Visvimが作る「未来のヴィンテージ」

ラップランドからLAまで:デザイナーの中村ヒロキを追う

  • インタビュー: Xerxes Cook
  • 画像提供: Visvim

衣服の人類学者であり、カルト的人気を誇る民族衣装ブランドVisvimの創設者である中村ヒロキは、空っぽのスーツケースをたくさん抱え、伝統的な織物や染色や縫製を探し求めて世界を旅する。東京へ戻ると、それらの技術に関する自分の見解を小論文にまとめて発表し、それから次に、現代の都市風景に取り込む方法を考え始める。

江戸時代の着物、アーミッシュのパッチワーク、アメリカ先住民のブランケット、スコットランドのハリス ツイード、フランスのかぎ針編み、フィンランドの先住民族サーミ人のフットウェアなどにインスパイアされる中村ヒロキが、自分の足で歩いて開拓する商品開発のプロセスは、何世紀もの研究開発と選び抜かれたいくつかの機械の上に成り立っている。

かくのとおり、Visvimはファースト ファッションに対するアンチテーゼである。シーズンごとに洞察力を使い捨てるのではなく、ブランドの原型を進化させて、時の経過と共に耐久性を増すことを目指す。この作業を、中村ヒロキは「未来のヴィンテージ」作りと表現する。クセルクセス・クック(Xerxes Cook)が、パリに滞在中のヒロキと彼の妻でありVisvimのウィメンズ ラインWMVのデザイナーであるケルシー(Kelsi)を訪ね、Visvimが辿ってきた旅路のハイライトを尋ねた。

10代でアラスカを旅したとき…

クセルクセス・クック(Xerxes Cook)

中村ヒロキ

クセルクセス・クック:ずっとデザイナーになりたかったんですか?

中村ヒロキ:どうしてか分からないけど、アウトドアとか、アメリカのものとか、実用的な装備がすごく好きだったね。僕はスポーツマンじゃないけど、当時はそのつもりだった。10代のときに友達とアラスカに行ったんだけど、荷物を詰めながら、靴下から帽子まで全部の持ち物をチェックして、色が合うかどうかを考えたのを覚えてる。友達の中で、そんなことを気にしてるのは僕だけだった。

そしてアラスカに着いてみたら、木を切ったり、クマの罠を仕掛けることに興味がないって気が付いたわけですか?

そのことに気が付いたのは、キャンプをしてたとき。僕は、バックパックがはちきれそうなほど、色々な道具を詰め込んでたんだ。友達は「いったい、どこへ行くつもりなんだ?」って。

どこへ行くつもりだったんですか?

寄宿舎みたいな宿に滞在してたんだけど、ある日、ハッチャー・パスへ行こうってことになってね。細い山道を登って、スノーボードで下りてこられるんだ。僕は、ちゃんと全部の色がマッチしたクールな出で立ちなのを確認した。それが大切だったんだ、友達以外には誰もいなくても(笑)。ところが、すごく寒い日で、それなりの装備が必要だったから、ショップへ行った。友達はみんな、服の見た目なんて全然気にしなかった。機能的で、寒さと雪が凌げればいい、って考え方。僕は、見た目も良くて、僕にぴったり合わなきゃダメ。そのとき思ったんだ。例えばガイドみたいなアウトドアのプロになるより、装備そのものを開発したりデザインする方に、僕は興味があるんだなって。大切なことがひらめいた瞬間だったね。

まるで通過儀礼ですね。大自然の中へ分け入って、人生でやりたいことを見つける。

そうだね。だからアウトドア スポーツ用品の会社で働き始めて、デザイン、販売、マーケティングをやった。それからしばらくして、自分が心から信じられるもの、自分が幸せになれるものをやりたい、って心に決めたんだ。そこで、3種類の靴だけで自分のラインを立ち上げた。次にデニム。10代の頃からジーンズを履いてたし、コレクションしてたからね。

ラップランドのサーミ人から、トナカイのスエードでモカシンを作る方法を教わったとき…

Visvimを立ち上げたときの商品のひとつだったFBTモカシンは、それ以来進化し続けて、ブランドを象徴するアイコンになりました。このアイテムは、どのようにして生まれたのですか?

仕入れ業者からトナカイのスエードを紹介されたとき、「これはすごい」と思ったんだけど、実際にどう使われてるのか、知りたかったんだ。だからチームと一緒に、フィンランドのラップランドへサーミ人に会いにいった。どうふうにその革を使うのか、どうやってモカシンを作るのか、実際に見ようと思ったんだ。ところが、現場で足がすごく冷えてね。そしたら、おばあちゃんがやって来て、あっという間にモカシンを1足作ってくれた。断熱材の代わりに干し草を詰めるんだ。ショックだったな。おばあちゃんが作ってくれた靴は、すごく、すごく暖かかった。信じられなかったよ。「昔からの天然の素材って、こんな機能があるんだ!」って、心底驚いた。あの靴には、ソールも何もついてなかったんだよ。

ニューメキシコに住むナバホ族の織物を手掛けるようになった経緯…

アメリカ先住民のモチーフや織物が、デザインのテーマとして繰り返し登場しますね。あれはアラスカ旅行で興味を持つようになったんですか?

いや、あれはモカシンを集めてた2008年頃だな。大量に仕入れようと思って、ニューメキシコへ行ったんだ。そのとき、友人の友人を通して、ナバホ族のブランケットを売っている人物に紹介された。古いブランケットに詳しくてね、居留地にある交易所で、インディアンとアメリカ人のあいだの売買を仲介してる人物だった。何世代も、そういう仕事の家系だって話だったな。僕は以前、ナバホ族の家族とプロジェクトをやったことがあるんだよ。日本から藍染の糸を持って行って、垂直型の織り機を使うナバホの伝統的な方法でブランケットを織るのを見学したんだ。ナバホが作る織物は、いろんなことが勉強になった。コチニール色素やインディゴ染めの使い方とか。まるでコンセプトのプロジェクトみたいで、すごく刺激になったし、その刺激や実験が最終的にコレクションに反映されてる。

日本の原住民であるアイヌ民族の織物について、ウェブサイトで論文を発表していますね。あなたは、社会の周縁に追いやられた民族に光を当てようとしているのですか? そういう人たちは、おそらく世界の主流を成す人たちより、自然と近い関係にあります。あなたが部族の社会や彼らの工芸品に引かれる理由は?

部族的なものはリアルな生活にもっと密着してるから、惹かれるんだと思う。リアルな生活というのは、設備や道具や実用品のことだけじゃなくて、何かリアルなもののこと。例えば、アイヌはガラス玉で作ったネックレスをつける。僕は博物館でしか見たことがないけど、思わず掴んで自分の首にかけたくなることがある。それほどクールなんだ。ナバホ族がビーズのネックレスをつけるのと、同じようなものだよ。アイヌの人たちも、きっと女性の気を引こうとしてネックレスをしたんだろうね。それか、権力があるように見せるため。

今と同じ理由ですね…。

そう、今と同じ! アイヌは日本でいちばん古い民族のひとつで、本州から大和民族が渡ってくる前から存在していた。帝国文化や王国にも美しいものはあるけど、僕に直接響くのは部族的な工芸品なんだよね。アメリカ先住民のユニークな美意識を、僕たちの大多数は現代社会の日常で失ってると思う。もっと有機的で、自然の中での暮らしと調和した感覚。自然との、もっと直接的なつながりがあるんだ。

奄美大島へ行くと、田んぼの泥の中に僕の生地がある…

初めて天然染料に興味を持ったのは、いつですか?

日本でデニムを開発してたとき。スラブ糸の構造に至るまで、あらゆる要素を分解して、それをジーンズに再構築しようとしてたんだ。ちょうど良いインディゴの色合いを見つけるために、色を実験してた。当時の僕は、近代的な機械が作る平板な色にものすごく不満でね。正確だけど、平板なんだ。もっとムラがあって、個性があって、風格がある色が欲しかった。だから「この天然染料なら、均質じゃなくて面白いものを作れる可能性がある」って思ったんだ。それがもうひとつの転換だったな。何百人も人を使わなくても、同じ仕事を生きたバクテリアがやってくれる。仕上がりは、ムラがあって、個性があって、ほとんど手染めみたいに見える。泥染めのことは、話したっけ?

いいえ。

泥染めは、もともと、着物の染色に使われてたんだ。九州の南にある奄美大島に行くと、文字通り、田んぼに布を浸して染めてるんだよ。泥の色に染まるんじゃなくて、泥の中の金属が作用するんだ。火山の活動からできた特別な泥で、鉄とか、ミネラルが豊富に含まれてる。それをスモモの木を燃やした灰と混ぜると、綺麗な焦げ茶色になる。化学反応で生まれる色。僕たちはその技術を活用してる。奄美大島へ行ったら、僕たちのボンバー ジャケットが、何百着も田んぼに浸かってるのが見られるよ!

あなたほど、天然染料に凝ってる人には会ったことがありません。

僕には、すごく面白いよ! 特に、現代の製造方法と組み合わせると、色々な可能性を開拓できるんだ。靴を泥に埋める技術を使うこともある。土に穴を掘って、靴を入れて、2週間経ったら掘り起こして、バクテリアを落とす。そういう靴は、卸売りしないけどね。

2017年春夏コレクションのルックブックは、どこで撮影したんですか? フランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright)がアステア族にインスパイアされて建築したエニス邸、例の「ブレードランナー」で使われた建物にちょっと似ていますけど、屋根のタイルは日本風ですね。

フランク・ロイド・ライトの建物だけど、あれは日本の帝国ホテルだよ。東京にあった古いホテルが、愛知県の公園に移設されたんだ。家具も含めて、何もかも移動させて、完璧に保存されている。ホテルだけじゃなくて、フランク・ロイド・ライトの建築が30あって、全体が村みたいになってる。

あなたとケルシーは空のスーツケースを持って旅行しながら、道中、コレクションを詰めていくんですか?

そう、今もやってるよ。素材の見本市にも行くし、今回みたいにパリに来たら、目に入ったインスピレーションを手に入れていくんだ。空のスーツケースをいっぱい持って、旅してる。前はスーツケースが5つだった。

ほんとに?

でも、それを全く開けないこともあるんだ!

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