Kwaidan
Editions:
愛とホラー
協働と不一致が新ブランドを創造する
- 文: Rosie Prata
- 撮影: Étienne Saint-Denis
- スタイリング: Romany Williams

眠ることを知らない、深夜映画に通う観客の中で、血糊やキャンプやホラーの愛好者は同類を見分ける。ロンドンで新ブランドKwaidan Editionsを創設したファッション デザイナーのカップル、ハン・ラー(Hung La)とレア・ディックリー(Léa Dickely)は、カルト映画を観ながら愛と成功の両方を育んだ。
13年程前、最初のデートでディックリーが提案したのは、スタンリー・キューブリック(Stanley Kubrick)の『シャイニング』を観に行くことだった。その後多くの深夜が過ぎ、ふたりは1965年作の日本のホラー映画『怪談』に出会う。それがブランドの名前「Kwaidan」になった。そして、Kwaidanは今年、初のコレクションを発表した。
怪談 ー 奇妙な話や幽霊の話。「霊や自分のゴーストについて、そういうものを受け容れることについて、僕らはよく考えるんだ」とラーは説明する。美の創造に必ず暴力が介在することを認められるのは、仏教信仰のおかげだとも言う。「Kwaidanには不一致がある。でも、最終的にふたりが目指すものは同じなんだ」
いかなる出来のいいホラー映画もそうだが、逸脱を受け容れるとき、ふたりはいちばん見事なデザインを生み出す。思いがけないファブリックの選択、オーバーサイズのポケットやベルト、覆いかぶさってくる影のように長いシルエットが、馴れ親しんでいるはずのスタイルを歪曲する。
「レアは、すごく映画的に、自分の世界をデザインして創造する」とラーは言う。デザインはストーリーを書いている感じ、Kwaidanのウェアを着た女性が動き回るセットを作っている感覚だと、ディックリーが補足する。彼女は、デザインするに際に、想像上の映画セットの装飾を思い描く。「部屋の中に、木材は使われてるかしら? 作り物の植物が置かれているかしら? 壁に絵は掛かってるかしら? それはどんな絵?」
ふたりが出会う前、共にアントワープ王立芸術アカデミーでファッション デザインを学ぶ1年生だった彼らが属していた世界は、極端に違っていた。
メリーランド州の郊外で成長したラーは、ベトナム系アメリカ人1世のクラブ キッドで、いつも大勢のいとこに囲まれていた。ハスキーな声で穏やかに話すラーにとって、服はコミュニケーションの手段だった。手持ちの中から最高のレイブ ルックを着て学校の廊下を気取って歩く、それがファッションにまつわる最初の記憶だ。19歳でロンドンへ移り、コンピュータ エンジニアリングを勉強し、クラブではJil SanderのトラウザーズとGucciのシャツで踊るところまで進歩した。「給料は貰った週に全部使い果たして、後はラーメンだけで食いつないでた」と笑う。
21歳を迎え、もっと創造的なことにエネルギーを向けようと決心したリーは、イタリアのマランゴーニ学院でファッションを学んだ後、アメリカへ帰国してニューヨークのパーソンズ美術大学、次にアントワープで4年間の勉学を積んだ。
一方のディックリーは一人っ子。ほとんどの時間をひとりで過ごした。フランスのアルザス地方の故郷は、家の前を通り過ぎると窓にかかった花柄のポリエステルのカーテンがちらりと動くような場所、と形容する。ファッション界で働くことは、ずっと念願だった。12歳頃になると、雑誌に載っている服のデザインに夢中になり、何時間もかけて、苦労しながら写真をスケッチブックへ書き写した。Versace やThierry Muglerが生み出す、90年代のパワフルで幻想的な作品が好きだった。
ESADランス校で美術を学んでいた時期に、後にKwaidanの形になるコンセプトが頭に浮かんだ。ディックリーはアントワープへ向かった。
Kwaidanには不一致がある

モデル着用アイテム:パンプス(Helmut Lang)、コート(Kwaidan Editions)
アントワープの王立芸術アカデミーは、厳しいことで定評がある。教師が世話を焼いてくれることはないし、生徒はファッション界を揺るがす斬新なデザインを要求される(もっとも有名な卒業生「アントワープ シックス」を参照のこと)。過程を無事終了できる生徒は多くない。ラーとディックリーが1年のときのクラスには60名のデザイナー志望がいたが、最終学年まで残ったのはわずか15名だった。
厳しく、時として苛酷な4年間を通じて、ふたりは互いの気持ちを支え合い、デザインの問題を解決するために頭を寄せ合った。4~5時間しか睡眠をとらず、長い夜を過ごすことも少なくなかった。共に認め合うように、ふたりは正反対だ。だから、共同作業の関係は、「支線」に例えられる。高い構造物を支えるために、互いに反対の方向へ引っ張るケーブルだ。
「どちらかというと、彼女はマクロで、僕はミクロ」とラー。ディッキーが言葉を付け足す。「彼は外交的で社交的。私はプライベートな性格。ふたりが同じ方向を目指してるときに、いちばんいい仕事ができるわ。初めて一緒に車で旅をしたときに、そういう協力関係が生まれたの」
付き合い始めて1年経った頃、ふたりはアメリカを縦断する3週間のドライブ旅行を計画した。ディックリーがヨーロッパから出るのは初めてだった。振り出しはラーの故郷であるメリーランド州郊外の町ロックビル、ワシントン特別区のすぐ外側だ。そこから、ロサンゼルスまで行って戻る。
低い潅木しか生えていない無人の砂漠を突っ走り、ショッキング ピンクとエレクトリック ブルーのサインがジージーと音を立てている怪しげなモーテルに泊まり、気味が悪いほど繰り返し現れる同じような郊外の町を通過するうち、ふたりはインスピレーションに打たれ、恍惚とした。その後、ふたりは何度も一緒に旅行した。
アントワープを卒業した後はパリへ移り、それぞれBalenciagaでの見習いを終えた。ふたりにとって、多忙なオフィスの環境は対照的な経験だった。「人が多い環境で力が出せる」ラーは、 結局Balenciagaに4年いて、ニコラ・ジェスキエール(Nicolas Ghesquière)と後任のアレキサンダー・ワン(Alexander Wang)の下で経験を積んだ。その後、Célineへ移って皮革と毛皮を扱い、「女性が身につけると選択したものには力がある。幅広い表現から作りだされたCélineウーマンは、気取りがなくて、内的な力を秘めて、身につけたものとぴったり調和する」ことを、フィービー・ファイロ(Phoebe Philo)から学んだ。


モデル着用アイテム:パンプス(Helmut Lang)、コート(Kwaidan Editions)
僕たちのブランドは、本質的に、ふたりの人生が辿り着いた頂点だ
ディックリーは、Balenciagaの後、パリにある刺繍のアトリエで働き、素晴らしいクチュールやプレタポルテに最後の仕上げをほどこした。次にBalmainでプリントをデザインし、最後にRick Owensでコンサルタントを務めた。大変だけど、実りも多い仕事だったという。Owensで2年半を過ごした後、ふたりはロンドンへ移り、ディックリーはAlexander McQueenのプリント デザイナーになった。
「会社勤めはあまり上手にできたためしがないわ」と、ディックリーは認める。「規則や人が多すぎて、閉じ込められたような気分になる。どういうふうにしてればいいのか、分からなかった。独立するほうがいいって感じたの。そしてハンは、何でもうまく実現できるのよ」
ラーは特定のラインやディテールの持つ力に魅了され、ディックリーは色彩や面やテクスチャに心を奪われた。そのような興味と技能の自然な分担とそれぞれに経験を積んだ年数の総計を活かして、自分たち自身のプロジェクトのビジネス プランを考える時が到来したとふたりは感じた。
「私たちは、やることを徹底して考え抜くの」。ディックリーは言う。「誤りを犯すのは嫌い」。ラーによると、今後5年間の予定と戦略はほぼ完全に定まっている。進むべき道は確実に理解している。
明らかな不一致の中から共有できるものを探す仕事の進め方を反映して、ふたりの目標は野心的であると同時に慎ましい。熟慮を重ねた決断には、ファッション ハウスの事業的判断と独立したラグジャリー アトリエとしての希少なフォーカスが組み合わされている。
Kwaidanのコレクションは、毎回、ステートメントのある、独特かつ予測不可能な作品で構成する予定だが、シーズンの進行に合わせて話し合いを重ねていく。初のコレクションの中に、フローラル プリントのミディ丈ドレスがある。素材のビスコースは、通常、服の内側をライニングする場合のシェルとして使用される。コントラストなブラック サテンを配した縫い目、断ち切りのまま露出したエッジという構成に、ビスコースのデリケートで控えめな性質が映える。花柄は、フランスの祖父母の家を飾っていた1970年代の安っぽくて居心地のいい室内装飾を思い出しながら、ディックリーが手描きした。

モデル着用アイテム:ブーツ(Sacai)、ドレス(Kwaidan Editions)
アウターウェアには、光沢のあるブラックのロング ジャケットが2点ある。ひとつはオーバーサイズなワークウェア コートで、フロントにボタンが並んでいる。もうひとつのトレンチはミドルに幅広のシンチ ベルト。ディックリーの説明によると、コートの素材は一見レザーに見えるが、実際はゴム加工コットンだ。ラテックス、ゴム、ビニールを多用するフェティッシュなウェアの気配を暗示するが、 ふたりを刺激するのはアブノーマルな要素ではなく、フェティッシュなウェアを着る人から発散される自信だ。
初期のフェティッシュ ウェア集団は、ごく普通のレインコートを分解して、体にピッタリ密着するゴムのコルセットやボディ ストッキングに作り変えていた。まさに同じところから、Kwaidanは素材を調達している。「イギリスにあるテクニカル ファブリック専門の工場から仕入れてるわ」。ディックリーは言う。「本物と呼べるものを選択するよう心がけてるの」
ファブリックはすべて、品質、由来、耐久性を念頭に調達する。あらゆる作品を完璧に仕立てることに格段の情熱を注ぐラーとディックリーは、服を裏返して、入念に考え抜いたステッチを詳しく説明してくれる。ディックリーは言う。「私たちのウェアは全部、パリの小規模なアトリエで仕立ててるの。ファブリックは、ほとんどイタリア製とイギリス製。古くて確かな、由緒ある工場ばかりよ」
「歴史は絶対不可欠だな」。ラーが言葉を添える。「信頼できる相手を見つけるのはすごく難しい。だけど、僕らふたりの間には信頼がある。 一緒に過ごした歴史があるからね。僕たちのブランドは、本質的に、ふたりの人生が辿り着いた頂点だ」
「僕はいつもレアの世界にすごく魅力を感じてた」。ラーは続ける。「そして、奥が深くて完全で完璧な雰囲気を作り出すレアの能力にね」。その世界はふたりのデザイナーの私的な領域に存在するものであって、外側の人間には断片的にしか見えないかもしれない。そう、ちらりと動いたカーテンの背後が垣間見えるように…「僕らの洋服を着てくれる人に、全体が見えることはないかもしれない。だけど、できることなら感覚で繋がってほしいね」
ラーは言う。「ファッションには大きな構成要素がふたつある。製品とイメージ。どうすれば付加価値を作り出して、製品に投資する気持ちを引き出すか? 僕たちデザイナーの仕事は、出来るだけ沢山のスピリットを吹き込むことだ。求められるのは、目に見えるものの向こう側にある何かだから」
Rosie Prataは、ロンドン在住のライター兼エディターである。現在は、「Monocle」誌のアソシエート・エディターであり、過去に「Canadian Art」、「The Globe and Mail」などでも原稿を執筆している
- 文: Rosie Prata
- 撮影: Étienne Saint-Denis
- 撮影アシスタント: Melissa Gamache
- スタイリング: Romany Williams
- ヘア&メイクアップ: Ashley Diablo / Teamm Management
- モデル: Serguelen
- 制作: Jezebel Leblanc-Thouin
- 制作アシスタント: Erika Robichaud-Martel