ミューズたちは
ルームメイト

ファッションとファンタジーへ捧げる愛の写真

  • 文: Devan Díaz

クルス・クラウディア・ヴァルデス(Cruz Claudia Valdez)は、決して現実に甘んじることがない。ニューヨークで活動するこのフォトグラファーは、現実を自分に合わせる。光線は屈折し、手足は長く伸び、形が浮かび上がる。それこそがファッションの真髄だ。業界は停滞し、日常ははるかに現実味を失ったが、夢想を具現するクルスのパワーは衰えることを知らない。スタイリングを引き受けるパートナーのマルクス・カフィー(Marcus Cuffie)、大の親友で専属モデルを務めるダラ・アレン(Dara Allen)、そしてクルスの3人は、ニューヨークのフラットブッシュで暮らすアパートをあっという間に撮影セットに変えてしまう。マットレスは廊下に出され、ダラの寝室はドレッシング ルームに使われて、冗談まじりの愛称「スタジオCCV」の出来上がり。ここで私の最高の友である3人が、誘惑し、幻惑し、刺激するイメージを誕生させる。

Instagram、Twitter、iMessage。ここで私たちは集い、時間を共有する。料理のレシピ、デモが行なわれる場所、ゴシップを教え合う。視覚イメージとサウンドとテキストを積み上げていく私のTumblr的思考を理解してくれるのはこの3人だ。そして写真は、彼女たちの精神が広がる世界に欠かせない視覚言語だ。

ある夏の日、Housepartyのアプリで一緒に過ごす午後。スクリーンに映る彼女たちの部屋は「アイコニック」なもので溢れている。「アイコニック」と表現されるものはあまりに幅広く多種多様だから、このネット用語の矛盾につい笑ってしまう。この言葉を好んで持ち出すのはクルスで、カレッジで勉強していた頃、デッサンの先生が「アイコニック」な題材を取り上げたのが始まりだ。その授業で、クルスは、カメラに向かって睨みつけているララ・ストーン(Lara Stone)を選んだという。「力を秘めた」視覚イメージと波長が合うのだ。MySpaceに投稿されたBalenciagaの2006年秋冬キャンペーンに触発されたことを今でも覚えているそうだが、2006年と言えば、デジタルが一斉を風靡する直前、ファッション写真がまだ印刷されていた頃だ。デヴィッド・シムズ(David Sims)が上向きのアングルで撮ったヒラリー・ローダ(Hillary Rhoda)は、伝説のシティ バッグを抱えて、圧倒的存在感を発散するマドンナだった。まさに「アイコン」の王道だ。

抗議活動と食料品の買い出しが主な活動になった現在でも、創作を止める理由にはならない。必要なものは何でもアパートに揃っている。フラットブッシュは、3人の活動を可能にしてくれる場所だ。クルスもマルクスもダラも、すべてを創作に捧げる。そのためには、片手間の仕事を引き受け、パートタイムをやり、残業をこなす。自分たちが撮りたい写真をとれる状態を確保するためには、何でもやる。アパートの壁ひとつ隔てた路上では、猛烈な抗議運動が荒れ狂い、眼下で警察とデモ隊が睨み合う。どんな生活を続ければいいのか、途方に暮れる。だがクルスにとって、選択の余地はない。「自分だけじゃなくて、これまで私を支えてくれた人たちみんなのためにも、続けなきゃいけないの」。そんな気持ちから、3人は諦めることなく、自由なイメージを探し続ける。

売るモノがないときのファッション写真とは、どういうものだろう? モノが移動できないのだから、アパートで撮影するのは3人の個人的なコレクション アイテムだ。ボルティモアで生まれ、絵画を勉強したマルクスは、イメージに対して冷静にアプローチする。実用性を念頭から追い払えば、衣服は違うものになれる。かくして、ケープはダラの首に巻きつけられ、脇から手が突き出す。肉体は断片に分かれ、絵筆の運びになる。最初はエディトリアル記事の写真から始まったが、やがて、ふたりのブログは貴重な画像が見つかる「宝庫」になった。eBayでレアなファッション誌をくまなく探し、膨大な時間を費やして作られたアーカイブだ。「マルクスのブログは、美的センスを示す基準だったわね」と、クルスは言う。「実際に体験して、自分の手で扱ってみたいと思わせる夢の世界よ」。歴代最年少でLVMH賞を受賞したカナダ人デザイナーのヴェジャス・クルシェフスキー(Vejas Kruszewski)がVejasを立ち上げるときには、ふたりでスタイリングを提供したが、コラボレーションはオンラインで育んだ友情から生まれたものであり、弱冠19歳の才能ある新人を応援する方法でもあった。その後、スタイリスト兼アシスタントとして進む方向性を、はっきりと自覚する節目があった。ある撮影で、スタイリストとフォトグラファーが相談する現場を目にしたときのことだ。雰囲気と情感を的確に表現するには、どうすればいいか。やがて始まった撮影で、服は動き、音楽が流れ、モデルが舞った。その様子をマルクスは映画に喩える。「あれが目標。すべてを配置して、自由に動かせて、その中から何かを掴みとる」

映画はしょっちゅう話題にのぼる。全員が口にするのは『赤い砂漠』のモニカ・ヴィッティ(Monica Vitti)だ。ミケランジェロ・アントニオーニ(Michelangelo Antonioni)が初めてカラーで撮影したこの映画は、主人公のグリーンのコートを際立たせるために木々を黒く塗るほどのこだわりようだった。その影響は、クルスとマルクスがファッション業界で撮影した最初の写真に結晶していた。女性がひとり、影の中で戯れ、服を着る。いちばん頻繁に登場するモデルがダラだ。サンディエゴで生まれ、成長期を過ごしたオレンジ郡では、クルスと近所だったから、よく一緒にデパートへ出かけ、シーズンの新着ファッションを試着してはブログに載せていた。

「魅惑って、印象なのよ」とは、ダラが頻繁に繰り返す「ダライズム」だ。魅惑とは、感覚であり、憧れの対象をもたらす流動的な動きだ。ダラは、誕生すべき写真に奉仕する。パット・クリーブランド(Pat Cleveland)を彷彿とさせる陽気な活力で、フレームを満たす。最初は自撮りとして始まり、色々とお洒落を試す生活からブログへと移行するのは簡単なことだった。モデルを始めたのは、2017年秋冬シーズンに向けて、Marc JacobsからDMのメッセージが届いたからだ。結局、その後の数シーズンにかけて、ダラはMarc Jacobsに愛されるミューズとなった。『i-D』の表紙にもなった。アレック・ウェック(Alek Wek)と組んだHelmut Langのキャンペーンは、親友のイーサン・ジェイムズ・グリーン(Ethan James Green)が撮り下ろした。ファッション業界は魅惑を利用して利益を得ようとするが、ダラは変容を促す魅惑の力を信じている。ハイスクールの2年生のとき、友達に「Style.comを見なさいよ」と言われて以来、ファッションにとり憑かれた年月を積み重ねてきたのだ。現在は、『Interview』でファッション記事の寄稿編集者を務めるほか、このエディトリアルの写真のように、スタイリングやヘア&メイクアップをやることもある。この世で不足しているものがあると思ったら、クルスやマルクスと一緒に、ダラは足りないものを作り出すことができる。

  • 文: Devan Díaz
  • 撮影アシスタント: Cruz Valdez
  • スタイリング: Marcus Cuffie
  • モデル: Dara / HEROES New York
  • 翻訳: Yoriko Inoue
  • Date: July 10, 2020