ファッションは現代を表現しているか?
パオラ・アントネッリのキュレーションで、MoMAが73年ぶりに開催するファッション展
- 文: Adam Wray
- 写真: Eric Chakeen

ニューヨーク近代美術館(MoMA)で、10月1日、73年ぶりにファッションをテーマとする展示が始まった。20世紀と21世紀から、世界を変えるほど重要な意味を持った111種類のさまざまなオブジェが展示される。だが館内へ足を踏み入れる前から好奇心がそそられるのは、「Items: Is Fashion Modern? - アイテム:ファッションは現代を表現しているか?」というタイトルのせいだ。
タイトルが疑問形の展示は、今まで僕の記憶にない。解釈の非常に多様な疑問文はなおさらのことだ。公式オープニングを数日後に控えたMoMAに主任キュレーターのパオラ・アントネッリ(Paola Antonelli)を訪ねたとき、僕が最初に尋ねた質問がタイトルについてだった。アントネッリによると、前回のファッション展が開催されたのは1944年。バーナード・ルドフスキー(Bernard Rudovsky)がキュレーションを担当した「Are Clothes Modern? - 衣服は現代を表現しているか?」だ。今回の展示は、前回のタイトルにかけたと言う。
「繋がりを持たせたかったんです。ちょっと私たち自身を揶揄する意味でね」。ギャラリーへ入りながら、アントネッリは説明する。「どうして73年間もファッションの展示がなかったのか。ファッションはシーズン毎に移り変わるものと考えられたから、というのが表向きの理由です。でも私は、学界や美術館の男性支配的な制度のほうが大きな理由じゃないかと思うんです。 いつの時代もファッションは女性のものとみなされ、そのために見下されていたのではないでしょうか」


展示には、4つの大ギャラリー、補足のグラフィックを展示する2つのアトリウム、ギフト ショップと、MoMAの6階が丸ごと使われている。展示品の数は350を上回る。テーマで分類されたこれらのオブジェは世界各地から収集され、衣類のほかにアクセサリー、化粧品、テクノロジー、身体改造に使われた道具も含まれ、希少なものから豪華なものまで幅広い。例えば、Comme des Garçonsが1997年に発表した斬新な 「ボディ ミーツ ドレスードレス ミーツ ボディ」コレクションの作品があるかと思えば、チューブ入りの赤い口紅のような、まったく平凡な製品もある。色々なスタイルのリトル ブラック ドレスが展示されている横には、バラエティ豊かな各種の下着が並んでいる。ガラスのケースには、Maison Margielaのシグネチャとなったタビ シューズから明確なコンセプトを表現したネイル アートまで、あらゆるものが陳列されている。Lacosteのビンテージなポロの近くにColin Kaepernickのジャージがあり、タトゥーがマネキンの上に映写され、フランスで生まれた縞模様「ブレトン ストライプ」のシャツやアイルランドの伝統「アラン模様のセーター」など、広く知られたクラシックの新作が並ぶ。
「見学者の皆さんひとりひとりに、それぞれの解釈ができることを知ってほしい。それが、私たちの願いです」。Diane Von Furstenbergのラップ ドレスとインドのサリーの類似性に注意を促す展示の横で立ち止まり、アントネッリは語る。「陳列されているたくさんのアイテムを見てもらって、何かを感じて、個人的に理解してもらう展示が目標なのです」

広範な展示品の内容が、そのような個人的な体験を促す。見学者は、自然と、心が躍るアイテムに引き寄せられるのだ。僕自身は、アントネッリのチームが「ファッション」とみなす範囲を拡大しようと試みた展示に惹かれた。すなわち、チューブ入りサンスクリーンと元祖ソニー ウォークマン。どちらも衣服ではないし、美的なインパクトが主たる目的でもない。だが、どちらも、世界の視覚的な経験を根本から変えた。日焼け止めは服を脱ぐ自由をもたらし、白い肌を日焼けさせて褐色にすることもできるようになった。ウォークマンは、ヘッドフォンを現代生活に欠かせない存在にした。美学と経験の両面で、過去半世紀に生じたもっとも意義深い変化のひとつだ。
これほど多数のオブジェを一堂に会した展示ともなると、アントネッリのチームはどうやってカタログをまとめたのか。僕の好奇心に対して、2つの主な基準に照らしてカタログに載せるアイテムを考慮したとアントネッリは答えた。

フーディはあらゆる要素を体現している。グローバルな衣服であり、素晴らしいデザインであると同時に、悲劇的な事件と結びついた政治的象徴になった
「ひとつは、優れたデザインであること。あくまでここはMoMAであり、これはデザイン展ですからね。ふたつ目は世界との関連性があること、過去100年のあいだに影響を及ぼしたアイテムであること。そういう観点から、避けては通れないアイテムがあります。例えば、Levi’s 501に代表される白いTシャツやConverse。そういう明確なアイテムを骨組みにして、世界の色々な場所を反映する衣服や、ジェンダー、政治、人種、アイデアの転用を物語る衣服を選択して、肉付けしていきました。すぐに頭に閃いたアイテムもあれば、必要に応じて考慮したアイテムもあるし、その両方に当てはまるアイテムもありました」
僕達は、壁面に1点だけ展示されたChampionの赤いフーディの前で立ち止まる。
「フーディは...」と、アントネッリは続ける。「あらゆる要素を体現しています。グローバルな衣服であり、素晴らしいデザインであると同時に、悲劇的な事件と結びついた政治的象徴になりました」

アントネッリが指しているのは、2012年のジョージ・ジマーマン(George Zimmerman)によるトレイボン・マーティン(Trayvon Martin)射殺事件がもたらした、フーディという衣服の、象徴としての重みだ。フーディのせいで恐怖を感じて、自衛のためにマーティンを銃撃した、とジマーマンは主張した。そのことから、フーディはアメリカにおける人種的な暴力に対する抗議の象徴になった。プロのスポーツ選手たちも選挙で選ばれた議員たちも、等しくフーディを着て団結を表明した。 詩人クローディア・ランキン(Claudia Rankine)が終わりのない暴力的な人種差別に向き合った2014年の重要な作品「Citizen: An American Lyric」は、デイヴィッド・ハモンズ(David Hammons)の1993年のアート作品「In the Hood」が表紙だった。ところが、例えばFacebookを創設したマーク・ザッカーバーグ(Mark Zuckerberg)が着ると、同じ衣服がまったく別のことを暗示する。フーディはザッカーバーグの個人的な制服であり、「既存の価値基準を打破する」シリコンバレーの精神を端的に象徴する。ここに衣服が伝達しうる可能性の限界がある。つまり、大雑把なアウトラインは示せるが、複雑性を伝達することは難しいのだ。衣服は、暴露するのと同じ程度に覆い隠し、シグナルと同じ程度のノイズを発信する。そして、このこと自体、指摘する価値がある。
「素晴らしいのは、非常に多くのアイテムに曖昧性があることです」。再びギャラリーを歩き始めながら、アントネッリは語る。「ミニ スカートを解放と結びつける人はとても多いけど、必ずしもそうではありませんよ。ミニ スカートは、依然として、脚を見せること、異性を惹き付けるための衣服です」



この曖昧性は、展示全体に通じる特性だ。マネキンに映写されるグラフィックTシャツのコレクションは、商業と創造力の綱引きを見せる。創造の閃きと流用の不鮮明な線引きは、とりわけ、90年代に人気を集めたDapper Danのジャケットが多くを語っている。
最後の展示室には過去数十年にわたる典型的な男性用スーツが並び、現在に至るまでの変遷を示している。そして、出口のすぐ横にある最後の展示アイテムは無地の白いTシャツだ。当然、両者を並べて展示したのは意図がある。アントネッリは説明する。「現在三つ揃いのスーツを着るのはボディーガードくらいのものでしょう。本当に権力を握っている男性は白いTシャツです。権力を示す衣服がひっくり返ったのです」。見事なキュレーションであり、鋭い観察でもある。だが、アントネッリに別れを告げて展示を後戻りしていくとき、彼女の指摘は深い響きを持ち始めた。MoMA会員だけに限定された優待日であるにもかかわらず、展示会場の中でいちばんフォーマルな服を着ているのは、ギャラリーの隅々で監視の目を光らせるMoMAスタッフだった。「アイテム:ファッションは現代を表現しているか?」展が見学者に促しているのは、おそらく、僕たちが身に着ける衣服とそれらが意味するものをじっくり考えることだろう。あのタイトルは、実は疑問形ではなく、レトリックだったのだ。

アダム・レイは、SSENSEのシニア エディターであり、過去に「Vogue」「T Magazine」「The Fader」といった雑誌でも原稿を執筆している
- 文: Adam Wray
- 写真: Eric Chakeen