クロエが建てた家
俳優兼監督が語る、スクリーンの上とカメラの背後の人生
- インタビュー: Sanja Grozdanic
- 写真: Brigitte Lacombe

クロエ・セヴィニー(Chloë Sevigny)は、神話に包まれている。人口2万人ばかりのコネチカット州ダリエンから、当時なお宇宙の中心であったニューヨークへやって来て、アウトサイダーの怖いもの知らずと早熟さで、ニューヨークを自分にぴったりの街にしたクロエ。輝かしい経歴、伝説的なスタイル、詳細に報道された恋人たち。すべての理想の映画に出演し、すべての理想のパーティに出席し、すべての理想のボーイフレンドがいた究極のクール ガール。今、その帝国は衰退しつつある。もうひとりのクロエなど、ありえない。クラブ キッズから学べるかつての「Tunnel」のようなクラブは、もはや存在しない。当時19歳のクロエがいたワシントン スクエア パークから、スケーターたちが去って久しい。それどころか、スケーターは商品になってしまった。ジュリアーニが市長になって以降のニューヨークでは抹茶ラテがはやり、人々は、好奇心より大きい空腹を抱えている。そして、これは重要な違いだ。
広く浸透しているこんな解釈は、キャリアを築くためにクロエが積み重ねた努力を覆い隠してしまう。クロエが何もしないですべてを与えられたと思うのは、才能は持って生まれるものと考えるのと同じくらい、無邪気な考えだ。表現へ向かう最初の数ステップは持って生まれた才能かもしれない。しかし、そこには苦しみがあり、徹底した自己受容が必要だ。初の監督作「Kitty」は、両親や周囲の環境と全く異質な郊外の少女を通して、この考えを探っている。ポール・ボウルズ(Paul Bowles)による同名小説を元にしたキティの変容には、孤独と悲しみがある。それでもなおかつ、クロエはそのプロセスを見届ける。自由や個性の追求は神聖であり、才能には欲望やビジョン以上のものが要求される。それは、先頃Miu Miuのために監督した短編映画「Carmen」で明らかなように、日々犠牲を払うものだ。「Carmen」は、クリエイティブな生活に内在する反復、野望と隣合わせの孤独を見せる。映画の題名になったカルメン・リンチ(Carmen Lynch)は、勇敢で残忍なユーモアを売り物としながら、常に共感の後味を残すコメディアンだ。一生懸命には働かない、と多くのアーティストは言う。それが天才に関する思い違いの一部だ。すなわち、生まれながらの才能は磨く必要がない、という錯覚。クロエの実像を知ることは、パフォーマーを生み出すものは何かを知ることであり、愛と努力、そしてその両方への賞賛でもある。
「Last Days of Disco」や「Boys Don’t Cry」の当時から、クロエはけっして金で雇われるだけの俳優ではなかった。彼女が選んで演じる役柄は、彼女を突き動かすものを示唆している。まだ駆け出しの頃デイビッド・レターマン ショーに出演したクロエは、敬愛していたアートの先生にまだ見るのは早いと言われたにもかかわらず、「My Own Private Idaho」を見たと話している。それどころか、何度も見た。「私の世代とあなたの作品の関係も、それと同じです」と、私は彼女に告げる。近所のレンタル ビデオ店に「Gummo」はなかった。友達同士で貸し借りした。そして、それが仲間うちの定点になった。「方向性を定めて、自分の視点を表す仕事をして、ただ女優でいるより大きな意味を持ちたいと思った」と語るクロエは、会話を交わすあいだも、彼女ほどの有名アーティストにしては珍しく、フレンドリーで寛大だ。感情の爆発もない。微笑みも変わらない。今も、外側にいる人や外れた人たちの映画を作る。もっと楽な道もあっただろう。もっと稼げただろう。だが、追いかけると決めたものによって、人は定義される。

サンジャ・グロズダニック(Sanja Grozdanic)
クロエ・セヴィニー(Chloë Sevigny)
サンジャ・グロズダニック:あなたが出演した初期の映画は、私の世代にとって、どれも決定的な映画でした。そして、あなたは決定的な人物だった。男性優位の文化で、あんなに若い年齢で、あなたにはとても主体性があったみたいです。当時、どうやって映画を選んでいたのですか?
クロエ・セヴィニー:そうね、ほとんどはオファーされた映画なの。断った映画も沢山あって、今は後悔してるわ。心に残ってるヘルツォーク(Herzog)の言葉があるの。問題は、ただ1本の映画ではなく、出演したすべての映画で作り上げる家だ。総体として、何かを意味する経歴だ、って。私は、方向性を定めて、自分の視点を表す仕事をして、ただ女優でいるより大きな意味を持ちたいと思ったの。当時は簡単だったわ。90年代は、先鋭的に表現する人がたくさんいたから。「Gummo」から「American Psycho」まで、チャンスはいっぱいあった。今は、リスキーなこととか、そういう類の仕事を、みんなやりたがらないように感じるわ。
「Gummo」は、繰り返し見たり、交換されたりした映画のひとつでしたね。
私が高校生だったころは、ジム・ジャームッシュ(Jim Jarmusch)の映画だったわ。みんなで集まって、彼の映画や古いデヴィッド・リンチ(David Lynch)のビデオを見たものよ。何度も何度も。
これまでに数え切れないほどあなたのプロフィールを読みましたが、先ずスタイルから紹介されることがとても多いんです。スタイル アイコンという賛辞には、うんざりですか? たくさんの映画に出演されてきたにも関わらず、仕事に対する意欲がそれほど注目されないのはなぜだろう、と私はよく考えるんです。
それは多分、私が出演したどの映画より、そういう雑誌のほうがはるかに出回ってるからじゃないかしら。私、メインストリームの映画に全く出たことがないような気がするわ。数え切れないほどの映画に出たし、良い映画にも出たけど、演技を見るより、スタイルで私のことを知る人のほうが多いのかもしれない。クールな話、仕事の話、コネチカットの話、スタイルの話…メディアの仕事は疲れるわ。特にたくさんやるときはね。そういうのは大抵、何か大切だと思うことをプロモートしてるときなの。どんどん書いてもらって、みんなに気付いてもらうため。「Carmen」や「Kitty」や、監督としての仕事では、特にそれを感じるわ。だって、私が男だったら、間違いなくスタイルの話にはならないはずだもの。もっと「個性派俳優」的な位置付けになってたと思う。でも、今まで私をそう形容した人はいない。私は、色々な役柄を、それもしょっちゅう演じてるし、どちらかというとそっち系なのに、誰もそう言わない。どうしてかしらね。最近の「American Horror Story」と「Bloodline」だって、これ以上違えないっていうくらい違う役だったのよ。

私が男だったら、間違いなくスタイルの話にはならないはずだもの。
もっと「個性派俳優」的な位置付けになってたと思う。
でも、今まで、私をそう形容した人はいない

カルメン・リンチには惹かれた理由は?
彼女は、何度も見てきたわ。コメディをあの方向へ向けたい、って思ってたの。彼女がやってる挑発とか女性問題の方向。カルメンこそ、対話したい相手だったわ。最近、女として、私が望む方法で語りかけてくる作品にはあまり出会わない。私は、みんなに疑問を投げかけて、同時に楽しませて、泣かせて、とにかく色々とやりたかったの。
「Kitty」は成長物語だと思いました。自分の場所、あるいは自分自身、そしてそれに伴う苦しみを知ることです。「Carmen」は、それに対して払う犠牲を示しているようでした。この理解は正しいですか?
ええ、その解釈いいわね。「Carmen」はもっと色々探求することできたと思う。短編はとても難しいわ。短く仕上げるように心がけたの。12分、13分になると、少し間延びするから。コメディアンや俳優、アーティスト、ミュージシャンであることの反復について取り上げたかったの。
あなたが成長する上で、クラブ カルチャーはどんな役割りを果たしましたか? あの時代や先鋭的な場所だったクラブは、神話になっています。
最近、私は自分のインスタグラムで、ウォルト・ペーパー(Walt Paper)という名前で活動としていたクラブ キッズを、シャウト アウト機能で紹介したの。Netflixでマイケル・アリグ(Michael Alig)についてのドキュメンタリー「Glory Daze」を見て、改めてあの世界が甦ってきたわ。まさに思い出をたどる旅だった。そこに出て来る登場人物や人々は、自分のことを過激に表現していて、小さな街で育った私が知っている人たちとは全然違っていた。とても刺激的だったわ。昔は、今よりも大っぴらに派手な格好をすることは危険だったと思う。だから、外に出て、自分らしく振る舞うには勇気が必要だったし、そこにはクリエイティビティもあった。私はドラッグには興味がなかったからラッキーだったわ。ドラッグのせいで多くの人が破綻していったから。私は、ただ外出して、みんなを観察するのが好きだったの。「Party Monster」という映画に出演したけど、あの世界がニューヨークで私が好きなもののひとつだったわ。そこを、とても上手く捉えている。あのシーンの中にあった奇妙な階級、いろんなレベルの人々であふれていて。ニューヨークの素晴らしい時代だったわね。いきいきしていたわ。
スケート カルチャーについてはどうですか? あなたがいたスケート カルチャーの中には、コミュニティや仲間意識がありましたね。それは、ハリウッドでは非常に珍しいことだと思います。
スケートカルチャーは、私にとっていつもボーイズ クラブのようなものだったから、そこに属している感じはしなかったわ。郊外にいた頃はそこにいたけれど、それはどちらかというと気の合う友達を見つけるためだったの。でも、都会に来ると、私にとってそれはちょっと違った感じになったのよね。いつも風変わりな人たちがそこにいるんだけど、スケートのシーンには私が好きになれない一面もあって、それはマッチョな部分。私はどちらかといえばスケート ベティーのひとりだったの。それは、スケートもやらないで、私が好きだったような音楽を聞いている人たちのこと。そして、お互いに共通点や共通の興味を持っているの。

1日に受け入れられる限度を超えた、人間同士の距離の近さ
あなたの本のプロジェクトについて聞かせてください。私は特にあなたのジンが大好きなんです。タイトルもそうだし、あなたのボーイフレンドの顔の上に貼ってあるステッカーも。あれは実用的な目的でそうしたのだと思いますが、これがクロエのボーイフレンドなのか、って逆に目を向けさせる効果がありますよね。この本を作った動機を教えてください。
Innen Zinesのアーロン・ファビアン(Aaron Fabian)という男の子が全てのシリーズを手がけてるの。リチャード・プリンス(Richard Prince)やリタ・アッカーマン(Rita Ackermann)たちとこのシリーズをやってきて、ほんとにすごいアーティストが名を連ねているわ。私にも、1冊やってほしいって声をかけてくれたのよね。ちょうどRizzoliのための本を終えたところで、それは付き合った男の子たちに関するものにはしないようにしてたの。ハーモニー(Harmony)以外はね。彼とのことはもうよく知られているから。それで、当時ジンを製作するためにいろいろとまとめていたんだけど、簡潔な表現にしたかったから、私が人生で好きになった全ての男性についてのジンにすることにしたの。父親や私の兄も含めて。そこに「New York Post」紙の私にまつわる変な記事も付けることにしたの。いくつかの記事は真実だけど、そうじゃないのもある。ひとつの記事はタイトルが「No Time For Love (恋愛している場合じゃない)」というもので、それは私の兄に関する話だったの。彼が「New York Post」紙に、いかに仕事のせいで私が恋愛関係に問題が起きているかを話したの。だから、ジンにそれを入れたのよ。
アメリカでは女性の監督の割合が、トップ250に入る映画だと7%、あるいはトップ700の映画だと13%だということを最近読みました。男女間の報酬格差についての話がたくさん出てきて、もうよく知られた話になっています。様々な分野で活躍されてるあなたは、この状況をどう思いますか?
数字はウソをつかないわね。私は、今までそんなに女性の監督と仕事をしたことがないわ。短編映画にはたくさん出て、別の立場で、友達を助けようとしてきた。脚本なんかが私の元に送られてきたら、作品に関わりたいかどうかという意味では、私は男性のものよりも女性監督との仕事を真剣に考慮するわね。
テレビでは特にそうなの。次から次へと監督が変わるけど、それが女性であることはほとんどないわ。要は、もっと多くの女性を力のある地位に就けることだと私は思うの。そしてプロデューサーとして女性を雇うことね。私の映画では、その方が共感しやすかったり、自分自身でいることもより簡単に感じたし、もし私が感情的になっていても、みな理解してくれていて、それが悪いことだなんて思われなかったわ。自分のまわりに他の女性がいることは、とても重要なことなの。


かなりの長い時間をかけて遊牧民のような状態で撮影をするのは、どんな感じなのでしょうか?
それはプロジェクトによるわね。私は、リジー・ボーデン(Lizzie Borden)の映画をジョージア州のサバンナで1ヶ月かけて撮影したの。私が出演するシーンはほぼ毎日あったし、撮影の終わりの方にはもうカメラに映りたくなかったわ。自分のプライバシーがほしかったし、自分自身になりたかった。「Big Love」を撮影していた時のことを覚えているわ。6ヶ月経ったころには、私は気がくるいそうだった。浮気をしたことで私が非難されるシーンがあったの。家族全員が私を嫌っていて、1日中、そのセリフを浴びせかけられる。例えそれがセリフだってわかっていても、演じる上で感情をオープンにしていないといけないし、それを感じて反応していると、精神が疲弊してくるの。撮影現場では、演技以外のコミュケーションを一切しない俳優と仕事をしたこともある。彼らはほんとに静かで、人と交流することもないの。そういう人は自分たちを守っていて、演技をする時のために、充分なエネルギーを蓄えているんだと思うわ。でも、それとは別の人たちもいる。いつもとても陽気で人を笑わせているの。映画の撮影現場には、多種多様な個性があって、その中でうまくやっていかないといけないの。仕事している人たちは皆、そうなんだろうけど。映画には映画特有の、人と人との距離の近さがあって、髪の毛から、メイクアップ、衣装、それに監督、他の俳優まで、とにかく人に触られ続けるの。1日に受け入れられる限度を超えた人間同士の距離の近さ、って言えばいいかしら。
カサヴェテス(Cassavetes)が、彼の素晴らしい夫人であるジーナ・ローランズ(Gena Rowlands)を主役に据えた「こわれゆく女」のような映画は、独特の活力に満ちています。そこで私は、あなたが愛する人たちとどう仕事をするのか、そのプロセスについて聞きたかったんですが。
最近はなくなったわね。もうずいぶんと昔のことね。「Lizzie」では友達と仕事をしたわ。彼は私のためにこの映画を書いてくれたの。私が彼を雇ったんだけど、もとはルームメートだったのよ。また映画のセットの中でルームメート戻ったみたいだった。私たちの関係が近すぎて、かえって大変、って感じることさえあった。そこまで親しくない友達じゃなかったら、しないような行動も取っちゃうから。それから、また他の映画でも撮影を担当している友達と一緒になったわね。ほんとに彼が私を見ているように感じたの。でも、あれはとても都合が良かったわ。彼は私のことをほんとに見ているし、私のことを知っているから、自分のやっていることに集中しないといけない。そして彼に信頼してもらわないとって。昔から知っているから、彼に良い印象を与えたかったっていう、そういう感じなの。
あなたは毎週ミサに行っていると読んだことがあります。そして、休暇にはいつも家に帰ると。あなたの生活の中では、習慣はどのような役割りを果たしていますか?
もうそれほど通っていないけどね。若い時は毎週行っていたわ。私はとても安心して過ごせる家庭で育っていて、きちんと体系化された仕組みや習慣といったものに安心感を抱くの。私たちはみんな何か習慣を持っている生き物で、頻繁に旅に出て、家から出たり帰ったりしている時は、とくにその習慣の中に心地よさを見つけ出すんだわ。よく知らない街にひとりでいる時は、ミサに行くの。私が人生の中でずっと聞いてきた、言葉の繰り返しや匂いに触れるためにね。
- インタビュー: Sanja Grozdanic
- 写真: Brigitte Lacombe
- 動画: Miu Miu