LAファッションの申し子、ルイージ・ビラセノール

Rhudeのメンズウェア デザイナーが、ロスとの繋がり、ダイアン・キートン、新しいラグジュアリーを語る

  • インタビュー: Olivia Whittick
  • 写真: Christian Werner

ロサンゼルスでストリートウェア ブランド Rhudeを立ち上げ、クリエイティブ ディレクターとして活躍するルイージ・ビラセノール(Rhuigi Villaseñor)は、私と話しているあいだに、未来を予知できるティーンエイジャーが活躍するテレビ ドラマ『レイブン 見えちゃってチョー大変!』、メアリー=ケイト & アシュレー・オルセン(Mary-Kate Olsen & Ashley Olsen)、バックストリート ボーイズを持ち出した。自信があって、茶目っ気もあって、軽いフットワークで人生を楽しんでいるルイージには、若々しい信念がある。おそらく、本当に若いからだろう。2019年には、『フォーブス』誌の「30アンダー30」に選ばれ、メンバーであるソーホー ハウスが始めた「27アンダー27」の初回リストにも名を連ねた。ビジネス マインドとビンテージ ウォッチのコレクションを持ち、上品な紳士的エレガンスを愛し、自分はもう歳だと冗談を言いつつ、遊び心とエネルギーでデザインに取り組む。 幼くして母国のフィリピンを離れ、香港、サウジアラビア、タイで暮らした後、ロサンゼルスへ移住した少年は、アメリカーナに魅せられると同時に、どの文化にも属せないのではないかと恐怖を抱いていた。そんな不安は、感覚的な創造の表現を追求し、飽くことなく技術を習得する方向へ彼を突き動かした。「きちんと理解できてないんじゃないかと、不安なんだ。だからできるだけ周到にリサーチして、十分に理解して、思いどおりに表現できるようになる」 。腰を下ろして、彼のブランドと今や彼が故郷と呼ぶロサンゼルスについて対話したときも、ルイージは溢れるように思いのたけを語った。

オリビア・ウィティック(Olivia Whittick)

ルイージ・ビラセノール(Rhuigi Villaseñor)

どういう経緯で、いつ、ロサンゼルスに来たの?

ロスへ来たのはまだ子供の頃、9歳のとき。当時は英語も話せなくてね。2001年に初めてアメリカの土を踏んだときの匂いは、今でも覚えてる。ロスという街は、僕の人生の樹が根を下ろした土壌だ。ここで英語を話せるようになったし、ファッション感覚もここのカルチャーに育てられた。

ロスのどの地区?

育ったのは、サンフェルナンド バレーにあるウィネトカ地区。今でも時間があるときは、あそこで子供たちのバスケットボール チームのコーチをやってる。

あなたも子供の頃は、バスケットボールをしてた?

実を言うと、バスケットは、僕に英語を教えてくれたもののひとつだ。コービー・ブライアント(Kobe Bryant)やアレン・アイバーソン(Allen Iverson)のファンでね、肩で風を切るような歩き方や、ゲームの後の話し方なんかを研究したもんだよ。僕にとっては、あれがアメリカの文化を理解する方法だった。おまけに当時は、ロサンゼルス レイカーズの絶頂期だったし。

その頃好きだった選手は?

何はさておいても、コービー・ブライアント。僕は太めだったから、コービー・ブライアントを見ては、「僕もいつか、ああなれる」と思ってた。その次が、アレン・アイバーソン。アイバーソンは袖みたいに長いサポーターをはめてたんだ。だから僕も腕にサポーターをはめて真似してみたけど、まるでソーセージ。全然格好よくなかった。

本当に、ロスで育ったことで、あなたのスタイルができ上がったみたいね。

そのとおり。僕が育った辺りはみんな生活が質素だったから、デザインに関する僕の知恵は、モノが豊かじゃないことに根差した部分が大きいと思う。服の品質なんかは、掘り出し物のVersaceやJil Sanderのビンテージで知ったことだ。

古いものにはストーリーがあって、新しいものよりはるかに価値があるというのは、おもしろいわよね。古いことがとても貴重になる。

ホント、そうだね。僕に言わせると、それが新しいラグジュアリーだな。完璧にビンテージなTシャツやビンテージなLevi'sを見つけること。ビンテージのフィーリングはコピーできないから。

デザイナーになりたいと思い始めたのは、いつ?

いつ頃だったか、思い出そうとしてるんだ。テレビ ドラマの『レイブン』みたいに、デザインをやりたい気持ちが固まった時期へ早戻しできればいいんだけどね。家族とあちこち移り住んで、母さんが家族の服を作るのを見てたことも影響してると思う。僕が服を作る決心をした頃は、不景気の影響で、僕たち家族の暮らしは以前にも増して苦しくなってた。家計を切り詰める必要があったから、僕がデザインを始めたのは、純粋な情熱というより必要に迫られての選択だったな。リスクだったけど、そのリスクに報われた。

そのようね。

最初は、コミュニティ カレッジで美術史を勉強してたんだ。アメリカへ来てから、僕はどの言葉も使いこなせないんじゃないかって、ずっと不安だった。生まれた国を離れたのはすごく小さい頃だったから、まだきちんと母国語を理解できてなかったし、英語はほとんどわからない状態でアメリカへ来たしね。だから、きちんとした教育を受けてないことが、僕にとっては、大きな不安要素だ。

当時、ファッションの世界でお手本や相談相手になった人はいる?

ビンテージを見直す風潮が高まった時期だったから、ストリートとハイエンドをミックスしてもいいんだってことを理解するうえで、タズ・アーノルド(Taz Arnold)からとても多くを学んだ。Ralph LaurenのポロとBenettonのTシャツ、Levi'sのジーンズ、Gucciのローファーとかね。

あなたがデザインした最初のコレクションを思い出せる? どんなスタイルだった? 何を表現したの?

あの頃は、家の居間で縫ってたんだ。今エイサップ・ロッキー(A$AP Rocky)やザ・ウィークエンド(The Weeknd)のスタイリングをやってるマシュー・ヘンソン(Matthew Henson)が、最初に僕のデザインを気に入ってくれたひとりでね。ジャケットを注文してくれた。「このチャンスは、なんとしてもものにしなきゃ」と思って、徹夜で仕上げて、ニューヨークへ送ったよ。手許にある材料を使って、それをラグジュアリーだというふうに考えた。例えば、安いのが売り物のPaylessで買ったジェル サンダルも、Pradaのサンダルと同じハイ ファッション。手持ちの材料を活用するのは、Margiela的だった。

会員制サロン「ソーホー ハウス」のためにデザインしたコレクションには、どういうメッセージが込められてるの?

あれは、「ソーホー ハウス」最大のヒット作にする意気込みで作ったけど、それより何より、ホテルを利用するメンバーに不可欠なものを考えてみた。寝るときのウェア、外出するときのウェア、ホテルの中で過ごすときのウェア。「I'm not going home – 家には帰らない」と書いた毛布もある。

「ストリートウェア」に関連付けられるのは、どんな気持ち?

ものごとにレッテルを貼って分類するのは、すごく古臭いと思うよ。第一、「ストリートウェア」って、もともとの意味は何? ストリートで着る服?

ええ、そうだと思う。

僕の作る服をシリアスに考えるなとは言わないけど、それほど堅苦しいものじゃないよ。僕のデザインの原点は「ユニフォーマル」。僕自身、制服を着て大きくなったし、男がキリっとして見えるのが好きだし。じゃあ、それをどう展開するか? 例えば、極上のシルクを使って、じゃぶじゃぶ洗って、着古したよれよれのTシャツみたいに加工する。矛盾させる手法のデザインなんだ。

「ユニフォーマル」というのは、面白い言葉ね。「フォーマル」な「ユニフォーム」みたいで。

うん、そうだね。ユニフォーマルだ…いいな。そんな言葉、なかったよね? 口から、すらすらっと出てきた。ネスプレッソと同じだ。

ところで、ダイアン・キートン(Diane Keaton)と一緒に写ってる写真を見たわ。

ああ、あれ! あれは、わが人生で最高の瞬間に入るよ。Rodarteのショーへ行ったとき、歩いてたら彼女がやって来て、「あなたのデザイン、大好きなのよ。今着てるジャケットも素敵。ちょっと、あなたの大ファンだって言っておこうと思ってね」って。その後、僕、一緒にいた友達に聞いたんだ。「今の女性、誰?」

そしたら「アニー・ホールに決まってるだろ!」って?

「お前、冗談言ってるのか?」って呆れてた。だから、もちろんお詫びを言いに行ったんだ。そしたら彼女、もうちょっとで、僕が着てたジャケットを脱がせて持っていこうとしたんだよ。ダイアン・キートンがどんなにファッショナブルか、知ってるだろ? 本当に驚いた。

彼女のセンスは伝説的だものね。

まさに、シックの化身。時代や流行とは無関係だね。どこか知らないけど、まったく別の時間を生きてる。ちょうど今、僕たちはウィメンズウェアを手掛けていて、どんな女性を頭に描けばいいのか、考えてるところなんだ。

ダイアン・キートンだったりして。

彼女を撮影できたら、ものすごくパワフルなキャンペーンになるだろうな。

ロスでは、どんなことをするのが好き?

映画を観たり、家で料理をしたり。家具や陶器や雑貨を買いに行く店も、いくつかある。毎週、日曜日は「ソーホー ハウス」。ロスのダウンタウンに「ソーホー ウェアハウス」がオープンするから、そしたら仕事場にもっと近くなる。

頭をすっきりさせるために長距離ドライブに出かけるとしたら、どこへ行く?

時々、高速に乗らないで、ベンチュラ ストリートを南下することがあるよ。実は、アメリカへ来て最初にやったのもそれ。あの通りのドライブはいいよ、静かだし。

観光客が行くようなありきたりな場所では、どこが好き?

ショッピング モールが大好き。現代を代表する偉大な建築って何だと思う? ショッピング モールだ。モール オブ アメリカに、ウェストフィールド トパンガ モール。僕にとって、モールはすごく親しみのある場所なんだ。母さんと手をつないで歩き回って、ランチを食べさせてもらったもんだよ。女の子とデートするのもモールだし、友達と会うときもモールだろ。

確かに。

今は寂れつつあるけど、言うなればアメリカ版コロシアムだ。ロスでやることを探してるんだったら、モールへ行けばいい。それとも、タコスかな。タコスの屋台なら12ドルでタコスが食べられるからね。なのに僕たち、何でこんなところでぐずぐずしてるんだ?

Rhudeがロサンゼルス ブランドである所以は?

RhudeのTシャツは、カリフォルニアの太陽にさらして加工するし、僕は渋滞が大好きだから。

自分のブランドを立ち上げたいと思っている、若いデザイナーにアドバイスするとしたら?

しょっちゅう、キッズたちにそれを聞かれるんだ。僕の答えはいつも、これ。「こうやって電話で話してる暇があったら、仕事に精出すことだ」

Olivia WhittickはSSENSEのエディターであり、『Editorial Magazine』のマネージング エディターも務める

  • インタビュー: Olivia Whittick
  • 写真: Christian Werner
  • 翻訳: Yoriko Inoue
  • Date: October 3, 2019