ヤン=ヤン・ヴァン・エシュのアントワープ案内
ベルギーのメンズウェア デザイナーが彼の暮らすアントワープの濃密なコミュニティへ誘う
- インタビュー: Adam Wray
- 写真: James Giles

Het Bosの空間に光が斜めに注ぎ込み、メンズウェアのデザイナー、ヤン=ヤン・ヴァン・エシュ(Jan-Jan Van Esschethe)と共同経営者であるピエトロ・セレスティナ(Piëtro Celestina)の顔を明るく照らす。「これがアントワープの光だよ」とピエトロが言う。「午後のこの時間、低い位置から注ぎ込む真っ黄色の光だ」。ヤン=ヤンとピエトロは11月終わりの日曜日にアントワープの街を案内してくれている。Het Bosは3番目に訪れたスポットだ。ここはある種の多目的市民スペースといえる場所で、オルタナティブなコミュニティの中心になっている。私たちは、ここで毎週開かれる朝食クラブに来ている。このクラブを運営するのがヤン=ヤンとピエトロの親友なのだ。食事をしながら、ブランドJan-Jan Van Esschetheの歴史について話す。このブランドには、彼ら自身の人間関係とアントワープの街が深く関わっている。
ヤン=ヤンとピエトロはアントワープ王立芸術アカデミーで知り合った。ピエトロはアカデミーをさっさと辞めて、Jurgi PersoonsやRaf Simonsのためのキャスティングの仕事を始めたのだが、ピエトロとヤン=ヤンの交流は続き、2001年、ヤン=ヤンの3年目のコレクションで初めて一緒に仕事をすることになった。そしてまもなく、ふたりはビジネスと人生におけるパートナーとなった。ヤン=ヤンがコレクションをデザインし、ピエトロはブティックの経営やキャスティング、ブランドのルックブックの撮影など、数々の面でのサポートに徹している。「僕たちは驚くほど相性がいいんだ」とヤン=ヤンは言う。「僕が苦手なことは何でもピエトロに才能があるし、逆に、ピエトロが苦手なことが僕は得意なんだ」
魅力的なアントワープではあるが、やはりあらゆる都市と同じく、押し寄せる時代の波に直面している。付近を散策しながら、ヤン=ヤンは、旧港エリアで最近進んでいるマンション開発と、現在の右派政治家による市政、彼が昔から住んでいるザウド(南)地区の再開発を嘆いた。「僕が8歳の頃、Dries Van Notenはナショナルストラートの通りのいちばん端っこにあって、その向こうは食料品店しかなかったんだ。それが、モード博物館の近くのAnn Demeulemeesterの店舗の辺りまで広がり始めた。そこまで10年かかった。でもそうなったとき、移民の家族はみんな自分たちの家を売ってしまった。売った相手のほとんどが投資をしてたオランダ人だった。今は確かにきれいになったよ。でも僕に言わせれば、清潔すぎる。だから僕は逃げ出したんだ」
そこでヤン=ヤンは、美しくはあるが観光客だらけの中心部から少し隔たった、街の北側へ移った。この北側の地区にヤン=ヤンとピエトロのアパートもアトリエも、私が初めてヤン=ヤンと出会ったブティックもある。
Atelier Solarshop
ヤン=ヤンとピエトロのブティックは、荘厳なアントワープ中央駅から徒歩約5分の場所にある。「この場所は僕たちのもとに転がり込んできたんだ」と、ヤン=ヤンがコーヒーを淹れながら説明する。「ここの所有者に、この彼の事務所に興味がある建築家を誰か知らないか聞かれてね。この場所を見た瞬間に、僕たちがやらなきゃって思ったよ。この場所は2008年に手に入れて、実際にここで働き始めたのは2009年だった。僕は2009年にたった1種類のTシャツとスウェットシャツでブランドを始めた。それから徐々に今のようになっていったんだ」
当初、Solarshopは共同の仕事場兼展示スペースで、ヤン=ヤンのアトリエだけでなく、画家やジュエリー デザイナーや建築家も一緒に使用していた。このスペースでは、アートの展覧会やポップアップのレストランが行われた。「3年間それを続けて、最後の年は12のプロジェクトをやったんだ」とヤン=ヤン。「3年かけて、新しい内装、新しい営業時間、何もかも新しくした」
そして今、このスペースはブティックとしてのみ使われており、ここでヤン=ヤンの服や、他のいくつかの独立系ブランドの服、さらに主にアフリカや日本から取り寄せたビンテージのオブジェやコンテンポラリーなオブジェを販売している。私はここで、名古屋の職人による立方体をしたブロンズ製のペーパーウェイトを購入した。これはピエトロの分野だ。「僕は雰囲気に対して敏感なんだ」と彼は説明する。「誰が自分のところに来るのかを知っている必要がある。僕はこの店に来る人のことなら誰でも覚えてるよ。誰かが僕たちの店に来てくれるのは、光栄なことだと思う」
店の名前は、以前の所有者から受け継いだ。「昔、ここである男が暮らしながら自家製ソーラーパネルを作ってたんだ」とヤン=ヤンが言う。「僕たちはその看板に『アトリエ』という語を付け加えただけ。僕たちはそういう感じで進めることが多い。何かすでに用意ができたものがあがっていて、たとえばいい看板とか、これを使って何ができるかを考える。改装していた最初の3年間は、無一文でやってた。だから何もかも間に合わせのもので作ったよ」


2060エリア
ヤン=ヤンとピエトロの自宅兼アトリエは、Solarshopからほんの少し歩いた所にある。この付近は、一般に、その郵便番号から2060かセーフフク、またはアントウェルペン ノールトと呼ばれている。「この付近は典型的な駅周辺区で、いろんな国の人がいる」とヤン=ヤンが言う。「街で自分たちの場所を見つける前に、人々が最初に止まる場所だからね」。Solarshopのすぐ近くにもアフリカ系の理髪店や小さな電気店、フードバンクなどがある。
この多文化主義的な空気は、ヤン=ヤンがこの地域を好む大きな理由のひとつだ。彼はこう説明する。「最近やって来たイラク人やシリア人、アフガニスタン人がたくさんいる。もちろんコンゴ人もいる。彼らはフランス語を話すからブリュッセルに行く人の方が多いけどね。今は、通りの反対側にセネガル人の店もあるし、ガイアナ人の店もある。大通りにはモロッコ人の店も多い。ここの移民でいちばん多いのがモロッコ人なんだ。彼らはすでに第三世代で、50年代に来た人たちだ。もう少し遠くまでいくと、トルコ人が多くなる。そして最近だとエチオピアのコミュニティもあって、エチオピア料理のレストランや店をオープンしてる。街がこうやって変わっていくのを見るのは本当にいい。もしアントワープはどんな街で、どこで買い物をするかと聞かれたら、ここがそうだ。僕は街にはあまり出ないんだ。料理するのが好きなんだけど、たくさんのいい食材やインスピレーションはどこにでもあるからね」




ヤン=ヤンとピエトロのアトリエ
Solarshopから10分ほど北に進んだ場所にアトリエはある。つい最近まで、ヤン=ヤンとピエトロはここで暮らしながら仕事をしていた。「1週間前に引っ越したんだ」と、天井の高い作業場に入りながらヤン=ヤンは言う。彼はここでコレクションのデザインをする。「今は歯抜けになったみたいに見えるだろ。最終的にここで暮らしてたのは僕たちふたりだけだったけど、以前は4人がここに住んでて、9人がここで働いてた。本当にすごかったよ。1日のうち一瞬たりともひとりきりになることがなかった」
壁の一面には生地のロールが並び、作業台の上には作りかけの服がある。私はヤン=ヤンの描いたレゲエ歌手キース・ハドソン(Keith Hudson)の絵に見入ってしまった。次の部屋は、大きな天窓があるために明るく、インディゴ染めに使うプラスチックのドラム缶が置かれている。そのさらに奥は、発送準備のできた完成品を保管する倉庫になっている。


Het Bos
アトリエを出て、北西にある旧港に向かって歩く。Het Bosに到着し、細切りのプラスチックで覆われた入り口を通り抜ける。ここは自転車でもそのまま入ることができるのだ。Het Bosは、多くの異なるグループによって占拠された多目的スペースで、音響映像集団De Imagerieやコーヒーの焙煎を行うCordon Coffeeなどが入っている。「ここの人たちは、以前は街の反対側に不法占拠してたんだけど、強制退去させられて、それからここの建物を見つけたんだ」とヤン=ヤンは説明する。「コンサート ホールもあるし、展示室もあるし、劇場もあるし、カフェもレストランもある。アーティスト レジデンスもやってるよ。僕にとっては、ここは本当に刺激的な場所だよ。僕の社会生活がここにある感じだ。日曜日の朝は、ほんの1、2時間でもここに来るんだけど、いつも誰かがいるし、誰かと知り合いになれる」
ヤン=ヤンは、どのようにして10代のバリスタがHet Bosに来て働くようになったかを話してくれた。その逸話は、この場所の精神をそのまま表しているようだった。「ある日、このモロッコ人の男の子が入って来た。ベルギーでは、モロッコ人の17歳の男の子を見ても、誰も彼がまだモロッコから来たばかりとは思わないよ。普通はみんな、ここに生活基盤があって、家族もここにいる子だと考える。彼はここで移民同化プログラムをとっていて、そこで仕事を探す方法を教わりながらフラマン語を勉強してたんだ。それで、彼は仕事を探してるから、コーンに履歴書をプリントアウトさせてくれないかと頼んできたんだよ。コーンが『どうして履歴書をプリントアウトしたいの?ここで働いたらいいじゃないか』って言ったんだ。そのうち、彼は友だちをひとり連れて来た。今では3、4人いる。そのうちのひとりは、ここでたまに床屋をやってる。すごくいいだろ。彼らはアントワープでもいちばんオルタナティブな場所で働いてるんだ。ダブのライブがある日もあれば、次の日にはメタル フェスをやってたり。アントワープに居場所をもたないすべてのものが、ここに居場所を見つけるんだ」




Haecken En Oogen / Clay Club
ヤン=ヤンと私はさらに歩き、歓楽街を過ぎ、中心街に向かって少し曲がりながら港の奥へ入って行き、そこのアートギャラリー兼陶芸用アトリエに立ち寄った。「Haecken En Oogenはラーセン・ベルヴォーツ(Larsen Bervoets)が運営してる。かなり最近できたばかりのプロジェクト空間で、すばらしい展覧会をよくやってるんだ。Clay Clubを始めたのはシグリッド・ヴォルダース(Sigrid Volders)とヨーケ・レオナーレ・デ・スメット(Joke Leonare De Smet)。シグリッドはメイクアップ アーティストで、ヨーケはJJ Funhouseという自分自身のレコードレーベルを始めた。僕が思うに、どっちもアントワープをけん引する、新しくてポジティブなエネルギーの象徴のような場所だよ」



Panoply Books & Records
最後に訪れたのは古書店だ。「この本屋は何年も前からあったんだけど、少し前に友人が買い取ったんだ」とヤン=ヤンは言う。「どんなものが見つかるか、いつもサプライズだよ。たくさんの名産品や日本からの物とか。値段もそんなに高くない。僕の父は本とレコード中毒で、僕は子どもの頃、これが本当に恐ろしかった。親父と一緒に街に出るっていうのは、彼が本やレコードを探している間、何時間も段ボール箱に埋もれて過ごすっていうことだったからね。でも今、僕も同じことをやってるんだ」



Adam WrayはSSENSEのシニア エディターであり、過去に『Vogue』、『T Magazine』、『The Fader』といった雑誌でも原稿を執筆している
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- 写真: James Giles