ユーザー体験:Prada青山店

この店は生きている。そしてこの店を体験するために私は生きてきた

  • 文: Romany Williams

私は常に監視されていた。私が、東京にあるヘルツォーク&ド・ムーロン(Herzog & de Meuron)が設計した旗艦店、Prada青山店の1階にいる唯一の客だからだ。足元の見慣れたPradaの白黒のチェックの絨毯、そしてグリーンのベルベットで覆われたS字型のカウチに、うっとり見惚れてしまう。スピーカーからはポーティスヘッド(Portishead)の「Strangers」が聴こえている。写真撮影は認められていない。私はルールを破らざるをえないが、これを成功させるには、気を確かに持って勇気を振り絞らなくてはならないのだ。

私は、この最も名高く、謎に満ちたラグジュアリーな東京旗艦店を調査するため、Prada青山店にやって来た。Pradaのエピセンター ストア プログラムの一環として2000年に発案され、2003年に完成したこの6階建ての一戸建てビルは、周囲に有名建築が多い青山の街の一角にある。金曜日の午後、45℃もあろうかという暑さの中、私は、ラグジュアリー ブランドが立ち並ぶ迷路のような表参道通りを抜け、渋谷からここまで徒歩で来た。

15年前に建てられたとき、このスペースは正真正銘、時代の最先端だった。だが、今は90年代後半や2000年代初頭の形見のように残っている。2000年代の初め、Y2K問題に危機感を感じて備えていた人々を除き、私たちはふざけ半分でテクノロジーと戯れていたものだ。今から思えば、私たちは往々にして、この不吉な予兆が意味することに対してナイーブだったのだが。50セントの着メロやBaby Phat Motorolaを前に、私は自分の携帯にワクワクしたものだ。スタイルとしてのテクノロジーというのは、本当にワクワクするものだった。アウトドア用品のアパレル デザイナーはCDウォークマンをなんとかスノーボードのジャケットに組み込ませようと試行錯誤していた。たまごっちからJVC Kaboomのようなラジカセまで、何もかもがお祭り騒ぎのように思えたものだ。Prada青山店が体現しているものとは、まさにこうしたテクノロジーとの関係性である。確かに、私は昔を懐かしんでいる。だがこの2018年に、この店舗は、最も美しい方法でノスタルジーに浸ることを要求してくる。私は当時のPradaコレクションを胸に抱きつつ、かの有名なディーター・ラムス(Dieter Rams)の言葉「より少なく、しかしより良く」を思い出す。そして、私はPrada青山店と、その影の首謀者であるミウッチャ・プラダ(Miuccia Prada)が極めて重要であることを考える。

この店舗がオープンした年、Pradaの2003年春のプレタポルテのショーには、モデルが頭にゴーグルをつけて登場した。水着とネオプレンが織り交ざる、素晴らしくメロウなコレクションだった。ミウッチャはこの水にちなんだインスピレーションを、この店舗独特の「シュノーケル」と呼ばれる装置に反映させたのだろうか。私が最初にこの装置を見たのは2階だった。部屋の周りに並べられた女性用の靴が白い台を飾り、その上から、小さなスクリーンのついた細長い精子のような形をした物体が天井からぶら下がっている。これはかつて、インタラクティブなタッチスクリーン コンピューターだった。PradaオリジナルのiPadのようなもので、現在では、最新コレクションのスライドショーを見せるために使われている。シュノーケルについたスクリーンは、理由もなく止まっては再生する。おそらく経年劣化による不調のせいだが、そこでの私は、これは絶対にセンサーが作動しているせいだと確信する。スクリーンの横に、カスタマイズできるPradaのパンプスのコーナーがあり、それぞれの靴底にイニシャルを入れるための金のアルファベットが並んだバインダーが置いてある。このスクリーンを使って、自分だけの完璧なPradaのヒールをデザインするところを想像するだけで、胸の鼓動は高まっていく。こういう場所にいると、私は容易に想像と現実の境界の区別がつかなくなってしまうのだ。

このビルは、サルバドール・ダリ(Salvador Dali)の絵画に出てくるシュルレアルな生き物のような、生命体の特性をいくつも持ち合わせている。「fitting tube」と呼ばれるこの通路までやってきて、それは確信に変わった。その通路は2階と3階の間の狭い中2階にあり、そこに試着室が並んでいる。一見したところ、擬人化された要素は特に見られないが、すぐにそれが時期尚早な判断だったことがわかる。チューブの端まで歩いて行くと、白いレザーのベンチの上に、別のシュノーケル装置が上からぶら下がっている。先程とはまた異なるタイプの装置で、スクリーンの代わりにスピーカーがついている。これは「sun shower」と呼ばれている。私はベンチに座り、身をかがめて耳を近づけた。男と女の声が聞こえ、穏やかなBGMに乗せて、意味をなさない物語を囁いている。私は、この店の中枢神経系内部にいるような気分になる。どれほどがんばって耳を傾けても、彼らが何を言っているのか、話の内容は理解できない。まるで夢を解釈しようとするみたいに。数分後、私はこの声のせいで、ASMR動画を見ているような催眠状態になっていた。1日中でもそこに座っていられたが、まだあと3階も、探検すべき階が残っていることに気づく。

3階に着いたとき、私は直感的に理解した。これは、ジェフ・ヴァンダミア(Jeff VanderMeer)のベストセラー小説「サザーン・リーチ」3部作に出てくる、あのサイケデリックで不吉なジャングル、〈エリアX〉にいるような感覚だ。この店内は、謎に満ちた、生きている迷路であり、私は飽くことのない好奇心のまま、奥深くへと引き寄せられる科学者である。よく目につく場所に備え付けられた火災避難設備と救急セットを見て、頭の中のこのストーリーは、加速していくばかりだ。レジカウンターは白くて細長い長方形で、両端が天井から3本の細いアームで吊るされており、洞窟の中で地面まで垂れ下がる鍾乳石のように見える。建物の外壁全体をなす窓は、数百に上る凸面と凹面、平面のガラスからなり、白い格子がDNAの二重らせんのようにガラスを繋いでいる。窓には、透明ガラスや歪んだガラス、そして、ところどころに鏡がはめ込まれている。ヘルツォーク&ド・ムーロンのウェブサイトでは、この外角構造について、「これらの異なる形状がファセット反射のような効果を生み出し、人々は、建物の内側からも外側からも、絶えず変化する像や、映画的とも言えるPradaの商品が並ぶ景色、街、建物自体を見ることができる」と説明されている。無数の繭のようになったガラスを見ているとクラクラしてきて、ガラスを通して見ているモノが歪んでいるのかどうか、わからなくなる。これは真理の錯誤効果が実際に形になって現れたものだ。少し目が回ってしまったが、それでもこの機能は面白いと思った。ハイパーモダンだ。私たちの目に見えるものが、かつてないほど捏造されているこの時代、物事を問い続けなければならないことを、こうして思い出させてくれるものは歓迎だ。

いい感じに方向感覚を失いつつ、私は4階のセール品売り場へさらに上がって行く。フラシ天のボーンホワイトの絨毯に足を踏み入れると、床に足が沈み込み、通った後に足跡を残していく。私の前にいた買い物客の足跡を追うこともできる。大変な手間をかけてこそ実現しうる、贅沢な感触だ。床から顔を上げて気づいたのだが、服のラックは馬の毛を彷彿とさせるもので覆われている。これがなお一層、ダリの幻影を思い出させた。ふと外を見ると、午後の空に夜のとばりが下り始めている。ここにきて、地下室を見逃していたことに気づく。

階段でメンズ売り場まで一気に降りる。ここの階だけが堅木張りの床になっている。映画『マトリックス』の緑色のような壁に巨大な映像が映されていて、格子模様の球が、水の中に沈んだり浮かんだりしている。まるで古いWindows PCのスクリーンセーバーみたいだ。別の壁には、2018年秋冬コレクションでの、ナイロンをテーマにしたショーから、4つの特別コラボレーションをそれぞれ詳細に説明するパネルがあった。Pradaと頻繁にコラボレーションを行っているレム・コールハース(Rem Koolhaas)の「フロントパック」について読んではいたが、ようやくこの目で見ることができた。このアイデアはバックパックを反転させるというもので、出し入れのしやすさを最大にするため、正面に身につける。このバッグを実際に前にしてもなお、私は、これが画期的というよりは、若干馬鹿げていると思わずにいられなかった。とはいえ、他には真似できないPrada青山店の文脈においては、これも平常の範疇のように思える。

Prada青山店ではトンネルを通じて外へ出る。この店舗の実験的性質を踏まえた、巧妙な演出のシメだ。ヘルツォーク&ド・ムーロンは奇異であることをまったく恐れない空間を設計した。Pradaはそれを栄誉として、15年以上、店舗を改築や修復をいっさい行っていない。他のブランドが、顧客の好むアイロニーに大きく依存する中、得てして表面的なこうした傾向に、Pradaは今なお影響を受けずにいる。90年代後半や2000年代初頭のスタイルは、すでに流行のピークに達したが、Prada青山店を見ていると、ミウッチャはこうしたスタイルの発展の中で自分が不可欠な役割を担っていたことを承知の上で、時代遅れになってしまうことに微塵も不安はないのだろうと感じる。ここでは、流行遅れのテクノロジーが、Pradaだけに実現可能な方法で、現代の買い物客と融合する。この空間での経験は、すばらしい旅のようなもの、知性に訴える自分だけの遊び場の体験のようなものだ。銀のアルミで覆われたトンネルを進み、再び人通りの多い通りに出る。立ち去る前に振り返って見ると、頭の中でポーティスヘッドの歌が流れてくる。「誰もあなたの視界を見ることはできないと気づいていたの?ここで見えるものがあなたのものだと気づいていたの?」

Romany WilliamsはSSENSEのスタイリスト兼エディターである

  • 文: Romany Williams