藤原ヒロシ、歩くインターネット
ティファニー・ゴドイが ストリートウェアのゴッドファザーと 東京で対話する
- インタビュー: Tiffany Godoy
- 写真: 蓮井元彦



藤原ヒロシを、人はストリートウェアのゴッドファザーと呼ぶ。彼が首を縦に振れば、Supremeも嫉妬するほどの行列ができる。過去の肩書は列挙にいとまがない。だからここでは、単にルネサンス的教養人/救世主と呼ぶことにしよう。
藤原ヒロシは、日本で最も神聖とされる神社、伊勢神宮から目と鼻の先のところで生を受けた。伊勢が辺鄙な田舎であるために、我らのヒーローがそこで退屈し、刺激を求めて地平線へ目を向け始めたことに、私たちは感謝すべきだろう。当時は、パンクロックが花盛り。状況が許すやいなや、彼はロンドンへと向かう。痩せた男の子が、おそらくマルコム・マクラーレン(Malcolm McLaren)といっしょに写っている、1983年頃の写真がある。厳格なルールとビジネスが最優先する国からやって来たヒロシは、違う種類の活力に飢えていた。そこで、ふたつの島国を往来しながら、カルチャーのパイプ役を務める開拓者になった。彼はロンドンからマンハッタンへ、そして東京へと、文化を運ぶインターネットの化身だった。日本にある上下関係のしきたりを回避して、若者文化のアナーキーを喚起した。メディアに携わった。先ず、熱狂的な読者が貪るように読んだ「ポパイ」誌上の伝説的コラム、次に、Honeyee.com(「ハニカム」と発音)などの流行発信サイトの立ち上げ。ミュージシャンでもある。90年代にはTiny Panxというヒップホップ グループを結成し、実際、日本におけるヒップホップ人気の拡大に一役買ったDJのひとりでもあった。最近ではエリック・クラプトン(Eric Clapton)のギターをデザインしたし、自分で演奏することもある。さらに、一流のデザイナーたちにインスピレーションを与えてきた。A Bathing Apeの創設者であるニゴーは、「2号」という意味のニックネーム。もちろん「1号」はヒロシだ。後にUndercoverを設立する若き日の高橋盾(ジョニオ)とは、行動を共にすることも多かった。GoodenoughやUniform Experimentなど、自身のブランドを設立する一方、Levi’s、Burton、Starbucksとの共同プロジェクトも手掛けた。このような尽きることのない創造への衝動と本能的な成功志向があればこそ、NikeのCEOマーク・パーカー(Mark Parker)のデバイスには、我らがスタイル シャーマンの短縮ダイアルが登録されているわけだ。おっと、うっかりHTMを忘れるところだった。ヒロシ、パーカー、そして伝説のデザイナー、ティンカー・ハットフィールド(Tinker Hatfield)による、現在進行中の超限定スニーカーコラボレーションである。もしヒロシが他の道を辿っていたら、2016年のストリートウェアは著しく異なっていた。そう言っても過言ではない。
現在、ヒロシは発信モードだ。彼の会社Fragmentは、キム・ジョーンズ(Kim Jones)との共同プロジェクト第二弾をLouis Vuittonで発表するところ。ヒロシは、彼と彼の友人の世界で好まれるものについて書く、半日記的デジタルマガジン「Ring of Colour」を監修している。3月にThe Poolを閉店した後は、トーストだけを出すカフェを併設した期間限定のブティックThe Parkingに取りかかった。The Parkingは、嘘偽りなくアンダーグラウンド、一等地銀座にあるソニービルの地下3階分を占める。私がヒロシを訪れた時、The Parkingでは真夜中のフリーマーケット「DAWN OF CULTURE GARAGE 3」を準備中だった。Vanquishの石川涼、N. Hoolywoodの尾花大輔、Neighborhoodの滝沢伸介など、親友がガレージセール式に自分たちのグッズを売りさばく。上下関係を覆す重要性から、現在熱中している実験的な食事、夢のプロジェクトまで、私はヒロシと語り合った。あらゆるジャンルや文化の縦横を往来する藤原ヒロシは、どのような形態であれ、反逆と革新への敬意にもっとも高揚する。
ティファニー・ゴドイ(Tiffany Godoy)
藤原ヒロシ


僕に言わせると、ポップ カルチャーは90年代に死んだ
ティファニー・ゴドイ:私たちがいる、この場所を説明してくれますか? 今日、何が起こっているんですか?
藤原ヒロシ:The Parking、銀座の駐車場の中です。今は、今夜12時にオープンするマーケットのために模様替えをしてるところです。
The Parkingを始めたきっかけは?
古いプールの跡地でThe Poolという店をやってたんだけど、そこを閉めることになったんです。それで、ある晩、自分のラジオ番組で「実は、もうひとつやりたいのがモーター プール(駐車場)」って喋ったら、ソニーの人がそれを聞いてて、電話をくれたんです。僕が使えるスペースがあるって。それがここ、モータープールの中の店。このビルは来年取り壊すことになっているから、期間限定です。まあ、何にでも制限はありますけどね。
Goodenoughを別にすれば、あなたやあなたの会社のFragment Designは、今までほぼコラボレーション プロジェクトだけをやってきましたね。そういうスタイルを選んだのはどうしてですか? ニゴーさんやジョニオさんは、会社を設立して製品をプロデュースしていますが……。
リスクを冒したくなかったから。だから、プロダクションにはまったくタッチしないことに決めたんです。UndercoverやNeighborhoodへ行って、デザインして、パーセンテージを受け取るだけ。
上手いやり方ですね!
そう。自分でもそう思った。だから、始めてからもう20年以上、僕の会社はたった3人だけの、ほんとに小さな会社です。
でも、The Poolは実店舗でしたから、責任がありましたよね。
あれも同じようなアイデアで、それほど責任はありませんでした。日本のアパレル会社のJun Co.からプールのスペースを見せられたんです。そこで何かをやりたいということだったから、「これはいい」って応えた。僕は何も所有しない。UndercoverやNeighborhoodでやっているのと同じやり方です。
外側から見ていると、物理的な店舗やそういう店舗のブランド作りに、けっこう力を注いでいるように見えます。アイデアとかソフトウェアとは対極の、かなりハードウェア的仕事ですよね。自分でもそう感じますか? もっと力を注ぎたい対象がありますか?
まあ、少しはね。フランスとかニューヨークへ行くと、古い建物の中に良いお店がたくさんありますよね。古い薬局やカフェや銀行なんかが、今はスニーカー ショップになってる。でも、日本にはそういうのがない。古くなった建物はいつも取り壊してしまうから、建物はどれも新しいんです。使える古いビルがないか、ずっと探してたら、Junがあのプールを見付けてきた。完璧でした。
どうしてそんなに古い東京に興味があるんですか? プールがあった古いマンションとか、レトロなソニー ビルとか。
古い東京だけに興味があるわけじゃないんです。さっき言ったように、世界のどこへ行っても、古いものの中へ何か新しいものが入ってるのがとても好きなんです。東京にないことだから。日本へ来る外国旅行者からすると、片山正通さんがやっているみたいに、東京は現代的空間を作るべきだって考えるかもしれない。そういうのが東京のやり方って思うでしょ?
いえ、それってスクラップ・アンド・ビルドですよね? アート集団のChim-Pomが新宿にある取り壊し予定の古いビルで展示会をやったんですけど、スクラップ・アンド・ビルド、繰り返される破壊と再生が全体のテーマでした。1964年の東京のオリンピックがまさにそう。自然災害以外でそうした変容を経験した、東京の歴史上の大きな転換期でした。古いものを排除して未来を迎え入れる、という。
それが一種の東京文化だと思います。だから、ティファニーはスクラップ・アンド・ビルドする日本人たちに目を向けるのかもしれない。でも、僕は世界の日本以外の場所からもっと影響を受けてるから。
どうして東京に来ようと思ったんですか? その後、ロンドンへ行ったのはどうしてですか? どうして日本の外へ目を向けたんですか?
田舎はとても退屈だから。ファッションもないし。特に40年前はね。
どこの出身でしたっけ?
伊勢出身です。伊勢って、どこか知ってますか? いちばん大きくて古い神社があるところ。
もちろん。伊勢神宮ですよね? とてもスピリチュアルです。
伊勢神宮まで、僕の家から歩いて10分位。神社と言えば伊勢神宮だと思って育ったから、他の神社はとても小さく見えます。
日本で最も神聖な場所ですね。
そのとおり。18歳までいて、その後東京へ引っ越しました。友達がいたし、姉の友達も東京のファッション業界にいたから、ずっと東京に来たいと思ってました。
何か作ろうと思っていたんですか?
ファッションか音楽で、何かをやりたかったですね。
田舎では、どうやってファッションや音楽を発見していたんですか?
最初の衝撃は、13歳の時のパンクロックでした。だから、パンクの服を買うために、ロンドンか東京へ行きたかった。13歳でパンク カルチャーを体験できて、本当にラッキーだったと思います。パンクが全てを変えてしまったわけですから。とても影響を受けました。
それで、ロンドンへ行ったのですね。
ロンドンには1982年に行きました。当時はITが皆無だったから、直接行って見るしかなかったんです。ロンドンでは、良い意味で、本当にショックを受けましたね。日本にいると「先輩」「後輩」があって、常に年上の言うことを聞かないといけない。特に高校なんか、先輩の奴隷みたいなもんです。大企業でもそう。そういうのが僕は好きじゃなかった。ロンドンに行ってみたら、みんなが横並びだった。上は大御所デザイナーから、下は学生まで。同じ部屋を共有したり。そういうの分かりますよね? 驚いたし、ショックでした。
ええ、分かります。でも、今では多くの人があなたの後を追いかけて、まさにその日本風のやり方であなたを扱いますよね。まるで神様みたいに。
たとえそうでも、僕は自然に話すように心がけていました。年上にも年下にも同じ言葉で話す。会社のトップのあろうと学生であろうと、僕は同じ会話ができる。両方を結び付けることができます。
あなたは、あなたより年上の日本人が持っていなかった、新しいタイプの情報や経験も持ち込みましたね。
Comme des Garçonsのような当時の有名デザイナーたちは、ヨーロッパに倣っていました。コピーするとか、そういうことじゃなくて。みんなとても優れたデザイナーだけど、とにかくフランスのファッションを模範にしていた。でもストリートウェアは、世界中で同時に発生しつつあったので、日本人は誰も模範にする必要がなかったんです。ちょうど良い時期だと思いました。それが今、料理の世界、食文化で起こっているんです。
フード! どのように?
料理界にはずっとヒエラルキーがありました。でも今の若いシェフはNomaと友達で、みんなが繋がっています。情報をどんどん共有しています。料理でコラボレーションをすることもあります。ストリートファッションにとても似通ってます。
あなたにとっての現在のメディアの重要性について、話してください。今は、以前よりメディアがもっと重要ですか? 「Ring of Colour」、テレビ番組の「Tokyo Calling」、J-Waveのラジオ番組。熱心に取り組んでいるように見えますが。
今はより関わりやすくなっているからね。それほど重要だとは思っていません。
でも、メディアのプラットフォームを持つという点からすると…。
楽しいですよ。「Ring of Colour」は、特に過去についてのメディアです。僕に言わせると、ポップ カルチャーは90年代に死にました。お終い。そう思いません? Massive AttackのCDを聞いたら、それが25年前の作品だとはまったく思わないですよね。でももし90年代に生まれていたら、25年前は1965年になるわけです。完全に別世界ですよ。
前回話したとき、どうして人がいまだに自分の考えに興味を持つのか分からない、と言ってましたね。若い世代が出てきて、何か新しいことを始めるのを待っているのに、って。その気持ちは今も同じですか?
同じですね。特にファッションに関しては、みんなUniqloのようなライフスタイル ファッションへ傾き過ぎです。Uniqloは良いブランドですが、あれはライフスタイル ブランドです。僕はファッション ブランドだとは呼びたくない。ファッションはもっと曖昧なものです。ファッションはもっと心地の良くないものですよ。
若い世代から学んだ、いちばん素晴らしいことは何ですか?
ファッションは、まったく違う時代にいるんだと思います。僕が彼らの年代や13歳だった頃は、パンクやイギリスのファッションが本当に刺激的でした。ジョニー・ロットン(Johnny Rotten)のような格好がしたいと、真剣に思ってました。彼が着ているのと同じTシャツが欲しかった。「そういうものがある?」って自分の生徒に質問してみると、ひとりの女の子が言うには「あります。でもレディ・ガガみたいに生肉を着ることができますか? 私は生肉なんて無理だわ」。もう状況がまったく違うんだな、と思いましたね。たぶん、ポップ アイコンとファッションが同じではないんです。以前、ティファニーに会いに行ったとき、たくさんミュージシャンがいて、それぞれにスタイリストが付いてるのにびっくりしました。ロックバンドにはスタイリストなんていないと思ってたから。
前に話したように、今、東京ではみんなファッションに興味がないみたいです。
日本だけのことかな?
グローバルな動きだと思います。みんな飽きたんですよね。過剰に摂取して、重荷になったんです。
それは良いことかもしれない。僕が若かった頃、ファッションに興味がある人なんてそんなにいなかった。そこから、ファッションはちょっと大きくなり過ぎたのかもしれない。だから今は収縮している。何か変なことを始めるにはちょうど良い時期かもしれないな。
今の世代のクリエイターたちにとって日本のファッションが魅力的なのは、どうしてだと思いますか?
日本人には見る目があるからでしょう。アメリカ人はデニムのような良いものを作るけど、どれほど良いのか評価できない。でも日本人にはちゃんと見る目がある。デニムでもスニーカーでも、日本で生まれたものではなく、他から来たものです。でもそれが優れていることを、日本人は判断できるんです。
今は、何に興味がありますか? 興味の対象は頻繁に変わりますか?
ここ3年間は、ずっと料理に興味を持っています。フード カルチャーです。それが今新しいし、さっきも言ったように、世界の人たちとコミュニケートする方法なんです。アナログなものの最後が料理じゃないかな。自分から移動しないといけないですからね。レストランへ行かなきゃいけない。インターネットではできない。情報だけでは充分ではない。それがいちばんの魅力的です。先週、上海のレストランへ行ったんです。オープンして4年目ですが、僕は今回で3回目。ほんとに刺激的でしたよ。Ultravioletという名前なんですが、コンセプト自体がクレイジーなんです。どこにあるのか、誰も知らない。待ち合わせ場所へ行って、そこから車を走らせるんです。貧民街を抜ける。そしたらドアがあって、自分でそのドアを開けなきゃいけない。中へ入ると、10人座れるくらいのテーブルがある。そこからディナーが始まります。基本的に、白いスタジオに白いテーブルです。全体がプロジェクションマッピングされてて、コース毎に、違う光景が映写されます。匂いも違うし、温度まで変わるんです。例えば、マグロのステーキが出てきたら、部屋全体が築地の魚市場になるんです。ディズニーランドみたいで、クレイジーです。一度、行った方がいいですよ。
ヒップホップとファッションの関係についてはどう思いますか? ヒップホップのスターたちが着るもののほうがデザイナーの作るものより影響があって、一番大きな影響力になっていますね。
一種、ポップスターのやり口ですね。でも、ポップスターは、ピックアップするだけで、何も作ってない。ヒップホップも同じです。カニエ(Kanye)は服を作っているかもしれないけど、みんなが興味を持っているのは彼が買っている商品。
まさにそう。でも、それはあなたに対しても同じですね。あなたの最終的なプロジェクトは何ですか?
ホテルのワン フロアーかな。高級ホテルの中の一階分。ホテル全部をプロデュースするのは無理だから。
どうしてホテルなんですか?
よく泊まる場所だから(笑)。それが今思い浮かぶ、いちばん大きなプロジェクトですね。
どうすれば、カルチャーで社会を揺り動かすことができるのでしょうか? どうすれば、文化的地震を起こして、社会に変化をもたらせるのでしょうか? 文化的な革命を再起動する鍵があると思いますか?
反乱や飢餓があれば、必ずそうなるでしょうね。日本では、原発その他のことで国民が政府に反対していますが、実際は至って平和に暮らしています。つまり、それほど怒りがないということです。「世の中を変えたい」と口にはするけど、じゃあどうやって変えるのか? ここはパラダイスですからね。
それはメディアだ、という答を予想していました。
メディアなんて弱いもんですよ。
メディアは至るところに普及しています。膨大な可能性もあります。でも、意見を発信する人は多くない。でも、だからこそあなたは今メディアを使っているのかと思ってました。何かを変えるために。
何かを変えようなんて、思ってないですよ(笑)。僕は、あれこれコントロールしたい人間じゃない。大企業のボスにはなりたくありません。自由が必要なんです。




何か変なことを始めるには、ちょうど良い時期かもしれない


- インタビュー: Tiffany Godoy
- 写真: 蓮井元彦