ボタンを外し、素肌にスーツ

フォーマルなスーツに自由の風が吹き抜ける

  • 文: Christopher Barnard

2年前、キム・カーダシアン(Kim Kardashian)が素肌にスーツで現れた。あの姿が僕の頭から離れない。残像が勝手に頭にこびりつき、時が経るにつれて意味が生まれていく、あの感じだ。彼女が所有している膨大な数の服を考えれば、格別目新しいわけでもないし、難度が高いわけでもないが、比較的おとなしいあのスタイルには、実は慎重な動きが要求されるのだ。ちょっとした姿勢の狂いでインターネットの大炎上を招くだろうことは、想像に難くない。

あのときのスーツは、Tom Fordのブラックのタキシード。素材はしなやかに揺れるクレープ地で、思い出のセーターみたいに、長い袖が指の半分まで覆い隠していた。当時アルミ箔のようなシルバー ブロンドだった髪が、ピークド ラペルの上に流れ落ちていた。Gucciのロゴを並べた撮影用の背景幕がエデンの園だとするなら、そこに立つキムは正装のイブだ。この上なく自由でありながら、全体としては一分の隙もない完成度に、僕の目は釘付けされた。ボタンを留めないままのジャケットは、頭上からクレーンで下ろしてきて、そっと体に着せかけたようだ。軽やかであるべきところはあくまで軽やかに、見せるつもりのないところはきちんとガードして、視線はあくまで垂直に露出した中央の肌の部分に引き寄せられる。深いV字型のカットではない。強烈な印象を計算し尽くして、ドラマチックに切り込んだ着崩しだ。

同様のスタイルは形を変えて、あらゆる場所に出現している。いちばん新しいところでは、 2020年ゴールデン グローブ授賞式だ。フィービー・ウォーラー=ブリッジ(Phoebe Waller-Bridge)はRalph & Russoのショール カラーのスーツ。ジャケットのボタンは留めてあるものの、かなり深くまで開いている。ケリー・ワシントン(Kerry Washington)は、Altuzarraのジャケットとスカートのスーツ。ボタンを外して露出した肌は、ジュエリーで飾られている。不動のスタイル アイコンであるトレイシー・エリス・ロス(Tracee Ellis Ross)は、見えることを計算に入れたブラレットの上に、JW AndersonDriesのエレガントなロングドレスやパンツのスタイルが多い。Maison Margielaがダッチェス サテンで仕立てたアバンギャルドなブラック スーツでソランジュ(Solange)が澄ましている動画は、何時間見ても見飽きない。

歴史を振り返ると、このスタイルが萌芽したのは、センシュアリティと直截かつ挑戦的なウーマンリブがぶつかり合った70年代だ。例えば、グレイス・ジョーンズ(Grace Jones)がリリースしたアルバム『ナイトクラビング』のカバーや、サントロペでミック・ジャガー(Mick Jagger)と挙式したときにビアンカ・ジャガー(Bianca Jagger)が着ていたYves Saint Laurentのタキシード ジャケットなど。「自分には何が似合うかを知ってること、それがスタイルよ」という言葉で有名なビアンカは、自分にはスーツが似合うことを認識していたに違いない。一方、ジョーンズが素肌に着たスーツはGiorgio Armaniの厚意によるものだったが、不滅のイメージになったのは、グレイスのコラボレーターでありパートナーであったジャン=ポール・グード(Jean-Paul Goude)のおかげだ。写真を切り貼りしてペインティングをほどこした作品で、唇にタバコをくわえたジョーンズは、誘惑より、不敵な挑戦を発散する。

同じように男性が素肌にスーツを着る場合、修正用のボディ テープにさほど頼らなくても自信は持てるものの、セクシーでホットな雰囲気は消滅する。Gucciのロゴ模様ジャケットのジェレミー・ポープ(Jeremy Pope)、『Vanity Fair』主催のオスカー パーティにダスティ ローズ ベルベットのFendiで現れたジェイソン・モモア(Jason Momoa)、粋なDiorの前をはだけて『The Fader』の表紙を飾ったアフロ ポップのゴールデンボーイ、レマ(Rema)。シャツやボタンを留めたスーツがほぼ全滅状態の2020年秋は、文字どおり開かれたシーズンだ。露出した胸も、筋肉隆々から青白く薄いものまで、さまざま。いずれにせよ、胸をはだけた男性のセクシーさというより、ただ着ただけで他は気にかけないような「いい加減さ」を感じさせる。男性の場合は、もちろん乳首が見えても平気なのだ。しかし、女性の頭上には、間違えて乳首が見えてしまう恐れが「ダモクレスの剣」のごとくぶら下っている。セレブのスタイリストやレッド カーペットの常連でなくてもキムが手掛ける最新ビジネス「SKIMS」はご存知と思うが、商品には「ペイスティ」と名付けられた乳首ステッカーや、市販の弾性包帯みたいなブラジャー代わりのテープがある。21世紀の現在、あらゆる場所であらゆる角度から「見せる」ために、どれほどの手練手管を弄して女性らしいラインを強調するか。この点で、キムに勝るノウハウを持っている人はまずいないだろう。その点、乳輪が見えたって平気な男性軍は、いとも気楽に新たな時代へ進むことができる。

見た目は同じでも、クリステン・スチュワート(Kristen Stewart)は、もっと高次な天界レベルでスーツのあり方を変えるベテランだ。彼女のうしろには、卓越したテーラリングを誇るChanelが控えている。特に、ヴィルジニー・ヴィアール(Virginie Viard)がクリエイティブ部門を指揮するようになってからは、ムードボードにスチュワートのイメージを貼り付けるだけではなく、彼女自身のファッション感覚に内在する超自我からデザインを汲み上げているらしい。最新コレクションに登場したサイケデリックなプリントやシャツなしで羽織るブクレ織りジャケット、それもトップを留めてウエストに向けて開いた「逆V字形」の着方は、スチュワートが何年も前からやってきたことのバリエーションだ。ショール カラーのジャケットをミニドレス代わりにして2018年リゾート ショーにやってきたスチュワートは、いつものちょっと戸惑ったような微笑と、はだけた胸で視線を集めた。

そもそもスーツとは、著しく形骸化した鎧以外の何物でもない。鎧が何世紀にもおよぶ変遷を経て、店舗のラックにぶら下がる商品に姿を変えたのだ。誇張したショルダーは優越を示し、急所の胸部を守るように襟が走り、絞ったウエストが敏捷な体の動きを助ける。長年にわたって、スーツはリメイクされ、あちこちを削られ、あらゆる方法でいじられ尽くして、新しいことを試す余地はほとんど残っていない。おそらく、その周囲からすべてを取り除くこと以外は。

シャツであれ何らかのアンダーレイヤーであれ、今、スーツの下に何かを着てレッド カーペットに現れたら「過剰」な気がするだろう。シャツなしスーツのスタイルを「ラペル ショー」と呼べばどうかな、と僕の知り合いのスタイリストは冗談を言う。確かに柔術番組『ラペル ショー』に出てくる参加者は、素肌の上に道着のスタイルだ。しかし本気で見せるつもりなら、ファッションや高難度のスタイルが必ずそうであるように、創意工夫が不可欠だ。時が来れば必ず、トレンドの振り子は反対の方向へ揺れる。それも、遠い先のことではないだろう。だが今のところは、露出した皮膚で自由に呼吸すれば、気分は爽快。ボタンなんか糞食らえ。ボディ テープの出番だ。

Christopher Barnardはニューヨーク、イースト ヴィレッジのライターである

  • 文: Christopher Barnard
  • 翻訳: Yoriko Inoue
  • Date: February 3, 2020