ヴァージル・アブロー降臨
SSENSE モントリオール本店にてファッション界のスターが自分のオフィスをアートに変える
- 文: Olivia Whittick
- 写真: Rebecca Storm

7月1日、モントリオールには熱波が押し寄せており、市は警報レベルを「極度に危険」から「要規制」へと引き上げたところだ。暑く、蒸し蒸しとして、汗だくのドロドロだ。そんな中、サン シュルピス通り418番地には、若者たちがOff-Whiteのデザイナーで、先日、新たにLouis Vuittonのメンズ部門のアーティスティック ディレクターに任命されたヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)をひと目見ようと、列をなして待っている。
彼の最新インスタレーション「CUTTING ROOM FLOOR」は明日になるまで公開されないというのに、彼らはそんなことは気にしない。行列で少しでも早い順番を確保しようとする彼らは、この殺人的に不快な気温の中、キャンプ用の折りたたみ椅子に座って24時間、場所取りをすることだって厭わない。一体どういう訳でヴァージルはこうした若者の間で、ここまで重要になったのだろうか。
翌日の朝、彼らはなおも列の先頭にいたが、今日は、さらに行列が長くなっていた。気温36度。湿度のせいで体感温度は45度くらいだ。3人の女の子が列に並んでいるのを見つける。残りは皆、男の子たちであり、中にはその両親と思しき人もいる。その中のひとりの父親は、棒のチョコレート アイスをが溶けてなくなってしまう前に食べ終わろうと必死だ。AirPodsを耳につけて仁王立ちしている、ぶすっとした10代の息子の方は、頭からつま先までをOff-White、YEEZY、Stone Islandのミックスで固めている。幸運にも、Off-Whiteのシグネチャであるストライプと、交差した矢印は安全服のようにも見え、これなら万が一、彼が飛び出しても、道路を走る車に轢かれずにすみそうだ。この光景にはどこか教会のような雰囲気があり、私は無神論者の懐疑的な姿勢で臨んだ。

中に入ると、ヴァージルはシカゴにある自分のオフィスを完全に再現していた。建前としては編集なしで、手付かずのオフィスをそのまま輸送し、SSENSEのスペースで組み立て直したということになっている。書類、自分用のメモ、蛍光ペン、Off-Whiteのメガネ「FOR READING」の試作品、計画プラン、Louis Vuittonのショーのための素材見本、デザインの本、来年予定されている、ヴァージルがデザインしたものすべてを集めた回顧展のための、シカゴ現代美術館の建物を再現した縮尺模型や見取り図などがある。他には、ポストイット、 トランシーバーのマニュアル、アラスカにある北米最高峰で、かつてマッキンリー山と呼ばれたデナリの地形の模型、さらに数千ドルほどと思われる現金がある。展示品のいくつかは複製が作られており、購入可能だ。どちらかというと典型的なオフィス空間で、IKEAのテーブルの上には、所狭しと会社でよく見る残骸が散らばっている。ありきたりでないのは、展示に窓も含まれている点くらいだ。ヴァージルは、これを「脳内世界の展示」と呼ぶ。
インタビューが始まって、私は、ヴァージルの薄手のジーンズに豪華な装飾の十字架を何重にも重ねたアップリケがついているのに気づいた。両腕には天使のタトゥーが彫られている。私は彼がカトリック系の高校に通っていたことを思い出す。ちなみに私もだ。私の中で、彼を理解したい、そして、どうしても作品の奥底にあるものを見つけ出したいという願望が高まる。彼の声はゆっくりで穏やかだが、それ以外の部分では、指を曲げたり、足を蹴り出したり、組んでみたりと、絶え間なく緊張と弛緩を繰り返している。しきりに立ち上がろうとしているように見え、そわそわして落ち着きがないが、それとは対照的に、頭の方は驚くほどに集中している。彼は目配せをし、耳を傾ける。彼にインタビューしていると、自分が延々と壁にぶつかり続けるハエになったような気がした。中に入り込めるとは思えないのに、疲れ果てるまで何度も何度もその表面にぶつかる。


私は、彼が額面価格に税金を加えた額で販売している「お金」について尋ねる。これは、インスタレーションにある購入可能なアイテムの中でも、最も挑発的なもののひとつだ。「僕はDJを頻繁にやるんだけど、現金でギャラが支払われることが時々あって、このプロジェクトをやろうと決めたときに、ちょうどそれが机に置いてあったんだ」。彼の答えは、私が期待していた答えよりずっと単刀直入だ。ヴァージルのお金を購入する人は、これを一体どうするのだろうか。額に入れて飾るのだろうか。本当にお金に困ったら、それを使ってしまうのだろうか。このヴァージルのお金を何に使うのだろうか。私はこうして畳みかけるが、彼は笑うだけだ。「まだ生きているうちに遺品販売をやるみたいな感じだからね」。私もまったく同じように考えていた。インスタレーションには、亡くなったアーティストの作業場を死後に展示するような、追悼の雰囲気がある。彼は自分自身を偲んでいるのだろうか。自分自身を偶像化しているのか。だが、これらすべてが意味するのは、彼が「幸せなアーティストの偶然」と呼ぶものの結果なのだと言う。そこでは、解釈は意図されたものではなく、事後に思いがけず生じるものでしかない。「アートを公開した後、そこにはあらゆる種類の素晴らしい偶然が見つかる」のだ。それが意図的ではなかったとはいえないが、あらかじめ予見されていたものでもない。そこに生まれる奥深さに対して、ある意味で後付けの説明をするのだ。「実は、こういうことをやろうとしてたんだ」と。
ヴァージルは何をするつもりだったのだろうか。彼の作品のうち、どれが最初から意図されたもので、どれが理由を後付けしたものなのか。「ありふれたものをあえて知性的に捉える、というのが僕の作品の説明として特に気に入っている。僕はただ座って、何かをじっと見ていても平気だ。そのうち、それに何らかの価値が出てくる」。この発言で、長い間私が密かに彼に認めてほしいと思ってきたことが頭をよぎる。つまり、彼のやっていることはある種の「釣り」であるというものだ。とはいえ、結局のところ本当にそうなのか、私には確信が持てないのだが。彼はただ機能的なモノが好きなのだ。彼は自分の脳もモノだと考えている。彼にとっては言葉すらもモノである。すると、彼のプロジェクトは欲望の研究になる。彼は何かありきたりなモノを取り上げ、「これが欲しい?」と問う。もし誰かがそれが欲しいのなら、そしてそれに対して喜んで大金を払うのなら、それはアーティストの問題ではなく、観客の問題だ。彼が提起するのは、世界に存在するものは、例えば便器のようなであっても、いかなるモノも無条件に、美術的価値があるものとして鑑賞するに値する(そして狂った値段をつけるに値する)ということのようだ。これが面白いゲームであるという点には、私も異存ない。


ヴァージルが既存の価値観を破壊することに関心があるのは疑いない。そして彼は、ハイアートやラグジュアリー ファッションの分野にアクセスして、歴史的にその分野にアクセスできなかったあらゆる人々に対して開くことで、その価値観を破壊することに興味を抱いている。「それが僕の作品の重要な特徴のひとつなんだ。破壊するために破壊するのではなくて、より多くの人の可能性を広げるために破壊する。デザインを可能にするコミュニティを多様化させるためにね。ちゃんとした学校やちゃんとした家族、ちゃんとした街の出身ではない人を認めないような、少数のエリートにデザインを任せていてはいけないんだ」
彼の目標がアートをより大衆向けのものにすることである一方、その実践においては、アートとファッションの世界がどれほどレトリックに溢れているか、そしてどれほど技術的な創意工夫は重要でないかという点を、彼は強調しているようだ。「僕の作品には、言葉通りの意味で、君にも同じものが作れるというアイデアが根本にあるんだ。それが答えのすべてだよ。もしそれが買えないなら、近所のスクリーン プリントをやってくれる店に行って、自分で作ればいいんだ」。彼は出世志向であると同時に謙虚であり、自らの才能が神から与えられた資質によるものではなく、むしろ勤労精神によって支えられていることをほのめかす。彼がコラボレーションしているIKEAと同様に、彼のデザインにも説明書が添付されているのだ。
ヴァージルは、自分の最終的な目標が、ラップやスニーカーに関心を持つ若者たちに美術や建築にも目を向けさせるような教育者、橋渡し役になることだと認める。「美術家の名前などまったく知らない、ゴッホやダヴィンチさえ聞いたことないような、外に並んでいる若者たちが、ポスターを見て『皆はなぜルーチョ・フォンタナ(Lucio Fontana)の話をしてるんだろう?』ってなるのが好きなんだ」と彼は言う。ただここでの問題は、インスタレーション用のポスターにおけるルーチョ・フォンタナの作品への言及はかなり明白にもかかわらず、誰ひとりとしてその名前は出さない点だ。あるいは、ポール・マコブ(Paul McCobb)について、ヴァージルがIKEAとコラボレーションした家具のデザインが、若干インスピレーションを受けすぎているという点についても同じことが言える。どれほどその原作や所有権や著作権についてどれほど折り合いをつけようとしても、ヴァージル本人はその議論に加わることはない。なぜなら、彼は次世代へとたすきを繋ぐのに忙しすぎるし、彼の焚きつけた火に引きつけられる虫は数限りないからだ。

とにかく、好むと好まざるにかかわらず、ファッションにおいて、このゲームには再文脈化という名前がつけられている。オリジナリティが不可能なこの時代、創造力が意味するのは、まったく似つかわしくないふたつのものを持ってきて、調和が取れているように感じさせる能力だ。あるいは、文化の領域から取り出したものを、そのソースがどこなのか気づかれないような、完全に異なる領域に送り込む能力のことだ。ヴァージルはルールにとらわれず自分の好き放題やっているのであり、この点は評価できると思う。彼は何をするにつけても、機械のような勢いと率直な自信を持ってやりのける。だからこそ、私は彼の複雑さを見てみたい、奥深さを見出したいという欲求に襲われる。だが彼の秘訣は、たくさんのものを作ること、と至ってシンプルだ。
Louis Vuittonのデビュー コレクションのモチーフについて尋ねたあと、『オズの魔法使い』について少し触れる。なぜこの物語なのか。「何よりも、あれは架空の世界にいるドロシーという発想だった。現実の世界から逃げ出して新しい世界に行くというのが、あのコレクションにぴったりの感情だったから」。だがこんなのは、私が彼の口から聞きたかった答えではない。私は彼が「僕が魔法使いなんだ!」と言うのを聞きたかった。なぜなら、私は彼にあの魔法使いを重ねてみたいからだ。魔法使いのように見せているだけの平凡な男だが、神話の力を使い、自分自身を通して人々の欲望を導き出すことができる。人々がその人生の虚しさを埋めるために巡礼をするような、欺瞞の神様。この平凡な男は、絹と麦わらでできた贈り物で、心があるべき場所にぽっかり空いた空洞を埋めてくれるのだ。


Olivia WhittickはSSENSEのエディター。『Editorial Magazine』のマネージング・エディターも務める
- 文: Olivia Whittick
- 写真: Rebecca Storm