2018年2月、Sies Marjanの5度目となるコレクションで、クリエイティブ ディレクターのサンダー・ラック(Sander Lak)のデザインと、1950年代のメロドラマや魔法のような3本フィルム方式のテクニカラーで知られる映画監督ダグラス・サーク(Douglas Sirk)の作品との間には、色彩的な共通項があることが判明した。かつてサークは、1978年の『Film Comment』誌のインタビューで、「私は奇妙な筆を使って絵を描こうとしているのだ」と語った。さらに映画監督フランソワ・トリュフォー(François Truffaut)は、そこから遡ること20年前に、サークの色使いは「色鮮やかで率直」であり、「画家なら思わず叫んでしまうくらい、見事な光沢と艶に溢れている」と述べている。さらにトリュフォーはこうも言った。「それらはラグジュアリーな文明の色であり、我々がプラスチックの時代に生きていることを思い出させる工業的な色である」と。
鮮やかな色彩。率直。奇妙。プラスチック。ランウェイに、艶めかしい素材をまとった男女のモデルたちを送り出したラックのビジョンの表現をするには、まさに同じ言葉がうってつけだ。彼のデザインは、コントラストと矛盾を中心に作られている。例えば、赤に滲み出す青。ありそうでない、シワの洗練。そして、腸のようなピンク色をしたレザーのトレンチコートの放つ、魂を揺さぶる衝撃。
あずき色、暗赤色、虹色にキラキラと光るメタリックな素材。なかには、酸化した銅につく緑青を彷彿とさせるドレスもある。黒のチュールに包まれていたり、もしくはミントと赤ワイン色のサイケデリックなシャーリングの下に重ねられていたりする。アサガオからセイヨウスモモ、ツルニチニチソウに至るまでの様々な色合いの紫は、捉えどころのない曖昧さを醸し出す一方で、光沢のない色合いは、さながらウニの色見本のようだ。
ショーでは、表面に細かなシボがあるハンマーサテンや、クレープデシンが色鮮やかに旋回し、淡々とでランウェイを漂った。その動きは驚くほど緩慢であるにもかかわらず、ほどよい緊張感もあった。小さな苦悩、ラックが得意とするシワ加工や折り目に象徴される不安感、不規則なヒダとロゼット、彼が「服の音声学」と呼ぶもの。こういったディテールのおかげで、カシミアのセーターが冷静でありながら、気取りや高慢さを感じさせない。ちなみに、ラックの生み出すカシミアのセーターは、ダークでねじれている。Sies Marjanの秋冬のランウェイは、視覚的なクライマックス次々と襲い、『風と共に散る』でのローレン・バコール(Lauren Bacall)の青みがかった顔色、もしくは『天はすべて許し給う』でジェーン・ワイマン(Jane Wyman)が見せた、紅潮して打ちひしがれた天使のような顔を彷彿とさせる、純然たるメロドラマのオンパレードだった。

ラックの色彩理論、と勝手にそう呼んでいるが、それとダグラス・サークの色鮮やかな景色との類似点を、単純に「映画のような」と矮小化すべきではない。これらふたつの類似は、より直感的で、そしてこの35歳のデザイナーの初恋に深く根差しているからだ。その初恋の相手とは映画、しかも『ジュラシック・パーク』のことである。ラックは、幼少の頃から映画製作を夢見ていた。映画の中のストーリーやキャラクターに自分を重ね合わせるだけでなく、映画制作に必要となるサウンドトラック、衣装、セットデザイン、全体的なショー的要素、共同作業が織りなす魔法にも惹かれた。「映画を避けて通ることはできなかった。僕はまさに、『ジュラシック・パーク』に出てくるあの男の子だったし、『E.T.』の中のエリオットだった。僕の部屋は、映画のポスターや映画関連の本、映画のグッズで埋め尽くされていたよ」。彼がこう教えてくれたのは、5月のある朝、西26丁目にある1千平方メートルのスタジオの端に位置する、毛皮やクロームメッキのカンチレバーチェアが並んだ、煌びやかで真っ白なSies Marjanのショールームで、私たちがふたりして腰掛けている時だった。
「友達とよく映画を作ってたんだ。僕自身は楽しかったけど、なにせ完璧主義者だったから、それに付き合わされた友達は、そんなに楽しくなかったみたい。僕は、本当に映画を撮影しているという気持ちで真剣に作っていた。だけど、友達にとってはサッカーとテレビを見る間の余った時間でやること、くらいの意識しかなかった。でも、僕はオスカーを狙っていたんだ。単なる遊びのつもりじゃなかった。そんな感じだから、1、2時間もすると友達が『サンダー、もう懲り懲りだ』って。でも、当時の僕にとっては、ローラ・ダーン(Laura Dern)って誰なの? 他にどんな映画に出てるの? 『ブルーベルベット』って何?って具合に、興味は尽きなかったよ」


ラックの映画への関心は薄れることがなかった。今でも関心事であることには間違いないが、ファッション映画を監督することには、全く興味はないと彼は言葉を選びながら言う。「映画は僕にとってはかけがえのない気晴らしなんだ。映画は、職業としてやっているファッションで経験するような、重圧や重荷とは無縁でやりたいんだ。職業ではないけど、映画についての記事は毎日読んでるよ。興行成績も全部頭に入っている。僕がいちばん好きなのは『Hollywood Reporter』の討論会を観ること。もう完全にハマってるよ! 脚本家、俳優、みんな素晴らしいけど、僕はプロデューサーの討論会が大好きなんだ。プロデューサーはいつも陰の立役者だからね。彼らは人の目に触れない仕事をしている」。私はラックに、その討論会でお気に入りの回はあるかと訊ねる。すると彼は、間髪入れずに「オプラ・ウィンフリー(Oprah Winfrey)とジュリア・ロバーツ(Julia Roberts)とルピタ・ニョンゴ(Lupita Nyong’o)の回だね。たぶん、もう100回は見ているよ。この回が超大好きなんだ。他に何も観るものがない時は、何回観ても、また観てしまう」と即答した。
1983年6月23日にブルネイで生まれたラックは、Shellの技術者だった父の転勤で子供時代は各国を転々とした。彼の両親はオランダ人である。Siesは彼の父親の名前であり、Marjanは母親の名前だ。「僕の母は、父がShellで働き出した時に彼に付いて行こうと決めたんだ。母はオランダにうんざりしていたし、父親も別にオランダが好きじゃなかったから、ふたりで『じゃあ、海外に行こう』って。ノルウェーに行って、オマーンに行って、そしてブルネイにたどり着いた」。ラックは兄弟の真ん中だが、家族はその後、最終的にはマレーシアに住んでから、中央アフリカのガボンの熱帯雨林に引っ越した。「荷物をまとめて、ここが新しい家だから、慣れてね。いつもそういう感じだった。毎回新しい土地で生活しながら、いろいろなものを吸収していく。僕の両親の方針はいつもそんな感じ。だから僕には、ホームシックという感覚がないんだ」と彼は言う。

スコットランドのアバディーンに住んでいた、ラックが10歳の時に、父親が他界する。母親はオランダに戻ることに決め、まもなくして再婚した。義父と彼の3人の連れ子も加わり「まるでコメディドラマ『ゆかいなブレディー家』のようだった」とラックは語る。
彼が最初に興味を持ったのは映画であったにせよ、すぐにファッションに関心を持った。「若い頃は、Pradaのお店に行くけどお金がない、そういう感じの子供だった。店員が僕にお金がないことを見抜いて、『出てけ』って言わないことを祈ってた。自分が夢中になっているもののためにお金を節約して、1ヶ月間食事を我慢するのがどういうものか、僕はわかっている。何度もそういう経験をしてきたから。だから、僕にとってファッションは、それなんだ。ほんとに素晴らしいことだと思う」
ロンドンのセントラル・セント・マーチンズで、ルイーズ・ウィルソン(Louise Wilson)の下で学んだ後、ラックはニューヨークでMarc Jacobs、パリでBalmain、そして最後にアントワープではDries Van Notenで仕事をし、2015年にSies Marjanのチーフエグゼクティブ、ジョイ・ローレンティ(Joey Laurenti)に声を掛けられた。それから今日までの3年間に、アメリカファッション協議会(CFDA)のEmerging Talent賞の受賞に加え、ビヨンセ(Beyoncé)、ゾーイ・クラヴィッツ(Zoë Kravitz)、ブリア・ヴィナイテ(Bria Vinaite)、セリーヌ・ディオン(Céline Dion)、イザベラ・ロッセリーニ(Isabella Rossellini)、ベラ・ハディッド(Bella Hadid)をファンにするまでにブランドを成長させた。現在34人の社員を抱え、うち15人はアトリエで働いている。ラックはスタジオの雰囲気を、団結していて、やや内向きであるけれど濃密だという。そしてチームは、共通のビジョン、リズム、そして色や構図に対する鋭い感性を持ち、それゆえにそれが脆弱性にもなりうる集団だと表現する。
ジョセフ・アルバース(Josef Albers)、ヘレン・フランケンサーラー(Helen Frankenthaler)、シェイラ・ヒックス(Sheila Hicks)、ジム・ヘンソン(Jim Henson)──Sies Marjanのスタジオにある、とてつもないモノの量、ロール状の生地、床から天井までを占める本棚の谷間に埋もれて立つと、こうしたアーティストの名前が思い浮かぶ。ラックに影響されるのは簡単なことだ。彼のデスクに置いてあるGatoradeの氷河凍結のボトルが、もしかして彼のインスピレーションの源になっているのではないかと、ふと思った。その透明で冷たい水色の液体は、ラックのラミネート加工されたホログラフィックなデザインに非常に似ている。そのボトルの横に置いてあるのは、ピンク色のマイリトルポニー、携帯用チューブ型のCliniqueモイスチャライザー、ルピ・クーア(Rupi Kaur)の『The Sun and Her Flowers』、紫色の蛍光ペン、スペアミントのガム、そして「There’s So Much I Want To Say To You」と題されたシャロン・ヘイズ(Sharon Hayes)の展覧会カタログ。

Sies Marjanのスタジオでは、自然に沸き起こる直感と技術の調和、そして奇妙な視覚的接点が生まれている。「僕たちは皆、ワイヤレスヘッドホンを装着して他の音を遮断し、大勢で同じ音楽を楽しむ、いわゆる『サイレント ディスコ』の中にいて、好き勝手にやっているんだ。それがまさにあるべき姿だよ。僕ができることには限界がある。例えば、僕は裁縫ができない。パターンも全く作れない。セットを作ることもできない。でも、僕の信念を信じてくれて、なおかつ最高のものを作りたいがゆえに、時に僕に異論を唱えることも厭わない人たちが、まわりにいる。それもトップ中のトップの人材がね。僕にとってそれは、映画監督でいるのと何ら変わらない。最終的には、映画のプレミアのような結果が生まれるわけだから」
ラックのデザインからは、明らかな、何かの幕開けを彷彿とさせるオーラが発せられている。服が発表させる。まるで初演日のようだ。生地が光を受けて反射する。もしくは大気圏に突入する流星群のようにまばゆく光り輝いている。そこには動きもある。それを幅広く理解するには、再びラックの映画に対する熱狂に目を向けなければならない。彼のデザインは、スチール写真にある不鮮明さや偶然、そして不可解さを再現しているのだ。「僕たちは服を見る時に、いつもそれがどう動くかについて考えている。それも、キャットウォークでだけじゃなくてね」と彼は言う。「たとえば、日々の生活の中でのこと。クローゼットの中ではどう見えるのか。そして、そこから取り出して身に着けて、それを今度は娘に譲る時にはどう見えるのか。この世界の中でそれはどういう動きをして、どのように作用するのか? 身に着けている女性はどんな人物なのか? 彼女はこの服と何を合わせるのか? スーパーマーケットには行くのか? あるいは、浮気をしているのか?」
ラックは、こうしたストーリーを自分に問いかける。その物語が、彼の服に生命を吹き込み、彼の色との関係性と同様、「さらけ出していること」を感じさせる。彼が執拗に色を使い、他よりも風変わりな色合いを使うのは、美を見付け、そしてその中で希望までをも見付けることにあると主張する。「Comme des Garçonsの服と、ヨガのパンツの、二者択一である必要はないんだ。どちらか一方を選ぶ必要もない。場合によっては、色のある服を着ることは、何故かはわからないけど、すごく開放感を伴うものだよ。表情が変わるのは、何とも言えない良さがある。気分を上げることだって出来る」

一晩に10時間眠るラックは、スタジオからの近さと、さらに余分に仮眠を取りたい場合に備えて、自分のアパートを選んだ。そんな彼は、自分を完全に追い込まなくても、自然と仕事モードになると言う。私たちがラックに会った朝に彼が着ていた洋服も、もちろん彼のデザインではあるのだが、パジャマのようにダラッとしたものであった。ラックが着ると、ラベンダーシルクはアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ(Antoine De Saint-Exupéry)の『星の王子さま』を思い起こさせた。「別れたり、困難な状況に自分を置いたりすると、あら不思議、素晴らしい仕事が生まれる、って人がいるよね。でも、僕はそういうタイプの人間じゃない。逆に、よく眠れた時は、効率よく仕事ができる。僕は自分にとって何が必要なのかわかっているし、自分が欲しいもの以外にむやみに手を出さない。全てがはっきりとしている。この世には大変なことが山のようにあるけど、僕がこの仕事をしているのは、自分のやっていることが好きだから。自分のやっている仕事を自分が好きだということが好きなんだ。好きでいることをイヤになりたくない。結局のところ、僕たちはただ服を作っているに過ぎないんだから」
Durga Chew-BoseはSSENSEのシニア エディターである
- 文: Durga Chew-Bose
- 写真: Marcelo Gomes