90年代ニューヨークのアンダーグラウンド

フォトグラファー Nick Waplington がカメラに捉えた、クラブ シーンと Isaac Mizrahi スタジオのエネルギー

  • インタビュー: Dan Meththananda
  • 画像提供: Nick Waplington「The Isaac Mizrahi Pictures」(出版: Damiani社)

今回 SSENSE がお届けする 90 年代レポートでは、現代のファッション シーンの礎を築いた激動の 10 年を振り返ります

オート クチュール アトリエの活気と、セーブ・ザ・ロボッツに代表されるアンダーグラウンド クラブの狭間に揺れる 90 年代のニューヨークは、文字通りの不夜城でした。英国のフォトグラファーである Nick Waplington は、1989 年から 1993 年まで、社交性と気難しさを同居させたデザイナー、Isaac Mizrahi の、Cindy Crawford や Christy Turlington といったスーパーモデルに彩られたハイ ファッションにおける全盛期を克明に写真に収めました。「Isaac Mizrahi Pictures」の中では、ファッションに対する剥き出しのエゴが、ダークでラギッドな街のクラブ シーンと対比されています。Mizrahi を写した数々のシーンでは、ファッション ウィークに登場した当時 22 歳の Naomi Campbell が、執拗なほど波打つプリーツで飾られたブラックのフォーマルウェア ドレスに身を包む一方で、異様な高さのプラットフォーム ブーツを履いたクラブ キッズがダンスに興じています。華麗なアップタウンから放蕩のダウンタウンまでを網羅したどの写真からも、ネット世代の過剰な自意識に毒されていない、むせかえるようなエネルギーが溢れ出ています。これらは、自分を世界に発信する手段をまだ持たなかった社会で、その瞬間をありのままに生きた人々の叙情歌なのです。しかし、こうしたモーメントもやがて勢いを失い、Mizrahi 自身の活動も、ファッション デザイナーから TV のパーソナリティーへと移行していきます。取材から 30 年を経て出版された「The Isaac Mizrahi Pictures」は、狂乱と奔放の時代を写し出した Waplington による回顧録です。
ニューヨークが退廃の不夜城だった時代に、ファッション シーンをつぶさに観察していた Waplington。そんな彼に、Dan Meththananda がロサンゼルスでインタビューを行いました。

Dan Meththananda

Nick Waplington

Isaac Mizrahi のフィッティング セッションと、ニューヨークのアンダーグラウンド シーンを組み合わせようと思った理由はなんですか?

ニューヨーク生活において、80 年代末から 90 年代頭は興味深い時代でした。ご存じのとおり、これは Giuliani 市長が街の浄化作戦を始める前の時代です。Isaac の創作活動を密着取材するかたわら、私はオフタイムを利用して他の写真を撮影していました。私は当時、多くのアンダーグラウンド クラブに顔が利いたので、そこでさまざまな写真を撮影したのですが、それらをファイルに保管したきり、その後 25 年間見返すことがありませんでした。

当時の写真の中で、特に気に入っているものはありますか?

サウンド・ファクトリーの撮影許可を得るのが難しかったです。唯一無二の熱を放っていたクラブだったのですが、警備も非常に厳重でした。しかしほどなく、私はカメラを持ち込む方法を見つけました。なので、サウンド・ファクトリーで撮影した写真はどれも特別なものです。私の写真に日曜日に撮影したものが少ないのは、このクラブが日曜日の朝だけオープンしていたからです。

そこはどんな雰囲気でしたか?

当時、サウンド・ファクトリーはゲイ向けのアフターアワーズ クラブでした。クラブ キッズもいて、音楽も最高でした。クラブがオープンする時間は憶えていません。朝の 5 時前に行こうとする者は誰もおらず、6 時か 7 時にならないと本格的にはオープンしていなかったと思います。私が行くのは毎週日曜日でした。土曜日の夜は早めに寝ておいて、早朝に重い身体を起こし、タクシーをつかまえて、西 27 丁目に向かうという生活です。伝説の DJ、Junior Vasquez が 12 時間、14 時間、時には 16 時間ぶっ続けでプレイしていました。サウンド・ファクトリーは、私の生涯で間違いなく最高のクラブでした。唯一比肩しうるのは、15~16 年前にイビザでオープンした DC-10 くらいです。当時は今よりもはるかにクレイジーでした。現在はあらゆるものがコントロールされすぎています。

すべての写真を即座にアップロードできるテクノロジーが実現された今、カメラを向けられた人々の反応は変化したと思いますか?

はい。今日、人々は自分に向けられたカメラやスマートフォンをすぐに意識するようになりましたし、写真撮影に対して貪欲になりました。私はもちろん、私の母も、私の 11 歳の息子でさえ、Instagram を使っています。テクノロジーはすべてを変えました。私がフォトグラファーとしての仕事を始めた当時は、携帯電話すらありませんでした。1990 年代、ブリクストンのパブで携帯電話を取り出した途端、店から叩き出されたことを今でも思い出します。当時、携帯電話を持っていたのはドラッグ ディーラーだけだったからです。

すると、当時はドラッグ ディーラーがトレンドの最先端を走っていたわけですね。

ドラッグ ディーラー以外に、携帯電話を持っている人間を見かけたことはありませんでした。しかしその 6 週間後になると、少なくともロンドンの中心街では、全員が携帯電話を持っていました。

ここで描かれている華美で猥雑な時代のニューヨークは、遠い昔のように感じます。ところで Isaac Mizrahi とはどのように出逢ったのですか?

我々を引き合わせてくれたのは、アートとファッションを専門にしていたフォトグラファー、Richard Avedon です。それは 1989 年夏のことで、私は Avedon と多少の交流がありました。ファッションは私の専門外でしたが、Avedon は私に Isaac の写真を撮らせたいと考えたようです。我々は互いに若く、息が合った仕事ができると思ったのでしょう。私は Isaac に会い、テスト撮影をして、いい感触を掴みました。私は 5 番街南端のダウンタウンに住んでいたので、 Isaac のスタジオにはワシントン公園を抜けて歩いて行けました。その後 3~4 年ほど、私は Isaac のフィッティングを撮影しました。撮影はショーの数週間前から始まり、ショー自体も撮影しました。

写真を見ると、あなたはこうしたアトリエで、新しい女性像が誕生する瞬間に立ち会っていたのですね。

ご承知のとおり、この時代にはモデルたちの大半が 20 代でした。つまり、私と同じ年頃だったのです。彼女たちは私のショーや展示会にやって来ましたし、一緒にクラブに出掛けたりもしました。時には、彼女たちと飲みに行くこともありました。モデルたちは私の仕事に興味を持っていました。アパチャーで開催していたショーに来て、私の写真集を買っていくこともありました。彼女たちは、4~5 人ずつまとめられて管理される痩せた少女たちではなく、大人として自立した女性たちでした。私は、Helena Christensen と付き合っていた Michael Hutchence と非常に楽しい時を過ごしました。彼とはニューヨークのアフターアワーズ バーで飲み明かした仲です。あれは本当に楽しかった。

Isaac とはすぐに打ち解けられましたか?

数年にわたる取材の間、彼はいつも私の展示会に顔を出してくれて、コーヒーを飲みながら語り合いました。しかし、スケボーとテクノに傾倒していた私の目に、彼の世界は過剰に華美に映っていました。彼のプライベートは、私のそれとは非常に異なっていました。彼が猥雑なクラブに足を踏み入れることはありませんでした。

するとあなたの目には、彼がワーカホリックに見えていたのでしょうか?

私は彼の活動を取材するうち、半年ごとに新コレクションを提供するのがどれだけ過酷な作業なのか目の当たりにしました。現在では、デザイナーに対するプレッシャーは当時よりもさらに大きくなっています。なぜなら、一人のデザイナーが複数のコレクションを手掛けるのが稀ではなくなったからです。しかもインターネットの普及により、コレクションで発表されたアイテムが、即座に消費者のもとに届けられるのが当たり前になりました。もはや消費者は、コレクションの後に 6 か月も待てないのです。

Isaac がハイ ファッションの世界から身を引く日が来るとは想像できましたか?

Isaac は極めて頭脳明晰な人物でした。彼はどのような題材でも、人々の間に爆笑を巻き起こすことができました。彼は常に舞台役者のような雰囲気を漂わせており、彼が役者でなかったのがむしろ驚きだったほどです。なので、彼が TV 業界に移行したと知ったとき、私に驚きはありませんでした。

フォトグラファーであるあなたの専門はアートであり、ファッションは専門外だったとのことですが、何がきっかけで専門外の分野に踏み込んだのですか?

私はファッションの世界で身を立てようとは思っていませんでした。私はファッション フォトグラファーではありません。私はアーティストとして生計を立てていました。当時、ファッションの現場は工場や工房の場合も多く、そうした場所で、モデルやスタイリストに交じって撮影したことはありませんでした。たまたまファッション業界の人たちが、私の作品に何かを見出したのです。

まだファッションの世界に魅せられていますか?

ファッション自体に興味を持ったことは一度もありません。でも、Isaac の取材をしていたとき、彼のアトリエで進行していたシナリオと、混沌としたエネルギーは刺激的でした。一度、ショーの前に Madonna が付き人たちと現れたことがあります。彼女が今のようにビッグになる前です。私は彼女が創り出すシーンの壮観で熱狂的な勢いに魅了されました。しかし、今年のトレンドが青だろうと、ピンクだろうと、高いヒールだろうと、ロングのドレスだろうと、本当に私は一切興味がありません。でも、デザイナーたちが私に撮影を依頼するのは、それが理由かもしれません。デザイナーたちは、ファッションに精通した人間が見落とすかもしれない何かを、私の目が見付けるのではないかと期待しているのです。

  • インタビュー: Dan Meththananda
  • 画像提供: Nick Waplington「The Isaac Mizrahi Pictures」(出版: Damiani社)