Sacaiの世紀

「いくつもの顔を持つ現代女性」を反映するデザイナー、阿部千登勢をスタジオに訪れる

  • インタビュー: Tiffany Godoy
  • 写真: 蓮井元彦

阿部千登勢の世界は直感的なバランスで成り立っている。この視点は彼女にぴったりだ。ここ数年、Sacaiはパリコレの必見ブランドであり、彼女の服は、魅力的でやや風変わりな21世紀の女性を表現する中心的な作品である。彼女のデザイン言語は複雑かつ洗練されており、彼女が言う「いくつもの顔を持つ現代女性」の姿を反映している。ごく最近彼女は新しいバッグのラインを立ち上げたばかりで、今年はすでにメンズの初のランウェイ ショーも実現させた。

今までに行なったコラボレーションの長大なパートナー リストは、NikeやTatami by Birkenstockのような大御所ブランドからAmbushやHender Schemeのような新進のカルトブランドまでが名を連ね、今なお増大し続ける。Sacaiの物語は、阿部がニット ウェアのブランドとしてスタートさせた1999年まで遡る。私たちが出会ったのも、ちょうどその頃だ。18年の歳月でSacaiは大きな成長を遂げてきたが、阿部の仕事はまだまだこれからだ。阿部は青山のオフィスへ私を迎え、アートとビジネスのバランスを教えてくれた。前日の晩は遅かったにも関わらず、彼女は本当の東京のスタイルで私たちを暖かく歓迎してくれた。

Tiffany Godoy

Chitose Abe

初めてファッションを意識したのはいつですか? 若い時から、いつも身なりに気を配っていましたか?

私は人と同じ格好をするのが本当に嫌なの。小学校のとき、すごくベルボトムが流行ってたのね。でも、私はすごくつまらないと思って、母親にベルボトムを全部スリムにしてもらったの。で、それを履いて学校へ行ったら、クラスのお友達が真似をして同じにしてきたから、私は怒ってしまって。「私、もう帰る!」(笑)。髪型だって、私が変な髪型にしているとお友達が真似してくるのよ。もうそれが許せなくて、黙ってられない。しょっちゅう「私もう帰るっ、気に入らない!」って怒鳴っては、家に帰ってたわ。今はもう、それほど感情的になる情熱はないけどね。今思うと、つくづくバカだったわ。

そういうアイデアはどこで見つけてたんですか? 雑誌ですか?

雑誌とかテレビとか。何でも、自分のやり方でスタイリングしてた。学校の体育の時間に帽子を被らなきゃいけなかったんだけど、髪型のせいで被れなくて、でも断固三つ編みをほどくのを拒否して、母親からすごく怒られてた。どうもそういうことが何度もあったみたい。

ハードコアなファッション ガールでしたね。

まさしくそう!(笑) 今の方がおとなしいと思う。

その次は? ファッションを勉強したいと思ったんですか?

小学校5年生のとき、TVのコマーシャルでファッション デザイナーの三宅一生さんを見て、「ファッション デザイナー? そんな仕事があるんだ!」って開眼して、それからその夢が変わらなかった。ずっとやりたいと思ってたわ。他に何かしたいと思ったことは、一度もない。

デザインは文化服装学院で勉強したんですか?

文化じゃないの。私も文化へ行きたかったけど、私は名古屋の北にある岐阜の出身なの。

地方なんですね。

すごい田舎。両親が東京へ出るのを許してくれなくて、名古屋の学校へ通うのに片道2時間かかったの。それを3年間。とっても東京へ行きたかったけど、絶対ダメだって言われて。両親は私がいつか諦めると思ってたみたいだけど、もちろん私は諦めなかったわ。

当時は、どういう格好をしてたんですか?

その頃はね、ヴィヴィアン・ウェストウッド(Vivienne Westwood)が流行ってたから、想像できるでしょ?

分かる。プラットフォームの靴でしょ?

そう。変な格好をしてるってことで、私は地元でけっこう有名だったの。みんな私を見て、何あれ?って感じ。私の家族も、特に母親は、外出するときにいっしょに歩きたくないって言ってた。今はね、あの時はごめんねって、母親が謝ってる。

本当に必要だからやっているだけ

当時の夢は何だったんですか?

デザインの専門学校を卒業した後は、とっても普通に、アパレルの大企業に就職したの。当時は、デザイナー ブランドに行くより、大きい会社に就職するほうが優秀って思われてたの。学校にとってもそのほうが良かったし。私もそんなもんだろうと思ってた。でも、会社の近くにComme des Garçonsがあってね、ランチの時間になると、白いシャツを着て黒いパンツを履いたおかっぱの人たちが骨董通りを歩いてくるの。それを見てすごく憧れて、Comme des Garçonsに入りたいと思った。だから、1年ぐらいで会社を辞めちゃったわ。

そこからComme des Garçonsへ行くわけですが、いちばん最初に何を学びましたか?

いちばん大切だったのは、やっぱり、他のどことも違うってこと。何て言うのかな? Comme des Garçonsでは、上から要求されることがなかった。こうしなきゃいけないとか、あれをしなきゃいけないとか、誰かと同じじゃないといけない、ということがなかった。分かるよね?

オリジナルな視点、オリジナルな才能ってことですね。

そう! オリジナルであること。それと、もうひとつはビジネス。ファッションはビジネスだから、ビジネスとクリエイティブをどうバランスさせるか。それがいちばん勉強になったし、ずっと自分の中に残っていることかな。

いつ頃、自分のブランドをやりたい思うようになりましたか?

Comme des Garçonsはすごく楽しかったんだけど、子供ができたの。どんな会社にいても、子供がいたらそれまでと同じようには働けないと思ったから、退職したわ。そのときは自分のブランドを立ち上げようと思ってたわけじゃなくて、表向きは子育てが理由だったんだけど、辞めてみたらずっと家にいて子育てっていうのが全然楽しめなかった。もちろん子供は可愛いんだけど、私ひとりが取り残されたみたいで。そのときに主人が「君は今まで、何百人ものデザイナーが何百もの服を送り出すパリコレの世界にいたんだ。3着でも5着でも、とにかくすごく特別でユニークなものを作れたら、誰かの目に留まって、認めてくれるんじゃない」って言ったの。「あ、そうだね」ってことで、ほんとにそのときは5着だけ作った。でも、そのときのスペシャルなものを作ろうって気持ちが始まりよ。

基本的に、自分が着たい服を作ってる

私がSacaiを発見したのは、18年ぐらい前、まだブランドが始まったばかりの頃です。折り畳んだ状態でも面白いニットウェアがありましたね。

あー、懐かしいなぁ! 私たちのアイテムの面白さって、すごく畳みづらいことでしょ? それがまた面白いんだけど。そういうニットって、あの当時はなかったと思う。今はハイブリッドのニットや服がいっぱいあるけど、あの頃のニットはニットでしかなかった。私は、ユニークなものを作ることだけを考えてたわ。初めて海外へ行った時もそうだった。

2011年ですね。

そう。よく知ってるね。その頃はもう、私の製品は国内の置いてもらいたい店に置いてもらえていたから、なんとなく次は販路を拡げようかなと思ったの。別に、がむしゃらにパリコレに出てやる!という感じではなかった。最初から、ファッションの慣習や既成概念には囚われたくなかったし。みんなに「あ、こんなやり方あったんだ!」って思ってもらえるブランドにしたかった。まだ、すごく小さかったしね。普通、ちょっと上手くいくとお店を作って、バッグを作って、フレグランスをやって、パリコレに行く。けど、そういう段階を否定して、自分のやり方でやりたかったの。今もそう思ってるけどね。「みんながやってるから、私もそうする」っていう考え方が嫌なの。私が何かをするのは、それが本当に必要だから。

ハイブリッドというと、Sacaiはフェミニンだけど、朝から晩までひとつスタイルで過ごせる、家に帰って着替える必要がないという強さがあると思います。阿部さんが女性の心をゲットできたのは、現代女性の生活をとてもよく理解しているからだと思います。

うん。でもそれって、多分私も同じだからだと思う。みんなの心を読むことができて、みんなの気持ちを理解して作っているんじゃなくて、私がそういう人間で、それを理解して共感できる人がいるということ。基本的に、私は自分が着たい服を作っているわけで、いくら新しくてそれまでなかったような服でも、私が1日中街で着るかなって考えて、いや着ないなって思ったら作らない。だから、ファッションと関わりのない人にとってはsacaiの服は現実的じゃないかもしれない。でも、私にとってはすごくリアリティなの。コレクションって裏切りと安定のバランスだと、ずっと思ってるわ。安定っていうのはsacaiらしさを続けることで、裏切りっていうのは驚きの要素。

阿部さんは、飽きっぽいタイプですか?

違う! 全然飽きない。すごくじっくりやるタイプ。とっても真面目な人間です(笑)。とっても勤勉だし、とってもたくさん考るし。だから、例え直観で決めることがあっても、次これ、次これ、って跳びつくわけではないの。

では、次のステップは何ですか? 今はどう考えていますか?

変えなきゃいけない、と思うことが少なくなってきたな。有名な雑誌の編集者がショーに来てるかどうかも、前ほど気にしないし。これからどうしたいか?どういう未来にしたいか? はっきり言って、私にもまだ分からないわ。それを探りながらやってる、っていうところかな。これが5年前だったら、もっとたくさんの人に見てもらいたいとか、ブランドを大きくしたいとか、言ってたと思うけど。でも今は、もっともっと本物になりたい。今がニセモノっていうわけじゃないんだけど、もっとリアルになりたい。「本物」っていう言葉が合ってるのかな? もっともっと確固として、堅固で、揺るぎないものになりたい。

先ほど、Sacaiしか作れないものを作りたいと言ってましたね。では、Sacaiに関して、ブランドの外側の人たちに感じて欲しいことは何ですか? 例えば、Chanelにはブランドとしてのアイデンティティがあります。Sacaiはどうですか?

まだ今作っているところだもの。さっき言ったように、唯一考えていたのは、他の人とは違う方法で成功したいってことだけなの。尊重されたいっていう言い方は傲慢かな? 私は違っていたい。それを見て「sacaiのやり方っていいよね」とか「こんなやり方でうまくくんだ」とか思ってくれたら。最初にお金が無いと始められないって思ってる若い人がいるとしたら、それはちょっと違うんじゃないかな。私を見て、そういうやり方あるんだ、と思って欲しい。クリエイティブの面でもビジネスの面でも。でも私もまだ100%じゃないのよ。そういうレベルになるために、まだまだ、仕事も遊びもいっぱいしなくちゃ。

何をするのが楽しいですか?

飲みに行くのが好き。そろそろ大人になって、年相応に振舞うべきかなと思うけど、いまだにオールナイトでパーティーすることもあるわ。でもそういうところで、また新しい人と知り合ったりするし。1日中ただ机に座っているだけじゃなくて、外に出て、新しいものを見るのはいいことよ。海外もなるべくたくさん行くようにしている。今は、Google mapで何でも見られるじゃない。ものすごい情報量。でも、やっぱりそこへ行って自分の目で見ないと、本当には分からない。街の雰囲気とか、生活とか、女性とか、すごく勉強になるわ。

今までのキャリアで、いちばん大事な出来事は何でしたか?

パリへいったときね。ショーじゃなくて、セールスでパリへ行って、良いクライアントに会えたわ。ずいぶん前の話なのよ。それからずっとお付き合いしていただいて、今も続いている。とっても大切な体験だったわね。次はもちろん、ショーをやったことだけど、もっと大事なことはカール・テンプラー(Karl Templer)と出会ったこと。

何を学びましたか?

私たち東洋の人間と向こうの人の感覚って、やっぱりちょっと違ったりするんだよね。カールはそれを教えくれた。8分間のショーでは「どう自分を表現するか? どんなメッセージを残したいか?」が大切なの。だって、みんなたくさんショーを見るから、細かいことはいちいち覚えてないもの。だから、空気感とか、雰囲気とか、音楽なのよ。良い洋服をつくるのは当たり前の前提。

コレクションって、裏切りと安定のバランスだと思ってるわ
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