体験レポート:Kenzo

クリス・ブラックはブランド過敏症を克服できるか

    私は、日常生活のあらゆる局面に影響を及ぼす、ある慢性的症状に悩まされている。私はそれを「ブランド過敏症」と、自ら診断を下した。困ったことに、この症状が、生活全般に及ぼしてきた影響は計り知れない。ビンテージLevi’sを購入する際には製造された年代にこだわり、Juice Pressのグリーンライトスムージーにはアーモンドバターを足し、Hanesの白ソックスなら、赤のロゴが隠れて見えないタイプしか買わないし、Souenのマクロビプレートを注文する際には、蒸しケールの代わりに蒸しニンジンを入れてもらう。私は、気軽に白いスニーカーやサラダを購入したり、飛行機の予約をすることができない。自分にとって最高のものだけを揃えたいのだ。新しい洋服を購入すると、すぐにオーチャード ストリートにある行きつけの仕立て屋に行き、タグを全て取ってもらう。見た目が良くなり、清潔に感じるからだ。

    私は、自分の美意識に合致していると感じる一握りのブランドしかサポートしないよう、自分を厳しく律している。それらのブランドは、自分の美意識だけでなく、価値観にもマッチしていなくてはならない。さらに自分の信条にも。なにせ、ブランドは現代の宗教なのだ。ブランドのロゴは、言うなれば神聖なる図像学だ。 私が死んだら、どうかNikeストアに埋葬して欲しい。

    そんな折、私はこれまで頑なに守ってきた信条が崩れるような体験をすることになった。先月、私のイーストヴィレッジ(これまた素晴らしいブランド!)のアパートメントにKenzoの服がたくさん詰まったDHLの箱が届いたのだ。私はある依頼を遂行することに同意しており、その現実に直面する時がきた。

    Kenzoは私の「承認済みブランドリスト」には入っていなかった。

    私が敬愛するブランドには「起源の神話」が備わっていることが必要だが、その点においてKenzoは条件を満たしている。1970年に日本人デザイナー、高田賢三によって設立されたKenzoは、日本らしさと高度な職人技術に裏打ちされたヨーロッパの服作りを融合させることで、人々の支持を集めた。機知に富んだ、派手で煌びやかなランウェイショー、カラフルなニットウェア、グローバルな視点によって、パリファッション界のピラミッドの頂点付近に燦然と輝くブランドのひとつとなったのだ。2011年に、KenzoはOpening Ceremonyの設立者、ウンベルト・レオン(Humberto Leon)とキャロル・リム(Carol Lim)のふたりに引き継がれた。ふたりは直ちに、ブランドにモダンな風を吹き込むべく、行動に出た。派手で強烈なグラフィックを多用した新生Kenzoの服は、キアラ・フェラーニ(Chiara Ferragani)のようなブロガーや、ビヨンセ(Beyoncé)やリアーナ(Rihanna)といったセレブリティから、幅広く支持されるようになり、以前よりも手の届きやすいブランドになった。私はモダンなものが大好きだ。楽しいことも大好きだ。でも、私は遊び心に溢れているだろうか。私にとってブランドの敷居が低くなることは喜ばしいことなのだろうか…それとも私は、敷居が高いものに手が届くことが好きなのだろうか。

    私は意を決して、いちばん地味なKenzoのラグビーシャツを着て出かけることに決めた。「カジュアルなものから始めよう」と考えたのだ。「ミニマルなところから始めよう。Nikeのキャッチコピーじゃないが、Just do it!」

    Chris Black 着用アイテム:ポロ(Kenzo)

    着用アイテム:フーディ(Kenzo)

    それはそうと、Kenzoのラグビーシャツは典型的な色使いだ。ハンター グリーン、ネイビー ブルー、ヴァーシティ レッド。アメリカ的だが、日本風だ。クオリティはとても良く、厚手で、着た時の肌触りも良かった。Kenzoのロゴが前面についているせいで、私は歩く看板と化した。仕事に向かう途中でファッション好きの年下の友達、フリン(Flynn)に出くわした。挨拶代わりに彼は「なんでそれ着ているの?」と私に質問をしてきた。私がいちばん恐れていたことが現実になった。これまで細心の注意を払って選んできたブランドロゴに気を留めるような人間は自分だけだと思っていたのだが、どうやら間違っていたようだ。オフィスに着くと、若いデザイン インターンのケリー(Kelly)が私のことを少し訝しげに見た。彼女も私の服のチョイスに戸惑いを隠せないようだった。私は、言い訳を必死で考えていた。そんなことをするのは、高校時代に、アメリカのハードコアパンクバンドConvergeのロゴ入りTシャツを着ている理由を両親に説明しなければならなかった時以来だ。そう、私のスタイルは、自分に合ったブランド(on-brand)じゃなくて「オフ・ブランド(off-brand)」な感じだったから。

    数日後、ジムで、私はさらに1歩踏み込んでみることにした。お決まりの全身ブラックのコーディネートから、スリーブにKenzoのロゴがダーク グリーンでプリントされた上品な白のロングスリーブTシャツに変えてみたのだ。フリースは柔らかくて、ぴったりとフィットした。ウサギを撫でているような感じだった。私はアウトドア派ではないので、ウサギを撫でる感触は正直よくわからないが、だいたいそんな感じだろう。スウェットシャツは派手で、Kenzoのモチーフが多彩な色で全面にプリントされていた。トラや目玉、おまけにバラがピンク、オレンジ、紫でプリントされていた。私の姿は、さながらカラフルなハード キャンディのパッケージのようだった。あるいは、スキッドルズという名のサウンドクラウドのラッパーがいるとしたら、きっとこんな格好をしているだろう。

    私の姿は、さながらカラフルなハードキャンディのパッケージのようだった。あるいは、スキッドルズという名のサウンドクラウドのラッパーがいるとしたら、きっとこんな格好をしているだろう

    自分のアパートメントからアヴェニューAへと出たところで、1人の男が私をまじまじと見て「いいね、そのスウェットシャツ!」と声をかけてきた。彼は心からそう言っているようだったが、私にとって、全面にプリントが散りばめられたそのスウェットシャツは不快極まりなかった。目がチカチカするし、こんなに大量のプリントがついていること自体、全くもって不必要だったから。フードのついたスウェットシャツは、今が2007年で、ジミー・キンメル(Jimmy Kimmel)のショーでバンドのコブラ・スターシップ(Cobra Starship)が演奏しているような気持ちにさせた。あるいは、KidrobotとBillionaire Boys Clubを組み合わせたかのようだった。全体に模様のあるフードで頭部をすっぽりと包み込み、ジッパーを上まで閉めたらクソ野郎なサメ男に変身できるフーディを、大の大人がこぞって着ていたA Bathing Apeの最盛期の頃を思わせた。私はそれをロッカーにしまい、トレッドミルに取り掛かった。

    それでもまだ、ひとつ気になることがあった。最後に私が着ているものを誰かが褒めてくれたのは、一体いつのことだったろうか?

    Kenzoを身に着けるという、今まで考えたことすらなかった経験によって、私は人目を気にするようになった。それは長らくなかったことだった。そして次に、なぜ私が特定のブランドにこれほどまでの敬意を抱いているのかを考えさせられた。カラフルなプリントのついたKenzoのフーディを着て、高級フィットネスジムに行くことは、私にとって「ギリギリの線」であったが、客観的に見れば、単にスウェットシャツを着てジムに行くだけのことだった。私が極端なまでに特定のブランドにこだわってしまうのは、他ならぬ自分が自分にそうさせているからだ。何年にも渡って色々なブランドの売り込みを受け、いつも変わり映えのしないチョイスに落ち着いてきた結果、今日の私があるのだ。いい歳した大人の男が、イカしたセーターで外出することに神経質になっている。服は、着る人にさまざまな感情を喚起させる。願わくば、その感情が自信であり、美しさであり、成熟した大人の落ち着きであって欲しい。私のように動揺して不安な気持ちに駆られるのは楽しくはなかったが、それこそが、ブランドが持つ力の証だろう。「すごく勉強になったよ!」とでも言っておこう。

    正直に言えば、二度とKenzoを着ることはないだろう。けれど、Kenzoは子供の頃に戻ったような気持ちにさせてくれた。ジョージア州コンヤーズにいる田舎者のクラスメートを前にして、何て思われてるだろう、と心配と不安でいっぱいだった小学6年生の転校初日のようだった。しかし、今回の実験を経ても、私のブランド過敏症の末期症状は治らなかった。私はこれからもブランドに高い水準を求め、好みにうるさい男であり続けるだろうが、なぜ自分がそうなのか、今ならよく理解できる。どのブランドにも、ファンがいる。結局、自分に合うブランドを見つけ、共感できる人たちと手をつなぎ、嬉々として胸元に踊るロゴを誇示するというところに行き着くのだ。全ての人にピッタリのものなど、この世に存在しないし、それはそれで何の問題もない。一番自分らしい大切ブランドは「あなた自身」ではない。あなたの心の一番そばにあるブランドなのだ。

    Kenzoの箱は、まだ中身が入ったままキッチンに置かれている。この先それをどうするかは、まだわからない。しかし、その箱を直ちに捨てなかったことが、多くを語っている。おそらく、私も成長したということだ。

    Chris Blackは、Public Announcementの共同設立者。『GQ』、『T-Magazine』、『Architectural Digest』、『Garage』などに執筆している

    • 文: Chris Black