Perks and Miniと巡る、自転車のパリ
ブランドの共同設立者Misha Hollenbachが、夜のパリを自転車で駆け抜けるナイトバイクツアーの先頭に立ち、彼の創造プロセスにとって感覚をつかむことがなぜ必要不可欠かを説明する
- インタビュー: Thomas Jeppe
- 撮影: Lukas Gansterer

16年にわたる驚くべき超人的な生産性と裏腹に、Perks and Miniは肩の力が抜けた軽さが特徴だ。ブランドの創設者の1人であるMisha Hollenbach(ミーシャ・ホレンバック)は、そのプロセスをヨガの呼吸法になぞらえる。膨大な量のイメージを吸い込み、世に吐き出すサイクル。流動的で、予測できず、一切の妥協を許さないPAMは、ブランドというよりはむしろひとつの有機体、現在のサブカルチャーを生きる者と古い時代を生きた者の両方に語りかける、時を超越した瞑想である。HollenbachとShauna Toohey(ショーナ・トゥーヘイ)がオーストラリアに設立したこのブランドは、近ごろ拠点をパリに移し、2000年に初の取り扱い店となったセレクトショップColetteで始まったパリとの結びつきを深めている

彼らの洋服は、アート、カルチャー、現象学の豊富な参照が基盤だ。一方で、コレクションに付随する形でDJや音楽プロデューサーと定期的にコラボレーションを行なったり、ディープなクラブイベントを主催したり、少部数の自主制作からハードカバーの大冊まで幅広い出版物を刊行したり、メルボルンやシドニーで店舗を経営したり、東京やロサンゼルスに期間限定ショップを立ち上げたり、ギャラリーや美術館やその他の団体と協働したり、展示したり...。
そら恐ろしいほどの多量の仕事の合間にも、必ず、時間はある。写真家Lukas Gansterer(ルーカス・ガンステーラー)が、パリの伝統である夜間長距離バイクツアーを記録した。カメオ出演でヴィジュアルアーティストCali Thornhill Dewitt(カリ・ソーンヒル・デウィット)や、Biscuit(ビスケット)も登場する。Thomas Jeppe(トーマス・ウェッペ)との対話で、Hollenbachは獲得できる特権、時の流れ、普遍的な対話へ貢献する存在としてのPAMについて語った。




トーマス・ウェッペ(Thomas Jeppe)
ミーシャ・ホレンバック(Misha Hollenbach)
トーマス・ウェッペ:10代のときにやっていたという、染色工場での仕事の話を聞かせてください。
ミーシャ・ホレンバック:それが最初の仕事だったね。Blue Meanies(青いケチな奴ら)と名前の会社だった。絞り染めのTシャツと酸を売っていたんだ。
どちらも正式な商売だったんですか?
帳簿はほとんど付けていなかったな。でも、その会社には店があって、僕がペンキで店のドアと看板を塗ったんだ。曼荼羅みたいなデザインだった。
スプレーでやったんですか? それとも手描きですか?
ブラシ。でもグラフィティのスタイル。擬似的な、トリップしてる感じのグラフィティさ。
その仕事はどれくらい続いたんですか?
その会社がサイババ財団になるまで。本当になったんだよ。上へ上へと上昇する時期だったね。若いときに経験してよかったよ
ファッションに関わったのはそれが最初ですか?
いや違うんだ。育ち盛りの頃から、特に人の見た目にすごく興味があったんだ。例えば、バンドのKiss(キッス)やAdam and the Ants(アダム & ジ・アンツ)のメンバーがどんな服を着ているか、ブレイクダサーがどんな着こなしで踊っているか、とかね。最初はそんな感じでファッションと関わっていたけど、洋服だけじゃなくて、彼らが聞いている音楽や作っている音楽にも、レコードのジャケットやミュージックビデオにも、ひいてはこの世界がどんな風に見えるかにも、興味があった。たぶんそれは、幻想から生まれていたと思う。すごく辺鄙な場所に隔絶されて成長しながら、自分が関わってみたい素晴らしいものが世界にはあることを知っていたんだ。イメージから受けたフィーリングに惹きつけられたんだ。初期のニューヨークのグラフィティを見たときに受けたフィーリングにね。どうにかして、その感覚をつかみたかった。

表象の世界から実際の経験への入り口ですね。初めて訪れたニューヨークはいかがでしたか?
とにかく揺さぶられたよ。あらゆるフィーリングを感じた。初期のニューヨークテクノのバイブ、80年代終わり頃のグラフィティのバイブ、ブロンクスのバイブ。でも今だって、今のニューヨークだって昔と同じくらい揺さぶるものがあるはずだ。その場所は違うかもしれないけどね。つまるところ、人間はいつの時代も多かれ少なかれ同じだから。きっと中世にも、過激なやつらはいたと思うよ、多分、アーティストや成り上がり者だったんじゃないかな。80年代にも同じような人間が存在した。自由な考え方やフリーセックスを実践したグループだよ。
ニューヨークを訪れたのは、90年代の頃でしたか?
時間はおかしなもので、数字にするのは難しいな。
それは、今あなたが制作するイメージに影響していますか? あなたのイメージはどこから来るのでしょうか?
それは、ちょうどいい時に、ちょうどいい所にいると、生まれてくるんだ。PAMに関していえば、どんなことでも無理強いしたくない。グラフィックを作るために、リサーチをすることもないし、ムードボード(アイディアのソースを貼り付けておく掲示板)もないし、テーマも決めない。たまたまそのとき手元にあるもので、その要素をうまく利用するだけなんだ。
わたしたちは今、目的化されるイメージについて話しているわけですが、移行状態のイメージの場合、イメージの前と後に系統だったコンテキストが存在しますよね。つまりそれらのイメージには、意味がたくさん含まれている。
何よりも先ず、僕たちはスポンジなんだ。イメージは、必ずしもイメージから生まれる必要はない。音楽からもイメージは生まれる。食べる物からもイメージは生まれる。経験からだってね。僕が見つけようとしている一番重要なものは、たぶん感覚なんだと思う。イメージからは、良い感覚を簡単に短時間で得られる。そういう感覚は、即座に出現するし、無数に出現する。それに、感覚を得ることは、必ずしもそれを利用することでもない。感覚が自分の中に入ってくる。それが、また外へ出てくることもある。僕は自分のした仕事を、一切、見返さないんだ。終わったものは終わったもの。僕の手を離れている。世に送り出されて、それ自体の道をたどるんだ。うまくいくこともあれば、いかないこともある。しばらくの間意味を持つかもしれない。20年後に意味を持つかもしれない。永遠に意味を持たないこともある。時間は滞ることなく、流れていくさ。




音楽的な意味でもヴィジュアルの世界においても、「リミックス」についてどう思いますか?
良いと思うよ。永続させるからね。リミックスは、ことによったら良いかもしれないものを延命させる。クソみたいなものを良くすることだってある。所有権なんてなくすべきだと思う。大体、何にだって所有権なんてないわけだし。僕たちは人間であって、ものづくりはすべて、お互いがコミュニケートするために行なっているんだ。何かが作られて、それが世に出たなら、後はもうみんなのものなんだよ。公有財産なんだよ。
つまり、ビジョンこそ所有の対象であると。
そうだね。そして、所有権を搾取しちゃいけないんだ。ひとたび個人の場所、プライベートな空間を離れたら、手放すべきなんだ。それがゴールだと思う。人間はものを作る。そのゴールは、お互いの考えの伝達、共有さ。
貴重の概念にアンチを唱えるアプローチですね。
その通り。公共の利益に向けたアプローチさ。何か良いものを作ろうとすることは、公共の利益に資するということなんだ。金儲けのためではないし、有名になるためでもない。それは実のところ、人々の生活に貢献することだ。ともすれば味気のこの世界で、僕たちが在るべき場所だと思う。
そうなってくると、起源、もしくは起源という考えは、あなたにとってどういう重要性を持つのでしょうか?
時によって、起源というのはすごくロマンチックな観念だね。例えば、良いレコードや良い本を見つけたとき、それも知らない場所の知らない人が作ったものの場合、そのモノに対する興奮はもちろんだけど、世界中のこんなちっぽけな場所にこんなに素晴らしい人間の営みがあるんだってことにも興奮するよね。そういう意味さ。イメージでもサウンドでも何でもいいんだけど、何かを見つけたとき、その何かは、そこに素晴らしい人間の営みがあることを示している。それは喜ばしいことなのさ。
山登りに行って、偶然に村を通りかかって、その村で何かすごいことをしているお婆さんに出会うって、いいと思う。ガラクタ市に行って、人の手で作られたものを見つけるのも、すごく良いことだ。そういうことは、雄大で素晴らしい自然とは真逆だけど、こういう小さな物事も、同じ程度にすごくて雄大なんだ。
パリに住んでいると、人間の作ったものなら、何でも見られる。ここでは生きることが熱を帯びているみたいに感じる。僕たちは、自然があって、広いスペースがあって、こことは違うフィーリングが混ざり合っているオーストラリアからやって来た。自然や、気候や、人間を超えた雄大な自然の王国のビジネスから生じるフィーリングなんだ。でも、ここは大都市で、美を目指した企てに取り囲まれている。特にパリでは、美を目指して、いろんなことが試されている。ドアノブから電話、大きなビルに至るまで、とにかく何でもかんでもね。そういう美の追求は実にすごくポジティブなことだと思っている。素晴らしい場所を求め続ける希望のように感じるんだ。ドアノブを美しくすれば、そのドアノブに触るたびに、素晴らしい気分になる。ドアノブに目をやる瞬間もね。そういう小さな素晴らしい瞬間を積み上げていけば、最終的に素晴らしい1日となる。そういう意味では、誰もが恩恵を得ることができるんだ。金がなくても、家族の遺産がなくても、恩恵を得ることができる。それはその人次第、1日1日をどう生きるかの問題さ。実際、大きな前進だよ、これは。
「きっと中世にも、過激なやつらはいたと思うよ、多分、アーティストや成り上がり者だったんじゃないかな」
パリにいて、洋服に対する考え方や人生観は変わりましたか?
洋服のことはあんまり考えないな。パリは本当にクールな場所だよ。自分のやるべきことをやって、他人のことに口出ししない人がたくさんいるような気がする。すごくゆるい感じの…システムだね。オーストラリアよりも、ね。みんな、あんまりちゃんと仕事を持っていない。それは良いことだよ。いや、正確に言えば、僕の知り合いに仕事がないんだな。
では、彼らには何があるんですか?
時間があるよ。昼食をとる時間、写真をとる時間、何でもできる時間があるんだ。ある意味で、時間が僕たちを形作る構造だと思う。限られていると同時に、無限に続いている。僕は、もう長いこと時計を使っていない。カレンダーも、日付自体も。でも、今までにないくらいスケジュールは目にするんだけど、それは、ちゃんとした時間にちゃんとした場所にいることを確認するため。いくつかの場所でプロジェクトを進めているから、その場所に行かなければ、プロジェクトだって実現しないと思う。そういうコントロールはしなくちゃいけない。そのためには、時間も見なくちゃいけないし、スケジュールも見なくちゃいけない。それは事実だよ。ひとつ最近気がついたことは、何もせずにのんびりすることがすごく大切だってことだね。
政治は、あなたの生活になんらかの影響を及ぼしますか?
一切関係ないね。まったくない。政治を考える暇はないんだ。政治は最高に退屈に感じる。まるで何かを追っかけてるみたいだ…。調和なのかな? 違うな。自分には政治が何を追っかけてるのか、わからない。でも、血眼になって何かを争そってるように感じる。

全体的な目的は、皆が平等になる機会を得ることだと思いますが。
その通り。でもそれは、自分の脳みそを使えば実現できるんじゃないかな。そして、僕たちの有り金金を巻き上げようとするロクデナシに頼らなければ。だって、政治家がやっていることはまさにそういうことだと思うんだ。舗装されていない砂利道だって、穴ぼこだらけの道だって、僕らは幸せに暮らせる。それを避けて通ればいいだけの話じゃないか。
人間は、誰でも、自分に責任がある。共同体に対する責任以前にね。自分の問題を解決できる人間は、共同体にとっても素晴らしい存在になれる。そして、共同体のメンバー全員が素晴らしければ、共同体そのものも素晴らしくなる。基本的なことさ。今、政治やファッションの世界で起きていることは、そこが混乱しているんだよ。何をそんなに大騒ぎしてるんだろう? それすら理解できないんだ。でも、そこで身動きが取れなくなってしまってるんだ。それか、その中に引き込まれてしまっているんだ。
ファッションでは、今何が起こっているんですか?
よくわからない。金だけが目的のファッションが、ものすごく多い。何だかくだらない物を売るために、ものすごい量のコンテンツを動員する。もちろん僕たちは商業の可能性も理解しているけど、それを自分たちの原動力にはしていない。実際、人々の生活に対して大きく貢献できるのは、大企業なんだ。大企業は世の仕組みを変えることができるんだから、そのことを理解する責任もある。
少し前に、ファッションの視点から、コミュニティについて考えていました。ストリートレベルで起きることが、商業とはいっさい関係なく、しっかりコミュニティに定着している状況です。金は動かないけれど、認知性は存在して、それがコミュニティを潤しています。その均衡状態に商業が入り込んで来ると、コミュニティ的側面を持つ非常に認知度の高いブランドと、ブランドへと還元されるフィードバック・ループが登場します。PAMもそのようなブランドのひとつだと思います。長年にわたって、あなたがブランドが対象とした人たちは一定の方法で反応し、あなたがそれに反応をかえして、進化していきます。でも、もっと高い高級ブランドのレベルでは、ブランドからコミュニティの認知要素を積極的に排除するパターンが見られます。高級ブランドは、ストリートにいる人たちよりも大きくて、優秀で、立派な何かとして、集団意識に存在しなくちゃいけないんです。それは、憧れの図式であり、非常に意図的な図式です。そこで私が聞きたいのは、いったい憧れるとは何なのでしょうか?
そこが、ミューズの存在が必要になってくるポイントじゃないかな。誰かに語りかける必要があるから、ミューズが重要な存在になるんだ。僕は、高いところから一方的に演説したくはない。良い対話を持ちたいんだ。ミューズはあまり動き回ったりはしない。ミューズは、実際、ビスケットみたいな人たちのことなんだ。ビスケットは、かなり良いフィーリングを持ってる。森の魂。光を放つ人。彼らは人間性を輝かせる。宇宙も輝かせる。そして浮遊する。問題に沈滞しない。自由に動くんだ。心配しないし、心配もない。ビスケットがこれに全部当てはまると言ってるわけじゃないけど、目にする限り、多くの点があてはまる。だから、そういう目に見える印がミューズになるんだ。結局、ポイントは、誰と対話したいか、その対話がどこに向かうか、ということだ。それがコミュニケーションだ。
「人は誰でもやりたいことをする権利があるし、それは手に入れられる特権なんだ」
つまりこの場合、あなたは長年にわたって、サブカルチャーや美術史や民族的な運動に結びついた具体的なステートメントを、多岐にわたって発信してきたということですね。
僕は、見た目ではなく、それらが喚起するフィーリングやアイデアの点で、ラディカルなものを存続させたいんだ。僕たちは、手に入れて所有したり、搾取したくない。カルチャーからもサブカルチャーからも、奪いたくない。僕たちは、高めて、祝福したいんだ。どんなミュージシャンであっても、何かのフィーリングを搔き立てようとしている人にとっても、それが目標だと思う。それは、自分の考えを表明する手段でさえないんだ。人間の世界にエネルギーを注入することなんだ。
PAMには、それを成し遂げるツールがたくさんありますね。出版、ブランド、プライベートな出版物、展示、音楽、クラブイベントとか。もっと個人的なレベルでは、ディスカッションとかサイクリングとか。これをあなたたちにとっての対話と考えた場合、何を得ると思いますか?
自分たちの周囲に素晴らしい人たちが集まる。夜のサイクリングで素晴らしいフィーリングを感じる。それに、僕たちは何かを手に入れるために何かをする訳じゃないんだ。その逆さ。誰かが何かを差し出したら、それは放たれて、人から人へと手渡されていくんだ。若者たちが毎日やってくる。彼らのスイッチを入れるなんて、最高の機会だよ。誰かに今まで見たことのないものを手渡すと、目にすることが脳に作用して、むかし自分がそれを最初に見たときと同じように、そいつを意識を開くんだ。
サブカルチャーを見て「よし、じゃあこれをもらおう。カッコいいね。しこたま売るぞ」。ところが、次のシーズンにはもうカッコよくない、みたいなことはしたくない。これなんだ、僕たちがやりたいのはこのスタイルなんだ、違う方向には行かない。それが、もうひとつの大事なことだね。他の人が何をしていようと、本当は関係ないんだ。
それはファッション業界においてですか?
いや、他の人が何を考えているかなんて、どうでもいいんだ。人は誰でもやりたいことをする権利があるし、それは手に入れられる特権なんだ。何かしたいと決めたら、自分で始めるんだ。誰かがサポートしてくれたら素晴らしいし、大きく育ってムーブメントになったら最高だよ。
歴史的に、そういう考え方をしていた先駆者は誰かいるんでしょうか?
本物のアーティストは、大抵、そういう風に歩んできたんだと思うよ。実際のところ、考えることのできる人は皆そうだったんじゃないかな。
本物のアーティストとは?
わからない。アーティストって何なのか、よくわからないんだ。いや、違うな。アーティストは常にクールな存在だ。人間の亜集団としてのアーティストは、普通の人たちと違った方法で脳みそを使うからクールなんだ。でも、アーティストじゃなくても、人生のに喜びを見出して、それをつかんで、輝かせている人は、なかなか良い生き方をしていると思う。
ファッションの制作スケジュールは窮屈だと感じますか?
いや、そうは思わない。何らかの期限があるのは良いことだからね。枠組みを与えてくれる。僕たちは、かなりルーズだからね。
この10年で、いくつかのブランドが 1年2シーズンのサイクルから離れて行きました。
僕たちは毎日もの作りをしているからね。シーズンとシーズンの間にもたくさんのものを作る。ファンを満足させることを考えないといけないし、それを可能にしてくれるのがシーズンを分けるファッション界の構造なんだ。お互いと同じ時期に同じようなことをしたがるから人が多いから、全体を把握できる良い時期なんだ。
もうすぐ、イタリアの会社が丁寧に作ってくれたウェブサイトをオープンするんだ。その会社は、普段、本当に大きな顧客を相手にしているんだけど、PAMのために発奮してくれたんだ。その会社のボスがPAMについてスタッフに説明したとき、「いつもいつも嘔吐している。毎日吐いて、吐いて、吐きまくっている。だから、我々がバケツを持っていってやる必要がある」って。
あなたは、パートナであるShaunaと、多かれ少なかれすべてを共有していると思うのですが、2人が違った要素をプロジェクトに持ち込んでいると言って良いんでしょうか?
もちろん。別々の人間だからね。PAMは、僕たち2人の中間地帯みたいなものなんだ。僕たちは、このブランドを、小さなテイクアウトの店やミルクバー(コンビニのような店)になぞらえてる。子供を持って、いっそうその考えが強まったよ。子供がいると、自分を捨てないといけない。すべてを手放すうえで、それは良いことでもあるんだ。別の人間を見出すのと同じなんだよ。もっとひとつのエネルギーになるということ。エネルギーを共有することは良いよね。多分、クリエイティブに他の人と一緒にプロセスを楽しむことができる、最高のものだと思う。それも、誰にも、受け手として依存しないこと。だから、パーティを主催するのがカッコいいのさ。それはエネルギーの共有そのものだからね。自分が持ち込めるものを持ち込んで、他の人も持ち込みるものを持ち込む。だからこそ、PAMは僕たちなりの貢献だと感じるんだ。



今までなかったもので、PAMが今後こうなってほしいなと思うものがあれば教えてください。
このブランドが最初に抱いていた夢は、どんどん実現していってるって感じる。つまり、何かを実際に世界にもたらすこと。例えば世界のエネルギーとかね。僕は、思い入れがあって敬意を払うものは動き続けるという考えが好きなんだ 。そして、その動き続けるものを何らかの形で手助けして動かし続けることができれば、それはひとつの敬意の表し方でもあると思うんだ。
それは、ノスタルジックな考え方に対抗する立ち位置ですね。
そう、反ノスタルジックだね。座って、懐古的に「あれは良かったな」と考えているだけでは、足りないよ。むしろ「これイイッ」って思わないとね。そうすれば、まだ生きていることになるから。多分、ファッションはそれがうまくいく媒体だと思うんだ。「うわあ、フレアパンツはなんてカッコいいんだ! 僕たちも今着ないと。スキンズはカッコいいな。僕も今、あんな着こなしをしてみよう」という具合にね。
では、感情と一致するという意味で、その即時性が最も大きな成功と言えるというわけですね。
そう。でも問題は、ファッションが気まぐれだってことだね。もてはやしておいて、もてはやしたのと同じスピードで蹴落とすからね。




おそらく、それは誠実さに関わってくる問題なんじゃないかと思うんです。なぜなら、それはファッションがそうしているわけじゃなくて、ファッションの消費者がそうだからです。
即時性に従うということは、フィーリングに従うことでもあるよ。フィーリングは長続きしないかもしれない。すると、すぐに次のフィーリングが起こる。それって延々とハイな状態だと言えるし、魅力的なことだと思う。若者の集団を見てみると、とてもファッショナブルに見える。でも、同じグループが少し歳をとったら、若かったときほどの強さは感じられない。下降してしまうんだ。若者のエネルギーであっても、消えてしまうんだ。僕はファンキーな老人を見るのが好きだけど、そういう老人は少数派になったね。おそらく、仲間はそもそもそれほどのこだわりを持っていなかったんだろう。単に観察して、遊び程度に手を出しただけなんだろう。僕は、深いところまで行くことに惹かれるタイプだな。心の底から気持ちが昂ぶるということなんだ。オーストラリアに生まれ育ったことで植え付けられたのかもしれない。自分があまりにも辺鄙な場所にいるから、世界の残りの部分がすごく素晴らしく見えるという、地理的な感覚なのかもしれない。だから、ただ一片だけを見て済ませることはできないよ。世界は広くて、素晴らしいんだから。ひとつの方向だけに進むのは、すごくもったいないように感じる。でも、それが物事をより深く、より前進させる鍵なんじゃないかな。それが、早い段階で僕が得たひとつの実感だね。ファッション、アート、音楽、フィーリングを包含したサブカルチャーに、僕は惹かれるっていう認識。例えば、ファッション文化より、もっと全体的でもっと広範な文化のように思えた。多くのファッションは、DIYカルチャーの真逆を行っているよ。Givenchyの広告を見て、「お、これは素晴らしい。自分も作ってみよう」とはならないからね。僕たちは自由であるべきなんだ。自由にあちこち放浪していいんだよ。


だから、商業は、手に入らない憧れを軸にしているんですね。
こういうことを話すのはなんだか変な感じがするね。僕たちは実践しているから、話す必要はない気がするんだ。君は解説しているけど、本来はそれら自身が語るべきなんだ。僕らのやっていることの中には、実際そうしているものもある。そういうものは、何か特定の意味で考えることはできないんだ。あのグラフィックとか、あのシーズンとかね。今日、デンマークの島店を持ってる人が来て、いろいろと質問をして行ったんだ。だから僕もコンセプトとか、いろいろなと説明したんだ。そしたら、その人が「僕はあなたのブランドを10年見てきて、今説明してくれたようなことをずっと感じていました」って。それは、もの自体が声を持つことに成功したということだ。語りかけたんだ。
それと共に、物理的な面と精神的な面、報酬と平穏もやってくる。PAMを作っていく実際のプロセスは、ヨガを学ぶことと似ていなくもない。循環呼吸。中に入ってきて、外に出て行く。まさに物理的なやり取りであり、精神的なやり取りなんだ。思考を刺激するし、解き放ちもする。それはこだわり続けることでしか実現できないんだ。前に進んだと感じるかもしれないし、なんらかの地点に到達したと感じるかもしれないし。何か良い動きがあるような感覚なんだ。タントラみたいに。そういう感覚が何日も続くこともある。

- インタビュー: Thomas Jeppe
- 撮影: Lukas Gansterer
- モデル: Thibault Choay, Gabriele Cassacia, Cali Thornhill Dewitt, Yue Wu, Biscuit, Misha Hollenbach