ユーザー体験:Fendi ローマ本店

帝国が崩壊し、人びとがバッグに「相棒」をつけて歩く街で見たバロック志向

  • 文: Thom Bettridge
  • 写真: Thom Bettridge

はるか未来の考古学者が現代文明の遺跡を発掘して、Fendiの毛皮のバッグ チャーム「ミニ カーリト」を見つけたら、どう考えるだろうか。クリエイティブ ディレクターであるカール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld)をモデルにした、モヒカン刈りの人形に700ドルを超える値札が付いていたのを発見して、ドイツ出身のデザイナーが広く崇拝された異教の神だったと判断するだろうか。それとも、現代は徹底して「ソーシャル」な時代だったから、バッグ1つとっても、いつも一緒にいてくれる「相棒」を必要としたのだと結論づけるだろうか。

「ミニ カーリト」をはじめ、広範な時代と価格帯を網羅した空想力の産物が、Fendi旗艦店には満ち溢れている。ローマの中心に位置し、正面から見ると台形の堂々たる建築にオープンしたリテール空間の前には、厚い大理石板をのせた木が垂直に伸びている。ジュゼッペ・ペノーネ(Giuseppe Penone)作のシュールな彫刻だ。僕がローマ店を訪れたのは、よく晴れた日の朝。店舗前の広場には、この彫刻のほかに、イタリア経済財務省から派遣された警察者が斜めに駐車して、店内に並ぶ金色に輝くバッグの陳列を監視していた。まるでホワイト カラーが良からぬ考えを起こさないよう無言の警告を発するかのように。

店内に足を踏み入れて最初の部屋は、ハンドバッグに捧げた宮殿を思わせるサロンだ。僕は「ピーカブーの控えの間」と名付ける。ここにはFendiから生まれたさまざまなスタイルのバッグが陳列されているが、「ピーカブー」が上座の主であることは疑いようがない。シルビア・フェンディ(Silvia Fendi)が2008年にデザインした「ピーカブー」は、名前から想像できるとおり、気取らない遊び心を体現している。ふたつに分かれたメイン コンパートメントの中央に回転式の留め金があり、その留め金を外すと、外側がたるんだ下唇のように垂れ下がって、中央の面が「ほんの少しだけ」露出する。肩から落ちたブラのストラップや少しのぞいたボクサー ブリーフのウエストバンドがたまらなくスタイリッシュなのと同じように、内側のレザーがちらりと見えるのは最高にチャーミングだ。メンズウェアとアクセサリーのクリエイティブ ディレクターを務めるミス・フェンディは、触れるものすべてを金に変えたミダス王のごとき技をバッグで発揮する。1997年に「ピーカブー」と同じくらい愛らしい名前の「バゲット」を考案し、一躍「イット バッグ」食物連鎖の頂点にFendiを押し上げたのも、彼女の功績だ。

縦長な棚を取り付けたディスプレイや、金色の壁面に杭を打って、宙に浮いたようにバッグを並べた陳列はちょっとした光景だ。例えばAppleには「iPhone」、Hermèsには「ケリー」というふうに、象徴的なデザインを誕生させたブランドは少なくない。しかし、クラシックになったデザインの「純粋」と「血統」を守ることにこだわらない点で、Fendiは一線を画している。むしろ、デザインを骨格として、付加を繰り返し、際限なく積み重ねて、「どこまでやったら別物になるだろう?」と考えているみたいだ。そうやって、奇妙でエキサイティングなものが出来上がる。過去10年で、「ピーカブー」には、考えうる限りのツートン カラーと想像しうる限りのパイソン テクスチャの仲間が生まれた。サイズも、ラージ、エキストラ ラージ、レギュラー、ミニのほか、あまりに小さいのでアクセサリーを通り越して量子物理の領域について考えさせる「ミクロ」まである。キーボードから取り外してきたような、プラスチックのスタッドがあしらわれたこともある。中央の露出部分に漫画チックな「モンスター アイ」を付けたモデルもある。僕が店内で見つけて特に気に入ったのは、ピンクのパイソン レザーをふさふさの毛皮で縁取った「バゲット」。まるで、『かいじゅうたちのいるところ』に出てくる、ひげを生やしたモンスターだ。

「ピーカブーの控えの間」を過ぎると、メンズの皮革製品のセクションに入る。ウィメンズよりはおとなしいものの、同じように愉快な「ピーカブー」のほか、Fを組合わせた「ズッカ」柄がおびただしく目に入る。「ああ、イニシャルの人気が復活したんだね。では、心ゆくまで楽しませてあげよう」という、心優しい囁きが頭上から聞こえてくるようなメンズウェア コレクションだ。カンパナ ブラザーズ(Campana Brothers)がふかふかのバッグ バグを寄せ集めて作った椅子を通り過ぎて2階へ向かうと、ラガーフェルドのウィメンズ コレクション、そしてカスタムメイドの「ファー アトリエ」がある。周囲をガラスで囲まれた厳粛な「ファー アトリエ」は、Fendi旗艦店の中でも、現代文明の遺物となるにふさわしい空間だ。中では、白衣を着た熟練のスタッフが、毛皮の手触り、毛足の長さ、腰の強さ、その他あらゆる属性の限界を探っている。プロ達の仕事ぶりをよく見ようとして、僕の肘が明るいレッドの壁に触れたとたん、柔らかな繊毛を肌に感じる。度肝を抜かれて、思わず独り言が出る。「この壁、いろんな色の毛皮でできてるんだ」

だが何と言っても、新しい要素をどんどん付け足していくFendiのデザイン手法を先導したのは、遊び好きな小さい身体で、今や店内のあらゆる場所にいる「ミニ カーリト」とその仲間である。バッグ チャームというコンセプトの出所ははっきりしないが、端的に言えば、Fendiがバッグ チャームを完成させたことは間違いない。毛皮で作られたパイナップルであれ、魔法使い、バッグ バグあるいはバッグ バグ一族であれ、欲求とは絶え間なく自らを複製し続ける力だという考えを、Fendiのチャームは表している。バッグが欲しい。手に入れたバッグは、チャームを欲しがる。手に入れたチャームは、それに合うミクロ サイズのバッグを欲しがるかもしれない。かくして欲求は循環しつつ、どんどん小さくなり、どんどん可愛くなり、どんどん装飾のディテールを増す。AppleやHermèsのように「純粋」を理想とするデザイン精神と異なり、バッグ チャームやその他の心愉しい製品を誕生させることで、Fendiはバロックの論理を呈する。「モア イズ モア」の理念から豊饒を志向するバロックの精神は、ローマの歴史と深く結び付いているのだ。

Fendiとバロックの関係は、精神と金銭の両面で明らかだ。2010年代の初めに、Fendiは資金提供の先頭に立って、莫大な費用を要するトレビの泉の修復作業を実現させた。フェリーニ(Fellini)の『甘い生活』にも登場して有名なトレビの泉は、ニコラ・サルヴィ(Nicola Salvi)が設計したバロック美術の傑作である。ターコイズ ブルーの水をたたえ、純白の大理石の彫像が壮大に連なるサルヴィの噴水は、いわば夏になると公開され超ヒットする、大作で有名なマイケル・ベイ(Michael Bay)がプロデュースする映画の彫刻版だ。数百キロ離れた北のフィレンツェで独り淋しく佇む「ダビデ像」とは対照的に、トレビの豊饒は、はるかに現代と調和すると思う。Fendiローマ店とトレビの泉がある地区と反対側の地区では、ボルゲーゼ宮で千載一遇の素晴らしいバロック美術の祭典が開催されていた。イタリアの巨匠の中でも群を抜くジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(Gian Lorenzo Bernini)の彫刻を、世界でもっとも多数所蔵していることで世界的に有名なボルゲーゼ宮だが、「ベルニーニ」企画展では、それに加えて60点以上の作品が一堂に会した。玄関ホールに所狭しと並べられた胸像と知名度の低い作品群は、不気味な深淵と隣り合わせの妙技を示している。その中のひとつ、フランスの枢機卿リシュリューの胸像は、絵画をもとに制作されたという驚異的な作品だ。ふたりは一度も顔を合わせたことがなかったのである。これは、不可能を越えることを目指し、偶然に超越的な結果に行き着くバロックの特質をよく示している。ボルゲーゼ宮の「ベルニーニ」展がオープニングを迎えたとき、Fendiはアフターパーティを主催した。

未来の考古学者が現代文明の遺物「ミニ カーリト」を考察するとき、シニカルな研究者は、僕たちの世代が衰退に向かいつつあったと判断するだろう。バッグ チャームに見られる豊饒の真剣な追求は、マリー・アントワネットが「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」と言い放ったときと同じく、帝国の崩壊を示唆した前兆だと結論するだろう。だが、幅広くかつ大雑把に人類の要求と必要性の現われと解釈されるものは、実は往々にして、非常に綿密に模索し続ける衝動なのである。僕たちが要求する豊穣は、必然的に、より小さく、より可愛く、より奇妙で、どこか未来に近い何かへ通じることを、Fendiは教えている。

  • 文: Thom Bettridge
  • 写真: Thom Bettridge