8本の名画:忘れられないスーツ
パワー、セックス アピール、身だしなみとしての装い
- 文: Miriam Bale、Ashley Clark、A.S. Hamrah、Simran Hans、Manuela Lazic、Christina Newland、oss Scarano、Olivia Whittick
- イラストレーション: Tobin Reid

映画世界のスーツが、大挙して、ファッションの世界へ戻ってきた。BalenciagaやMarc Jacobsのレッド カーペット ルックのおかげで、Pierre Cardinのパゴダ ショルダーも、ジェームズ・ボンドのロープ ショルダーも、当分姿を消すことないはずだ。Gucciのランウェイには、ゆったりとしたダブルブレストで、いかにも踊りやすそうなフレッド・アステア(Fred Astaire)ばりのスーツが散りばめられていた。一方、80年代スリラー映画でお馴染みのグレーやオフホワイトやベージュのツイードを現代風に脚色してみせたのは、Acne Studios、Jacquemus、Lemaireだ。ニューヨーク ファッション ウィークでは、VaqueraやMaryam Nassir Zadehのドラマチックなスーツが登場し、Eckhaus Lattaでさえ、少数ながら、ニュートラル カラーの贅沢なスーツを作ってみる誘惑に抵抗しきれなかった。
権力争い、法廷ドラマ、アメリカのギャングを描いたマーティン・スコセッシ(Martin Scorsese)映画、マイケル・マン(Michael Mann)の諸作品に欠くことのできない「スーツ」は、それ自体がひとつのジャンルだ。キャサリン・ヘップバーン(Katharine Hepburn)、マレーネ・ディートリヒ(Marlene Dietrich)、キム・ノヴァク(Kim Novak)を思い出そう。そして、躍進めざましい、近年の強くたくましい主演女優軍のスタイルを見てみよう。いつの時代でも、どんな場合でも、スーツは羨ましいほどの自制、意志の力、自尊心を示す。8人のライターの記憶に深く刻まれたのは、銀幕のどのスーツだろうか?

モデル (左) :ブレザー(Alexander Wang) モデル (右) :シャツ(Maison Margiela)、スーツ(Maison Margiela)、ネックレス(Maison Margiela)、(Maison Margiela)、ブーツ(Maison Margiela) 冒頭の画像のアイテム:ポロ(Giorgio Armani)、スーツ(Giorgio Armani)、ブレザー(Helmut Lang)、トラウザーズ(Helmut Lang)
クエンティン・タランティーノ『ジャッキー・ブラウン』(1997年)
クエンティン・タランティーノ(Quentin Tarantino)のこの映画は、ブラックスプロイテーションのアイコンとして有名なパム・グリア(Pam Grier)演じるジャッキー・ブラウンが主人公。動く歩道に乗ってロサンゼルス空港を移動しているジャッキーの横向きの姿で、映画は始まる。落ち着いて、自信ありげで、沈着冷静を絵に描いたような彼女は、マリン ブルーのスチュワーデスの制服を着ている。礼儀正しさが要求される職業にぴったりの身だしなみだ。だが別の意味で、その制服はコスチュームでもある。メキシコ航空での仕事は実は表の姿。裏の仕事は、麻薬の密売人オデール・ロビー(サミュエル・L・ジャクソン/Samuel L. Jackson)のために大金をアメリカへ持ち込む運び屋だ。
警察に尻尾を掴まれた後も、ジャッキーのスーツ姿は変わらない。逆に、捜査官レイ・ニコレット(マイケル・キートン/Michael Keaton)と市警マーク・ダーガス (マイケル・ボーウェン/Michael Bowen)にオデール逮捕の案を持ちかけ、ショッピング モールで金の引き渡しを仕組んだジャッキーは、試着室でスプレッドカラーのパリッとしたホワイト シャツとフィットしたブラック スーツに着替えて、オデールの手下に金を手渡す準備を整える。
実行に移す前、鏡で自分の姿をちらりとチェックする。申し分のない完璧な姿に満足して、しばし時が止まる。まるで、ショッピングに来た普通の女性みたいだ。しかし、そんな瞬間は長くは続かない。新しい装いも、目を欺くためのもうひとつの変装に過ぎないのだ。結局、ジャッキーは関わりのある全員を出し抜き、大金のほぼすべてを懐に入れたうえ、オデールが取引を裏切ったと言いがかりをつける。
当局とオデールの両方をまんまと手玉に取ったジャッキーは、最後のシーンでようやく本来の自分になることができる。そして、たったひとり、彼女が自由の身になることを本気で手助けしてくれたマックス・チェリー(ロバート・フォスター/Robert Forster)を訪れる。彼といっしょにいるときだけは、彼女を仕事に縛り付けるスーツを脱ぎ捨てることができた。素肌にローブだけをまとって、お気に入りのレコードを聞かせたものだ。そんなマックスに別れの口づけをして、ジャッキーはスペインへ旅立つ。ジーンズにホワイトのトップスとオーバーサイズなジャケットを着たジャッキーは、光り輝いている。ブラックのスーツはとてもシャープだったけど、犯罪者でもなく、法に忠実な市民でもなく、ただひとりの自由な女であるためには、窮屈過ぎた。
Manuela Lazicは、主として映画をテーマとするフランス出身のライター。ロンドンを拠点として、『Little White Lies』、『Ringer』、『BFI』、『Sight & Sound』、その他多数に記事を執筆している

モデル(左、右):ポロ(Bottega Veneta)、ブレザー(Bottega Veneta)、トラウザーズ(Bottega Veneta) モデル(中央):ベスト(Lemaire)、ジーンズ(Lemaire)
ヴィム・ヴェンダース『パリ、テキサス』(1984年)
トラヴィス(ハリー・ディーン・スタントン/Harry Dean Stanton)は、最初に、落ちぶれた流れ者の姿で登場する。身も心もボロボロだ。汚れがこびりついただぶだぶのスーツ、安っぽい赤い帽子、もはや靴の体をなさなくなった靴という姿で、テキサスの砂漠で行き倒れる。やがて、知らせを受けた弟のウォルトが迎えに来て、サンフェルナンド バレーにある洒落た自宅へ迎え入れる。いっしょに暮らしているのは妻のアンと8歳になるハンターだが、ハンターは実はトラヴィスの息子だ。ここ何年かは、ウォルトとアンが親代わりになって育ててきた。
トラヴィスは息子との関係を修復しようとするものの、初回の試みは惨敗に終わる。学校へ迎えに行ったのはいいが、それなりのブラウンのシャツとジーンズという格好だったにも関わらず、拒絶されるのだ。その後に、みんなで昔の8ミリ フィルムを見るシーンがある。かつての楽しげな家族の姿と現在のありさまの違いが胸につまるが、突然現れた奇妙な弱々しい男が、以前は快活で愛情豊かな父親だったことをハンターは知り、トラヴィスはトラヴィスで、もっと上手くハンターに接することを決意する。
そこで、メイドのカルメリータの助けを借りたトラヴィスは、密かにウォルトの衣装戸棚を漁って、本物の「金持ちの父親」らしく見えるアンサンブルを見繕う。粋なライト グレーのウェストコートが手始めだ。そこで突然、学校の門の外に立つトラヴィスの姿をローアングルで捉えた場面に切り替わる。例のウェストコートの上に、ソフトなコットンのシングルブレスト ジャケット、抑えた色合いのピンクのシャツ、ダーク ブラウンの模様入りネクタイ、そしてフェドーラ。トラヴィスはフェドーラをあれこれといじって、ソンブレロとバケット ハットの中間みたいな面白い形に変えている。ともかく、驚くばかりの変身だ。冒頭のシーンから数光年も隔たった感のある現在の姿には、絵に描いたような威厳と品位があるし、おまけに自信に溢れたユーモアさえ備わっている。ようやくハンターに認められていっしょに家へ向かうとき、通りの反対側を歩くハンターは父親の歩き方を真似ている。父と息子の絆は回復された。
周囲を振り回す気紛れと荒くれた感情がようやく均衡を取り戻したスーツのシーンは、「馬子にも衣装」という古くからの言い回しに複雑な思いを抱かせる。ハンターの実の父親は、少年の人生の半分で父親の役割を果たしてくれた弟のスーツを借用することでのみ、実の父親になることができた。その後数分が経過した場面で、すっかり取り乱したウォルトとアンを後に残して、トラヴィスとハンターは新たな冒険に乗り出し、映画も幕を閉じる。
Ashley Clarkは、ブルックリン アカデミー オブ ミュージックのシニア レパートリー & スペシャルティ フィルム プログラマー。ライター、放送ジャーナリストでもある

モデル着用アイテム:シャツ(Tiger of Sweden)、スーツ(Boss)、ネクタイ(Boss)
ロバート・アルトマン『ロング グッドバイ』(1973年)
長い間、映画に登場するスーツはグレーと相場が決まっていた。明るめのグレーだっり、濃いめのグレーだったり、インクのようなブラックに近いこともあったが、いずれにしても、グレーの色調であることに変わりはなかった。カラーが導入されたとき、真っ先にハリウッドの頭に浮かんだのは、ブラック スーツが暗躍する映画ではなかった。犯罪映画がモノクロのままにされたのは、どうせ、シェードが引き下ろされブラインドが閉められた都会の夜が物語の舞台だし、モノクロの方が安上がりでもあったからだ。また、モノクロはドキュメンタリーの手法だったから、残酷な内容にリアルな印象を与えることもできた。
フィルム ノワールとして有名なフリッツ・ラング(Fritz Lang)の『ビッグ ヒート』(1953年)では、主人公を演じるグレン・フォード(Glenn Ford)が葬儀用のスーツで妻を殺した犯人たちを追跡するが、ブラック スーツが本当にブラックであることを主張したのは、翌年に制作されたニコラス・レイ(Nicholas Ray)監督のカラー西部劇『大砂塵』だった。B級スタジオのリパブリック ピクチャーズが「トゥルー カラー」で撮影したけばけばしい画面の中で、ブラックはまさに闇夜の色だ。葬式が終わった後のシーンで、怒りに燃えるエマ(マーセデス・マッケンブリッジ/Mercedes McCambridge)を先頭に、リンチ集団と化した群衆がV字の隊列を組んで、対立するヴィエンナ(ジョーン・クロフォード/Joan Crawford)の酒場へと向かう。エマの背後から、全員黒い服の町の住人たちが 、大鴉の群れのように押し寄せて来る。名作『鳥』の烏の大群と同じパワーと脅威を感じさせる、黒い集団だ。
1960年代、リー・マーヴィン(Lee Marvin)がヒットマンを演じた『殺人者たち』と『殺しの分け前/ポイント・ブランク』で、ブラック スーツは銀幕での頂点を極めた。そして『殺しの分け前』のモダニズムは、やがてロバート・アルトマン監督の『ロング グッドバイ』(1973年)が登場する布石となった。レイモンド・チャンドラー(Raymond Chandler)のハードボイルド小説を基に、エリオット・グールド(Elliott Gould)が私立探偵フィリップ・マーロウを演じた『ロング グッドバイ』は、新しいハリウッドの幕開けであり、1940年代の影に満ちたロサンゼルスは、1970年代の陽光に毒されたロサンゼルスへ場を譲った。『ロング グッドバイ』でグールドが演じたマーロウと、『三つ数えろ』(1946年)でハンフリー・ボガート(Humphrey Bogart)が演じたマーロウは、正反対だ。グールドのマーロウは、臆病者で、足を引きずるようにして歩くし、ボソボソ喋る。波が打ち寄せるマリブの海岸でも、しぶしぶドライ アプリコットを食べているときでも、ブラック スーツ姿で次から次へとタバコに火を付ける。スーツのズボンとワイシャツのまま、灰皿の横で眠り、午前3時に上着を着て、ネクタイをしめて、キャット フードを買いに行く。
富裕な人気作家ウェイドに「JC ペニーのネクタイ」を外せとしつこく言われても、言うことを聞かない。ギャンの親玉が、手下とマーロウに、裸になって正体を明かせと迫ったときも、断じて従わない。アルトマンは、裸体とマーロウのブラック スーツを対比させる。マーロウと同じアパートに住むヒッピー娘たちだ。ギャングの手下とヒッピーにとって裸体と真実は同義だが、着たきり雀を貫く強情さのおかげで、マーロウはホワイト スーツに身を包んだ悪人にたどり着く。男は、真実を知りたがること、何よりも真実を気にかけることからして、マーロウは負け犬だと言う。実はこの男は冒頭でマーロウに車を運転させた男だし、ブラック スーツが制服代わりの運転手は、同じくアルトマンがちょうど20年後にロサンゼルスを舞台に制作した『ショート カッツ』にも再登場する。男に対決するためにマーロウが乗りつけた「黄金のチャリオット」は、年季のいったキャデラックだが、ドアは黒いものに交換されている。運転手は賄賂で動く警官だ。ファッションは復讐と同じ ー 去っても、必ず戻ってくる。
A. S. Hamrahは『n+1』の映画評論家。先頃、評論集『The Earth Dies Streaming: Film Writing, 2002–2018』が出版された

モデル (左) :ブレザー(Totême)、トラウザーズ(Totême) モデル (右) :タートルネック(Richard Quinn)、ブレザー(Richard Quinn)、トラウザーズ(Richard Quinn)
アルフレッド・ヒッチコック『めまい』(1958年)
「シンプルなグレーのスーツがいいね」。デパートの婦人服売り場のお客様用ラウンジに置かれた長椅子に浅く腰を下ろして、スコティ(ジェームズ・ステュアート/James Stewart)が言う。そばにいるのはジュディ(キム・ノヴァク/Kim Novak)だ。おしゃれなカットで、シンチ ベルトとスキャロップのデザインのピーターパン カラーがついたドレスを着たモデルが、ふたりの前を歩いてみせる。ジュディは素敵だと思うけど、スコティには通用しない。「ジュディ、君には素敵な服を着て欲しいだけなんだ」と、スコティはジュディを納得させようとする。「どうか、僕のためだと思って着てくれないか」
『めまい』の世界の「素敵」は「望ましい」ことを意味し、「望ましい」ことは「慎み深い」ことを意味する。スコティの頭にあるスーツは、コシのあるウール製。ジャケットはかっちりした仕立てで、ペンシル スカートの中央にナイフ プリーツと短めのスリットがある。 衣装担当のイーディス・ヘッド(Edith Head)がデザインしたジャケットは、シャープなノッチド ラペル カラーで、袖口にカフスがあり、5つの前ボタンはいつもきっちり留められている。霧の漂うサンフランシスコ湾をイメージしたグレーのカラーは、ヒッチコックが指定したものだ。ちなみに2016年、このスーツはニューヨークのボナムスでオークションに出され、28,750ドルの値がついた。
スコティは、このスーツを着た別の女性を覚えている。謎に包まれたまま命を絶ったアイス ブロンドのマデリンだ。彼女を忘れることができないままに、スコティは彼女の影を追い続ける。砂時計のようにウエストのくびれた女性がブラックのハイヒール パンプスを履き、ラベンダー色のレザーの手袋をはめ、豪華な毛皮のストールをまとうと、「シンプル」なはずのスーツがグラマラスに変身する。だが、頭の後ろできちんとまとめたヘアスタイル、あるいはジャケットの襟元からのぞくタートルネックの白さが、 取り澄ました上品さも感じさせる。
スコティはジュディにそうあって欲しいのだ。露出は許されない。想像に任せる部分が多ければ多いほど、魅力が増す。魅力が増せば増すほど、ジュディはマデリンに近づく。
ノヴァクがこのスーツを毛嫌いしたのは、有名な話だ。グレーを着るとくすんで見えたし、仕立ても窮屈だった。「私、黒い靴は履かないのよ」と断言するノヴァクは、ブラックのパンプスも嫌いだった。そんなスーツを何の問題もなさそうに着せてみせたノヴァク、そして内心を押し隠してマデリンのように装ったジュディを、私は考える。
「これ、好きじゃないわ」と、ジュディは訴える。「これを貰おう」と、スコティは店員に告げる。
赤い口紅を拭い去り、とび色の髪をホワイト ブロンドに脱色したジュディが、グレーのスーツを着てホテルに現れる。だけど、どこかしっくりこない。まだジュディにしか見えないのだ。ヘアスタイルを上品なシニョンに変えるようにスコティに言われて、ジュディは洗面所へ消え、まるで亡霊のように、恋人が夢に見る女性に生き写しの姿で戻ってくる。
Simran Hansは、『The Observer』のライターおよび映画評論家として、ロンドンで活動している

モデル(上):Tシャツ、ブレザー(Issey Miyake Men)、[トラウザーズ(Issey Miyake Men)(https://www.ssense.com/en/men/product/issey-miyake-men/grey-wool-voile-trousers/4235331) モデル(下):ポロ(Giorgio Armani)、スーツ(Giorgio Armani)、カジュアル シューズ(Prada)
ポール・シュレイダー『アメリカン ジゴロ』(1980年)
殺人事件の犯人に仕立てられる伊達男のコール ボーイ、ジュリアン・ケイを主人公にした『アメリカン ジゴロ』ほど、病める魂がお洒落に見えたことはかつてなかった。ポール・シュレイダー監督のこのネオ ノワール映画で、ジュリアンを演じたリチャード・ギア(Richard Gere)は一躍セックス シンボルと なり、トップ俳優の仲間入りを果たしたが、ジョルジオ・アルマーニ(Giorgio Armani)の衣装デザインが彼の成功に一役買ったことは間違いない。落ち葉のブラウン、木炭のダークグレー、コーンフラワーのブルー…ジュリアンは、全編を通じて、襟の細い、一分の隙もない完璧なカットのスーツ姿だ。
贅沢なカーペット敷きの高級アパートにシルクのネクタイがずらりと並んだ引き出し、ふくよかな唇に美しい肉体、と過剰に満たされたジュリアンの生活をシュレイダー監督は見せつける。ベッドの上にジャケットとシャツを広げて、あれこれと組み合わせ、着るものを選ぶ。高価なサウンド システムから流れる曲に合わせて口ずさみながら、今度はシャツとネクタイの組み合わせを考える。そんなギアの日に焼けた上半身を、カメラが這い上っていく。カメラがズームアップやズームダウンを織り交ぜながら、コーディネートを捉えていく。男性のシャツにこれほどの愛情と注意が払われたのは、華麗なるギャツビー以来だ。
最終的に選ばれたのは、茶色がかったグレーとセージ グリーンの中間の色合いの、美しいArmaniのスーツだ。完璧にマッチしたレザーのシューズとソックスに、仕上げは鳩の羽毛のように優しいグレーのウールのネクタイ。しなやかに筋肉をつけた体のうえに、男らしい肩幅とスマートなウエストラインのエレガントなイタリアン スーツをまとって、ジュリアンは美しい彫像になる。有り余る富をめぐる世界で、ジュリアンもまた、高級な商品だ。ビバリーヒルズの金持ちの年配婦人たちに身を売る最高級品は、鏡を見ながら細いネクタイの位置を直す。
『アメリカン ジゴロ』の根底には、骨まで染み込んだ不安感と空虚な物質主義が潜んでいる。だがおそらく、衣装デザインにアルマーニを起用したことの次にシュレイダー監督が腕の冴えを見せたのは、結局は空疎な物質を、たまらなくセクシーに描き出したことだろう。
Christina Newlandは、映画、ポップ カルチャー、ボクシングに関するライターとして『Sight & Sound』、『VICE』、『Hazlitt』、その他に記事を執筆している

モデル着用アイテム:ブレザー(JOSEPH)、トラウザーズ(JOSEPH)
ジョセフ・フォン・スタンバーグ『モロッコ』(1930年)
『モロッコ』は、1930年にハリウッドへ渡ったマレーネ・ディートリヒの初出演作だ。ジョセフ・フォン・スタンバーグが監督したドイツ映画『嘆きの天使』でセクシーな歌手ローラ・ローラを演じたディートリヒは、そのゴージャスな魅惑でハリウッドの目を引いたのだから、新星スターが見事な脚線美を隠しただけでなく、男物のタキシードを着てキャバレーで歌う姿は、とても挑発的だった。
ディートリヒが演じるアミー・ジョリー(Amy Jolly)は、何らかの悲劇から逃れて、片道切符でモロッコへやって来る。次のシーンはナイトクラブの楽屋だ。蝶ネクタイを直し、シルクハットをかぶるアミーの様子には、疲労感に代わって無関心が漂う。男装のブロンドは、舞台へ登場するときによろめいて観客の失笑を買うが、意に介さない。ひとつのテーブルに歩み寄り、座っていた女性が耳に挟んでいた白いくちなしの花を抜き取り、深く香り吸い込んだ後、その女性にキスをする。そして、 外人部隊のひょろりと大柄なトム・ブラウン(ゲイリー・クーパー/Gary Cooper)に向けて、花を放り投げる。
純粋に両性具有的で強烈にセクシーな場面で、支配するパワーと演じる役割は反転し続ける。いつかふたりが性的関係を結ぶだろうことは予見されるが、同時に避けようのない悲劇も予感させる。アミー・ジョリーと女たらしの外人兵士ブラウンは、同じように人生を生きるにも関わらず、常に男は女を泣かせ、女は男の足許にひれ伏す。
ディートリヒは、自伝の中で、歌手としてのキャリアの後半でタキシードがシグネチャになった ー 実は、イヴ・サン=ローラン(Yves Saint Laurent)の「ル スモーキング」を誕生させるきっかけにもなった ー 経緯を説明しつつ、男女に振り分けられる不公平な二重基準をほのめかしている。そして、ヴェスタ・ティリー(Vesta Tilley)やエラ・シールズ(Ella Shields)など、男装で英国のミュージック ホールを沸かせたパフォーマーたちの存在を挙げ、「私がしょっちゅうタキシードを着たとすれば、それは、最高の歌は男に与えられるからだ」と書いている。
Miriam Baleは、カリフォルニア出身のフィルム プログラマーであり、ライターである

モデル着用アイテム:ブレザー(Helmut Lang)、トラウザーズ(Helmut Lang)
ブライアン・デ・パルマ『スカーフェイス』(1983年)
「あいつが持ってて、オレに無いものはなんだ?」。キューバ風サンドイッチを売る「クバーノ」で皿洗いをしているトニー・モンタナ(アル・パチーノ/Al Pacino)は、通りを挟んだ高級レストラン「リトル ハバナ」へ入っていくカップルを見ながら、仲間のマニー・リベラに尋ねる。
「そりゃ、先ず第一に、いい男だもんな。着てる服だって、見てみろよ。あれがスタイルってもんだ。高そうだし、洒落てるしよ。それに、ヤクでちょっとばかり稼いだ金だって、邪魔にはならないだろうさ」
その直後、トニーは大見えを切って、コカイン、別名「ヤヨ」の仕事を請け負う。そして新しい雇い主に認められ、瞬く間に、車、カクテル、ナイトクラブの世界の住人になる。トロピカルな柄物のシャツを着ていたチンピラのキューバ移民は、今や、フィットしたスーツ姿で風を切るマイアミの勝ち組だ。
スーツは何着も持っているトニーだが、大きな賭けにでるときは、いつも白いスーツだ。白は、ビーチの色、コカインの色、オーシャン ドライブに軒を連ねる建物の色褪せた化粧漆喰の色だ。ヒールのあるシェル コードバンの靴、ピークド ラペル カラーの深紅のシャツと組み合わせたスタイルは、まさに80年代アメリカのサクセス ストーリーを象徴している。
赤と白、血とコカイン。このスタイルで、トニーは裏社会を渡っていく。ボリビアで、独断で、現地の麻薬王と1800万ドルという巨額の取引をまとめる。プールサイドで、ボスの妻であるブロンド美女エルヴィラ(ミシェル・ファイファー/Michelle Pfeiffer)を口説く。だが、トニー自身がコカイン中毒になり、自制心を失い始める後半で、夢の生活は崩壊を始める。スーツの色はだんだん暗くなる。血が飛び散る最後の有名なシーンで着ているチョーク ストライプのスーツは、もっと気楽な日々を送っていた頃のピンストライプ スーツの、堕落の果てだ。
「この国じゃ、まず金を持つことだ」。女をひっかける方法をトニーはマニーに教える。「金があったら、力が手に入る。力が手に入ったら、女が手に入る」。その途中に、スーツも手に入る。
Olivia Whittickは、SSENSEのシニアエディターである

モデル着用アイテム:シャツ(Comme des Garçons Homme Deux)、ブレザー(Comme des Garçons Homme Deux)、トラウザーズ(Comme des Garçons Homme Deux)、ネクタイ(Comme des Garçons Homme Deux)、スニーカー(Converse)
ウォン・カーウァイ『花様年華』(2000年)
雨に濡れたトニー・レオン(Tony Leung Chiu-wai)は素敵だ。世界のファンが憧れる主演男優 ー 私生活では、ひとり親家庭で育ったおとなしくて恥ずかしがり屋の子供だった。当時の香港で、離婚は前代未聞のことだったとレオンは語っている) ー は、ウォン・カーウァイが情事を緻密に描き込んだこの映画で、2度雨に濡れる。最初は、センシュアルなスロー モーションの場面で、ヌードルを買いに行くミセス・チャン(マギー・チャン/Maggie Cheung Man-yuk)とすれ違ったとき。2度目は、とても涙失くしては見られない。
映画評論家リ・チュオタオ(Li Cheuk-to)が言うとおり、マギー・チャンが次から次へと着て見せるさまざまな柄のタイトなチャイナ ドレスのおかげで、あくまで抑制された名作に情熱が忍び込めたのだとすれば、レオンが演じるミスター・チャウは立派な身だしなみを決して崩すことがない。香港の職人に仕立てられた、ブラックかグレーの素晴らしいスーツ。ゴールドのネクタイ ピン。細いチェーンにつけた鍵は、バックルのすぐ右側のベルト通しからぶら下がっている。
ミスター・チャウのスーツ姿は、地下にあるヌードル ショップの外側で雨に降られ、まだらになったときが最高だ。雨宿りをしながら、煙草を吸う。薄暗い画面の中で、火がついた煙草の先だけが明るい。最後に近い場面では、突然大雨が降り始め、ふたりのアパートの近くの路地で雨宿りをしているミセス・チャンを見かける。彼は彼女を見つめ、期待する。だが、彼女の目が彼に向けられることはない。傷つきやすい内面を露呈したまま、上着もシャツも濡れそぼっていく。白くて薄いシャツの生地がはりついて、シアになっていくさまを想像してほしい。それでもなおかつ、彼は彼女を労わることしか考えない。彼自身が求める慰めは、押しやられる。
同じアパートへ同じときに引っ越してきて、てんやわんやの騒ぎの中で初めて出会ったとき、ミスター・チャウはミセス・チャンに言ったのだ。「ご迷惑はかけませんから」。だが、二組のカップルの荷物は麻雀の牌のように入り乱れ、メランコリックな夫婦交換劇の到来を予兆する。ミスター・チャウは立派な男であろうとし、仕立てのいいグレーのスーツに身を包み、あくまで礼儀正しい言葉を使い、口からは自動的に堅苦しい言い回しが出てくる。だが、束の間、ためらいながらも愛が芽生えるにつれ、彼の言葉には意味が積み重なっていく。僕は時々思うのだ。あらゆるロマンスが終わるとき、「迷惑はかけません」こそ、別れを律する態度ではないだろうか。そしてきっと、守る価値のある唯一の約束だ。
Ross Scaranoは、ブルックリン在住のライターであり、エディターである
- 文: Miriam Bale、Ashley Clark、A.S. Hamrah、Simran Hans、Manuela Lazic、Christina Newland、oss Scarano、Olivia Whittick
- イラストレーション: Tobin Reid
- 翻訳: Yoriko Inoue
- Date: September 24, 2019