ヴァル・エ・ポムはファッション流民
複数の顔を持つモデルのグローバルなスタイル
- 文: Zoma Crum-Tesfa
- 写真: Valerie Mevegue

モデル、DJ、スタイリスト、そして「Nero Journal」のファッション エディターであるヴァレリー・メヴェグ(Valerie Mevegue)のハンドル ネームは、ヴァル・エ・ポム(Val et Pomme)。正真正銘、国際的に活躍するファッション流民のひとりである。カメルーンで生まれ、パリで育ち、現在はベルリンで「Vogue Germany」「Numero」「i-D」の紙面やURLを飾りながら華やかな人生を送っている。しかし、彼女は簡単には感動しない。「物事を深いところで感じるアフリカ風のやり方が、まだ抜けないのかもしれない」。等分にミューズでありアーティストであるヴァルは、昼は恥ずかしげにポーズをとり、夜は制作の手段を掴み取る。つまり、現代ファッション アイコンの典型だ。美しい容貌が花瓶に挿した薔薇の花と同じように忽ち萎れてしまう世界で、ヴァルは金銭ではなく、街をファッショナブルにするクリエイターたちと強く結束する。


ゾーマ・クルム-テスファ(Zoma Crum-Tesfa)
ヴァレリー・メヴェグ(Valerie Mevegue)
ゾマ・クルム-テスファ:ヴァル・エ・ポムという名前を選んだいきさつは?
ヴァレリー・メヴェグ:えっと、ヴァレリーは私の名前。ポムは、たぶん7年前に使い始めたわ。パスカル・レネ(Pascal Lainé)の「レースを編む女」という本に出てくるの。「ヴァル・ア・ポム」という名前のファッション ブログも始めたけど、その後ブログは止めて、名前だけずっと使ってるの。
「レースを編む女」は、イザベル・ユペール(Isabelle Huppert)主演で、映画にもなりましたね? あのキャラクターの、どこに惹かれたんですか?
そう、映画も悪くはなかったけど、本のほうがすごく良かった。読んで泣いちゃったわ。私が本を読んで泣くなんて、めったにないことだけど、主人公と心が通じたの。彼女の名前がポムだったから、自分のこともそう呼ぶことにしたのよ。まだパリに住んでた頃。私が惹かれるのは、大抵、悲しいキャラクターなの。自分の中に葛藤を抱えていたり、自分とまだ折り合いをつけられない人たち。悩み多き人たち。
そういうキャラクターとファッション界の人たちは、似てるところがあると思いますか?
思うわ。ファッションやアートの世界の人たちって、普通じゃない。みんな問題を抱えてる。大抵、自尊心が低かったり、逆に高すぎたり。それか、とっても繊細なのに、人前では本心を隠して、感情がないみたいに装ったり。
スタイルが鎧代わりに使えるのも、おもしろいですよね。
そうね。人が着るもの、特に関心をひくような人たちが着てるものって、その人たちに近寄り難くするわね。私だって、普通の日にただ食料品を買いに行くだけでも、素敵に見せることが大切だって意識するもの。思いっきりお洒落すればいいじゃない?って感じ。



人生では何が起こるか分からないから、いちばん好きなものを着るべきだって、私はよく考えるんです。そうすれば、火事で家が燃えて何もかも失っても、少しは手元に残りますからね。
それ、ほんと共感できるわ! クリスマスに家族全員でカメルーンへ行ったのよ。向こうで少し買ったものとジュエリーを持って帰ったんだけど、来る日も来る日も、どんな服のときでも身に着けていたくて。服に合ってなくてもね。私の人生や経験で、ちゃんと似合うようになるの。
今、カメルーンではどんなスタイルが流行っているんですか?
何よりも、あそこはすごく湿度が高いの。雨季と乾季があるのよ。カメルーンの一部は、ヨーロッパで起きていることとすごく同期してるから、みんなそれに応じた服装をしてるわ。でも一方で、そんなこと気にしない人たちもいる。私があそこで目を向けるのはそっちの人たち。市場やストリートにいる人たち。何がトレンドかなんて、まったく気にかけてないわ。
ファッションの新しい動きとして、今、何に注目していますか?
私は誰に対してもオープンなの。どこの出身だとか、どんな音楽を聴くとか、どんな外見だとか、関係ないわ。そうやって沢山の人を見てると、数は少ないけど、素晴らしい人に気付く。私は簡単には感動しないし、感動するときは、表面的なことに感動するわけじゃないわ。多分、物事を深いところで感じるアフリカ風のやり方が、まだ抜けないのかもしれない。カメルーンいるママみたいに。私のママは、誰であろうと、同じように扱うのよ。





パリからベルリンに移られましたが、パリのように、ベルリンがファッションの中心地になると思いますか?
ほんとにそうなって欲しいけど、ならないかもしれない。パリからそれほど遠くないし、ロンドンも遠くない。でも、違うタイプのファッションの中心地になれると思うの。ブランドが主役じゃなくて、人が主役の場所。ベルリンで暮らしてるクールな人たちが主役の場所。今、そういうことが起きてるような気がするわ。ブランドの進出じゃなくて、違う方法が必要だと思う。個性的な人や雑誌が中心になるでしょうね。でも、お金が目的じゃないし、売ることも目的じゃないわ。
DJ、スタイリング、パーティの主催、そして今は「Nero Journal」の編集。全部、あなたの職業ですか?
そうよ。
色々な変化を通じて、あなたの人生を導いているのは愛と友情だと思いますか?
ええ。私はそれほど友達が多いわけじゃないけど、ベルリンに来てから友達になった人たちでも、絶対に頼りにできるわ。ほとんどの友達とは、結局、いっしょに仕事をすることになるの。お互いに信頼し合っているから。それに私は、そういうふうに人生の道を進みたいと思ってる。
自分の生き方自体がテーマやコンテンツになる、と考える人が増えているようです。自分の生き方をアートの実践として語ったり考えたりすることに、価値があると思いますか?
人生をアートとして見ることに、それほど意味があるとは思わないわ。人次第かもしれないけど。アーティストだったら、意味があるかもしれない。でも私には、「私の生き方はあなたの生き方より上だ」って言われてるように聞こえるし、そんなことに意味があるかしら? 生き方って、誰かを真似ることじゃないと思う。ああいう人たちも、人が自分を見習うべきだと考えてはいないと思う。アートだなんて思ってないことを望むわ。単に商売としてやっているだけで、自分のやっていることが人より優れてるなんて、信じてないことを祈るわ。私は、私が言ったことに従って欲しくなんかないもの。
雑誌をやっていても?
私たちの雑誌を見たければ、見ればいいわ。でも、あなたの不十分なところを私たちが教えてあげましょう、ということじゃない。雑誌が見せてるのは、単なるイメージ、単なる考えよ。



- 文: Zoma Crum-Tesfa
- 写真: Valerie Mevegue