかったが、その両方を微妙に暗示する効果があった。例えば、Kiki de Montparnasseのブラック ジャージ スリップ ドレスは、ネックラインが力強い曲線を描いている。スリップを必要とするミディ丈のドレスやスカートの内側で、控えめながら主張する存在だ。

    テネシー・ウィリアムズ(Tennessee Williams)の戯曲『熱いトタン屋根の猫』を脚色した1958年の映画で、エリザベス・テイラー(Elizabeth Taylor)演じる主人公マギーが着ていたスリップを思い出す。あの映画では、服を着ない姿で様々な状況が繰り広げられるシーンが、とても多かった。主なコスチュームは、白い半袖のシャツとタン カラーのペンシル スカートに赤いベルト、そして後半に登場する無垢な純白のパーティ ドレスの2点だが、ふたつを結びつけているのは内側の白いレース使いのスリップだ。ポール・ニューマン(Paul Newman)演じる夫のブリックと口論するときも、そのスリップ姿だ。見せかけの下に潜んでいるもの、誰もが存在を知っていながら話すことを拒絶するものが頭から離れなかったマギーにとって、スリップは完璧なコスチュームだ。深まる憂鬱の本当の理由を打ち明けるよう夫に迫るのと同じように、マギーはスリップを服の下に隠す気は毛頭ない。

    それから10年と少しが過ぎた1969年の1月、『Nova』マガジンは「あなたは何を隠そうとしているのか?」と題したエディトリアルを掲載した。1965~1975年の10年の出版期間に、『Nova』はスーザン・ソンタグ(Susan Sontag)のエッセイとヘルムート・ニュートン(Helmut Newton)の写真を紹介し、「政治的に過激で、デザイン的に美しい、知的女性のための雑誌」と形容された。焦点は、ファッションとしてのアンダーウェア、見せるために着るアンダーウェアのコンセプトを提唱することだった。写真と文は共に、「下着は見えないもの」と思ってはいけない、「見えても構わない下着を選ぶ」べきだと主張した。そして、クレジットに庶民的なウールワースの商品を明記して、状況さえ正しければ、実用的な商品を売る店で買ったシンプルな製品でさえ、スパゲッティ ストラップのセクシーなランジェリーになれることを示した。



    1983年のブライアン・デ・パルマ(Brian de Palma)監督作『スカーフェイス』でミシェル・ファイファー(Michelle Pfeiffer)が演じたエルビラ・ハンコックには、実用的なところはまったくない。だが、エルビラというキャラクターが自分の論理を持ち合わせていないわけではない。アル・パチーノ(Al Pacino)扮するトニー・モンタナに、商売物のブツでハイになっちゃ絶対駄目と言うときの台詞は、素晴らしい台詞が満載のこの映画の中でも、多分最高だ。(少なくとも、私のお気に入りのセリフだ。)コカイン中毒のせいでエルビラの体と声は細かく震えているため、鬱屈した倦怠を感じているときでも、微光を発しているように見える。どこへ行ってもほぼ間違いなくいちばん美しい女性、絶対のベスト ドレッサーなのに、実のところ、エルビラはほとんど何も着ていない。無言のうちに「そんなことは卒業したの」と告げてるように...。コスチューム デザインを担当したパトリシア・ノリス(Patricia Norris)は、スリップ ドレスで、エルビラというキャラクターを象徴した。ストラップとボディスにビーズをつけた鮮やかなエメラルド グリーンのドレスで現れる最初のシーンは、美しい宝石にちなんで名付けられた色にぴったりだと思う。Sies Marjanのピンク キット ドレスは、 日が暮れた後のマイアミにふさわしい鮮やかなピンクで、結晶のような同じ輝きを放つ。

    家にいるときのエルビラは、クリスタル グラスに入った琥珀色のアルコールにマッチしたシルキーなキャミソールとローブで、化粧台のあいだを行ったり来たりしている。私は、Fleur du Malのブラック プランジ バイアス スリップ ドレスを着た彼女を、まざまざと想像できる。だが、エルビラとマギーのスリップ ドレスは両極だ。エルビラは完全にトニーを避けて、結婚した後ですらトニーは彼女を本当に知ることはできない。同じように、彼女のスリップ ドレスは、裸同様にはなれても決して何も手渡さないことを伝えている。

    1990年代になると、スリップ ドレスの可能性は頂点を迎えた。長い過去に意味を積み重ねてきたスリップ ドレスは、90年代のアイコンたちに選ばれ、未来を与えられた。大晦日にアリゾナ州フェニックスで封切られた『ため息つかせて』は、希望と喪失をスリップ ドレスで表現している。サテンのダークブラウンの長いスリップ ドレスを着てブラインド デートに向かうサバンナ(ホイットニー・ヒューストン/ Whitney Houston)は、まだ見ぬデート相手に警戒しつつも楽観的だ。ヘアはアップ。長いイヤリングの細いストリングが肩に触れるあたりに、視線が吸い寄せられる。だが、今回の相手も失望だと分かるやいなや、サバンナは躊躇することなくその場を立ち去る。

    仲良しの友達と電話でお喋りするとき、外出の支度をするとき...全編を通じて、スリップ ドレスが登場する。だが、映画がブレイクした理由、永遠に残るスリップのイメージを作ったのは、通称バーニーことバーナディン(アンジェラ・バセット / Angela Bassett)だ。映画は化粧台の前にいるバーニーの姿で始まる。ローラーを髪に巻いて、行きたくないパーティへ行くために、半ば投げやりにメイクアップ中だ。着ているスリップ ドレスはパーティー ドレスの下着だ。そこへ夫が入ってきて、パーティには連れて行かない、代わりに彼女と別れて一緒になる予定の女を連れて行くと告げられたとき、バーニーは先ず唖然とし、激怒し、大きなショックを受ける。翌朝は、コーヒーを入れるだけでも永遠の時間がかかる。あらゆる動きがのろく慎重だ。だが突然、彼女の中でカチリと焦点が合う。昨晩のスリップ ドレスのまま、バーニーは夫の衣装戸棚の中身を全部持ち出し、夫の車に突っ込んで、ガソリンをぶちまけ、一服してから火を放つ。スリップ ドレスの上に服を着て立ち去るバーニーの背後で燃え盛る車。90年代の映画の中で、今でも忘れられないシーンのひとつだ。バーニーのコスチュームは、愛する夫の秘密を引きずり出そうとしたマギーと、憎んでいる夫に隠し事をしているエルビラの中間だ。バーニーがもっと聡明かつ悲しい女性として、100%自分自身としての人生を歩み始める前、最後に着ていたのがスリップ ドレスだった。

    同じ年、コートニー・ラブ(Courtney Love)は、クリーム カラーのサテンのスリップ ドレスで『ヴァニティ フェア』誌主催のオスカー パーティへ出席した。流れるようなスタイルを愛した往年の女優ジーン・ハーロウの魅力を参考にしたはずだが、ラブが着ると、まさにグランジ スタイルの化身だった。スリップ ドレスは同じ程度に上品にもショッキングにもなれることを理解していたラブは、両方の要素を取り入れた。ベビードール フィットのスリップ ドレスにティアラのアクセサリー、そしてはみ出してこすれたような口紅は、ごっこ遊びをしている子供のようだった。

    スリップ ドレスは、その時代を象徴する女性を最も引き立てるアイテムだ。スリップ ドレスを着たドリュー・バリモア(Drew Barrymore)は、耳の後にデイジーの花を挟んでいた。 ウィノナ・ライダー(Winona Ryder)は、クラッシュ ベルベットで仕立てた夜の空のようなダーク パープルのドレスで、レッド カーペットを歩いた。ケイト・モス(Kate Moss)が1993年に着たスリップ ドレスはまるっきりシアで、その下につけていたたった1枚のシンプルなブラックの下着が丸見えだった。あのドレスの素材は、透明なシルバーとしか分からない。もしかしたら、サラン ラップだったかも...

    グウィネス・パルトロー(Gwyneth Paltrow)のスリップ ドレスは、ストレートなネックと飾り気のないスティレット風ストラップで、Calvin KleinやHelmut Langの時代の徹底したミニマリズムを象徴していた。90年代末には、サラ・ミシェル・ゲラー(Sarah Michelle Gellar)がキャスリンを演じた『クルーエル インテンションズ』がある。多感だった13歳の私が、『危険な関係』を若者の世界に置き換えたこの映画を劇場で観たなんて、いまだに信じられない。キャスリンは、感情的な残酷さと性的な策略を趣味にしている、甘やかされた金持ちのティーンエイジャーだ。そうできるからという理由だけで、チャンスさえあれば必ず、服の下に着ている高価なランジェリーを見せびらかす。1990年代ファッションがリバイバルを繰り返す中、スリップ ドレスとスリップ ドレスを着た女性やキャラクターは、ファッション デザイナーとTumblrやInstagramのアーカイブ アカウントへイメージをポストするファンが、頻繁に振り返る参照元だ。過去には、Nomiaがパルトローのと似てなくもない、シンプルなホワイトのスリップ ドレスを作った。Priscaveraのシアなライニングを施したメタリックなスリップ ドレスが、モスを思い出させたシーズンもあった。

    スリップ ドレスは社交界の階段を上り続けた。そしてついに、キャロリン・べセット・ケネディ(Carolyn Bessette Kennedy)が、ウェディング ドレスとしてNarciso Rodriguezデザインのスリップ ドレスを着るにいたった。ニューヨーク社交界のプリンセスと目される女性たちよりさらに高位のプリンセス・ダイアナは、1996年、Diorに敬意を表して開催されたコスチューム協会のガラに、ブラックのレースでトリムした完璧すぎるほどロイヤル ブルーのChristian Diorのスリップ ドレスで現れた。ふたりとも、Carvenのブラック スキャロップ ドレスを見たら、きっと気に入っていただろう。フロントは波打ちながら両肩に向けて上向きのラインを描き、バックは肩甲骨の下まで深く切れ込んで、中央のシームに接吻する。どんな高貴な女性にもふさわしいエレガントな一品だ。

    現代の王族リアーナ(Rihanna)は、プライベート ウェアのコレクションに、女王の身代金もかくやと思われるほど多くのスリップ ドレスを所有している。昼夜を問わず、外へ出るときに何を着ればいいか、十分に理解している女性だ。リアーナに関する素晴らしい事実は、TwitterのスレッドでMTVニュースのジョシュア・エドワーズ(Joshua Edwards)が称賛しているように、片手にワイン グラスを持ったままレストランから出てくるところを、度々写真に撮られていることだ。赤いベルベットのスリップ ドレスを着ていたときには、手にしたレッド ワインとほぼ完璧なカラー コーディネーションだった。私が好きだったのは、光沢のあるブロンズゴールドのスリップ ドレスだ。その上に薄くライニングされた白い毛皮のジャケット、シルバーのサンダル、ネイビーブルーのベースボール キャップ。ティーンの私が読んでいた雑誌は、そういうスタイルを「適当に着ただけ」スタイルと分類していた。まるで無頓着や軽率がスタイルの究極のしるしみたいだが、実際によくよく考えてみれば、逆説的にそのとおりだ。快楽主義の責任ある形態とよく似て、満足できない一連の選択を注意深く続けると、退廃へ近づく。

    メル・オッテンバーグ(Mel Ottenberg)がスタイリングしたリアーナは、全体的にもっとまとまりがある。シワ加工シルクのジャケット、裾にラッフルをほどこしただけのシンプルな足首丈のスリップ ドレス、細いストラップの華奢なサンダル。一生懸命に目を凝らすと、マニキュアも含めて、全部がピュアな液状のメタルを思わせる色調で統一されている。かつてリアーナは『ヴォーグ』誌にこう語った。「トップスを着るときはブラをつけないの。ブラをつけるときは、ブラだけを着るの」。リアーナには、上着と下着の区別はない。常に「オール オア ナッシング」のスタイルだ。わたしとしては、そんな女王のような在り方にただ憧れるばかりだ。

    最終的に、スリップ ドレスは、矛盾よりも複雑さを体現するアイテムとなった。実用的なアンダーレイヤーか贅沢なスタイルかという、どちらか片方の目的を犠牲にするのではなく、着る人次第で、いずれにもなりうるのだ。

    新しく学んだ信念にもっともふさわしいウェアを探しに出かけたとき、何年か前にブラックのスリップ ドレスを買ったことを思い出した。シルクの2枚重ねで、それぞれはシアだけど、重ねるとオパークになる。確か、服を着るという動作に対する私の怠惰な傾向を宥めるために買ったのだった。朝は1度両腕を上げるだけ、夜は足を抜き出すだけで、外出着になる1枚。だがおそらく、のんびりした余暇の活動みたいに単純なことを過剰に複雑にするのが好きなのと同じ理由で、私はスリップ ドレスを完璧にしようとする考えに憑り付かれていた。ちょっと長すぎるから、短くする必要があった。近所で何回か着た後は、ウェストが大きすぎる気がしたから、詰めてもらった。長さではなく形をきちんとお直ししてもらったのは、このスリップ ドレスが初めてだった。ストラップの長さは好みに応じて調整できたので、そのとおりにした。まるで気分を示す温度計みたいに、どこまで胸元を下げられるか、長くしたり短くしたり。たった1枚のドレスに費やした過去のそんな準備は、今振り返ると、完璧すぎた。夏もはるかに過ぎて見れば、私は機会の許す限り頻繁にスリップを着たことに気付く。1週間に2度か3度。もっと多いこともあった。私にはごくわずかしか要求しないのに、私のためにとても多くをしてくれるドレスは、他になかった。だからスリップ ドレスを着るのは当然だった。だけど、着たときは必ず贅沢な気分になった。

    ヘイリー・ムロテックは、ブルックリンを拠点として活動しているライター。「ニューヨーク・タイムズ・マガジン」「ニューヨーカー」「n+1」「リンガー」などで記事を執筆している

    • 文: Haley Mlotek