ポール・スミスの
不思議の箱

50年、5人のアーティスト、ひとりのデザイナーのゆるぎない好奇心

  • 文: Paul Smith、Nikko Gary、David Jien、Janie Korn、Diana Rojas、Ben Sanders
  • 画像提供: Paul Smith、Nikko Gary、David Jien、Janie Korn、Diana Rojas、Ben Sanders

時を止め、じっくりと見てみよう。伝説的デザイナー、ポール・スミス(Paul Smith)のロンドンにあるアトリエは物語の聖域だ。この場所ではファッション界における50年のキャリアの意義と栄光が、揺れ動く200シーズン分のトレンドによって分類されることはない。回想と追憶が、デザイナーの増殖する「宝物」のコレクションすべてを彩る。美術品、オブジェ、人々や場所の記録が、ミニマリストの対極にある彼の圧倒的なビジョンを刺激してきた。トレイシー・チャップマン(Tracy Chapman)、レナード・コーエン(Leonard Cohen)、シャーデー(Sade)などの古いカセットテープが詰め込まれた箱は、スミスの最初のショーの記憶を呼び起こす。ブリキのおもちゃ、ミニチュアの食品サンプル、ガーデニングのコツが書かれたシガレット カードの山が、新たな美学に意味を与える。

好奇心の塊であるスミスは、カササギのごとき蒐集家として有名だ。次にくるのは何かにうつつを抜かすファッション界で、スミスはいつも、すでに手にしたものに回帰し、古いアイデアを作り替え、蒐集という緩慢で神聖な行為を通じて知を伝えつづける。幼い日の思い出。外国からの便り。志を同じくするアーティストたちの言葉。それらがどの服にも縫い込まれている。こうしたさまざまな喜びの種を自在に探求し、慣れ親しんだ世界に新たな学びを見いだすことで、スミスはレガシーを築いてきた。

2020年は、ブランドPaul Smithにとって創業から半世紀という節目の年だ。だがそれ以上に、ブランドの掲げる価値観を行動に移す年でもある。私たちがデザインや創造性について未来との関連で考えるとき、すべてはつながりや色を求め、懐かしい思い出を振り返りたいという願望の表現になる。歳月が過ぎれば、記念品たちは年表を作り、数々のオブジェがアーカイブとなるだろう。スミスのゆるぎない影響力への敬意を表するために、デイヴィッド・ジエン(David Jien)、ディアナ・”ディディ”・ロハス(Diana “Didi” Rojas)、ベン・サンダース(Ben Sanders)、ジェニー・コーン(Janie Korn)、ニッコ・ゲリー(Nikko Gary)の5人のアーティストに、この50年間で最も意義深い彼のコレクター アイテムに新たな解釈を加えてもらった。

1970年代:
ブリオンベガ社製ラジオ
Cubo

ポール・スミス

60年代終わりから70年代初め頃、私はイタリアのデザインに目覚めた。工業製品、デザイン、建築、どんな形のものであってもイタリアから来たものは素晴らしくて、イタリア人たちは私がそれまで見たこともなかった芸当をやってのけるらしいと感心した。たとえばブリオンベガ社の「Cubo」というラジオはリヒャルト・ザッパー(Richard Sapper)とマルコ・ザヌーゾ(Marco Zanuso)のデザインだが、軍用のラジオにヒントを得ていて、片側についた丁番を閉じるとただの箱に見える。実用一点張りのものを土台にモダンなデザインを作れることを知って、私は大いに刺激を受けた。私のデザインにも、不遜さや相反する要素を使った遊びと並んで、その精神が受け継がれている。私はなんとか金を貯めてそのラジオを1台買った。イタリアのデザインの品を自分のものにすることは、私の誇りであり喜びでもあった。

デイヴィッド・ジエン

僕はこのラジオのシンプルな形、そして、ぱかっと開くとフェイスとコントロールの複雑さが現れるところにすぐ惹きつけられた。使う人が手で掛け金を外さないと作動できないという遊び心もいい。まず、ラフなスケッチを何枚か描くことから始めた。自分の作品では、四角とか三角とか丸とかいった基本的な形にいつも傾きがちだから、このラジオのシルエットを使ってイメージを作ったり組み立てたりするのはごく自然なことだった。スケッチは最終的に精密な絵に仕上がり、それをもとに立体的な作品を作ろうと思いついた。ブリオンベガ社のCuboの物体としての存在感を再現した、手にとって、くるくると向きを変え、いろんな角度から見ることができるものを作りたかった。このラジオがポールのデザインやファッションに影響を与えてきたのは明白だ。僕自身アーティストであり、コレクターとして長年、化石や鉱物をこつこつ集めているから、蒐集することの重要性を理解している。モノを選びとりコレクションすることは、それ自体が芸術だと確信しているけれど、アーティストやクリエイティブな人間にとってはそれだけに留まらない。なぜならコレクションは創作へと広がっていくからだ。そして次は、その作品が別の誰かに蒐集されることになる。

David Jien 着用アイテム:フーディ(Paul Smith 50th Anniversary)

1980年代:
オリンパス社
O プロダクト カメラ

ポール・スミス

日本を訪問するようになったのは、1980年代の初めにライセンス契約にサインして、かの国を頻繁に訪れる理由ができてからだ。私はすぐに、日本のイノベーションは他の多くの国の先をいっていることに気がついた。そして80年代の終わりにかけて、日本のプロダクトデザインはいっそう高度に進化しようとしていた。Water Designという会社に、坂井直樹というデザイナーがいて、彼がオリンパス社の70周年を記念するOlympus O[-プロダクト]をデザインした。最先端の材料を使いながら、伝統的で古風な外観をもっていて、製品には0番から20000番まで番号が振られ、たちまち売り切れて蒐集家のあいだで取引されるようになった。私も自分で1台手に入れて、さらに数台をロンドンのショップで販売した。以前は、なかなか買えないような面白い商品を仕入れたり輸入したりして、コヴェントガーデンのPaul Smithロンドン1号店でよく販売したものだ。煙草のライター、カメラ、大型のホッチキス、ダイソンの掃除機なんかを扱った。これだけは、と手放さないでいるものが今もあるが、オリンパスのカメラもそのひとつだ。テープで補強していても大切な宝物には変わりない。

ベン・サンダース

子どもの頃から僕はモノを集めてコレクションしていた。瓶の蓋は最近ではいわゆる「選択的編集」によって葉巻入れに入る分くらいになったけど、何千個も集めたし、NASCARのレーシング カーのレプリカも何百台も集めていて、毎週日曜、儀式のように父がテレビでレースを見ている横で、いろんな順番に車を並べ替えて遊んだ。ベッドの下にはJelly Bellyのジェリービーンを各フレーバー1個ずつラベル付きで貼りつけた板を隠していた。強迫的なモノ集めへのこだわりが、僕のアーティストとしての原動力だ。それは過去のいろんなコレクションと同じく、この世界の物質文化に対する、答えのない好奇心を反映している。創造面での影響という点では、ポール・スミス氏もクレジットしなくてはいけない。アートスクールにいた頃、ロンドンに旅行してクラスメートと一緒にポールをオフィスに訪ねた。今は亡き偉大なデザイナーのクライヴ・ピアシー(Clive Piercy)が紹介してくれたおかげだ。僕らはポールと一緒に、彼の骨董品だらけのオフィスで1時間過ごした。ポールは服のことは話さなかったが、代わりにいろんな宝物を次から次へと出してきては、それにまつわる物語やなぜそれが気に入っているのかを話してくれた。その訪問で、僕は「プロセス」としての探求の大切さを初めて学んだ。集めたり、旅したり、買い物したり、本を手当たり次第に斜め読みしたりする行為は、時に最終的な成果物よりも意味を持つ場合がある。そして、ポールほどの人物が、ひとつのカテゴリーにまったくこだわらずに仕事をし、自分にとって興味のあるものを手当たり次第に深く探っていくのを目の当たりにして、僕の人生観は大きく変わった。そういう膨大な「好みの基準点」は、最終的に美しく凝集して、もっと大きな確固とした世界観に昇華する。そのことを知っているポールの自信に僕はやられてしまった。この精神にのっとって、僕はポールのオリンパスO-プロダクト カメラをジャンプ台として、いくつもの輪、加工したアルミニウム、日本、80年代ファッションとテクノロジー、ダイソンの真空管、スパゲッティについて、何も決めない、即興の探求を行うことにした。その結果生まれた素材ミックスの絵画シリーズが僕のアトリエの壁を飾っている。ひょっとしたら、その中のどれかが、何年分もの傑作のインスピレーションになることだってあるかもしれない。

Ben Sanders 着用アイテム:フーディ(Paul Smith 50th Anniversary)

1990年代:
ジェームズ・ロイド作
ポール・スミスの肖像画
ポストカード

ポール・スミス

妻のポーリーン(Pauline)は、もともと王立美術院でファッション デザインをやっていたが、80年代の初めにファッションをやめ、美術史を研究して絵画の技法を学ぶことにした。大変な努力の末に、600人の応募者のうちほんの数名しか入れない狭き門を突破して、有名なロンドンのスレード美術学校に社会人学生として入学した。スレード在学中は、写生作品を主に描いていた。卒業時に写生画がこれからも継続されるように後押ししたいという彼女の希望で、私たちはスレード美術学校の写生モデルと、この学校で写生を学ぶ学生1名のスポンサーになることにした。その最初の学生がスレードで学んでいたジェイムズ・ロイドという若者で、ポーリーンと私は1994年から1996年まで彼の学費を援助した。スレードを出た彼は、ロンドンのナショナル ポートレート ギャラリーの有名なBP Portrait Awardという賞に出品し、みごと受賞して、賞金と肖像画の制作依頼を受けとった。ナショナル ポートレート ギャラリーは、私が卒業まで彼の面倒を見たなんてことはまったく知らなかったのだが、なんとそのコミッションというのが、ギャラリーの常設コレクションに加えるために私の肖像を描くことだった。ジェイムズと私がお互いに知り合いだと知ったときは、ギャラリー側は目を丸くしていた。1998年に肖像画は完成して、ギャラリーでの夕食会でお披露目された。じつに特別な瞬間だった。嬉しいことに、ジェイムズは今、プロの肖像画家として非常に成功している。私はロンドンの王立美術院の奨学金を通じて若い芸術家の援助を今も続けていて、今年は、クリエイティブな人々に有益な助言をする機関として財団を立ち上げる予定だ。

ジェニー・コーン

蒐集は子どもの頃から身に沁みついていて、他のどんな手法よりも、今の私の作品の特徴になっている。少女の頃、私たち姉妹は近所を探検する「ミッション」によく出かけたが、特別面白かったのが街をくねくねと走る細い裏道だった。立ち止まって芝生に咲く花を摘んだりしながら、そのへんを歩き回るうちに、捨てられたボタンや小さなおもちゃといったささやかな宝物が見つかる。こうした拾いものを手で撫でながら、私たちはそれらがどこから来たのか、なぜこの場所にたどり着いたのか、お話を作った。昔は大事にされていたことがあったのか。もしそうなら、なぜこんなふうに捨てられちゃったんだろう。そんな宝探しのミッションが好奇心の種を蒔き、まだほんの幼い頃に、郷愁に似た感情を私の中に植えつけた。そして、こうした儚いものを大切にする気持ちをさらに育ててくれたのが父だった。金曜の夕食後、父は特別なものがいっぱい詰まった大きな金魚鉢を出してくる。金魚鉢の上に手を泳がせて、なかに突っ込み、触ったものを引っ張り出す。ヘブライ語のラベルが貼られたクエン酸結晶のアンティークのボトルは、父の祖母が得意料理の甘酸っぱいロールキャベツに「酸味」を加えるのに使っていたもの。小さな女の子の探偵仕事にぴったりなミニ拡大鏡。蓋に当惑顔の老人ふたりが描かれた、薬用トローチ「Senior Mo-Mints」の缶。金魚鉢から謎めいた品物のどれを選び出しても、父はそれが自分にとって―ひいては私たちにとって―大切である理由について、話してくれた。とはいえ、アーティストになった私にとって、蒐集という概念は、ちょっぴり異端のものになったかもしれない。私の作品、つまりキャンドルに宿る命は期間限定だ。火を灯すあの小さな芯をのぞかせて棚に置かれたキャンドルに、人はこう思うかもしれない。あれを燃やして、数分間であれが溶けてしまうのを見つめるのはどんな感じだろう? あるいは、今、燃やさないとしたら、いつ燃やすのだろう? と。私の作品を所有する人々のなかには、火の儀式は行わないと約束してくれる人もいる。でも正直なところ、私は作品がアトリエを離れて新しい住処を見つけたら、それはもう自由の身だと思っている。作品は私とはかかわりなく自分の物語を語ればいいのだ―。燃えても、燃えなくても。私がただ願うのは、私の作品が愛でられること。父があの金魚鉢のなかの宝物を愛でたように。私が殖えつづける自分のコレクションを愛でるように。

2000年代:
アップル社Mac Cube
スピーカー

ポール・スミス

1990年代の終わりごろ、光栄なことにジョナサン・アイブ(Jonathan Ive)の知己を得た。彼はその頃はまだ、タンジェリンという英国のプロダクトデザイン会社で働く若いデザイナーだった。周知のとおり、ジョニーはスティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)にヘッドハントされてAppleに入り、輝かしい成功を収めつつ、30年近く働いた。彼は1998年に自分がデザインしたAppleのMacコンピューターを私に贈ってくれ、2000年に、私はそれをショップのウィンドウに飾った。それまではコンピューターは味気ない、退屈なオフィス用品にしか見えなかったから、色や形、透明な素材を使いこなす彼のデザインはまさに革命だった。2000年に、アップルは息をのむほどモダンな、Cubeスピーカーという素晴らしい製品をデザインした。家でも仕事場でも、私は巨大で無骨なワーフェデール社製のスピーカーにずっと囲まれてきて、そういうシステムがいろんな点で現代の音楽に適していると聞いていたから、Appleのスピーカーのサイズとその音質には驚愕した。製品内部の仕組み、つまり「はらわた」を見せるというのは、ひとつの発想の転換だ。それは私が自分の仕事で日々やっていることでもある。

ニッコ・ゲリー

「See the inner workings…」は、僕の子ども時代とポール・スミスが愛するAppleのCubeスピーカーからひらめいたポスター デザインだ。2000年代初め、僕は小学生だったが、いろいろな広告やテレビ番組、電子機器を鮮明に記憶していて、今もそこからインスピレーションを得ている。自分に影響を与えた時代へのオマージュとなるデザインを生み出したくて、ポールの特徴的なグラニースミスの青りんごプリントを下敷きに、透明、視点、テクノロジーの3つをテーマに作品をデザインすることにした。いろんな階調、さまざまなストローク幅を使い、Appleのスピーカーをめぐるスミスのストーリーの引用も加えて、縦に向きを変えると別の顔を見せてくれるデザインを作り上げた。りんごは下から浮き上がるように、あるいは上から落ちてくるように見える。この2つの構図を通じて、僕は自分の創作プロセスを、ポール・スミスとAppleの「Think different」というイデオロギーに結びつけた。

2010年:
Paul Smith
ジロ デ イタリア
ピンク ジャージ

ポール・スミス

私の経歴をいくらかご存知の方なら、10代の頃、私が自転車競技の選手だったことをご承知だろう。当時からずっと、自転車レースは常に身近だったし、今でも多くの現役プロ選手たちと親しくしている。2013年、名高いジロ デ イタリアのリーダー ジャージのデザインを依頼されるという格別な栄誉を受けた。リーダー ジャージは今もピンクだし、昔からピンクと決まっているが、これが難しい仕事だった。何しろピンクでなければならず、各ツアー スポンサーの名前を入れる必要があり、その上でブランドらしさやデザイン的解釈をなんとか盛り込まなければならない。この最後のポイントについては、非常にさりげない形で実現した。片袖に施した私のトレードマークのストライプ模様に、小さなサイクリストのスケッチ。それからジャージのヘムにかなり抽象的にアレンジしたPaul Smithのロゴをあしらった。このジャージについては、個人的にとりわけ大切な思い出が3つある。まず、私のデザインしたオリジナルのジャージを、バチカンでローマ教皇聖下が祝福してくださったこと。そして元世界チャンピオンで親友のマーク・カヴェンディッシュ(Mark Cavendish)選手がナポリのレースの第1ステージで踏ん張り、1日だけとはいえこのリーダー ジャージを着られたこと。3つ目に、私が尊敬し、何度か会ったこともあるヴィンチェンツォ・ニバリ(Vincenzo Nibali)選手が総合優勝したこと。あんな経験はまたとないと思っている。

ディアナ・”ディディ”・ロハス

私が今取り組んでいる作品のシリーズは、手作りのさまざまなコイル状の彫刻で構成されている。私の実験は大きさや形だ。外から見ると、どの作品も細かいところまで実物そっくりだったり、そのエッセンスをとらえていたりするが、それぞれの作品は空洞で、内側を覗くと、粘土を使ってコイルを作り上げた過程がわかってしまう。どの作品も、写真だけを手がかりにして制作した。私の作品は、消費主義の社会において、私たちにとってモノがもつ意味の範囲を拡げ、なぜ人間は服を着た自分を重視するのか、その理由を問うことを目的としている。今回、主題として私に与えられたアイテムは、ポールがデザインした2013年のジロ デ イタリアのジャージだった。それがじつに象徴的なのは、印象的なその色のためだけでなく、それをデザインしたのがポールだと見て取れるからだ。ジャージのデザインに対するポールのアプローチと自分自身の制作のプロセスに、私は通じるものを見出した。色とブランドという2つの制約のもとでデザインしながら、彼は「ポール・スミスがこれを作った」という主張をそこに刻んだ。同様に、私の彫刻では、モノに対する一定の忠実さを保たなければならないが、私の手、つまり作家の個性もまたそこからにじみ出る。ポールのシンボルであるストライプ、サイクリストのスケッチ、ブランドのロゴというディテールを使って、彼はこのジャージを巧みに自分のものにした。それはポールと、そのブランドと、自転車競技の精神を称える驚くべき作品だ。

  • 文: Paul Smith、Nikko Gary、David Jien、Janie Korn、Diana Rojas、Ben Sanders
  • 画像提供: Paul Smith、Nikko Gary、David Jien、Janie Korn、Diana Rojas、Ben Sanders
  • 翻訳: Atsuko Saisho
  • Date: October 14, 2020