ステファノ・
ピラーティの
「Random Identities」が
始まる
Yves Saint Laurentのクリエイティブ ディレクターを務めたデザイナーが、変遷するファッション環境をものともせず、ソロとして動き出す
- 文: Stefano Pilati
- 画像提供: Random Identities Studio
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Yves Saint Laurentのクリエイティブ ディレクターを務めたイタリア人デザイナー、ステファノ・ピラーティ(Stefano Pilati)はベルリンへ移った。そして、鳴りを潜めている。次はどこで姿を現すか、様々な噂が飛び交ったが、『ニューヨーク タイムズ』によると、パリで開催されたGmBHのショーで姿を目撃された。それもショーを訪れただけでなく、モデルとしてカメオ出演し、キャットウォークを歩いたというから驚きだ。『032c』が18ページにわたってピラーティを特集したエディトリアルで、ベルリンで親交を結んでいる仲間たちと一緒にルーカス・ヴァスマン(Lukas Wassmann)の写真に納まったのは、2年前の夏のこと。そのときピラーティは、ベルリンは自由を感じさせてくれる街だと言っている。だから、自分の気分次第で、もっと自由な視点から人生や仕事を見ることができる、と。ピラーティは時代を先取りしたビジョンでファッション界に影響をもたらし、模倣できない独自のスタイルを作り上げた。洗練され、美しく、粋で、流れるような魅力だ。だからこそ、近年の沈黙が余計に興味をそそった。
今までは…。
そのピラーティが、ソロとしての新プロジェクト「RANDOM IDENTITIES」を発表する。シンプルなモノクロを選んだロゴは、過去の一切に決別した新たな出発を表すという。ついに初めてピラーティが口を開き、RANDOM IDENTITIESについて、ファッション界の現状とアマチュアリズムの台頭について、包み隠さず本心を語った。真の変革を実現するには、伝統によって培われた熟練に柔軟性が要求される現状で、新しい規範や新しいホリスティックな生き方を体験するのは、一体どんな感覚なのだろうか。
僕が新ブランドに付けた名前は「RANDOM IDENTITIES」。「Random」は実存の無作為な有り方、「Identities」はその無作為性に対する僕たちの反応を意味している。トレンドではなく、個性、機能、品質、デザインに自分のアイデンティティを見出せる場所を、このふたつの言葉で表現した。だが何より重視するのは、現在僕たちが目にしている「ジェンダーによる役割分担」の変化を示す新しい規範を、自信を持ってスタイルと融合することだ。
僕には膨大なアーカイブがある。実際は、アーカイブというより、僕の日常的な着衣だ。そうやって僕はウェアの個性を試し、単なる消費ではなく、機能が提供する関連性という別の視点から、ウェアと僕自身の相互作用を体験する。そこから新しいプロジェクトが生まれたし、それが新しいプロジェクトの核心にもなっている。自分の中で感じるものがなければ、やらない。



高級ファッション界を離れてみて、意外なことに、解放感を感じた。僕の生活はファッションによって規定された部分が非常に大きかったから、ファッション抜きの自分を考えることができなかったし、それは、多少、不安定な感覚だった。
僕がファッションを愛するのは、ファッションが持つ意味を学んだからだ。ファッションは、皮相的なものとみなされることもある。それだけで、他の形態のアート表現に対して、後退的な劣等感を持っている。ファッションなしに十分暮らせる「人もいる」ことは、僕も承知している。
だが、自分の生活にファッションをとり入れる選択をすれば、ファッションは着る人の個性を引き立てる存在になる。僕自身がそのことを体験した。髪や目や足や声と同じように、自分という存在の一部になりうるだけでなく、特に、物腰、教育、趣味の一部になる。
僕は、先ず、自分自身のために装う。それが他の人に認められれば、嬉しい。
僕自身のスタイルは、日を追って洗練を高める旅のようなものだ。他の方法ではおそらく受け容れることが難しい自分の側面を、ファッションが表現する。
その意味で、僕は毎日の旅路を楽しんでいるし、旅が終わってしまう日を恐れている。
僕にとって、ファッションはいちばんインスピレーションに溢れる場所だ。僕の気分、感情、特に、僕の直感、経験、知識をスタイルへ転換する方法、それがファッションだ。情熱、献身、規律、手法、技術が必要なことは、言うまでもない。
今現在、僕がファッション業界の体制に対して腹を立てているのは、ファッションの技術や技能が、手法を伴わないアイデアの応用と化したことだ。ただのフォーマット、出来合いのフォーマットになってしまった。
製品を買って、着て、動向を見てさえいれば、ファッションに関して一家言を持てると、誰もが勘違いしている。ファッションが辿ってきた歴史や独自のスタイルに関する理解、あるいは経験さえなくても、お構いなしだ。
今や、ファッション デザイナ-はエンターテイナーに取って代わられた感がある。
新世代のデザイナーたちは、アマチュアであることを誇りにしている。自分たちが社会全般に及ぼしているダメージを、理解していない。
戦争、退行、価値観の瓦解、社会観の堕落、悪趣味が進行している現代を衣服に反映すべきときに、ステータスのみを売り物にしている。
僕のブランドは、洗練された趣味とスタイルを見分ける僕自身の感受性を表現することが目的だ。そもそも、僕は、それらの点で評価されている。
「シックは売れない」という言葉は何度も耳にしているが、たとえ売れなくても、僕は断固としてシックを主張する。
「ソロ」への転向を決心してから、僕は何層にも堆積したパーソナリティを剥ぎ落とす必要があった。企業と袂を分かつことには、長所と短所の両面がある。企業という構造や工場は、創造の面でも個人としても、生き方を教えてくれた。ビッグに思考するなら、どこでどのように「ビッグ」が本領を発揮するか、理解する必要がある。僕は、エンターテイナーとしてではなく、デザイナー、媒体、できればオピニオン リーダーとして認められたい。
企業構造の内側での生活は、教育的であると同時に、破壊的だった。
ベルリンにいると、ファッションから距離をとれる。その結果、自分の行動にもっと客観性が持てるようになった。不安はない。



僕は、クラブ通いやナイトライフとは、まったく無縁だった。みんなと同じく、ありきたりな理由で魅力を感じてはいた。つまり、一言でいうなら「セクシー」だから。だが朝仕事に行くことを考えて、ナイトライフという贅沢は自分に許さなかった。
もっと後になると、夜も、仕事、集中、創造に費やす時間になった。
ところがベルリンに来て、「クラブ」の視点から、ナイトライフを理解するようになった。
興味深い出会いが生まれるダイナミックな空間、それがクラブだ。ベルリンという背景には、独自のビート、リズム、スピード、ファッションがある。虚飾がなく、率直で、純粋で、ブランドと化すことなく、正直だ。
ぼくはそんな雰囲気と関わっているし、とても貴重な相互作用を体験している。
若い友人たちが追究を重ねて自分を見つけていく過程を、僕は見守り、サポートし、感じていたい。彼らが希望を持ち、夢を描くのを見ていたい。
観察し、自分の中で理解し、好奇心と喜びをもって、そこに参加する。
ここベルリンでは、若者の形成にクラブ文化が大きな場所と役割を占めている。自由があり、逸脱があるが、守ってくれる囲いがある。
透明であることが鍵だと、僕は学んだ。これはとても示唆に富んだコンセプトだ。かつて、マルコム・マクラーレン(Malcolm McLaren)に言われたことがある。「ビートのないファッションなんか、ありえない」。以来、僕はビートとファッションの融合に目を向けている。それで視点が変わることもよくあるし、そのことが気に入っている。

確かなのは、僕自身がきっとそこから派生するアイデアにインスパイアされるってこと。今から楽しみだ。
- 文: Stefano Pilati
- 画像提供: Random Identities Studio