百聞は一見に如かず:Helmut Langアーティスト シリーズ

任期満了を迎えるブランド駐在編集者イザベラ・バーレイが新生Helmut Langでの歴史と視点の探求を語る

  • インタビュー: Romany Williams
  • 画像提供: Helmut Lang

写真家の北島敬三が彼女の肖像を撮影したのは、1980年代のニューヨークの暑い夏の日のようだ。 赤い口紅に赤いマニキュア、カラフルな柄のノースリーブ姿で、右肩に見える長く伸びたケロイド状の傷跡。交通量の多い通りを渡ろうとする際、肩越しに見せたその表情は憤っている。あるいは単に苛立っているのか。その瞬間の彼女の苦痛は、誰にでも当てはまる普遍的なものであるような気がする。

北島敬三、July 4, New York、1986 冒頭の画像:Peter Hujar、MAN III、1969

北島敬三、September 26, New York、1986 画像のアイテム:Tシャツ(Helmut Lang)

北島は『Helmut Lang Seen By: The Artist Series』のために選ばれた12名のアーティストのひとりだ。これは、Helmut Langのブランド編集者の任期を間もなく終えるイザベラ・バーレイ(Isabella Burley)が進めるプロジェクトである。2016年、27歳の若さで起用されたバーレイは、雑誌『Dazed & Confused』の編集長も務める。彼女は成し遂げたのは、2005年にラング自身がブランドを去って以来、商業化の道を進み、インパクトが弱まっていたHelmut Langの抜本的改革だった。だが、『Helmut Lang Seen By: The Artist Series』は、バーレイが手がけるHelmut Langのパズルの1ピースにすぎない。これは独立したプロジェクトではあると同時に、他のプロジェクトの補完的な役割も果たしている。シェーン・オリバーを起用した「The Design Residency Program」では、『Helmut Lang Re-Edition』と銘打ち、Hood By Air創設者によるランウェイ コレクションを行なう。また、ブランドのアーカイブを復刻する『Helmut Lang Fans Seen by Exactitudes®』では、衣服の均質性を研究したグリッド状に並べた写真シリーズで知られる、写真家アリ・ヴェルスルイス(Ari Versluis)とスタイリストのエリー・イッテンブローク(Ellie Uyttenbroek)のふたり組とのコラボレーションを展開している。

『The Artist Series』では、ビジュアル アーティストの作品を発表する場として、しかも場合によっては初公開の場として、Helmut Langを活用する。作品は、Tシャツやブランケット、ポスター、バッジといった形で、各アーティストにつき毎月1シリーズずつ、2018年9月まで公開される。バーレイとそのチームにより選ばれたアーティストには、ヴァルター・ファイファー(Walter Pfeiffer)、北島敬三、マルティーヌ・シムズ(Martine Syms)、キャリー・メイ・ウィームズ(Carrie Mae Weems)などが名を連ねる。

「私にとって重要なのは、各アーティストの名前と、それが公開される方法に驚きと意外性があることなの。例えば、リー・レデア(Leigh Ledare)のような作家からキャリー・メイ・ウィームズになり、マルティーヌ・シムズやピーター・ハジャ(Peter Hujar)のアーカイブや、マーク・モリスロー(Mark Morrisroe)の遺産に展開していくという意味でね。展開の仕方がとっぴで驚かされるというアイデアが気に入っているの。もちろん、ひとつのプロジェクトとして見た時に、ちゃんと意味を成していることが条件だけど。もっと世に知られるべきだと感じていた、一連の作品やシリーズを取り上げることに興味があった。そして中でも、ある種のカルト的人気のある一連の作品を、新しい世代のために解釈し直すことに関心があったの」

カルト的な人気を誇る芸術作品を、ファッション界でも最も神話化されたブランドの1つであるHelmut Langの領域で再解釈しようとするこの試みは、作品の発表媒体となるアイテムの選択においてはっきり現れている。ポスターやバッジといえば、それはまさにファンの世界である。本質的に10代が追いかけるような世界が、『The Artist Series』を若者の規範に結びつける。新たな世代のHelmut Langのカルト的ファンを引き込むために、Helmut Langのブランドの下で、他のアーティストの作品を発表することは、どちらかというとメタ的だ。だが、相互作用やカスタマイズを促すようなモノの形にパッケージ化された場合、そのモノが独り歩きし出す可能性があるのが魅力だ。「いくつかのアイテムは、やっていて本当に楽しかったわ。ピーター・ハジャのブランケットとかね。夜、ベッドに丸まって、知らない男がオーガズムに達している写真のブランケットに包まれる。しかも、自分の上にこれを乗せて眠るというアイデアがすごくいいでしょ。Helmut Langのビジュアル、特に彼が選んだようなアーカイブ作品は、その作用の仕方や影響の及ぼし方という点で、常にかなり挑戦的なものだったと思う。そういうものを、現在のプロジェクトに持ち込むというアイデアが気に入ってるの」

Peter Hujar、MAN II、1969 ブランケット

『The Artist Series』のブランケットについては、今回選ばれた作品の根底に流れる濃厚な親密さが、特に顕著に表れている。例えば、エイドリアン・サリンジャー(Adrienne Salinger)が90年代に10代の若者の寝室を撮った作品や、キャリー・メイ・ウィームズの「The Kitchen」シリーズなどだ。今日、外見の純粋なもろさとして共有されるイメージとは、Instagramに投稿されたモデルの小さな吹き出物の写真や、自分を卑下するようなハッシュタグか何かと一緒に投稿された泣きじゃくるイット ガールなどだ。純粋な人間同士のきずなを形成する手段としての親密さに対して、現代における親密さは、自分ブランドを築き上げる際の道具として作られ、加工され、利用されることの方が多い。シェアしようとする衝動が全てを凌駕し、誠実さなど過去の遺物となった時代に、このようなイメージを発表することで、その意味は増幅される。

だが、現在の文化的風潮の中、こうした何十年も前の芸術作品が、観客から本能的な反応を引き出すことが、いかに可能であり続けるのか。いかにして、これらの作品は重要であり続けられるのか。何より、どのようにして新たな世代の人々の足を止め、目を向けさせるのか。「今日、私たちは、過去の誰も見たことがないよう方法で、過去の芸術を見ている。実際、私たちの芸術の認識方法は、以前と異なっているのだ」と、ジョン・バージャー(John Berger)は『Ways of Seeing』に、従来の遠近法を探求する前置きとして書いている。見る人の目、つまりその個人が、自身の体験に基づき、フィルターにかけてイメージを見る方法こそが、『The Artist Series』の核となっているのだ。今日のHelmut Langにおいて、視点に関するこの認識は極めて重要のようだ。

「私は、 シェーンのプロジェクトや『The Artist Series』に使った、「seen by(〜の見る)」という言葉が本当に重要だと考えているの」とバーレイは言う。 「Helmut Langが90年代にあれほど素晴らしかったのは、人々の視点というこのアイデアと、コラボレーションにかなりの重点を置いていたせいよ」。例えば、ジェニー・ホルツァー(Jenny Holzer)やルイーズ・ブルジョワ(Louise Bourgeois)といったアーティストとラングの関係は、ただのコラボレーションを超えていた。ラングは自身を、アーティストの創作過程における共同制作者であり仲間だと考えていたのだ。

Walter Pfeiffer、UNTITLED、1982 枕

2017年の夏の公式ローンチ以来、バーレイがとってきた戦略は、コラボレーションというラングの遺産に焦点を当てて尊重しつつも、消耗してしまわないよう配慮することだった。「今、Helmut Langが有名ブランドとして存在するということは、過去のHelmut Langと誰しもが異なる接点をもっているということよ。『The Artist Series』は、ブランドの精神の重要な部分に関わるものでありながら、どこか新しい感じがする、そういう取り組みなの。もし、すでにブランドとコラボレーションしたことのある芸術家だけに注目したのなら、むしろブランド対する冒涜のように感じられたはずよ。ブランドはこの10年間、この過去のHelmut Langの精神とまったく接点やつながりをもってこなかったから、ブランドの歴史とのつながりや対話を再び確立することは、非常に重要なことだった。さらに先へ押し進められるような位置にブランドをもっていくには、そうする必要があったのよ」

2001年の『032c』のインタビューで、ラングは、ファッションの熱狂的な歴史主義への回帰を予想していた。彼は、自分のアーカイブの復刻販売を考えているのかと尋ねられ、こう答えている。「そうすることは、事実上、1つの市場のセグメント全体を閉じることになることを考慮する必要がある。優位な立場にある主流ファッション ブランドが、何もかも自分たちの手中に入れてしまうだろう。過去20年のスタイルを自分たちのものだと主張して、レトロ ファッションという形で、大部分を遮断するはずだ。そうなると、若いブランドには純粋な歴史主義では勝てる見込みはないだろうね」

「昔のHelmut Lang」という考え方は、当然ながら、ラング時代のショーを目の当たりにした人たちの心に寄り添うものだ。彼らの多くは、ミレニアル世代が牽引するノスタルジー経済、つまり「純粋な歴史主義」に若干苛立っている。そして一部の人は、デザインの創意工夫に欠けるとして、ファッションにおけるアーカイブ イメージに激しい批判を向ける。「これがノスタルジーなのかはわからない。でも、すでに存在し、当初ある意図をもって作られたものが、何らかの方法で新しいものとして再生するという考え方には、人を惹きつける何かが絶対あるわ」とバーレイは言う。「商業的な主流ブランドのコレクションのあまりに多くが、Helmut LangのDNAからキーコードを取り出して、使えなくなるまで洗い流してしまった。そうやって、ブランドのDNAをバラバラにして、ずたずたに切り裂いて、そのバラバラのピースを何かに作り変えてしまうのではなく、アーカイブから復刻してリリースする、それも丁寧にそれをやることは、もっと素敵なものよ。」

Walter Pfeiffer、UNTITLED、1984 ポスター

次のヘルムート・ラングは誰だ?」みたいに、代わりを探し出そうとすることはできない。ヘルムート・ラングを別の人に置き換えることはできないのだ

Leigh Ledare、A dream into the Real、プライベート コミッション、2008

Leigh Ledare、プライベート コミッション、2008

彼女の言うことには一理ある。今日、ミレニアル世代のノスタルジーの兆候が顕著に表れているのが、ケンダル & カイリーによる125ドルの2パック(Tupac)Tシャツや、ストリートウェアの写真でフィルムの縁をあえて見せるスタイルなどだろう。だがHelmut Langを所有するものがあるとすれば、それはブランド自身に他ならない。この「〜によって見られた」という実験的な切り口での再構築は、アプロプリエーションを土台とすることがますます増えているファッション システムにとっては、歓迎すべき新たなアイデアとなる。「『次のヘルムート・ラングは誰だ?』みたいに、代わりを探し出そうとすることではないの。そんなことは起こりえない。ヘルムート・ラングを別の人に置き換えることはできないのよ。こういう風に、ブランドを完全に変えてしまうような、ひとりのスター デザイナーを見つけることに焦点を絞るのは、とても危険よ」とバーレイは言う。あらゆるファッション ブランドが、次のフィービー・ ファイロ(Phoebe Philo)やラフ・シモンズ(Raf Simons)を求め、果てしない奪い合いを行う時代、第二のヘルムート・ラングは登場しないということを受け入れるのは、それ自体、ちょっとした革命だ。

「私がここで与えられた時間は有限だから、ブランドにとって意味があると感じられることをやりたいだけ。それが、現在のHelmut Langはどうありうるのか、そしてHelmut Langに関わるべき人々とはどのような人かに対する、私なりの視点よ。次の人が来れば、今度はそれがその人の視点に変わる」。現に、バーレイの後継として、『W Magazine』の元フィーチャー ディレクター、アリックス・ブラウン(Alix Browne)が、この2月からブランドの舵を取り、Helmut Langの過去、現在、そして未来を新たに問うていくのだろう。

おそらく、この視点に対する理解こそが、バーレイがローンチに尽力してきた新生Helmut Lang全体の中で、最も手腕を発揮した点ではないだろうか。『The Artist Series』の最大の成果はここにある。私たちが何かを見る方法は、絶え間なく移り変わる。だが、それをそういうものだと認めることが、未来へと続く扉を開く。次はあなたの番だ。『Helmut Lang Seen By: You』

Peter Hujar、MAN I、1969

Romany WilliamsはSSENSEのスタイリスト兼アソシエイト・エディターである

  • インタビュー: Romany Williams
  • 画像提供: Helmut Lang