キャベツ ファッションで幾重にも緑を着る

Molly Goddard、Versace、Balenciagaなどデザイナーが緑葉野菜にこだわる理由

  • 文: Drew Zeib
  • アートワーク: Nathan Levasseur

Molly Goddardの2019年春夏コレクションのショーで、私はモデルたちが野菜を小脇に抱えている写真を撮った。後になって、「モデルがレタスを持ってる写真を撮ったの忘れてた」というキャプションを添えて、写真をInstagramのストーリーに投稿した。

「キャベツね」とエディターの友人がコメントしたのを見て、穴があったら入りたい気分になった。これはキャベツ、その通りだ。あまりのきまり悪さに「キャベツってレタスの一種じゃない?」と問うてみる。キャベツはレタスじゃない。

Molly Goddardのランウェイでは、果物の箱や牛乳のケースが山積みの想像の市場という設定で、野菜に見えるようボリュームをもたせたラッフル ドレスを発表した。いちばんわかりやすい例が、この茶色がかったオリーブ色のドレスで、胸元はあふれ出るようなラッフルがあしらわれ、下に下がるほどに、生地が何重にもレイヤーになっている。それから、上に持ち手がつき、白いレザーで束ねたように見えるグリーンのAmelia バッグ。茹で過ぎてしまった丸ごとキャベツのような真緑がオシャレだ。

同じシーズン、同じロンドンのファッション イーストでは、ユハン・ワン(Yuhan Wang)が同じように、園芸上手なところを見せた。ピンク、白、ブルーの折り重なったシルクが、熱にうなされたように通路を過ぎ去ってゆく様は、ぼんやりとしたタッチでブルジョワの過ぎし日を描いた、ヴァトーの絵画を連想させる。庭でこそ着てみたいドレスだ。ただし、手には園芸用スコップではなくシャンパン グラスを持って—。それに、エメラルド色のドレスもあった。シダ植物のようなケリー グリーンのシース ドレスで、体に巻きつくようなクレープ地の蔦があしらわれ、さながらイギリス式の庭園にある偽物の円柱をツルが上へと伸びていくようなドレスだ。帽子は明るいライム グリーンだが、靴の方は特に、地面から生えた葉っぱがモデルの足を優しく包み込んでいるようだった。

キャベツは質素な野菜に思えるかもしれないが、その文化史を見ると、質素には程遠い。ディオゲネスは、もっぱらキャベツを食べたと伝えられており、キャプテン・クックは、壊血病対策としてザワークラウトを常に船に持ち込んでいた。ローマ人たちは、キャベツをぶどうの木の近くに植えると木がダメになってしまうと考えており、それゆえ、この植物は二日酔いに効くと考えていた。またカトーによれば、翌日、二日酔いにならないようにするには、宴会の前の食事でキャベツを食べておくのがいちばんということだ。

Sies Marjan 2019年秋冬コレクション、冒頭の画像:バッグ(Molly Goddard)

Molly Goddard 2019年春夏コレクション

カエサルの軍は、傷の包帯にキャベツの葉を使っていた。暗殺されたオスマン帝国のスルタン、セリム3世は、ある詩の中で、ヘルヴァの出る宴にはキャベツが欠かせないと詠っている。キャベツは長年、世界中で不可欠な食材だった。コルカノン、バブル アンド スクィーク、ビゴス、キムチ、コルティード、コールスロー、酸菜と、調理法は無限だ。この野菜は数千年もの間に世界中を横断し、おそらく、乳製品やコメ、小麦に勝るとも劣らないくらい普及している。至るところで見られ、数多くの利用方法があるキャベツは、何によりもまず実用的だ。

そして実用性というのは、概してラグジュアリーとは対極にある。装飾とすら相容れないかもしれない。特に西洋では、東欧やブリテン諸島の田舎者が食べる野菜というイメージもあって、素朴なキャベツにセックスアピールなどほぼない。シンプルな、よくあるものといった感じなのだ。苦味のあるルッコラでもなければ、手間をかけてオイルとレモンでマッサージしてやっと食べられる、ギザギザのケールでもない。それは、無理に咀嚼することでより良い自分になれるような、ある種、マゾキストの食べ物ともいえる「思いっきり緑色野菜」ではないのだ。アボカド トーストでもなければ、スピルリナ パウダーでも、青汁でも、オーガニック サラダ専門店のスウィートグリーンでも、「野菜は体にいい」を体現しているような野菜でもない。高級ジムのエクイノックスでエネルギー チャージのために食べるのがほうれん草のベビーリーフなら、キャベツは、おばあちゃんの家に行った時に出されて食べるものだ。

モデル着用アイテム:ドレス(Supriya Lele)

にもかかわらず、今、キャベツが熱い。ランウェイや、最近イッサ・レイ(Issa Rae)が表紙を飾った『ESSENCE』誌のライム色のレイヤード ドレスだけではない。あるレポートによれば、この植物は、まさに「今注目の」野菜なのだ。同レポートでは、他の現在人気のものとして、緑葉植物から抽出されるカンナビジオール(CBD)も取り上げられている。おそらく近いうちに、茹でキャベツも、流行りのサンセリフ体のタイポグラフィのロゴを冠したような、健康志向のファスト カジュアルなレストラン チェーンの人気メニューになるのだろう。かの有名なマクロビ レストラン、Souenのソーホー店は閉店するかもしれないが、ニューヨークにある、それより新しくて、そこまで有名ではないDimesでは、すでに件の野菜を取り入れた「アース タコス」なるものが存在する。どの野菜が他の野菜と比べて「より天然に近い」などということはないのだが、私たちはあまりにこの大地から疎外されており、いつの間にか、私たちにとって食物は縁遠いものになってしまった。かつては、アメリカ人の3分の1が農場で暮らしていたが、今や、そのような人は1%に満たない。地味な根菜や緑葉野菜を軽食として食べることには、暖炉のそばでブロンテ姉妹の小説を読むのと同じ、ノスタルジックな喜びがある。この裕福な家庭に生まれた姉妹たちもまた、畑にはいちども足を踏み入れたことがないはずではあるが。

なぜ、この寒さに強い野菜に惹かれるのか。最近の研究によると、アメリカの59歳以上の消費者は、39歳未満の層に比べ、2倍キャベツを購入する確率が高いそうだ。だがこの点こそまさに、見た目がキャベツのモチーフの魅力といえる。これは「回帰」なのだ。もしかすると、伝統への回帰と言ってもいいかもしれない。過ぎ去りし時代への回帰と言ってもいいだろう。もっと直接的に、土に還るのだと言ってもいい。このキャベツの復活にふさわしいマスコットとしてひとつブランドを選ばねばならないとしたら、それはおそらく、(超)正統主義からインスピレーションを得た例のブランド、Batshevaだろう。そのドレスは、輝きに満ちた慎み深さを体現しており、ついでに目も眩むような値段もついている。Batshevaの2019年秋冬コレクションのショーで、田舎っぽい雰囲気とラグジュアリーというふたつの特徴のドレス間に挟まれるように登場したのが、緑と白のストライプのアイテムで、典型的なラッフルのハイカラーに、ヘムラインには小さな共布の花飾りがついている。このスカートを見ればわかる。くしゃくしゃとした縁取りの開き具合など、キャベツの葉が開いたところに似ている。なんとストレートな表現だろう。ドレスに合わせているのは、白のReebok Classicsとチューブ ソックスのようだ。ゴッホはその静物画の中でキャベツと木靴を並べて描いたが、Danskoならともかく、アッパー ウエスト サイドに住むBatshevaのバイヤーは、自分が木靴を履くほどマジだとは思われたくないだろうし、パレオダイエットに最適な、赤キャベツのトッピングで彩りにコントラスト加えたグレイン ボールで、エネルギーチャージをしようというランチ タイムに、足が痛いなどゴメンだと思っているはずだ。

Batsheva 2019年秋冬コレクション

Collina Strada 2019年春夏コレクション

Maryam Nassir Zadehは、葉のようなシルエットを、そのグリーン Glory ドレスで表現した。ただし、そのコットン混紡の生地は、人工的な明るい「レモン グリーン」だ。Balenciagaのパッドの入ったガウンは、キャベツに包まれるようなあらゆる快適さを取り入れつつ、そのブルー グリーンの色合いは、まったく自然を感じさせない。奇妙なグリーンは他にもある。リカルド・ティッシ(Riccardo Tisci)がBurberryで手がけた、パステル カラーのピスタチオ色の初コレクションに先駆け発表された、クロコ柄のフェイク レザーのパンプス。[Versaceの豆っぽいグリーン]、懐かしいTVディナーを再現したMoschinoのキモノにあしらった豆、 放射性物質の色をしたシャルトルーズのようなChristopher Kaneのバッグ、エレクトリックでシックなSies MarjanのグリーンのシルクTibiのCrispyメッシュ ポロCollina StradaのタイダイRitualドレスの新たな始まりの緑などだ。地球を愛するヒッピーたちが蘇ったのだ。言っても、ウッドストックの50周年記念であり、私たちは「グリーン ニューディール」の時代を生きている。そして、それを示すためのカラー パレットを得たわけだ。

だが、このGMO全盛期、市場には常に新種のハイブリッドが登場する。Rombautのスポーツ サンダルは、濃い緑のソールに、adidasのアディレッタではストライプが入るパネル部分が「レタス」になっている。このスライドは野菜が入っているような、透明なビニール袋のパッケージに入っており、そこには「スーパー グリーン!」と書いたラベルが貼ってある。Rombautの靴は動物由来の素材を一切使用しておらず、植物性の素材のみで作られている。もちろん私は、この靴が本当にサラダなのか疑うべきだ、などと考えているわけではない。ただ、このような素材に対する逐次的な解釈のバカバカしさを指摘する中で、私たちの疎外感を単純化し、さらに強めることで、逆説的にその疎外感を軽んじるというRombautの手法は、偽物と本物の間にある、不安定な関係性を浮き彫りにしている。ライム グリーンは全然フルーツっぽくないし、「ヴィーガン シューズ」は、おやつに食べられるわけでもない。あるいは、牛革のローファーを履いたからといって、誰も足元を見て亡き牛の姿を重ねることなどしないだろう。

これらすべての田舎風の野菜ドレスにおいて問題となっているのは、正確には、ノスタルジーでも正直さでもなければ、シンプルさですらない。これほどふんだんに生地を使った服がシンプルなわけがないのだ。もしかすると、快適さかもしれないが、もっとぴったりなのは、おそらく「オーセンティシティ、真正性」ではないだろうか。この難しい言葉は過剰に分析されるが、結局、いつも自家撞着に陥ってしまう。こんなことを言うと私のセラピストはがっかりするのだろうが、私は、真正性が一生懸命裏付けようとしているものなど、漫画における不可能性と大差ないと思うときがある。だが、真実が食べ物のように加工される中では、「100%天然」という嘘のラベルよりは、まだ少し慰めになる。キャベツは「リアル」だ。そして、あまりにリアルをでっち上げることに慣れ、不確定さ、つまり筋が通っておらず、変わりやすい私たちのアイデンティティの性質を受け入れている私たちは、今「リアル」を欲している。

Drew Zeibaはニューヨークを拠点に活躍する、アート、建築、メディア、セクシュアリティを専門とするライター兼エディターである

  • 文: Drew Zeib
  • アートワーク: Nathan Levasseur