Umbroという新たなラグジュアリー

典型的サッカー用品ブランドが今も人気を誇る理由

  • 文: Rebecca Storm

昨年の夏、ベラ・ハディッド(Bella Hadid)とジャスティン・ビーバー(Justin Bieber)のふたりが、同じタータンチェック柄のUmbroのショートパンツを穿いて外出する姿が話題になった。タブロイド紙は、この偶然のお揃いスタイルを大きく取り上げ、「服を共有している」とからかい、「ハディッドが昨夜このショーツ姿で外出し、一方、ビーバーはその翌日に同じショーツを着用している姿が目撃された」など、どちらがどちらを真似たかの議論で盛り上がった。

ショートパンツはUmbroとOff-Whiteのコラボレーションによるものだった。このサッカー用品ブランドは、サッカーの試合用のユニフォームで高い評価を得る一方、90年代から2000年代初めにかけては、大衆向け高級トレーニングウェア ブランドという立ち回りだった。それゆえ中学校の廊下では、誰もがUmbroを着てカサカサと音を立てていたものだ。ではなぜ、ここ10年にかけて、またもUmbroを見るようになってきたのだろうか。

Umbroという名前は、創設者であるハンフリーズ・ブラザーズに由来する。「ハン・ブロ」、「アンブロ」というわけだ。小さなスポーツウェア卸売業者を営んでいたハロルド・ハンフリーズとウォーレス・ハンフリーズ兄弟が、1924年に立ち上げた会社は、現在ではサッカー用品ブランドの元祖と言われるまでになった。Umbroは市場を拡大し、FAカップの公式ブランドと公式スポンサーになり、1952年にはオリンピックのサッカー イギリス代表チームのユニフォームも作っている。Umbroは選手にユニフォームを提供し、1959年には、ファンを対象にしたユニフォームの販売も始めた。それに続いて、シャツ、ショートパンツ、ソックスなどをひとつのパッケージとして用意し、誰もが購入できるようにした。Umbroは上から下までトータルコーディネートしたキット販売のパイオニアだ。おそらくは、これが、現在アスリージャーと呼ばれるスタイルの先駆けとなった。1958年、FIFAワールドカップでブラジルが優勝したとき、ブラジル代表はUmbroのキットを着ていた。そして1966年には、この年に初の、そして今のところ唯一の、優勝カップを手にしたイングランドを含め、決勝トーナメントに進んだ16チーム中15チームがUmbroブランドのユニフォームを着用していた。

Umbroという言葉には、少しウムラウトと同音異義的なところがある。ウムラウトが、後続の母音に引きずられて母音の音が変化する現象を表すように、Umbroもまたスポーツウェアを変容させてきたと言っていいだろう。その質を根本的に変化させたことで、スポーツウェアは、予想外の多様な性質を帯びるようになり、チームとファンが彼らのスポーツに不可欠な衣服やブランドを代弁するようになった。Umbroは何年もかけて、日常のアパレルとして変貌を遂げてきたのだ。

10歳のとき、私は、Umbroのショートパンツの光沢とマットな輝きを交互に配した市松模様が、グランドの刈ったばかりの芝がモチーフにしたものだと信じていた。整然と列になった緑の芝、銀色がかった裏模様。私には、それが美的選択というより、実用的な選択のように思えた。選手たちが、自分たちのプレーするグラウンドとテクスチャーを合わせる必要があるのは当然だ。刈った芝でないと言うなら、このまばゆく輝くばかりの柄は、一体何からインスピレーションを得たというのか。もしかすると、すねあてについたハニカム状のメッシュを模したものなのか、サッカーボールの六角形の模様か、あるいは審判の旗なのかもしれない。あるいは、「チェッカー」模様だけに、将来通う高校の窓のような、お母さんのスカートの千鳥格子をまっすぐにしたような、本物のチェッカー盤が元になっているのか。いずれにしても、あの市松模様は、普段から色々なところで見慣れているせいか、どことなく安心感がある。だからこそUmbroのショートパンツは選手でない一般人が着ても、違和感を感じないのだ。

お母さんといえば、Umbroが競技場の外でも広く着られるようになったのは、おそらく母親や介護士、保育士といった人たちのおかげだ。Umbroのウェアはサッカーショップで販売されるだけでなく、たまにショッピングセンターで、朝食代わりの栄養補助食品が並んだコーナーや季節外れの苺が置かれた横で、ひっそりとラックにかけられ、特売されていたからだ。ブランドは安易なカテゴリー分けを避けていた。90年代というのは、つまるところ、テクノロジー革命がITバブル崩壊の瀬戸際に立たされていた時代であり、インターネットによってカルチャーが腐食されてしまう前の、最後の時代だった。人々があるスタイルを取り入れたのは、それらを実生活の中で目にしたり、実際に着ていたからであって、いいね!やフォロワーの数が多いからではなかった。90年代には、服のオーセンティックさや、色の人気を測れるデジタルな測定基準など存在しなかった。すべて現実世界で起きていたことに基づいていた。

かつてブランド力と言えば、流通チャネルや職人の質、ブランドを取り扱うリテールの存在によって決まっていた。北米産のNikeのシューズを買ったなら、それはブランドの遺産、その品質、ラグジュアリーという幻想にお金を払っていた。adidasがこのピラミッドの頂点に立つべく、Nikeと競い合っていた頃、勢力図の底辺付近では、Brooksのように危機的状況に陥る例も見受けられた。80年代にBrooks のプエルトリコの工場施設で生産に問題が起きた結果、生産されるシューズの品質が落ちて当時の地位を失墜。Brooksのブランドの遺産から、この汚点が完全に消え去ることは決してなかった。現在、大手ブランドは多角化しており、流通経路、生産技術、ブランディングなど、総合的に拡大を進めるようになっている。また昨今では、ただ競合と争うだけでなく、同一ブランド内でも独自性を争うようになっている。例えば、WinnersでNikeのウォーターメロン カラーのウォーキング シューズが39.99ドルで買える一方、SSENSEでは、ヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)とNike Air Prestoのコラボ スニーカーがその5倍の値段で販売されている。ブランドは自分自身との競争を始めたのだ。

こう考えると、ラグジュアリーの分野でUmbroを見るのはほとんど皮肉に思える。

だが今日、どんなにファッションに疎い人でも、その源泉がどこにあるかは知っている。そう、サブカルチャーだ。だから、今年初めにVetementsが、大きなUmbroのロゴの上にさらにロゴを重ねることで、サッカー ブランドのレガシーを利用しようとしたときも、何ら驚きはなかった。過剰と転覆のアイロニーを使った、Vetementsの典型的な手法だ。『Highsnobiety』は、今年6月のワールドカップを記念したUmbroとのコラボレーションで、3種類のジャージを含むIntercontinentalを発表した。今年の初めには、さらにクリストファー・レイバーン(Christopher Raeburn)がこのサッカーブランドのアーカイブを研究し、過去のアパレル ラインを新しいコラボレーションのラインに作り変えている。「このコレクションを、イングランドのサッカーの歴史における懐かしい思い出の数々が喚起されるようなものにしたいと思った。皆が抱いている想いの詰まった、人々の心に響くコレクションにしたかった。私たちは、若い頃に着たシャツを現代に蘇らせ、イノベーティブでエシカルな素材で作った、今の時代に相応しいスポーツウェアに作り変えることで、これを実現した」とレイバーンは語る。Umbroは、それより少し前にもファッション史に足跡を刻んでおり、2017年春夏コレクションでは、Off-White × Umbroコラボレーションとして、軽やかにヴァージル・アブローのランウェイに降り立った。昨年夏にジャスティンとベラがタブロイドを飾った例のショートパンツである。

だが、おそらく、ファッション界にサッカーの種を植えたのはLouis Vuittonでヴァージルの前任者だったキム・ジョーンズ(Kim Jones)だ。彼はUmbroのためのコレクションを2005年に発表しており、ブラジルでアラスデア・マクレラン(Alasdair Mclellan)の撮影した100ページ以上にわたるルックブックで、Umbroへの讃歌を捧げている。タイトルも文章もないそのルックブックは、ただ見開きのページの風景写真と、ストリートでサッカーする若者たちのドキュメンタリー風の写真が収められている。サッカーのルーツに正面から取り組むことで、このアパレル ブランドは、写真のモデルになったパンク風の若者が体現する、反骨精神あふれるサブカルチャーに溶け込んでいる。また、Palace Skateboardsも、「サッカーとクラシックなスポーツウェアに対する共通の愛」からインスピレーションを得たコレクションの中で、Umbroとコラボレーションを行っている。

今年の4月、UmbroとPepsiは数人のビジュアル アーティストとコラボレーションを行い、「The Art of Football」として、サッカーとアートを激突させるという、クリエイティブなカプセル コレクションを発表した。Umbroのカバーする範囲は、スポーツウェアから家庭生活、ファッション、そして今ではアートにまで及ぶ。さらに今年の初めには、厚底のダッド シューズまで発表している。

Umbroがこれほど至るところに存在しながら、なおも一味違う存在であり続けていることを考えるに、私たちがいまだに飽きることなく、ひとつのブランドの遺産が築いてきた時間をそっくりそのまま再利用しているのは驚きだ。だがおそらく、Umbroがそのアパレル ラインを維持することに成功している理由は、その形のシンプルさが、どこにでもある平凡さと合わさって、飽きがこないものになっているからだろう。

ここに至って、私たちは90年代疲れを起こしている。半世紀ほど前に過ぎた時代にあまりにも長くはまっていたせいで、当時のものが、今のものとほとんど区別がつかないほど浸透してしまった。ノスタルジーはウィルスなのだ。だが、その意味では、テクノロジーも同様だ。おそらく私たちのノスタルジーに対する執着は、このテクノロジーに対する強迫観念と深い関係がある。絶え間なく湧き出るスタイルや美学が、滴るように私たちの視界に入り込んでくる。そして、ますます大量に逆流してくる引用やオマージュ、あからさまな盗作の波の中にどっぷりと浸かった私たちは、時折、浮かび上がってくる信用性のかけらを見つけては、それが何であれ、しがみ付くのだ。だが、それをクリエイティブに関する政治的な議論に矮小化すべきではない。問題の本質はデータにあるのかもしれないからだ。つまり、成功する方程式があるということなのだ。例えばNikeやAdidasは、過去のカタログにある主要商品をレトロ化し、それを復刻版として大々的に販売している。ここでのポイントは、過去のアイデアは再び成功しうるという可能性を、事前のデータが示しているとき、新しいアイデアに賭けたり、リスクを取ったりすることにどんな意味があるのか、という点だ。Umbroのケースで言えば、私たちが共有するショートパンツに対するノスタルジーが、そのデータポイントとなる。ここでの人気の手法は、過去から勝者を連れてきて、それをまた繰り返させることのように見える。それは、場合によって、その重複性ゆえに新鮮に見える。私たちが惹かれるのは、先祖伝来のブランド、Umbroという考えだろうか。それとも、馴染み深いものによって守られた、過去のお気に入りに再び触れられるという考えだろうか。ただし、それはもはや、過去のものではなく新しいものである認識されるのだろうが。正当性と、ノスタルジーを再起動させることによる正当化。私たちが思い出しているのは記憶であって、実際に穿いていたショートパンツそのものではない。今日、私たちは記憶を買い戻し、それを所有することができる。これこそが、ラグジュアリーの新しい定義なのだろうか。

Rebecca StormはSSENSEのフォトグラファー兼エディター。『Editorial Magazine』のエディターも務める

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