Marques Almeidaが愛するディープなアメリカーナ

マルタ・マルケスがデニム、ドリー・パートン、90年代の通俗を語る

  • インタビュー: Julia Cooper
  • 画像提供: Marques Almeida (ポートレイトおよび インスピレーション ボード)

ダメージ。それは、マルタ・マルケス(Marta Marques)とパウロ・アルメイダ(Paulo Almeida)がMarques Almeidaで登場させるファブリックに関して、もっとも頻繁に使う言葉だ。歯で食いちぎったようなダメージ デニム。高級素材と損傷がもはや矛盾しない状態で渾然一体となったダメージ シルク。元来、ダメージ加工とは長い年月にわたって使われた後の状態を模倣する手法、「傷み」の偽造だ。だが、Marques Almeidaの場合、素材自体が傷みを感じているような印象を受けるし、事実そのとおり。ふたりのデザイナーは、液体に浸し、染色し、引き裂き、折り畳んで、ファブリックの変化を見る。ダメージのプロセスを経て、アメリカ生まれの古典的な仕事着の素材は贅沢なロンドンのストリートウェアへ変容する。「本当のところ、何もかもデニムが出発点だと思うわ」とマルタは言う。「素材としてのデニムに向き合うとき、私たちはデニムが持っている意味を考えるの。デニムが背負ってる重荷って言えばいいかしらね。本当にデニムを理解して、デニムの可能性を広げて、使い方を応用できるようになるまで、何シーズンかはほぼデニムに専念したのよ」。Marques Almeidaは、アメリカを象徴するデニムという素材の魅力、通俗性、感情の歴史に惹かれる。

デニムのような生地は、どこまで加工に耐えうる素材なのか? 2011年にブランドを立ち上げて以来、ふたりは、この問いに対する常識的な答えを「ボロボロになるまで解体して」新たなものを作りあげてきた。「デニムはジーンズ、みたいな先入観を持たないでスタートする必要があったわ」。マルタは説明する。「ジャケットは特定の仕立て方でなきゃ駄目、とかね。90年代のストリート スタイルや『i-D』マガジンの写真に写ってるクラブやスケート パークのキッズを見たら、みんなジーンズなのよ。スリムなジーンズにバギーなジーンズ、デニムのジャケット。デニムは若者とストリートウェアにすごく強く結びついてる。私たちもそこに繋がりを感じたの」

2015年、Marques Almeidaは見事LVMH ヤング ファッション デザイナー プライズの栄冠を勝ち取った。その時の優勝候補には、Off-WhiteJacquemusVetementsなど、今日、ファッションにたいして興味ない人でも、口にする名前がずらりと並んでいた。「あの年のことだったなんて思えない!」 丸2年が経った今も、マルタはまだ少し呆然としている。「今でも私たちに一番大きな影響を及ぼしてる気がするわ。あのシーズンはすごいブランドが入選してたのよ。審査員も、フィービー(ファイロ / Phoebe Philo)、ラフ(シモンズ / Raf Simons)、マーク(ジェイコブス / Marc Jacobs)、ニコラ(ジェスキエール / Nicolas Ghesquiere)…私たちがとっても尊敬している人ばかりだった」

インスピレーション ボード、Marques Almeida

Marques Almeidaのスタジオはロンドンのイーストエンド、ハックニー ロードにある。先頃行なった2018年春シーズンのショーは、ブリック レーンをちょっと外れた橋の下が会場だった。マルタはポルト、パウロはヴィゼウの生まれ。Marques Almeidaの製品は、ほぼすべて、ふたりの母国ポルトガルで生産される。ふたりが出会って恋に落ちたのは12年前、ポルトにあるCITEXファッション スクールでのことだが、ブランドはずっとロンドンを舞台に成長してきた。マルタはVivienne Westwood、パウロはPreenと、共にロンドンで見習いをやったし、その後は揃ってセントラル・セント・マーチンズ校の修士課程に通った。高名な教授だった故ルイーズ・ウィルソンは、厳しい指導でも知られた。Marques Almeidaのコンセプトが生まれ、徹底して挑戦を受けたのも、この時期だった。マルタはウィルソンを回想する。「私たちの現在は、ほとんど彼女のおかげ。私たちのブランドが生まれたのも彼女のおかげ。どうしてMarques Almeidaをやりたいのか、それにどういう意味があるのか、自分たち独自の表現か、なぜ大切なのか、関連性を備えているか…。私たちは彼女の問題提起に答えを出さなきゃいけなかった。何かを見つけるまで徹底的に突き詰める、それがルイーズよ」

Marques Almeida、2018年春

Marques Almeida、2018年春

Marques Almeida、2018年春

Marques Almeida、2018年春

愛とビジネスは必ずしも最善のパートナーではない。だが、マルタとパウロはこのやり方しか知らない。ふたりにとっては、一緒にやらないことのほうが奇妙だ。「ファッションについて、将来の仕事について、ふたりとも考え始めたときに知り合ったの。だから、一緒に成長してきたし、いつも横並びでいろんなことをやってきた。ビジョンや性格はすごく違うんだけどね。パウロはとっても生産志向なの。あらゆる技術的な知識を持ってるし、製品を理解するし、服を把握するし、ディテールやテクスチャや完璧な仕立てを判断できる。ものすごくたくさんリサーチして、あらゆるコレクション、1993年以後の話題を全部知ってるのよ」。マルタに関する限り、Marques Almeidaへの貢献はコンセプトとビジョンの形で表れる。彼女のコンセプトとビジョンから、コレクションが生まれブランドの方向性が決まる。「スタイルの点では、私のデザインほうがはるかにボーイッシュ。パウロは、いつだってはるかに女性的だわ。 私はリラックスしたデザイン、彼はもっとかっちりしたデザイン」

パンクと貴族が合体した2017年春シーズンのコレクションには、グランジなスリップ ドレスとレッド チュールを使ったレッグ オブ マトン スタイルのスリーブが登場した。マルタの説明によると「ビンテージが出発点。たまには、女性じゃなくて、モノからスタートしてみたかったのよ。だから、ボードの上に、ビンテージのアンダーウェアとチュールのスリーブとバスケットボールTシャツを並べて、そこから女性の全体像を構成していったの。そしたらバロック調スポーツウェアっていうアイデアが湧いてきたから、今度は、マリー・アントワネットのビジュアル イメージと映画の「キッズ」のスクリーンショットを並べてみた。いろんなモノをボードにピンで留めて、ビンテージの服を集めて、パッチワーク式に合体させて…。あのコレクションはそういう風にして生まれたのよ」

自分たちのショーには、知り合いをモデルに起用することがどんどん増えている。愛称「MAガールズ」。友達になりたい衝動が原動力のEckhaus Lattaと同じように、Marques Almeidaも、プロセスを通じて友人になりたいと感じさせる人をキャストする。もっと知りたいという興味をそそる人との出会いは、業界の現状に対する関心と同じくらい、インスピレーションを搔き立てる。「2017年の秋冬シーズンは、多様性という考え方にちょっと引っ掛かってたの。私たちはファッションで何をしているのか、それが人々、特に女性の形成にどう影響しているのか。そこで、マリを始めアフリカを撮ったマリック・シディベ(Malick Sidibé)の60年代の写真を見たわ。若いカップルが踊ってたり、夜のお出かけのためにお洒落してたり。そこから60年代と70年代の黒人文化の構想が生まれていった。すごく変化に富んでるけど、結局全部をひとつにまとめるのは、全体から浮かび上がってくる女性の姿なの。女性たちのアティチュードがすべてを結びつける要素よ」

次回はどうやら、女性を起点にしてコレクションを組み立てる方法へ戻るようだ。いちばん最近MAガールズの仲間入りをしたのは、生後6か月になる娘のマリア。マリアが生まれてから、マルタとパウロの生活、ふたりの空間、ふたりの寝室の光景は、かなり様相を変えてきた。「ちょっとクレージーな時期よ。出産後の何か月かはふたりとも家にいたけど、シーズンは待ってくれないから、早く復帰しなきゃいけなかった。選択の余地はあまりないから、どうにかやり繰りしていくしかないわね」と、マルタは言う。「献立」と「Vogueランウェイ」。ラップトップで開かれているタブは、ファッション デザイナーでさえ日常を逃れられないことを示している。マルタの側のベッドサイドには、500ページ近いゼイディー・スミスの小説『Swing Time』が置かれている。マルタが生まれる前に気軽に読み始めたが、現在、ようやく半分まで進んだ。「1日の終わりに、気持ちを静めるために枕にスプレーするラベンダー」もある。パウロの側には「パウロの好きなキャンドルと、Helmut Langのハンドカフ ブレスレット」

Helmut Lang、1997年春

Helmut Lang、1997年秋

自分たちは「ファッションの本質はアティチュード、ヘムラインではない」を理念とするヘルムート・ラング(Helmut Lang)派だと、ふたりは言う。常にラングの90年代のコレクションへ立ち返って、インスピレーションをもらう。ラングの他に、Comme des Garçonsのコレクション、ジョン・ガリアーノ(John Galliano)の1995年のショー、90年代初期の McQueenもよく参考にする。

いちばん最近のムードボードには、「とってもMarques Almeidaらしい」鮮やかなイエローに染色したスプリングボック レザーと90年代のプリンセスだったケイト・モスが並んでいる。「いつもそうなの。私たちは90年代にとり憑かれてるし、ケイト・モスは時代精神の象徴だもの。だから彼女はいつも私たちのムードボードに復活して、コレクションの要素になる。だけど、今シーズンは特に多いわね。何百枚、彼女の写真があるかしら。アメリカ独特のバイブレーションがあったからだと思うわ。トレーラー ハウスが集まってる場所みたいなバイブレーション。ケイトはここへ撮影にも来てくれたけど、本当、気取らなくて若々しいストリートウェアの雰囲気だった」

Alexander McQueen、1995年春

John Galliano、1995年春

ありがたいことに、Marques Almeidaが惹かれるアメリカーナ文化は、マムフォード アンド サンズ(Mumford and Sons)が甘ったるく歌う類ではない。英国人がカリフォルニアをフロンティアとして空想するときの、アメリカ西部に対するフェティッシュな思い入れは皆無だ。ふたりが惹かれるのは通俗性だ。「ありふれた日常、生活の下世話な面、実際に生きて生活してる人という事実が魅力なのよ。今回はマリアが生まれた後初めてのシーズンだから、全部のバランスをとるのがちょっと難しいわ。ああそうだ、マリアが生まれた後はドリー・パートン(Dolly Parton)もよく聴いてたな」

ドリー・パートンは「何てことのない出身の典型よ。素朴な田舎の家族に生まれて、成功しても、現実感と洗練されない部分が残ってる」。彼女は、Marques Almeidaにとって、モスと同じくらい大切なミューズだ。アップル パイのように国民的に愛されるパートン。実は肩から手首までタトゥーを入れてるけど、シャツやドレスで隠して絶対に見せないと噂されるパートン。ライブ アルバム『Heartsongs』をふたりが娘に聞かせ、マルタの父もマルタに聞かせていたパートン。粗い砂粒と真珠が隣り合う通俗的な日常、それがMarques Almeidaのアメリカーナだ。

Julia Cooperはトロント在住のライターである

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