名もなきセビリアの地で
写真家マキシム・バレステロスが訪れた、スペイン南部の情緒溢れる州都
- 写真: Maxime Ballesteros

セビリアのモットー「NO8DO」は、石畳の通りのあちこち掲げられた旗、看板、闘牛の日程表、果ては駐車チケットにまで記されている。スペイン語「No me ha dejado」の象徴とされるこの有名なフレーズは、セビリアを忠実に表している。すなわち、「セビリアは決して私を見捨てなかった」。何十年にもわたって進行しているジェントリフィケーションにもかかわらず、この街は、ロマンティックなほどに大胆無謀な精神に、揺るぎない忠誠を尽くす。
SSENSEのために写真家マキシム・バレステロス(Maxime Ballesteros)が撮影した最新エディトリアルは、好奇心旺盛な3人組の冒険を通して、アンダルシア地方の姿を捉えた。それは果てしない不確定性を探る冒険だった。
アンダルシアでは、時間がゆっくり流れる。太陽のせいか、あるいは、人影のない冬のセビリアの通りのせいかもしれない。はるか昔のグラフィティの上から白や青や黄が塗られた、やけに細い通り。それとも、至るところに生い茂る橙の樹のせいか、マリア・ルイサ公園の周辺に根を縱橫に張りめぐらし、その窪みの中にまるで羽毛のようにビーナスを抱きかかえる古いイチジクの樹のせいだろうか。


観光客に売る香の匂いや教会のゴシック様式のアーチが、一度も経験したはずのない何かの郷愁を掻き立てる。フラメンコの手拍子とギターの音色が、私の頭の中に、そして車やバーの窓から漏れくる切れ切れの雑音の中に浮遊している。
フィリッパ(Filippa)が、昔ここのアパートに住んでいたときのことを話してくれる。路上でホセ(Jose)が彼女のために歌うのを、バルコニーから聞いた。まだ彼に恋する前の話。私も知らない私の片方の家系も、別の人生のような大昔、ここに住んでいた。ブレリア フラメンコのリズムが、今でも少し、私の体を流れているかもしれない。

エル・ロシーオに到着。村は砂に覆われている。はるか西部の地のようだ。少しばかり英国風な革の乗馬靴とフラメンコ帽で、誰もが着飾っている。アラブやアンダルシアの馬を手懐けようしたり、乗ったりしていない人間は、われわれを含めてほんの一握りだ。
騎手たちは鞍の上でくつろいでいるが、やがて酔いが回ってくると、ドリフトを見せびらかしてそこら中に泥を蹴散らす。女性はとても上品に横乗りする。そこら中で音楽が鳴り響き、夜になると、闇の中をトロットする美しい獣たちのシルエットしか見えない。ここから数分のドニャーナ国立公園を自由に駆け巡る野生の仲間と、とても近く、とても遠い。


ホセに会い、スペイン語、英語、パルマス語を織り交ぜながら意思の疎通を図る。フィリッパがホセと顔を合わせるのは、10年ぶりだ。ふたりの目から、ふたりの歴史の断片が見て取れる。夕暮れ時のラブストーリーは、常に、強烈に悲しくて美しい。ホセは、最高のジプシー フラメンコが見られる場所をよく知っている。そこへ行きたいが、白人のよそ者だけで行くのは危険すぎるらしい。
ジプシーが多く暮らす団地ラス3000ビビエンダでホセと落ち合い、彼のいとこたちの歓迎を受ける。窓から興味津々で覗いている住人たちに向かって、ホセがスペイン語で叫ぶ。私たちが自己紹介しているうちに、大勢が下りてくる。少しギターをかき鳴らした後、ホセが心を込めて歌い始める。背後の傷だらけの壁に描かれたカマロン(Camarón)が、暖かい視線で見守る。地元のジプシー コミュニティにとって、カマロンはいちばん大切なフラメンコの立役者だ。


ホセを取り囲む全員が、老いも若きも、とても自然に速い手拍子をとる。まるで呼吸するのと同じようだ。陽光であらゆるものが輝き、遠くまで音楽はこだまする。荒廃した建物に走るひび、木につながれて吠えている犬、割れたガラスと床に散らばったその破片。束の間、全てを忘れ去る。
毎晩、寒い中をあてどなく歩いていると、ラムとコーラを混ぜて飲んでいる子供たちのグループとすれ違う。私たちは、毎晩同じバー、客がいる限り絶対に店を閉めないバーに行き着く。アンダルシアの偶像と宗教の偶像で飾られた壁が、タバコの煙でかすむ。プラスチックの造花と赤いベルベットのあいだにあるロウソクが、暗い色の木のキリスト像とスペインのポップ歌手ルス・カサル(Luz Casal)に肩を抱かれたオーナーの写真を照らしている。その下で、私たちはウイスキー ソーダをすする。ロマンティックなスペインの歌謡曲が、愛と痛みの哀歌のように部屋にたなびく。カウンターでは、シャープなスーツに身を包んだオーナーと彼の若いボーイフレンドが、終わりのないドミノに興じている。


カルモナを去るとき、樹齢を経たサボテンが立ち並ぶ砂利道で、愛嬌のあるロバやヤギと戯れた。それから、人気のないハイウェイや村々を走り抜ける。過ぎ行く風景の寒々しい緑の色合いには、時を超越した性質がある。アルベルト・イグレシアス(Alberto Iglesias)の映画のサウンドトラックに乗って、虚空へなだれ込んで行くような心地がする。広々とした何もない道路には、想像を掻き立てる空間がふんだんに在る。どこへも行き着かないと同時にどこにでも行き着く、ブニュエル(Buñuel)の夢のようだ。



















- 写真: Maxime Ballesteros
- スタイリング: Nadia Kanaan
- モデル: Filippa von Stackelberg, Venus Nemitz / Anti-Agency