余分の美学

オシアン・メリンとアルヴィダ・バイストロムが、ハイとローの対極で遊ぶ

  • 写真: Arvida Byström,Ossian Melin

Gucciがピンクの自動食器洗い機を販売したら、あなたは買うだろうか? そうすれば、食器はかつてなく光り輝くだろうか? 多くの場合、ラグジュアリーを含意する要素はただひとつに還元できる。すなわち、シンボル。道具としての物体がデザイナー商品と同じように渇望されることは、ほとんどない。そこで、例えば金槌とかレンガとか、一見無害な実用品にデザイナーのロゴをつけたら、それはたちまち欲望の対象に変わるのだろうか? Supremeなら答えを知ってるだろう。まさに80年代の華やかさと過剰が90年代にはモノクロなミニマリズムに道を譲ったように、ファッションには必要以上の美学が注ぎ込まれ、抜き取られる。ラグジュアリーを示すシンボルとして、趣味が良いとされるのは? 「余分」と見なされるのは? 「あまりに」余分な結果、皮肉にも熱烈な欲求の対象になるのは? これらの定義の揺らぎは枚挙に暇がない。目まぐるしく変化するイニシャルへの病的愛着を探るため、アーティストのオシアン・メリン(Ossian Melin)とアルヴィダ・バイストロム(Arvida Byström)が、マルチメディアの技術を利用してハイとローで遊んだ。

画像のアイテム:リング(Versace)

画像のアイテム:ブーツ(Saint Laurent)

モデル着用アイテム:ブーツ(Balenciaga)ジャケット(Chen Peng)

画像のアイテム:ブレスレット(Versace)

画像のアイテム:キーチェーン(Gucci)

画像のアイテム:ブーツ(Balenciaga)

画像のアイテム:キーチェーン(Loewe)

画像のアイテム:ブレスレット(Versace)

画像のアイテム:ヒール(Balenciaga)

画像のアイテム:ネックレス(Versace)

画像のアイテム:ウォレット(Burberry)

  • 写真: Arvida Byström,Ossian Melin