Margielaのタビ ブーツが放つ驚異的な魅力

真に「アイコニック」と呼べる靴を、アラベル・シカルディが斬る

    私のクローゼットには、袖が4本もあって裾が斜めにカットされたスーツを始め、多彩な色とスタイルの10着のレザージャケット、ニーハイのヴェルヴェットブーツなどがあるが、これまでもっとも多くの人からコメントをもらったのはMargielaのタビ ブーツだ。見ず知らずの人がこのブーツに目を留めて、快適かどうか聞いてくる。おしゃれ感度の高いハイプビーストたちはこのブーツを見ると、電車から降りる際にわざわざ立ち止まってどこで購入したのかを聞かずにはいられない。母親たちは、どうしてこんな変な靴を履いているのかと私に聞いてくる子どもたちを黙らせないといけない。このブーツは、私が所有するアイテムの中でもっとも意見が分かれるアイテムだ。気がつけば、私は何足かのタビを所有し、どこへ行くにもこのブーツを履いている。

    マルタン・マルジェラ(Martin Margiela)は足袋を発明したわけではないが、それを言うなら、彼の代表作の多くも、彼が発明したわけではない。彼が得意とするのは、確立された形を脱構築して新しいアイデアを世に出すことだ。タビ ブーツを生み出すにあたり、彼は、15世紀までその歴史を遡ることのできる、日本の作業労働用の履きものを参考にした。もともと足袋は靴下として始まった。二股に分かれたつま先は、足の親指を分けることでバランスをより良く保つためのデザインだ。思考をクリアに保つことを促進する、ホリスティック的リフレクソロジーの考え方だ。また、二股のつま先は、自意識とも関わりがあるとされている。さらに、当時日本で広く履かれていた草履とも、うまく馴染んだ。当時は、綿が希少であったため、足袋を履くのは上流階級のみに限られていたが、中国との貿易が始まると、広く履かれるようになった。元来、色も階級によって制限があり、上流階級は紫と金、武士はそれ以外の色、そして一般大衆は青だけが許されていた。1900年代頃には、屋外での活動のためにゴム底が加えられるようになり、それは地下足袋と呼ばれて今日も作業労働用の履きものとして利用されている。

    画像のアイテム:ブーツ(Maison Margiela)

    他にも、足袋の現代版が、今日のファッション界で生産されている。2002年に京都で発足したSOU-SOUは、多彩な模様や色の足袋を、Margielaの何分の1かの価格で提供している。Nikeには、独自のスニーカー版足袋であるAir Riftがある。かつてMargielaで働いていたデムナ・ヴァザリア(Demna Gvasalia)が率いるVetementsも去年、独自の足袋をランウェイに投入した。しかし、いずれも、Margielaのタビ ブーツほどの関心を生まなかった。また、手頃な価格の複製品と呼べるものも出てきていない。Margielaのタビ ブーツには、コレクターの心を惹き付ける独特の魅力がある。特定のカラーが店頭で在庫切れになると、Google翻訳を使ってでも海外のオークションサイトから大幅に跳ね上がった価格で購入する人が後を絶たないくらい人気があるのだ。なぜ私たちは、崇め奉られる先の割れたひづめにこれほどまでに熱狂するのだろうか?

    マルジェラはヒールの上に裸足で載っているような感覚のシューズが欲しかった。ヒールは横から見ると太くて高いが、前から見ると細い。そして、伝統的に男性っぽい雰囲気を醸し出すレザー。ブーツの内側を走る金具は、彼が見つけ出したオリジナルのデザインを参考にしたのだ。というのも、彼が自分のタビをデザインしたのは日本への旅から戻って来たばかりの時だった。1988年に自分のレーベルを設立する前、マルジェラはJean Paul Gaultierで働いており、それ以前には自分のシューズのラインを持っていた。しかし、Maison Martin Margielaの初コレクションのために靴を作る段階になると、彼のタビ デザインを引き受ける靴職人が見つからなかったのだ。伝統的な工房にとって、つま先が割れているデザインは斬新過ぎた。だが運命の巡り合わせか、Gaultier以前のマルジェラのシューズを、アントワープにある自身のショップ「Cocodrillo」で最初に取り扱ったゲルト・ブルルート(Geert Bruloot)が、Margielaの未来の靴職人となる、イタリア人のアメリオ・ザガト(Amelio Zagato)を紹介したのだ。ブルルートによると、ディナーの席でにザガトにタビの試作品を見せたところ、この靴職人の目が輝いたと言う。

    マルジェラは、戯れるべきもうひとつの布として身体を使った

    そのタビ ブーツは1988年のMargielaのデビューとなったランウェイで、最初に歩いたモデルが履いていた。モデルはカフスにリボンを付け、足元にはタビ、シャツはなく、4時40分にパリのCafé de la Gareを歩いた。他のモデルたちは、フランス領ポリネシアのタトゥの絵柄を参照したイラストの肌色のメッシュと、真っ赤な足のネイルとペアになったシフォンベールを身に着け、ショーのために即興で作られたランウェイの上を歩いた。中には、裸足で歩くモデルもいた。このショーでMargielaは、身体を、戯れるべきもうひとつの布として使った。それによって、何もまとわないことが、当時大御所ブランドが行なっていた過剰な表現と同じだけのデザイン効果を与えうることを示したのだ。フィナーレは、以来、伝説となっているエンディングを迎えた。モデルたちがMargielaのチームが着ていたのと同じ白衣を着て、赤い塗料に浸されたタビ ブーツで、ランウェイの上に足跡ともひづめの跡とも言えない、不思議な赤い模様を残していったのだ。この舞台演出については、ブルルートが共同キュレーターとして携わり、アントワープのモード ミュージアムMoMuで行われた「Foot Print: The Tracks of Shoes in Fashion / フットプリント: ファッションにおける靴の足跡」展の際に行われた貴重なインタビューで、マルジェラ自身がこう説明している。「観客はその新しい靴に気付くべきだと思ったんだ。とすれば、足跡よりもそれがはっきりと伝わるものがあるだろうか?」

    通常、ロボットの見た目が人間に近づいていく過程で、不気味さを感じることで嫌悪感が生じる「不気味の谷現象」については知られているが、マルジェラがデビューショーでもたらしたものは、まさにファッション界における「不気味の谷現象」だった。しかも、彼はロボットに比べてかなりローテクな靴によって、それを実現した。服装の中で最初に目が行くものではないという点で、タビ ブーツは何ら他のブーツと変わらないが、注意深く見ると、人を惹き付け、誰もがひと言意見を言わずにはいられない存在感を放っている。ブーツのカラーも、なかなか難しい。ベージュのレザーだと、人の肌に似過ぎて先の割れたひづめが嫌悪感を感じさせるだろう。あるいは、キラキラと光るメタリックや模様のタビだと、従来のブーツとはあまりに異なるため、とっつきにくい印象を与える。ただ、見た瞬間にどんな感情が沸き起こったとしても、最終的には、このシューズを好きになってしまうことには変わらないのだろうが。

    マルジェラは、このタビに彩られたランウェイを、次のショーで再利用した。白地に赤いひづめの足跡がついた布を、ガムテープで貼り合わせてベストに作り変えたのだ。それはデザイン上の理念であると同時に予算的事情に基づく決定でもあった。身近なものを新たに奇妙なものに作り変え、奇妙なものを美しく作り変える。限られたリソースの中で、今あるものを最大限に活かし、新しいものを創造することへのマルジェラの熱意が、ブランドのデビューを感動的なものにしたのだ。彼はブルルートにこう説明した。「最初の頃は新しい型を作る予算がなかった。だから靴が必要なら、タビを作り続けるしか仕方がなかったんだ。でも、いくつかのコレクションが終わった頃には、タビについて問い合わせが入るようになった。そして、どんどん需要が増えた。それ以来、問い合わせが途切れることはなかったんだ、ありがたいことにね!」

    1989年秋冬のMargielaの2回目のショーは、すべてのディテールが、前回と同じくらい多種多様な要素に溢れ、堂々として美しく、そしてファッション史の中で語り継がれていくものとなった。会場となったパリ郊外にある公園では、人々は中に入ろうと壁をよじ登り、近所の子供たちが最前列でモデルたちに声援を送った。ひとりの目撃者によると、ある時点で近所の人たちなのかエディターなのか見分けがつかなくなったと言う。みんながごちゃ混ぜになり、その場の証人になることに興奮していたのだ。ついには子供たちが、再びこのショーでも登場したタビを履いたモデルたちと一緒に、ランウェイを闊歩した。ウォルター・ヴァン・ベイレンドンク(Walter von Beirendonck)と一緒に会場に忍び込んだ若き日のラフ・シモンズ(Raf Simons)も、その光景に感動で涙した。そしてこれが、シモンズに、自分でもデザインをしてみたいと思わせたのだった。

    それにしても、1足の靴と薄く儚げな服が織りなす、何というドラマティックな世界だろうか。Margielaが用いたのは、伝統的なアイデアを使い、それにちょっとしたひねりを加えるという手法だった。その結果、とても馴染みがあるものが、かなり奇妙なものに生まれ変わったことが、私たちの中で化学反応を起こしたのだ。人々はMargielaのタビが持つ意外性を、まるで貴重な公然の秘密のように愛している。だが、同じ人が、その醜さにうろたえ、他の人がタビを好きだと言及することに面喰らったとしても何ら不思議ではない。あなたはタビをチャーミングだと感じるかもしれないし、わざとらしいと感じるかもしれないが、重要なのは、必ずこのどちらかのカテゴリーに分類されるということだ。「何とも思わない」といった風にタビに無関心でいることは不可能なのだ。このシューズは、何らかの感情を引き起こす。衣服がこういった感情を誘発するのは稀有だ。見ず知らずの人から反応を引き出し、友達を作ることができる。誰かがタビ ブーツを履いているのを見ると、自分と同じものが好きなのだとわかる。そんなタビ ブーツは、ファッションの世界における、ある哲学を簡潔に表現するに至った。すわなち、人の心を打つために美しくある必要はないこと。異様なものでも美しくなれること。そして、ごく小さなディテールが、時代を越えても色褪せることのない成果を導き出すこともあるということだ。

    Arabelle Sicardiは美容とファッションのライター。『i-D』、『Allure』、『TeenVOGUE』などで活躍

    • 文: Arabelle Sicardi