体験レポート:Nikeのエアマックス95、エアマックス180、ヴェイパーマックス フライニット2

定番シューズと社会運動のシンボルとしてのNikeスニーカーについての考察

  • 文: Maya Binyam
Maya Binyam

昨年1月20日、230人もの人たちが包囲され、逮捕、拘束され、ワゴン車に押し込まれて、共謀して暴動を起こした罪に問われた。だが、それ以外の260万人の人たちは、楽しげに、ピンクの帽子を被ってデモ行進しており、トランプ支持者たちは、就任式のために集まっていた。入り口に続く行列は、ワシントンD.C.を羽交い締めにするかのように取り囲み、抗議者の群衆(といってもこの場合はそれぞれに思いを抱く孤独な人々だった)が、この見世物を観るために集まっていた。 人々の着ているドレスやタキシードは、あまりに磨き上げられていたせいで、むしろ、けばけばしく見えた。金持ちたちは、自分たちがどんなスタイルでも手に入れることができるという幻想にこれほど固執するにも関わらず、常にそのスタイルの選択で間違っているのは、大量消費社会における永遠の謎だ。

この醜悪なものを見せられた友人と私は、突き動かされるように、いたちごっこをけしかけることにした。コートのポケットのなから、水酸化マグネシウムが満タンに入ったスプレーのボトルを取り出す。この濁った液体は、催涙ガスの焼けるような痛みを緩和する効果がある。私たちの解毒剤を使って彼らを台無しにしてやるのが、ここでは最適に思われた。私たちは一緒になってトランプの賛同者に近づき、彼らのスカートや靴、ネクタイにスプレーを吹きかけては撤退し、同じ動きをさらに続けて行った。招待客の誰ひとりとして、ハッと息を飲む以上のリアクションはしなかった。だが、すぐ隣にいた白人の女性が、私の肩をぽんぽんと叩くと、言うことを聞かない子どもを諭すかのように言った。「そういうのは、私が参加したい抵抗運動ではないわ」。この明確に二分された状況では、彼女は「私たち」の側であるはずだったのに。もしそこで、心の中の「あんた何様?」という言葉を私が口に出していれば、彼女からは「私の求めるフェミニズムには相手を責める感情は含まれていないの」というような、最初の言葉よりさらに生ぬるい答えが返ってきたはずだ、と私は思っている。

重要なのは、友人と私は、そこで倫理的に振る舞うつもりなどなかったことだ。ましてや賢明に振る舞うつもりなどさらさらなかった。そこでのパフォーマンスのすべては、馬鹿げていた。だからこそ、1日中、不完全燃焼の怒りをかかえ、行動を妨害され続けた後のこの行為は、気分爽快だった。トランプのお祝いに駆けつけた参加者人たちが身に着けていた、黒のネクタイに赤の帽子のユニフォームは、確かに退廃の象徴であったが、それだけでなく、自分を取り巻く生活に満足していると自らを納得させている姿勢も象徴してもいた。それは、私たちの怒りの対象となった。それが破壊されるところを、私たちは見たかったのだ。

8月末、Nikeが郵便で届いたとき、それは、とりたて何かの象徴と言えるものではなかった。大きなダンボール箱の中の、1足ずつシューズの入った、3つの小さなボックスを開ける。特に理由はないが、ヴェイパーマックスは、ランニング用のスニーカーにすることに決めた。私はランナーではないが、この靴があればランナーになれそうな気がしたのだ。エアマックス 95は、仕事用のスニーカーにする。この選択にも特に理由はない。あえて言えば、私のオフィスは、従業員の誰も高くて家に置けないようなリビングルームのインテリアで飾られ、快適さを装っている。そしてエアマックス 180は、なるべく綺麗なままキープしておこうと決めた。

いまいましいことに、私はまったく同じスーニーカーを10年近く前から持っており、購入後数年で、このクローゼットの現実は、人生の真実のように感じられるようになっていた。そのため、突如として、1足でも2足でもなく、3足の新しいスニーカーを所有しているという事実、そして実際にそれらを履いているという事実は、私が別人になるための第一歩のように思えた。裏を返せば、私は自分が他の皆と同じ人間のように感じられてきたのだ。これは嘘ではない。ニューヨークのほとんど全員がNikeを履いているし、唯一私が日常的に連絡を取り合っているニューヨーク在住でない人間である私の父も、ニューヨークに来るときはNikeを履いていた。知り合いの中で、私の靴を何か特別なものだと誤解し、それゆえ賞賛に値すると考えたのは、ダレンだけだった。ダレンは私と同じ時間に洗濯をするために知り合った。彼にかかれば、ユルい意味で繋がりのあるものなら何でも会話のトピックになりえる。先月、私がクリスタプス・ポルジンギス(Kristaps Porzingis)のジャージを着ていると、ニューヨーク・ニックスのファンなのかと聞かれた。私が「違う」と答えると、彼はドナルド・グローヴァー(Donald Glover)やミハイル・ブルガーコフ(Mikhail Bulgakov)、あるいはデジタル ビデオ アートの現状などについて、どう思うかと尋ねるような人なのだ。

家を出て、コインランドリー、仕事場、映画館、ジム、通っているセラピストのオフィスへと移動し、地下鉄の階段の上り下り、そして、これら普通の場所の間の移動、すべてが快適だった。足裏のアーチはしっかりとサポートされており、このシューズは私のために選ばれたものだった。直接的な意味では私のエディターが選んでくれたのだが、長年にわたり世界中で大々的に行われている広告キャンペーンのせいか、これがNikeであることはデフォルト オプションのように感じられた。その意味では、まったく選択の余地などなかった。

シューズはそれ自体ではまったく意味を持たなかったので、私はそれを私の人生におけるイベントの器とした。何も起こらなかったが、シューズはその「私の何もなさ」の証拠となった。私は毎週のランニング距離を、ゼロから10マイルに増やした。大して意味のなかったこの数字が意味を持つようになったのは、通勤途中にダレンを見かけ、見つからないように次の車両までダッシュすることができたときだった。そこから、現に事情は変わり始めた。退屈なことが、新たな退屈なことへと変わった。私は仕事を辞め、飛行機に乗った。とはいえ、着いたのは私の故郷の家だった。スニーカーは少しくたびれ始めており、私はそれに愛着を感じ始めていた。


それにしても、なんと奇妙なことだろう。たったひとつのマーケティング的判断のために、私のスニーカーという、私が意味づけた以上になんら意味を持たず、私自身の延長のような存在と考えていたものが、突如として、国家との戦いの象徴として動員されるようになったのだから。誰もが知っている通り、先月、Nikeは「Just Do It」キャンペーンの30周年として、一連の著名なアスリートの白黒写真を発表した。セリーナ・ウィリアムズ(Serena Williams)やレブロン・ジェームズ(LeBron James)が取り上げられ、中でも特に注目されたのが、コリン・キャパニック(Colin Kaepernick)だった。画面いっぱいのキャパニックの顔に「Just Do It」のフレーズを添えることで、Nikeは美に関する議論を巻き起こした。キャパニックがNikeのシグネチャでもあるスローガンに意味を与え、Nikeは彼の起こしたムーブメントの象徴となった。そうして、キャパニックの敵はNikeの敵になった。白人ナショナリストたちは、自分たちのおしゃれなスニーカーのソールに火をつけ、ミシシッピ州公安局とともにミシシッピ州警察までもが、Nikeのアイテムはこれ以上購入しないと宣言した。たった1枚の写真で、Nikeは、Nikeが反差別だけでなく、黒人のあり方そのものを表すメトニミーであることを、消費者全体に知らしめたのだ。その商品は、優れた政治と同じくクールだった。そして、そこには利益が伴った。たった2日間で、オンライン上の注文は31%増、株価は空前の高値を記録した。そしてその月の終わりには、企業価値は総額で60億ドルも上昇していた。

「Just Do It」のキャンペーンが始まって以来、何か小さな動きがあるごとにNikeは世間を騒がし、そのスキャンダルとともにキャンペーンは成長した。 1992年、Nikeがマイケル・ジョーダン(Michael Jordan)とスパイク・リー(Spike Lee)を起用した広告を公開し、そのわずか4年後、ジェフ・バリンガー(Jeff Ballinger)は、Nikeが低賃金労働に生産を依存している様子を暴露した。後に、バリンガーはドキュメンタリー『Behind the Swoosh』の編集にも携わっている。Nikeはその後、インドネシア、中国、ベトナム、そしてメキシコで最低賃金法に違反していることがわかった。また4年後の1996年には、Nikeが、カンボジアとパキスタンで児童労働を使用していることが発覚した。それからさらに、利益をカリブ海のオフショア口座に移すことで脱税を行なっているとして告発された。1998年になると、労働慣行によって引き起こされる悪感情がブランドに影響していると、役員自身が認めざるをえなくなるまでになった。当時の社長でCEOのフィル・ナイト(Phil Knight)は、「Nikeの製品は奴隷労働や、強制的な長時間労働、恣意的な酷使と同義になってしまった」と述べ、 「アメリカの消費者は、労働搾取によって作られた製品を購入したいと決して思わないだろう」と発表した。

「Just Do It」のキャンペーンが始まって以来、何か小さな動きがあるごとにNikeは世間を騒がし、そのスキャンダルとともにキャンペーンは成長した

Nikeの靴は常に低賃金労働によって作られてきた。ただし、それが象徴するものだけが、様々に変化してきたのだった。今やNikeは反差別のシンボルである。だが、その素材が搾取に深く関係している限り、このようなシンボルになんら意味もないのだ。あのチェックマークはただのイメージだが、同時に、現に縫い込まれたモノでもある。そしてこれは、警官たちから拒否され、CEOたちによって歓迎されたイメージだ。とはいえ、Nikeの生産を支えているのは、治安当局と企業家たちが、自分たちの陣営に取り込もうとしてきた人たちであり、同時に殺そうとしてきた人たちなのだ。そしてその傾向は強まるばかりだ。現在、37の州において、私企業が囚人労働契約を行うことが認められている。そして、Nikeのスウェットショップ(搾取工場)に対する抗議を受け、元オレゴン州の代議士ケビン・マニックス(Kevin Mannix)は、Nikeに不当な行為をアメリカ本土に持ち込むように勧めた。以降、Nikeはありがたくこの提案に乗ったのだった。「輸送コストを考えなくて済む」とマニックスは主張した。「私たちは[ここで]競争力のある囚人労働を提供しよう」と。

モノにはその生産過程で形成されたレガシーが宿るが、同様に、そこには物理的な存在以上の意味合いも生まれる。フェミニストの学者サラ・アフメド(Sara Ahmed)は、こう書いている。「ある種のモノに対する近さを拒否する中で、私たちは、行きたくない場所、持ちたくないモノ、触れたり、口にしたり、聞いたり、感じたり、見たりしたくないモノ、手に届くところに置いておきたくないモノを定義する」。最も基本的な、好きや嫌いといった感情というのは、特に厄介なものだ。こうした感情は、奇妙な方法で渦巻いて、しばしば、見境いなく、冗談のようにまとわりついてくる。動画の中で、男が、私の履いているのと同じエアマックスを燃やすのを見て、私は笑ってしまった。私のスニーカーは私の敵だが、私の敵の敵もまた、私のスニーカーなのだ。

Maya Binyamはニューヨーク在住のライター。『Triple Canopy』のシニアエディターおよび『The New Inquiry』のエディターも務める

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