SSENSE 2017年秋冬
ウィメンズウェア レポート
次シーズンと未来のスタイル ガイド
- 文: SSENSE
- 写真: SSENSE Buying Team
人間以後、クリスタル以前
アレッサンドロ・ミケーレ(Alessandro Michele)が見せたGucciのユニセックスな2017年秋冬ショーでは、シークインの海から人間とクリスタルの完全なる融合体が出現した。プリズムのように光煌めくフェイスが使えるなら、もうストロボ クリームなんか必要ない。マスクの存在が当たり前になったら、メイクアップが実現した以上に、勝負の場でチャンスが平等に訪れるかもしれない。人間以後クリスタル以前の私たちは、今まさに目前で輝きを放つサイボーグ未来へ移行しつつある。
いつまでも未開封
Raf SimonsがCalvin KleinのためにデザインしたPVCラップ ファーコートは、プラスティックに覆われたまま、まだ開けていない包みを思わせる。人気を集める開封ビデオと同じスリルと興奮を、無限に引き伸ばす未開封パッケージ。薄膜で外界を遮断する柔らかなオブジェクトは、愛しているのに見るだけで触れることのできない倒錯的な快楽を暗示する。ずっとそこにあるのに、いつも少し距離があり、光沢を放ちながら心を乱す。

応急処置
ただ生きているより遥かに高い志を持つべき時代に、いつも「救命セット」が話題になるのはなぜだろう ? 命を救うことに関しては、医師の鞄が究極万全の「救命セット」。これさえあれば、誰だって救命プロの役割を果たせる。満員電車を利用したときのストレスにラベンダーのエッセンシャル オイル ? 勿論あるわ。バンドエイド ? たくさんあるから、余分に持ってって。適正なトップ ハンドルのバケット バッグさえあれば、サバイバルはおろか、不死の幻想に達するほど、備えは完璧だ。往診も問題ない。ん、死ぬこと ? そんなもの聞いたことないわ。
走れ...そう
「かさばったランニング シューズ」は矛盾する表現だ。本来、スニーカーの外形が拡大するにつれて、走るスピードは低下する。おそらく、そこが核心だ。イタリアの未来派が「スピード賛歌」として重厚なブロンズ彫刻を制作したように、「かさばったランニング シューズ」は、自らの機能を抹消したスピード信仰の象徴なのだ。そこで、アスレジャーの流行で本当に重要なのは何か、今一度考えざるをえない。大切なのは、いつでも走れることか、いつでも走れそうに見えることか。
暗号で完全武装
ニュースがどんどんフェイクになり、パラノイアがますます現実になる現在、アルミフォイルの帽子を必要としない人がいるだろうか ? 今シーズンのランウェイで展開されたComme des Garçonsのショーは、間違いなく、そんなアドバイスを発信した。マインドコントロールされる恐怖から、都市居住者にとって、金タワシのウィッグは必需アイテムのひとつになった。頭にアルミを装着して政府の無線信号を阻止する方法は、陰謀論者であることを示す緋文字に等しかったが、時を経ると共に、陰謀を疑う人たちは社会の主流となりつつある。そう、月面着陸は嘘ではなかったと認めよう。それでもなお、ディナーの予定を立てるときは、安全なエンドツーエンド暗号のテキスト メッセージを使いたい。メタリック仕上げと探知されにくいフットウェアで身を固めれば、陰謀に対する疑念は魅力の第一鉄則に通じる。すなわち、常に誰かに見られているつもりで行動すること。
羽毛の野生
羽毛は軟弱と同義である必要はない。Pradaの2017年秋冬ショーでミウッチャ・プラダ(Miuccia Prada)が見せた羽毛のビジョンは、「グレート・ギャッツビー」から遠去かり、ロバート・マクギニス(Robert E. McGinnis)のイラストに描かれたボンド ガールへ近付いた。セックス アピールと魂胆と秘密兵器を隠し持った女たち。無謀なほどに自分自身を飾り立てるのは、「文明」の限界を逃れるひとつの方法だ。野生の法則に従えば、羽毛は、求愛行動にも捕食者に対する威嚇にも等しく役立つことが分かる。現実に目を向けよう。世界はジャングルだ。

Prada
錆び
錆びは場所を選ばない。死にゆく夏の色。毛染めで現れた気に入らない暖色。服に付いたシミ。けれど、酸化を忌み嫌う必要はない。旧来の経済体制を支えた鉄の機械がオレンジ色に色褪せるように、錆びは、自由な時間、もはや機能しなくなったものの象徴だ。そして、機能の不全を受け容れる以上に、ロマンティックなことがあるだろうか ? 加工が介入していない錆びは、あらゆる色彩の中で、もっとも人間らしい色かもしれない。哺乳類と同じく、生存に酸素と水を必要とする。錆びと私たちは同じだ。

A-W-A-K-E
働くハードウェア
ついに機能性とファッションの共生が可能になった。今シーズンのメタル アクセサリーは、その事実を明白に示している。控えめな留め金やミニマルなジッパーなんて忘れよう。顔と同じ大きさのバックルは、実用性を正しく体現している。いつの時代も、自給自足は最高のアクセサリーだ。自在に使える道具が多いほど、他人に依存するものは少なくなる。何も北極探検へ出かけるような格好をして、逞しい自立を見せつける必要はない。証拠はディテールに在る。そして、そのディテールは極めて大きい。
蘇るグランジ
幾度となく繰り返されるグランジの再登場は、まさにファッション世界のヨガ呼吸だ。Marc Jacobsがスポーツウェア ブランドPerry Ellisから解雇されるに至った理由は、1993年春夏シーズンに発表した伝説のグランジ コレクション。その振動が消えることはなく、人為的な乱雑さは世界が反復する律動になった。だらしない格子柄、着古したデニム、破れたフィッシュネットは、とりわけ混乱を極める時代に、私たちが常に回帰できるイージー ゴーイングの基盤だ。だからこそグランジが戻ってきた。
コーデュロイの発信
畝のあるコーデュロイは、古く歴史を遡る。16世紀には、ヨーロッパの王族が好んだ生地だった。第一次世界大戦時は兵士のズボンに使用された。そして世界で初めて大衆市場向けに生産された1918年製のフォード自動車「モデルT」では、内張りとして登場した。だが、この素材をノスタルジアで一括りにするのは間違いだろう。視聴覚のテクノロジーに支配されるインターネット文化で、コーデュロイの質感は又別の属性を帯びて誘惑する。指が畝状のコットンに触れる感触はアップロードできない。そこで、コーデュロイは「見るだけ。お触り禁止」を伝達する究極の信号になる。

アメリカのゴシック
現在クリエイティブ界の巧妙な表現に充満するノスタルジアは、古臭いという以上にふさわしい言葉が見つからない。異常な速度で過去のトレンドを掘り起こし誇張する結果、探求の余地はほとんど残らない。その点キルティングは、囲碁のように展開しうる点で独特だ。作品をカスタマイズする方法は無限にある。人生で機能しなくなったものを、他の目的に使い回すことはできるだろうか ? 片付けコンサルタントの近藤麻理恵なら「ときめきを感じないものは一切処分しなさい」と忠告するかもしれない。だが、ときめきは再燃しうる。再び脚光を求める欲求に耳を傾けて、古いものを分解し、それから全く新しい何かを作り出そう。そうすれば、布片から新しい何かが成長する。
幻肢
全財産を身に付けていれば、本当に途方にくれる状況が起こりうるだろうか ? 新たに発生した器官のごとく身体に装着すれば、歓迎すべき幻肢となる。次シーズンに蘇るヒップ ポーチのジッパー、留め具、ポケット、ベルクロは、放浪と装着型テクノロジーを融合させて現代女性の放浪を助ける。言うなれば、現代ノマドの持てるすべてを持ち運ぶ付属器官、安住を嫌う者の第二の肌だ。
本当の本物
良質なニセモノは時に本物を超える。風刺から私たちはそう学んだ...特に権力に関して。同じことは、リアル ツリー迷彩にも当てはまる。元はと言えば軍の戦闘服にインスパイアされて登場したスタイルは、あまりにミリタリー色を強めて、今や軍服とファッションに挟まれた不可思議な谷間に落下した感がある。だが、気候変動の否定論者が暴言を吐き散らす現在、環境を代弁するのに、自然の中で文字通り姿を消す以上に良い方法があるだろうか ?「自然と一体」という言葉がいつの日かニュー エイジのスローガンになったり、地球が耐えうる以上の気温が訪れる未来など、アメリカの思想家ラルフ・ワルド・エマーソン(Ralph Waldo Emerson)には知る由もなかった。彼にとって、そして来シーズンにとって、「自然と一体」は自分を取り囲むものと感謝の気持ちで心を通い合わせることを意味する。
有毒ヒール
蛍光グリーンのスパンデックスとサイハイ ブーツに身を包んだユマ・サーマンが悪役ポイズン・アイビーを演じたとき、毒々しいスタイルは魅力に変じた。コミックに登場した過去の悪役たちがグロテスクに変身したのとは異なり、ポイズン・アイビーは有毒な激情へと魅惑的に陥っていった。今シーズン、Balenciagaのデムナ・ヴァザリア(Demna Gvasalia)の手によって、突然変異植物を表現したグリーンが再び表舞台に姿を現した。ソックスとヒールを融合したこのスティレット ブーツは、異種交配ファッションの最たるもの。このグリーンを選択すれば、毒を招き寄せて、唖然たる大惨事を引き起こせる。

現代の証
ウォルター・ベンヤミン(Walter Benjamin)は、著作「複製技術時代の芸術」で、大量生産の興隆に伴って人間味が失われたことを嘆いた。産業化の副作用を免れたアートや工芸は存在しない。今日職場へ履いて行ったスニーカーが人間労働を世界的に組織化した成果だとしても、とても「特別」とは感じられないだろう。VetementsとReebokのコラボレーションは、そんな筋書きをひっくり返すのが狙いだ。大量生産品をカスタマイズする手法には、数学の授業中頭が別の場所へ飛んでいる子供を採用した。もちろん、実際に誰かがスニーカーに落書きしたわけではない。事実、偽りの落書きは、このスニーカーでもっとも人間の関わりを欠く要素かもしれない。結局のところ、ラグジュアリーは矛盾によって突き動かされる。
ブートキャンプ
使い古された決まり文句が貴重な真実を教えてくれることもある。そのひとつが「ブーツは歩くためにある」。それだけでなく、ブーツは登山にも使える。暴動にも、乗馬にも使える。おびただしい数の項目が並ぶ予定表と不両立に直面し、なおかつ靴を履き替える時間もない現代人にとって、そんな多用途性は必須の条件だ。バランスをとる上で唯一大変なのは、こなすべき多数の任務を遂行しつつも自分を失わないこと。そこで、ブーツのいちばん重要な機能を思い出す。すなわち、レザー ブーツの足音も荒々しく「失せろ!」と言い放てる力量。
ストリートでクレージー
「ストリートでは淑女、ベッドではクレージーになる女」とラップしたリュダクリス(Ludacris)は、明らかに、個人的なことは政治的なことだという主張を耳にしたことがなかったようだ。2004年のトップ ヒットで著しく女性蔑視的なライフスタイルの嗜好を公表したリュダは、だが、ほとんど賛同を受けた様子がない。だが、それから13年が経過した現在、ストリートではいわゆる「クレージーな女」がもてはやされる。ツルツルのエナメル パンツ、レザーの首輪、そしてお洒落なハーネスなど、今シーズンのランウェイでは軽めのボンデージやフェティッシュなウェアの存在が目につく。「馬鹿げてるけど、クラブでは目立つ」と評する向きもあるが、このスタイルに見る者は関係ない。ファンタジーは着る者のため。
- 文: SSENSE
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