SHUSHU/TONGと
新たな歴史の幕開け
ライターのヨシコ・クラタと写真家のロレンツォ・ダルボスコが中国へ飛び、上海で今いちばん熱いブランドのデザイナーと対談する
- インタビュー: Yoshiko Kurata
- 写真: Lorenzo Dalbosco

私たちは今、前代未聞の「つながり」の時代を生きている。世界中に広がる相互交流はあらゆる分野に莫大な影響を及ぼしており、ファッションの世界も例外ではない。そしておそらく、この大いなる覚醒をどこよりもはっきりと感じられるのが中国だ。この10年間、GoogleやInstagram、YouTubeの詮索の目の届かないところで、中国は劇的な技術革新をなし遂げた。そして経済の急成長によってさらに勢いづいたこの国は、今、新たな世代のデザイナーが牽引する、文化ルネサンスの真っ只中にある。これまで考えていたような中国の姿はもはやどこにもない。古いルールはもう通じないのだ。
いにしえの地で、前途有望な新時代へと続く道を切り開く開拓者たち。この新たな世代の若者たちは、強力なクリエイティビティの担い手として登場した。こんなことを考えつつ、SHUSHU/TONGのデザイナー、中国の先駆者の中で最前線を走る2人のイノベーターに会うため、私たちは上海へと飛んだ。
トン(TONG)ことユートン・ジャン(Yutong Jiang)に導かれ、高層マンションの7階にあるスタジオのドアを開けると、向こうのアトリエから、聞き覚えのある音楽が耳に入ってくる。『少女革命ウテナ』のテーマ曲だ。その後の撮影中も、90年代に日本で絶大な人気を誇った歌手、浜崎あゆみの曲が流れ、懐かしさのあまり、私はプレイリストを覗き込んだ。すると、もうひとりのデザイナー、シュシュ(SHUSHU)ことリュウシュ・レイ(Liushu Lei)が、すかさず「僕のプレイリストなんだ。あゆは永遠のアイドル!」とニコッと答える。ひとしきり90年代に流行った歌手は、時の人だったのか、いまだに永遠のスターなのか議論して、それから最近、日本で注目の水曜日のカンパネラの話に移った。SHUSHU/TONGの展示会を訪れるたび、彼らが日本の若者のように日本の今のカルチャーに通じていることに驚かされる。そのくらい日本から影響を受けているふたりだが、今では、そんな国境すらも超え、世界中に活躍の場を広げている。



インタビュー時は、上海ファッション ウィークのメイン会場、上海新天地で2019年の春夏コレクションを発表したばかり。コンセプトである「少女の心を持ち続ける洗練された現代女性」の通り、彼らの服は上品な佇まいながら、芯の強さを感じさせる。彼らの故郷、成都市の料理を食べながら、インスピレーションの源や、立体的な服作り、そしてSHUSHU/TONGとともに成長を続ける、新進の上海ファッション シーンについて訊いた。


ヨシコ・クラタ(Yoshiko Kurata)
トン(Tong) シュシュ(Shushu)
ヨシコ・クラタ:ファッションへ興味を持ったきっかけは?
トン(T):中学生の頃に夢中になったアニメと漫画。特に漫画『NANA』は、当時の同級生全員が読んでた漫画のひとつで、そのファッションから大きな影響を受けた。授業中にこっそり『NANA』風のイラストをノートに描いてたわ。
シュシュ(S):僕も! 実はデザイナーを目指す前は漫画家を目指してた。でも『NANA』をきっかけに、高校生のときにファッション デザイナーを目指すようになったんだ。
ふたりとも地元は、パンダの繁殖研究基地で有名な成都市だけど、幼なじみだったの?
S:高校は一緒だったんだけど、クラスが違ったから、中国の大学に入るまでお互いの存在を知らなかった。成都市は上海と違って、山に囲まれた孤立した場所だったよ。
ロンドン・カレッジ・オブ・ファッションに入る前に、まず中国でファッションの勉強をしていたんだね。
S:そう。敦化市の大学で同じデザインの授業を受けていて、そこで初めて地元も高校も一緒だとわかって、仲良くなった。
T:そこから毎日のようにお互いに情報交換したり、興味あることを話したりするようになって。それで一緒にロンドン・カレッジ・オブ・ファッションに入学して、ルームメイトとして共同生活しながら、在学中にブランドを立ち上げたの。


僕たちがファッション雑誌を手に入れられるようになったのが30年前なんて信じられる?
中国とロンドンでのファッション教育にはどんな違いが?
T:中国のファッションは歴史が浅いから、教育はまだ遅れてると思う。
S:上海では当時ファッションというカテゴリー自体が新しいものだったから、現代的なファッションについては無知と言っていいほどの環境だった。世界の外から入ってくる情報には時差があると思ってたけど、ロンドンに行く直前、バイトで成都市から上海に行ったとき、都市では変化が起きつつあるのを感じたよ。
2019年の春夏コレクションのストーリーのきっかけを教えて。
S:一緒にロンドンで住んでた頃の写真を見て、家での普段着を思い出したのが始まり。アンダーウェアにTシャツを着て、ソファでダラダラしてるイメージ。そこから全体的に短い丈のプロポーションを構築していった。そのコンセプトを原点に、家の中で使われている家具や素材を、服に落とし込んでいった。例えば、カーテンをイメージしたオーガンザ素材のトップスや、カーテンフックの形をしたイヤリング、下着を思わせるショートパンツとか。ショー会場の床には、ベッドのマットレス素材を敷いたんだ。
今回は上海ファッションウィークからの招待で、メイン会場でショーを開催したわけだけど、これまではいつもLABELHOODでプレゼンテーションやショーをしていたよね。あなたたちにとってのLABELHOODとは?
S:中国の若手デザイナーにとってなくてはならない存在だね。実際に最近の上海ファッション ウィークの盛り上がりは、LABELHOODが起点になっていると思う。LABELHOODは、まだ棟梁という名前でセレクトショップを経営していたときに、取り扱っている若手ブランドのショーを始めたんだ。彼らは卒業コレクションもチェックしていて、若手ブランドにとっては登竜門的な存在なんだ。



LABELHOOD以前の状況は?
T:5〜6年前から独立デザイナーは何人かいたけど、彼らはもっと「中国文化」に焦点を当てていた。少し馬鹿らしいくらい過剰に、そういう姿勢を打ち出してた。それが後私たちの世代になって、今のような新しい変化が始まった。
S:僕たちがファッション雑誌を手に入れられるようになったのが30年前なんて信じられる?以前は、ファッション業界にいる大抵の人が政府関連のプロジェクトに頼っていて、中国国内だけでもファッション ウィークが2回開催されていた。でもそこでのファッションショーは、政府が打ち出す文化や価値観のプレスイベントのようなものだった。当然、政府はファッションの本質なんて気にしない。それでも、ファッション業界の中にはファッションについて真剣に考え、能動的に仕掛けたいと思うような人々もいて、上海ファッション ウィークの土壌が出来上がっていったんだ。
新たなIT技術やソーシャルメディアなど、テクノロジーの業界でも、中国の勢いは止まらないよね。WeChat Payは、要はFacebookとPayPalを1つにしたアプリで、その利用者数は、世界最多の人口を誇る国だけあって、ものすごい数に上ってる。従来の型にとらわれないこうしたアイデアが世界の表舞台に姿を表せば、一気に市場を牽引するようになって、アメリカの企業と肩を並べる存在にすらなる。私もここで、現金で支払おうとして、こんなに珍しそうな顔をされるとは思ってなかった。
T:もう中国では現金や財布を持ち歩かない分、WeChatやAlipayなしには生活できないわ。そういえば、私たちの初めてのコレクションも、WeChatで売ったのが始まりだった。
すごい! WeChatに感謝だね。
S:学生だった頃に作ったミニ コレクションを売ったんだ。もともとは、ロンドン滞在に必要なビザの申請の一環で6000字のエッセイを書かないといけなくて、そのエッセイに説得力を持たせるために制作したコレクションだった。案の定、ビザの申請は通らず、今に至るんだけど。でも当時、ロンドンでChinese Laundryという中華料理店を経営する僕たちの友人が、そのミニ コレクションのルックブックをWeChatに投稿してくれて。そしたら、彼女の周りのバイヤーやスタイリストから問い合わせが殺到して、そこから初めて受注したんだ。



環境、街、ツールすべてが変化する中、中国のファッション シーンは今後どのように変化していくと思う?
S:この先10年間くらいで、この盛り上がりは一旦落ち着くんじゃないかな。業界全体のスピードが尋常じゃなく速い。バイヤーもスタイリストも、ここ2〜3年で注目されるようになったばかりだし、僕たちも彼らと一緒に成長してると思ってる。少し前までバイイングのシステムも確立してなかったのが、今ではみんなが世界基準をもとに動いてる。すべてが変わったよ。
そして各人が着こなしを楽しめる雰囲気に変わってきてると。
S:そう。でも原宿のように多様なスタイルは、まだ確立されていない。KOL (Key Opinion Leader:中国のインフルエンサーを表す言葉)の影響力が大きくて、誰もがそのスタイルを真似してる。
新しい世代を境に、過去の伝統が終わりを迎えつつあり、また新しい形で生まれ変わろうとしている。それを多くの人が感じているみたい。
T:日本や他の国では当たり前だと思うけど、「古着を着る」っていうのも、中国の文化には見られないことなの。私たちの親世代にとっては、他人が着た古い服を着たがるなんて、間違いなく理解不能だろうし、若い世代にとっても、まだなじみの薄い考えだと思うわ。
S:戦後しばらくして、何もかもが新しくなった。中国には様々な外部文化が入ってきて、今では僕たちのバック グラウンドの6〜7割は外来文化でできてる。僕は日本のアニメやハリウッド映画を観るし、イギリスの小説も読む。遠い将来、次の次の世代くらいには、もっと古着屋ができてるんじゃないかな。まだ始まったばかりだけど、僕たちの世代から、徐々に障壁はなくなっていくんだ。僕たちには、中国文化だけではなく様々なものが混ざってて、このアイデンティティはそのままに、これから僕たち自身の表現方法を探していくんだと思う。そして新しいものを築き上げていくんだ。

Yoshiko Kurataは東京を拠点とするフリーランス ライター。『Quotation』、『i-D Japan』等に執筆を行う
- インタビュー: Yoshiko Kurata
- 写真: Lorenzo Dalbosco
- ヘア: Zaixuan Lee
- メイクアップ: Beata Xu
- モデル: Jing Jing