ラフ・シモンズが描くヤング アメリカン

ラフ・シモンズが参加したCalvin Kleinに、関心が集まる

  • 文: Adriano Sack
  • 写真: (Raf Simons Portrait Image): Willy Vanderperre
  • 写真: (Runway Show Images): Giovanni Giannoni

天井からぶら下がる星条旗、道具、オブジェ。長期にわたってRaf Simonsとコラボレーションしてきたアーティスト、スターリング・ルビー(Sterling Ruby)によるインスタレーション。29番通りと7番街の角にある歴史的な会場は、凝った、しかし決然と華美を拒否した雰囲気に満ちていた。期待を集める有名ブランドの再生にまつわるすべてと同じく、この場所の選択そのものが意思を表明している。そう、ここCalvin Klein本社の1階で、ラフ・シモンズはアメリカを代表するブランドのデビュー コレクションを発表した。

これほど理にかなったことはない。シモンズの仲間であり、(スキニー シルエットを本当に生み出したのは誰かをめぐる)ライバルのエディ・スリマン(Hedi Slimane)は、伝説的ブランドYves Saint Laurentのクリエイティブ ディレクターに就任した当初、冷淡とも思える行動を起こした。ブランド名を変え、ロゴを変え、ブランドのスタイルを変えた。その上、もっともパリらしいブランドの拠点をロサンゼルスへ移した。それに対して、シモンズのやり方はもっと微妙だ。しかし、それを関心の薄さと混同してはならない。疑いの余地はない、シモンズは徹底してあらゆる可能性を探るだろう。

一般論が全体像の一部に過ぎないとしても、
アメリカは、以前ほど自らの文化遺産を省みる気がないようだ

ラフ・シモンズによるCalvin Kleinの初コレクションは、まさに再生の奇跡に他ならない。不思議な色のストライプ パンツ、様々な色合いのカウボーイ ブーツ、キルティングのパーカー、透明プラスティックで包んだフェイク ファー。連想するイメージは、楽隊、古典的な西部劇、ジョージア・オキーフ(Georgia O’Keeffe)、寮の部屋でのセックス、ウォール ストリートのスーツ、どことなく平凡な花柄ドレス。厳密なコンセプトを得意としたヘルムート・ラング(Helmut Lang)と同じように、シモンズは魅了されて止まない「若さ」を表現し続ける。これらのデザインは、香水や下着の売り上げを刺激することが目的ではない。誰かに買われて、もしくは盗まれて、着倒されるためのデザインだ。

1月のショーは、ふたつのバージョンの「This is Not America」で構成された。ひとつはデヴィッド・ボウイ(David Bowie)、もうひとつはパット・メセニー(Pat Metheny)。今の時勢にうってつけの選曲だが、同時に、シモンズの芸術的な選択とも完全に調和している。ボウイは、70年代にアメリカの音楽市場を席巻し始めたとき、自分の作品を「プラスティック ソウル-偽物のソウル」と呼んだ。ボウイがアメリカの音楽の伝統に感じる魅力と距離の両方を言い表した、絶妙なレッテルだ。シモンズのアプローチもそれと似ている。さながら、食べ放題のバイキングからたっぷりと食べ物を皿に盛りながら、ナイフとフォークを使って、完璧な食事作法で食べるような...。

しかし、今はもう70年代ではない。たとえ一般論が全体像のごく一部に過ぎないとしても、アメリカは、以前ほど自らの文化遺産を省みる気がないようだ。ファッションは、Eckhaus Latta、Rodarte、Telfarなどのニッチと、Ralph Lauren、Tory Burch、Coachなどの超主流ブランドに二極化した感がある。シモンズは、常に知的で一見冷静な手法の陰で、感情が見えないデザイナーだ。リスクは、Calvin Kleinに対する彼のビジョンが、国内市場を満足させるほどアメリカ的ではなく、海外市場を満足させるほどにはラフ・シモンズ的でないことだろう。ありがちなこのリスクは、様々な批評を巻き起こしている。同時に、ますますジェネリックが浸透するアメリカのファッション業界で、ファッション業界の加速とストレスを辛辣に批判した後という驚きとは別に、シモンズの着任が明るい兆しとされる理由でもある。

Calvin Kleinでやりにくいのは、マーケティングの面で、ファッション メーカーであるよりブランドのほうがはるかに重要だったことだ。Calvin Kleinと聞いて頭に浮かぶのはブルック・シールズ(Brooke Shields)、ブルース・ウェバー(Bruce Weber)のカメラを通してギリシャの神の化身となった下着姿のトム・ヒントナウス(Tom Hintnaus)、ケイト・モス(Kate Moss)とマーキー・マーク・ウォールバーグ (“Marky” Mark Wahlberg)。要するに、ホットパンツを履いたティーンエージャーだ。タブー的キャンペーンと、下着と、商業的なインパクトのない空疎なコレクションの足し算という定式は、シモンズの野望と一致しない。何と言っても、Christian Diorで仕事をしたシモンズだ。議論の余地はあるにせよ、ファッションから独創性と商業の関連が失われて久しいが、その復活の必要性を、いかにして社内と社外の人間に納得させるか。明らかに、これがシモンズの課題だろう。前任者であったウィメンズウェア担当のフランシスコ・コスタ(Francisco Costa)とメンズウェア担当のイタロ・ズッチェーリ( Italo Zuchelli)は、共に才能に恵まれ、ブランドを象徴するメインストリームのミニマル未来主義と調和してはいたが、決定的なレベルの興奮や衝撃を作り出すことは全くできなかった。

コレクションの数日前、初のキャンペーンが公開された。Calvin Kleinの「クラシックな」ロッカールーム的熱気に、オタクっぽいひねりと贅沢嗜好を完璧に結び付けた能力には、目を見張るものがあった。起用されたシモンズのお気に入りの写真家ウィリー・ヴァンダーピエール(Willy Vanderperre)は、アンディー・ウォーホル(Andy Warhol)、ダン・フレイヴィン(Dan Flavin)、リチャード・プリンス(Richard Prince)、そして驚くなかれ、スターリング・ルビーの巨大な絵画を背景にして、Calvin Kleinの過去のアイテムを着た若者たちを撮影した。若々しい被写体と、優良投資先の様相を帯びて加熱したアート市場の並置は、肯定と同じ程度に辛辣だった。これは、ウォーホルが確立し、完成させたテクニックでもある。ロバート・メープルソープ財団とコラボレーションした前回のコレクションからの、当然な流れだ。ちなみに、斬新な解釈を期待したかたくななシモンズ ファンは、前回のコレクションに失望した。

ラフ・シモンズは、象徴的なイメージの必要性を完璧に理解しているのと同じように、その点を理解している。今後どの航路を選ぼうと、シモンズには操縦できる能力がある。

  • 文: Adriano Sack
  • 写真: (Raf Simons Portrait Image): Willy Vanderperre
  • 写真: (Runway Show Images): Giovanni Giannoni