Miu Miuの華麗なるパワー
不確定な未来へ向けてスライドする
- 文: Zoma Crum-Tesfa
- 写真: Kenta Cobayashi

新たに登場したアイコンが語る、
今シーズンとりわけ注目すべきアイテムの誕生秘話
パリで発表されたMiu Miu2017年秋コレクションでは、鮮やかなカラーとパステル カラーが河のようにとめどなく流れ続けた。サテンのポーチにファーでトリムしたジャケット、シルクのニット、煌くドレス、そして沢山のフワフワしたファー。ファッション界は、ここ半年以上にわたって、社会の不公正を糾弾する流れに煽られてきた。「We Should All Be Feminists」を掲げたDiorのTシャツ然り、Raf SimonsのCalvin Kleinデビューでランウェイに鳴り響いたデヴィッド・ボウイの「This Is Not America」もまた然り。この点で、Miu Miuのショーは際立ったコントラストを見せた。しかし華麗と軟弱を混同してはならない。大量の(フェイク)ファーに埋もれているのは、Miu Miu のプロテスト ガール、戦闘靴を履かずに抗議した1968年アティチュードの改訂バージョンだ。ミウッチャ・プラダ(Miuccia Prada)自身の言葉を借りるなら、「(このコレクションの)テーマは、不確定な未来を前にした眩惑の狂気」
狂気の精神なのだから、フェイク ファーを使ったMiu Miuのネイビー スライダーは、一筋縄ではいかないコントラストの遊びを展開する。クリスタルの乳首を付けたパールが構成する3本ストライプは、adidasのクラシックなシャワー スライドにウィンクして、実用性を奪い、骨抜きのスポーツウェアに変えてしまう。Miu Miuのサンダルは、まったく水に不向きだし、足裏をマッサージする健康機能も皆無。コンクリートの舗道を歩くにも適さない。要するに、ベッドルーム過激派のフットウェアなのだ。1960年代に新しい女性像を提唱したベティ・フリーダン(Betty Friedan)よりマドンナを引用するセックス肯定派フェミニスト、異教徒が激増するポップ カルチャーで注目の存在になる可能性を秘めたTwitterの闘志や若きハンターにこそ、相応しい。このサンダルは、スパのリラックス タイムとドクター・スース(Dr. Seuss)が描く奇想天外な世界の融合だ。ちなみに、私たちは例外なく、その範疇のどこかにいるのではないか? これこそ、グラマラスな幻惑に隠された智恵である。
いかなる作家であれ、不相応の自信なくして「グラマラスな幻惑」を説明することはできないが、「贅沢」と「潔さ」を組み合わせる「大胆さ」と言えるかもしれない。誘惑する力は、甘美な素材と古風な儀式(絶えずフェイス ペインティングして内面の混沌としたドラマを鎮静する等)を忠実に順守することから生まれる。性欲を粉砕するポリティカル コレクトネスの隆盛、右翼勢力の拡大、いわゆる中道派の嘆かわしい無為。それらが演じる歌舞伎のような今日の社会的言説のなかで、私たちには曖昧にぼやけた線が必要だ。ナンセンスや風刺を受け容れる面が必要だ。言語や「大義」が軍事化の度を強める時代に、そうした領域が変化の媒介になる。靴底にダイアモンドを散りばめるのは退廃かもしれない。だが少なくとも、スライド サンダルのアッパーにパールをあしらう程度は許されるだろう。
- 文: Zoma Crum-Tesfa
- 写真: Kenta Cobayashi