スニーカーボットに裏切られるとき

スニーカー人気の虚構と現実

  • 文: Whitney Mallett

昨今、インターネットにはボットが溢れている。スパムボット、フィード フェッチャー、Webクローラーなどが、人間以上にウェブ上のトラフィックを作り上げているのだ。ウェブのネットワーク サーバー上を飛び回るデータの大半が自動化されたスクリプトによるもので、ほとんどのページ ビューは、マシンの目が見たものである。これは、皆がスニーカー入荷を待ち望んでいるかに見えるネットの小宇宙を考えると、なんとも不気味な現実だ。2011年、Off-Whiteが登場する前、まだNikeYeezyを作っていた頃から、スニーカーボットは誰もが欲しがるアイテムを手に入れてきた。セキュリティー会社Akamaiの調査によると、重要なリリースになれば、人より早く購入ボタンをクリックするように設計された、ボットのトラフィックによって、人間のトラフィックはすっかり影を潜めてしまう。だが、こうしたボットの背後にある、さらに大きな現実は、それ以上にディストピアかもしれない。そこでは、どのようにしてコモディティ化が実体を超越してしまったかが示されている。今や、物質としてのスニーカーは、バーチャルな目標のための一手段なのだ。

スニーカー愛好家たちは、偽物の見分け方を知っている。ジョーダン1の場合、もし内側のオレンジ色のステッチが、一部だけでなく下までずっと続いていれば、その靴は本物ではないということだ。どんなモデルの場合でも、偽造品を見分けるサインとして、レプリカ製造者が使う塩素系の接着剤の匂いがしないか、嗅いでまわるという手もある。オンライン リテールにも同じように、直帰率やページの読み込み回数をトラッキングするソフトウェアといった、偽物と本物、ボットと人間を見分ける独自の方法がある。また、買い物を確定チェックアウト画面のCAPTCHAのパズルでボットを混乱させようと試みる。

だが結局それも、いたちごっこだ。ソフトウェア開発競争では、各陣営がひたすら技術革新を続けていく。リテール側がボットを遮断する手段を思いつくやいなや、ボット開発者たちは、検知システムをかいくぐる、新たな戦略を発明してしまう。プロキシは、1人1足限りの制限をかいくぐるため、購入ごとにユニークIPアドレスを生成する。プログラマーたちは、人間のマウスの動きとタイピングのパターンをあらかじめ記録しておき、ボットが自然な動きをして、レーダーの網をすり抜けられるよう設計する。

ボットの背後にある、さらに大きな現実は、それ以上にディストピアかもしれない。そこでは、どのようにしてコモディティ化が実体を超越したかのかが示されている

スニーカーマニアの中には、ボットが別のタイプのインチキを促進していると非難する人もいる。ダフ屋のように、スニーカーの転売屋たちがボットやプロキシ、最適化したサーバーを使って、限定エディションの発売期間中、可能な限り多くの新作スニーカーを買いあさり、それを二次流通市場でべらぼうな価格で転売しているのだ。「カートに追加」をクリックして買い物するような普通の顧客は、事実上、太刀打ちできない。自らボットを購入しようとするのでなければ、今いちばん人気のスニーカーを獲得する手段としては、eBay、Flight Club、Goat、Stadium Goodsのようなオンラインのマーケット プレイスが使われるようになっている。そして、1足220ドルで販売されていたはずのYeezy Boostsが、リセール市場においては1700ドルもすることも。真のスニーカー通と、おバカなワナビーを区別することで頭がいっぱいの人たちにとっての問題は、1000ドルを超えるようなスニーカーを買えるのが、金持ちの若者ばかりになっていることだ。そして彼らは、金持ちの若者など本当の意味でのスニーカーマニアではない、と訴える。

ボットの力を借りたバイヤーと、バイヤーが活性化に一役買っている10億ドル規模のリセール市場に対する恨みの背後には、スニーカー文化のジェントリフィケーションと、白人による黒人スタイルの消費に対する、苦々しい思いが垣間見える。ここ10年間で、スニーカーはファッションの主流かつラグジュアリーになってしまった。2010年に始まったInstagramによって、このサブカルチャーはより多くの、世界中の人々の目にさらされるようになった。結果として人気は急激に高まったが、同時に誰でも簡単に始められるようになり、ある種の平坦化が進んだ。そこでは、トレンドの熱狂という集団意識のために、同じようなデザインの生産がシステマティックに進められた。ブランドは、アスリートではない人とコマーシャル契約を結ぶことが増えている。スニーカーがランウェイに登場し、ファッション ハウスはストリートウェア界の才能を指名するようになった。スニーカー バブルは弾ける寸前に思える、といった憶測を書いた解説記事に事欠かない一方で、ベラ・ハディッド(Bella Hadid)が麻薬の売人のように、男の子たちがモテるには、どの「ドープ」なスニーカーを履くべきかを語ってから2年近く経とうというのに、流行が下火になる気配は一向に見えない。

さらには、スニーカー オタクたちは、自分用のスニーカーを手に入れるためであれ、転売のためであれ、その両方のためであれ、さらに高いお金をボットに対しても払うことが、判明しつつある。ボットは最高で1500ドルもすることがあり、その上に毎月の維持費として数百ドルかかる。そしてボットが買いあさる限定商品よろしく、テクノロジーに精通したボット開発者は、入手可能なボットのライセンス数を制限する。たとえば、すべてが一括で行える人気のボット、CyberAIOにアクセスできるのは、毎月たったの100人だけだ。CyberAIOは、異なるタイプのオンライン ショップに対応しており、NikeやShopifyを使っているKithやBape、Alifeだけに特化したボットと比べ、汎用性が高いとスニーカーマニアの間で話題だ。

つまり、私たちは、一次流通市場ではシューズを売るスニーカー製造業者と販売業者を儲けさせ、二次流通市場が許す限り好きな価格でスニーカーを転売する再販業者を儲けさせ、再販業者 (と一部の利己的な消費者) に圧倒的に有利なボットのライセンスを供与するプログラマーをも儲けさせている。その上、調達グループのサブスクリプションのような情報経済も存在してい。ここでの調達とは、ボットを使ってアイテムを獲得するという意味だ。グループに入ると、比較的低額な月30ドル程度で、入荷時期に関するニュースや、どのスニーカーが二次流通市場で売れるかについての推論、技術的な問題が起きた際のトラブルシューティングのヒント、最新の専門ソフトに関する情報などを入手できる。

1000ドルを超えるようなスニーカーを買えるのは、金持ちの若者ばかりになっている。だが、彼らは本当の意味でのスニーカーマニアではない

スニーカーは、フォーム、ラバー、レザー、ナイロンのメッシュなどで作られている。そして、コレクター達はそれを売りもせず、タグも取らず、紐も解かず、箱も新品同様のまま保管することに取りつかれており、その靴が持つ「実在性」を強調する。たとえスニーカーが商品の物神性の典型的な例に思えるとしても、このスニーカーボットや、調達グループという新たな潮流が示唆するのは、むしろ資本主義が、コモディティ中心から情報中心へと進化しているということだ。マッケンジー・ワーク(McKenzie Wark)は、その新著『Capital is Dead』の中で、「今やコモディティ化とは、世界の様相ではなく、モノに関する情報世界の様相を意味している」と説明する。資本主義が変容すると、情報のコモディティ化によって、新たな階級関係が生まれる。さらに、この階級は従来の階級にとって代わるのではなく、追加されるのであり、同時に存在するものだ。つまり、スニーカーの工場も、その工場と、そこでスニーカーを縫ったり接着剤でつけたりする労働者を所有する資本家は、今なお存在する。だが、それに加えて、パソコン画面上でスニーカー情報が処理されるのをひたすら見ているプログラマーと転売屋がいる。彼らは、スニーカーに関する情報はすべて、知的財産と認められるような何かに変えて利用しようとするが、自分たちの作り出す、こうした新情報の価値を完全にお金に換える手段自体を所有しているわけではない。ワークはこうした人々をハッカー階級と呼び、情報が飛び交うインフラの所有者たちをベクトル階級と呼ぶ。

ヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)の、スニーカーのパーツに「FOAM(フォーム)」や「靴紐(SHOELACE)」などパーツ自体の名前を記した、ふざけたラベルをつける手法は、ある意味、コモディティであるモノが、こうして抽象的な情報に変換されるのだということを、直感的に表していると言える。さらに、Robloxのような大規模なマルチプレーヤー参加型のオンラインゲームでは、本物のドルで、バーチャルなadidasのスニーカーや、他にもSupremeやGucciといったブランドの商品を購入できるようになっており、現在のデータ中心の時代において、物質主義がどのように位置付けられているかを、より一層、明確に示している。

ショッピングがマシンによって行き過ぎたタスクのひとつになっているような、ディストピアな非人間的インターネット世界の予兆である以上に、スニーカーボットは、高まる雇用不安と憧れの対象のラグジュアリーが私たちを駆り立て、自分たちの興味と情熱から可能な限り価値を絞り出そうとする、資本主義の状態そのものを露わにする。スニーカー カルチャーに持てる者と持たざる者が存在するなら、それには当然、転売屋という中産階級が存在するということだ。中産階級が、一部の者にしか手が出ない高額の商品を手に入れようとする場合、自らの趣味を副業に変え、夜遅くから早朝まで複数のモニターをチェックして過ごしては、同時にボットの番や手作業を行うという犠牲を払うしかない。そして、たとえ、こうしたバーチャルな活動のすべてが実際のスニーカーとして現れたとしても、それは再びデータに、ピクセルに、0と1に、YouTubeの開封動画やInstagramで自慢するための写真へと変換される。私はこれが、情報時代におけるファッショニスタの農奴制だと言いたいのではない。とはいえ、思い当たる節があるのなら、一旦、足を止めてみるべきではないだろうか。

Whitney Mallettはニューヨークを拠点に活動するライターで映像作家。現在、ユニバーサル・ベーシックインカムをテーマにしたビデオ作品を、ボルチモア美術館にて公開中である

  • 文: Whitney Mallett
  • 翻訳: Kanako Noda
  • Date: September 12, 2019